(424)ドイツ最新ニュースから学ぶ(17)

ハンガリー同性愛差別法が欧州に問うものZDFheute6月23日

 EU委員会委員長ウルスラ・フォン・デア・ライヱンは、メルケル政権の下で労働保健大臣や国防大臣を努めメルケルを支え、保育所の増設やインターネット規制強化で弱者支援に努め、2019年7月にはEU委員会委員長に指名され、欧州グリンニューディールなどで意欲的に先頭に立っている。

そのライヱン委員長が、ハンガリー議会で成立した同性愛差別法案を欧州連合の基本的価値に違反しており、そのような法案は恥じであり、撤回しない場合委員会は欧州司法に提訴手続きを開始すると激しく非難している。

しかしハンガリーの長期独裁者と称されるヴィクトル・オルバン首相は、提訴で欧州司法から改善を求められても強制権がないことから、全く真摯に向き合おうとしていない。

同じ公共放送のドイツ第一放送ARDのTagesschauでは、EUハンガリーへの支援金を止めれば決着するにもかかわず、その切札を温存したことが欧州司法の決定さえ無視される原因だと、一歩踏み出して核心をついていた。

そのような切札温存こそは、まさにEUの本質的な問題である。

すなわち本質的な問題とは、EUの民主的理念よりも経済成長が優先されることである。

EUの東方拡大で2004年に加入したハンガリーは、社会主義から受け継がれた国有企業が民営化され、それらの企業はドイツなどの西側企業に買収され、合理化で失業者が溢れ、大部分の市民は困窮していったことも事実である。

私自身も2009年の秋、ベルリンからブタペストを訪れたことがあるが、ハンガリー通貨とユーロ通貨の闇市さえでき、物乞いをする人さえ至るところで見られ、人々の窮状が感じられた。

物価は驚くほど安く、ハンガリー大帝国の宮城の入場から様々な由緒ある美術館の入場は殆ど無料であった。

そのような状況は西側からきたものには、居心地のよいものであっても、私と話した市民がそうであったように、一握りのエリートを除き、大部分の市民は失望していた。

そのような市民の失望が、ハンガリー民族主義を掲げるオルバン政権を誕生させたと言っても過言でないだろう。

オルバン政権は2010年に誕生すると、3分2を占める議会与党決議で憲法裁判所を支配し、独裁化に踏み出し、現在も揺るぎのない長期独裁政権を築いているといえるだろう。

それを支えているのは、格差拡大で国家社会主義の如き公正さを求める市民と、企業買収の西側資本との利権構造であり、西側資本の3万人を超えるロビイストたちに支配される欧州連合EUは切札を切れないのである。

 スロベニアEU議長国誕生で浮かび上がるものZDFheute7月1日

 7月1日にEU理事会議長国がポルトガルからスロバニアになった。

問題となっているのは、スロベニアのヤンシャー首相がメディア支配と司法圧力を強め、今回のハンガリー性差別法ではオルバン首相を公然と支持し、2020年3月ヤンシャー政権誕生以来絶えず欧州連合EUに物議を醸していることである。

ヤンシャー首相はトランプ信奉者であることを明言し、公共放送の政権批判報道をフェイクニュースと一喝し、給料も6カ月も延滞させ、他方で政権支持の民間放送を支援していると、ドイツのメディアは伝えている。

そしてもっとも懸念されるのは、EU加盟の東欧諸国がハンガリーのオルバンを手本に、メディアと司法を支配し、国家社会主義の如き反民主主義国に導いて行くことである。

もし強行に現在の西から東への莫大な支援を絶てば、西欧諸国と東欧諸国の亀裂が激化し、二つに分かれる可能性さえ考えられる。

現在の欧州連合EUは、ドイツのように基本法と連邦憲法裁判所によって国家利益より国民利益が優先される仕組みが出来ておらず、国益が最優先されており、EU委員会委員長ライヱンやメルケル首相がどのように粉骨砕身しても、打開は不可能である。

支援金を断つ切札が使えないなら、国連のようにNGOや様々な形態の協同組合を動かして、「対人地雷禁止条約」や「核兵器禁止条約」、さらには「世界を変える持続的開発SDGs」を推進しているように、国益追求の国よりも、各国の利益を求めない様々な形態の協同組合を育成し、本質的に変えていくしかないだろう。

もちろんEU補助金や支援金などの配分は、これらのEU理念実現の担い手となる利益を求めない各国の民間団体や公益団体に振り分け、子供たちの貧困解消から教育機会の平等を通して格差の小さな社会に変えて行かなくてはならない。

すなわち現在のグローバル資本主義のなかで国に期待しても無理であり、お金を各国に振り分けるのではなく、利益を求めない地域のこれらの団体に直接配分して行けば、国家の力を弱め、欧州連合の理念「自由、民主主義、法の優位、人権の尊重」の実現を、ヨーロッパ市民の手に取り戻すことも可能であろう。

(423)ドイツ最新ニュースから学ぶ(16)

欧州量的金融緩和での独憲法裁判所との対立 

ZDFheute6月㏨

 

6月19日欧州委員会は、欧州中央銀行(ECB)の資産買い入れプログラム(量的金融緩和)で昨年5月にドイツ連邦憲法裁判所が異議を唱えたことに対し、法的措置を開始すると発表した。

量的金融緩和は、日本が2013年世界で最初に始め、それ以降継続しているのは国民の知るところである。

その仕組は、日本政府が不況を乗切るため毎年数十兆円規模の国債を発行し、民間銀行がその国債を買い、日銀がその国債を市場金利より高く買取り、市場にお金を溢れさせ、景気を刺激することにある。

欧州においては、欧州中央銀行(ECB)が2015年から加盟国の国債や債券を買取り、金融市場にお金を溢れさせて来た。

しかし2020年5月ドイツの憲法裁判所が、このようなECBの量的金融緩和に違憲判決とも言うべき異議を唱えた。

その理由は、ECB による無制限の低信用国の国債などの買入は,突き詰めれば,財政余裕国 ドイツの財源をドイツ連邦議会の同意なしに、国債買入対象国に移転する措置に当たると見なしたからである。

それは各国の国内法をEU法が優先して支配することでもあり、補完原理に基づき各国国内法を尊重するEUの理念に反するだけでなく、財政健全化に絶えず努めるドイツでは、お金がEU市場に溢れることで、制御不能のインフレへと加速する危惧があるからだ。

ドイツは過去において、第一次世界大戦後賠償費用を工面するため、意図的に資金供給量を増大し続け、食料品などが不足して一旦インフレが加速すると、金融政策では制御ができなくなり、1兆倍という恐ろしいハイパーインフレを経験したからである。

確かに量的金融緩和の仕組は巧妙に作られており、一見安全であるように見えるが、通貨が市場に溢れることでは同じであり、例えば食料危機などの予期せぬ事態が生ずると、インフレ加速が制御不能に陥る可能性は否めない。

もっとも量的金融緩和よる巨額の景気刺激政策なくしては、EUの弱国と称される国々は経済危機に見舞われ、EU自体も危機に陥りかねないのも事実である。

それ故EU委員会は、1年前のドイツ憲法裁判所異議判断に法的措置を開始した。

しかしドイツ憲法裁判所の判断は、ドイツ市民の世論を反映するものであり、量的金融緩和自体が本質的に健全でないことから、波紋を拡げていくように思われる。

それは突き詰めれば、絶えず成長を求める市場経済自体が問われているのであり、コロナ禍でも国民の命よりも経済が優先され、早期に非常事態宣言解除がなされ、コロナ感染症を爆発的に世界に拡げている原因でもある。

 

緑の党首相が誕生するとき

ZDFheute6月13日

 

党大会では、98.5%という高い得票でアンナレーナ・ベアボックが首相候補として再確認された。

彼女は少々興奮気味で、演説でもミスが目立ったが、緑の党共同党首のローベルト・ハーベックは州副首相兼環境大臣の経験もあることから、沈着冷静に補佐したと称賛して伝えている。

党のマニフェスト(党綱領)でも、従来のラジカルな目標は控え、気候変動阻止のパリ協定を実現していくことで、市民の幸せを追求して行くことを確認した。

具体的には2030年までに温室効果ガス排出量を1990年比で70%削減し、現在1トンあたり25ユーロの炭素税を2023年から60ユーロに引き上げ、2030年には150ユーロにして、70%削減の実現を公約している。

その炭素税も市民に還元し、再生可能エネルギー法(EEG)の固定買取での課税を下げ、電気料金を下げることを公約している。

ドイツの再生可能エネルギー法は、4大電力企業の経営危機から、2014年に市民側からすれば改悪された。

すなわちそれまでドイツの再生可能エネルギー製造を担い、800以上に破竹の勢いで増え続けていた市民エネルギー協同組合が、建設補助金の減少や、全ての再生可能エネルギー発電所建設で入札制度導入で運営自体を難しくされ、巨大電力企業に引き継がれるように改変された。

そして巨大電力企業は、欧州グリンニューディールの追い風で、巨大メガソーラー発電や洋上風力発電に取組んでいる。

しかし遠隔地で集中的に莫大な電力を製造するやり方は、化石燃料エネルギーから自然エネルギーへのエネルギー転換であっても従来と変わらず、巨大な電力網建設必要として、気候変動阻止目標に貢献せず、市民利益もない。

本来自然エネルギーの転換は、地球上何処においても照らす太陽エネルギーを利用するものである。

しかも太陽光発電風力発電バイオマス発電は分散型技術であり、地域での小規模利用でこそ生かされるものであり、市民エネルギー協同組合が造る方が経済的にも圧倒的に有利である。

そのような市民が創る自然エネルギーへの転換なくしては、リオの「地球サミット」、そして京都議定書温室効果ガス排出量削減を公約しても増やし続けてきたように(2020年には90年比で60%も増やし続けている)、益々気候変動の激化は避けられない。

そのような中で、市民が創る自然エネルギーへのエネルギー転換を実現できるのは緑の党である。

何故なら緑の党の支援組織は市民であり、自他ともに認める市民政党であるからだ。

この報道でも演説しているバーデン・ヴュルテンベルク州緑の党首相クレチュマンは、かつて原発保守王国であった州で3期に渡って首相を努め、益々支持を高めている。

その理由は、クレチュマンが市民利益を最優先して、市民奉仕に徹しているからである。

確かにメルケル首相も国民奉仕に努めたが、現在の緑の党首相誕生の勢いは、国民が市民奉仕を求めているからである。

そのような市民政党の首相が誕生するとき、世界は変わり始めるだろう。

(422)ドイツ最新ニュースから学ぶ(15)

 

ドイツの徹底した「過去の克服」(ZDFheute5月28日)

 ドイツは、20世紀初頭の帝国主義植民政策を採るなかで、当時の植民地ナミビアにおいて先住民族ヘロン属とナマクワ属の数万人を虐殺した。

その過去の過ちに対して、5年前から和解への対話を続け、今年5月28日ドイツ政府はその際の虐殺をジェノサイドと公式に認め、道義的責任としてナミビア発展のために11憶ユーロ支援供出を表明した。

まさにこれは、ドイツの徹底的な「過去の克服」であり、ナミビアの次は第二次世界大戦でのポーランドギリシャだと言われている。

戦争での過ちに対して言及するだけで、自虐史観として激しい批判がある日本では、このような徹底した「過去の克服」は理解不可能であり、何故ドイツはそこまでやるのかと問わずにはいられない。

実際ドイツは、ホロコーストの犠牲者に対しては、被害者補償や司法訴追だけでなく、ネオナチ規制から公的な認識共有に至るまで、徹底した「過去の克服」に努めて来た。

ベルリンの中心には、何千の石碑が天に叫ぶかのような「ユダヤ石碑」が建設されている。

またドイツの行動を歩けば、そこから強制収容所に輸送された人の名前が刻まれている10センチ四方ほどの真鍮プレートを至る所で見かける。

もっともこうしたドイツの徹底的「過去の克服」は、最初は前進と後退を繰り返し、戦後のナチズムの反省がなされた後は、50年代の終わりには過去の過ちを忘れようとし、ナチ犯罪を65年で時効にしようした時代もあった(現在ではナチ犯罪に時効はない)。

それを変えたのは、60年から始まった「競争よりも連帯」を優先する教育の民主改革だった。

もちろんそれを引き起こしたのは、二度と過ちを繰り返さないことを誓ってつくられた基本法であり、十数年をかけて熟成して来たからこそ開始されたと言えよう。

そして教育の民主改革は、官僚や政治家を市民奉仕に転換させるだけでなく、司法も裁判官たちを高座から市民目線に引き下ろし、市民奉仕に変えたと言えるだろう。

またそうした土壌が70年代終わりには、保守中立を保っていたメディアを奮い立たせ、現在ではタックスヘイブンから気候正義に至るまであらゆる問題で、「戦う民主主義」の姿勢が感じられる。

そこには、よりよい社会、よりよい世界を築きたいと願う市民と連帯するドイツのメディアがある。

同様にドイツの「過去の克服」も進化しており、最初は周辺諸国との賠償や司法訴追を終わらせることで、国益を追求しているという非難の声さえ聞かれた。

しかし今では、これまでの世界では考えられなかった帝国時代の植民地政策の過ちにさえ、謝罪と和解を求め、さらに第二次世界大戦の戦争下おける過ちにも謝罪と和解を求めようとしている。

それは、「過去の克服」にドイツが長年に渡って真剣に向き合い、対話を続けるなかで、ドイツの民主主義を成熟させ、「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」を心底悟らせたからと言えるだろう。

また被害者側も、過去の死ほど辛い苦しみは賠償というお金だけで報われるものではなく、和解対話を続けるなかで、封印していた苦しみを語り、加害者と共に過ちのない未来を創ることに救済を見つけたからである。

このようにドイツの徹底した「過去の克服」は、過去の過ちを未来への問いかけに発展させており、究極的には国家間戦争を国際司法解決に変えるものだと信じたい。

それはドイツの未来のためであり、世界の未来のためでもある。

 

喫煙がなくなる日(ZDFheute5月31日)

 

ドイツの戦う民主主義は気候正義、社会正義を掲げ、世界の先頭に立って絶えず戦っている。

しかしドイツほどロビー活動が公然と為され、強固な国はない(本元の米国を除いて)。

それゆえ結論から言えば、喫煙がなくなる日は来ないと言ってもよい。

それは、私がドイツで暮らした2007年から2010年までの4年間に強く感じたことであり、CDUの州首相たちは、「原発は安全、安い、クリーン」というロビーイストたちの標語を使って、原発運転期間の28年延長(2060年まで原発運転)を求め、2010に原発運転期間延長が議決された際は、ドイツでも脱原発は実現しなのかと思った程であった。

2011年10月に災害のお見舞いで日本を訪れたドイツ大統領クリスティアン・ヴルフは、長年ニーダーザクセン州首相として原発推進の急先鋒であったが、その頃はロビー支配が解かれ、日本の講演では「日本でも脱原発は可能だ」と強調していた。

しかし帰国後汚職疑惑が次から次へと明るみに出され、大統領職から引きずり降ろされた事実を、ドイツ人なら理解できるだろう(ブログ79参照)。

その事実からして、ドイツのロビー活動の強さは想像を絶するものがあり、メルケル脱原発宣言後も原発さえ決して諦めていない。

喫煙に対しては、タバコの有毒性葉50年以上も前から科学的事実が報告されて来たにもかかわらず、ロビーイストたちはそのような科学的論拠には全く関心がなく、専門外の世界の著名な御用学者を利用して、都合のよいことだけを指摘し、人々の感情に絶えず訴え続けている。

ZDFの記者はそうしたロビー活動の圧倒的強さを知るからこそ、2040年までに喫煙をなくす癌研究センターの要請に、疑問符を投げかけるのである。

このようなロビー活動の司令塔は、アメリカの財源豊かなハートランド研究所であり、そこからドイツのEIKE研究所(ドイツの大学都市イェーンに2007年に設立された気候変動やエネルギー問題でのヨーロッパ研究所)にお金や指令が出されている。

そのような事実を検証したのは公共放送ZDFであり、昨年2020年に市民調査機関CORRECTIVと共同で潜入取材を強行し、ロビー活動の不正を実証し報道している(ブログ385参照)。

そのような篤いドイツの戦う民主主義にもかかわらず、タバコをなくすこと、そしてロビー活動の不正をなくすことは、ポランニーが“悪魔のひき臼”と呼んだ市場がある限り不可能にさえ見える。

それでも世界が気候変動激化、コロナ以降の感染症激増していくなかで、世界は変わる日は近いと確信する。

国連は現在の危機に、2015年「世界を変える持続可能な開発目標SDGs」を開始し、誰も取り残さない2030年までの実現を宣言している。

SDGsの担い手は、国連が積み重ねて来た議論では、利益を求めない様々な形態の協同組合となっていたが、2015年の国連決議では担い手に多国籍企業も加わり、今やSDGsは経済成長の免罪符に利用されるほど市場に絡め取られている。

それでは京都議定書のように殆ど機能しないことは最初から判り切っており、必ずや世界が動きき出す時が来ると信じたい。

(421)ドイツ最新ニュースから学ぶ(14)

何故ドイツでは気候保護法が5年早まるのか

(ZDFheute5月12日)

 5月12日のZDFheuteでは、ドイツのパリ協定のため政府の昨年決議した2050年までに二酸化炭素排出量ゼロを実現する気候保護法を、5年早めて2045年までに実現すると改正した。

何故政府がドイツ産業連盟の圧力が強いなかで改正したかは、この報道で述べているように連邦憲法裁判所が2週間前に、現在の気候保護法では「将来世代の権利を侵害」しており、2022年までに是正しなくてはならないという判決を下したからである。

このようなドイツの画期的な歴史的判決を引き出したのは、環境団体ブンドなどと共に提訴していた「未来のための金曜日」の若者たちである。

ドイツの憲法である「基本法」は人間不信の憲法といわれるように、人間の尊厳、基本的人権、そして万民の幸せ追求を憲法改正できない普遍原理とし(第1条から第20条まで)、戦争に導くファシズム共産主義などの全体主義を厳しく禁止し、自由に対しても厳しく規定していることにある(「ホロコーストはなかった」という表現の自由さえも、犯罪と見なされる)。

そのような多数決で改正できない普遍原理として、第20条aで「自然的な生活基盤保護」を保証しており、それを遂行するのは国家の義務であるからだ。

判決では、2019年に出された基本保護法を原告の要請に従い詳細に検証し、2030年以降の実現するための確かな踏み込んだ計画がないことは、基本法第20条aに違反するとして、改正を求めたのである。

日本においても憲法第25条は、1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と国民の生存権を保障し、その2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国の責務であると明記しているにかかわらず、コロナ禍では数えきれないほど多くの人たちが暮らしに困窮しているにかかわらず、見捨てられている。

確かに国は困窮者には特例貸付制度で困窮者を救っているとしているが、困窮者が自ら職を見つけて稼ぐことは難しく、何度も特例貸付制度が利用され、返済不可能にまで借金が膨らんでいるのが実態である。

しかもこのような人々が生活保護を申請しても、予算枠があることから、生存するための預金などがなくても、就職活動が積極的でないなどの理由で認可が難しいのが現状であり、孤独死に追いやられていると言っても過言でない。

このような実態は明らかに憲法に違反するものであり、ドイツであれば違憲判決が出され、即座に改善がなされる筈である。

何故なら予算がないわけではなく、Go To では1兆円以上を計上し、土建国家維持のためには将来世代からの負債である国債を無尽蔵に増発しており、憲法上問題がある防衛費増大にも糸目を付けずに出していることからしても、国が真剣に憲法25条を責務と考えるなら即座に実現できる筈である。

しかし実現しないのは、国が憲法を建前ぐらいにしか考えておらず、それ故に平和憲法の改正をコロナ禍でさえ急ぐのであろう。

何故ドイツでは憲法裁判がそのように機能するかは、ドイツがナチズムを誕生させた富国強兵、殖産興業優先の官僚支配を、国民への官僚奉仕に逆転させたからである。

それは行政訴訟を簡易にするだけでなく、裁判では行政の全ての記録資料提出が義務付けられており、徹底した官僚責任が問われているからである。

またそのような官僚奉仕のなかでは、政治家も国民への奉仕が第一に求められるため、今回の判決でも映像で見る政府の連邦環境大臣や経済大臣は、まるで力を得たかのように判決を歓迎し、2週間で気候保護法を強化改正したのである。

日本も明治政府がドイツ帝国から学んだ官僚支配を、いつまでも固執しているようでは最早国が倒壊しかねない時代が、間近に来ていることを喫緊に悟らなくてはならない。

 

パレスチナ紛争エスカレートが投げかけるもの

(ZDFheute5月11日) 

11日間に渡ってエスカレートしたパレスチナ紛争が、前日ドイツ外相ハイコ・マースがイスラエルを訪れ、戦闘停戦を強く要請したことから、イスラエル側も特別な関係にあるドイツ、そしてEUの要請拒否は難しいことからようやく停戦が実現した。

今回のハマスパレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織)が5月10日に突然開始したロケット弾攻撃は、それなりに理由があるとしても、イスラエル市民の無差別砲撃は絶対に許されるものではない。

そのような砲撃をすれば、これまでの経緯から圧倒的力の差があるイスラエルが、ゴザ市民を徹底的に無差別空爆することは判り切ったことである。

それにもかかわらずパレスチナ市民を生贄にしてまで実行した裏側には、想像を絶する恐ろしい目的があったようにさえ思える。

またイスラエルにしても、祖父母世代がホロコーストというジェノサイドを受けたにもかかわらず、無防備なゴザの市民や子供たちをを11日間に渡って、徹底的に空爆で殺戮したことはジェノサイド行為である。

ホロコーストでは、人の命が“もの”としてしか考えられず、600万人ものユダヤ人が虐殺されたが、それはアドルノ等が指摘するように、理性による啓蒙が近代において自然や人間支配の道具となったことに依っている。

そのような理性の道具化は戦後においては益々拡がっており、ポルポトの大虐殺から最近の香港やミャンマーの市民虐殺に至るまで、目的達成のために人の命が“もの”として扱われることが日常茶飯事となって来ている。

しかし国民の多くが餓える国でも北朝鮮のように核大国になれる事実からして、最早このようなジェノサイドを国際社会が直接関係ないとして放置すれば、憎しみの連鎖がエスカレートして行き、核戦争、すなわち世界絶滅戦争を招くことは必至である。

国際社会が真摯に関与しても、従来のように平和協定を目標にするとすれば、カントの言うように平和協定は将来必ず破られるものであり、実際中東紛争では何度も何度も破られ、その度に憎しみの連鎖を激化させており、究極的に世界絶滅戦争は避けられないだろう。

本質的解決のためには、例えば国連軍がイスラエルパレスチナの間に中立緩衝地帯を造って、ハーグ国際裁判所を緩衝地帯に移転するくらいの行動的積極性が不可欠である。

中立緩衝地帯はイスラエル誕生前のようにユダヤ人とアラブ人の共存を望む人たちを入植させ、国際司法が時間をかけて解決していかなくては人類の未来はないだろう。

 

(420)ドイツ最新ニュースから学ぶ(13)

中国とのバランスが壊れるとき(ZDFheute4月28日)

 

2年ごとに開かれる中国とのこれまでウィンウィン関係のバランスを保って来た首相会議は、4月28日オンラインで開かれたが、ポストトランプの時代も米中対立激化を受けて、メルケルも執拗に人権問題を持ち出し、ウィンウィンの関係が崩れたことを露呈した。

もっとも既に4月23日の連邦議会で、中国通信機器ファーウェイを対象として、「情報システムセキュリティ強化の2法案」が決議され、使用する部品の技術検査だけでなく、製造業者の信頼性での政治評価がなされることになり、ドイツでのファーウェイ採用に事実上ブレーキがかけられていた。

そうした後での会議であったことから、映像から見る中国首相もぎこちなく、いつもの自信に溢れた表情が陰を潜めていた。

しかし本質的な問題は、香港や少数民族ウイグルなどでの中国の全体主義的独裁支配であり、もしそれらに対して民主的に解決する姿勢があれば、ドイツ、そしてEUも中国とウィンウィンの関係を継続したかった筈である。

気候変動が激化し、コロナ感染が猛威を世界に振るうなかでは、気候正義、社会正義を求める声が高まっており、世界の政治家もそれを無視できない時代に突入している。

 

インドの脅威的コロナ感染(ZDF5月3日)

 

 私が50年ほど前カルカッタインダス川の畔で、死を待つ人が路上で寝起きし、その横で何体もの死体を焼く風景には荘厳さが感じられた。

しかし今映像から見るものには、哀れみを感ぜずにはいられない。

また50年前も、インドでは注文料理を1時間以上待ったり、時刻表にある列車を数時間待つことは日常茶飯事であり、私には絶えず腹立たしく思えたが、当時のインド人は誰もがそんなもんだと述べ、ゆったり生きれることを羨ましくさえ思えた。

しかし50年経った今、そのゆったりさも消えていた。

もっとも今も生きること、死ぬことは神様(ヒンドゥー)のお導きなのか、今も死など恐れていないように見える。

実際感染者発生率1000は、発生率100を超えても脅威と感じるドイツの記者には思考さえ停止させるものなのか、感染者数が2000万人を超えたにもかかわらず、実際はその何十倍と言わせるのだろう。

しかし世界が感染拡大をそのままにすれば、容易に変異を繰り返すコロナウイルスは益々手に追えないものになって行き、人類を滅ぼすこともあり得よう。

だからこそ今、社会正義が叫ばれ、WHOが今年末までの貧困国での20億人分ワクチン接種を唱え、米政府がワクチン特許放棄を提案し、それを欧州だけでなくロシアまでが支持する流れが高まっているのである。

それは、現在を変える“塞翁が馬”とも言えるだろう。

(419)ドイツ最新ニュースに学ぶ(12)

コロナ禍で一進一退の緊迫が続くなかで、世界の未来を切り開く出来事があった。

一つはバイデン大統領が強く打ち出したグリーンニューディール政策で、それで地球温暖化が本質的に解決するとは思えないが、それで世界が遅まきながら連帯して取組むとすれば、少なくとも未来は繋がるだろう。

もう一つは緑の党が党の誕生以来初めて首相候補を決め、政治のあらゆる分野で気候政策に取組むと宣言したことである。

緑の党は、社会民主党やリンケ(左翼党)のように労働組合基盤を持たず、また保守のキリスト教民主同盟のように産業ロビーイストとの関係もなく、言わば市民がロビーイストの市民政党である。

そのような市民政党から、世界初の首相誕生は何を意味するか考えて見たい。

 

『バイデンが開く気候正義ZDFheute4月22日』

・・・気候正義は世界を変えられるか?

 

バイデンがグリーンニューディール計画で、2030年の温室化効果ガス排出量を少なくとも半減すると世界に宣言したことは、パリ協定を画期的に加速する。

しかも気候正義の実現では、中国からロシアまですべての国が一体となる世界が戻って来たことは、競い合いとしても素晴らしことである。

しかしバイデンの唱える雇用のためのグリーンニューディール計画は、地球温暖化という危機さえも絶えざる経済成長に利用するもので、90年のリオ宣言以来の温室効果ガス排出量を絶えず増大させて来た事実からも、前途は決して楽観できない。

例えば日本は2050年までに炭素ゼロの水素社会実現を掲げているが、水素製造では殆どがオーストラリアでの石炭からであり、それでは水素発生と同量の二酸化炭素

が発生する事から地下貯蔵を計画している。

しかし二酸化炭素地下貯蔵技術は完成された技術ではなく、たとえ将来完成してもコスト面で実現不可能である。

何故ならドイツ経済研究所は、既に10年近く前に世界の研究結果を検証してそう結論づけている。

結局それでは、他の国で排出されるだけで、先進国の表向き炭素ゼロとなっても、絶えざる成長を求めている間は変わらない。

それ故、地球温暖化は益々進み、気候変動による洪水や干ばつ被害に加えて、世界的食料危機の発生、さらにはコロナ終息後にも頻繁な感染症襲来は避けられそうにない。

しかしそれでも世界が一体となって気候正義に取り組めば、たとえ恐ろしく険しい途を辿るとしても、自ずと希望ある未来が見えて来るだろう。

それは私の考えでは、地域分散技術の自然エネルギー利用の地域自給社会であり、すべての地域自給社会が連帯する一つの世界である。

 

 

緑の党女性首相が誕生する勢い』

・・・何故今そのような時代が生まれているのか?

 

68年の世界の平和と平等を求める若者たちのうねりは、ドイツでも議会制民主主義を放棄し、力による変革を求めた。

しかし若者の力による変革が当然の如く燃え尽きた後、その灰の中から緑の党が誕生し、環境から平和に至るまで議会民主主義を通してオルタナティブな突破口で、世界に轟く環境先進国を築いて来た。

しかし緑の党が掲げる理想原理「エコロジー、社会的連帯、底辺民主主義、非暴力」は、誕生以降のドイツ社会でもラジカルであり、あくまでも未来への途先案内人であり、緑の党からの首相誕生など、誰も夢にも思わなかった。

それが、キリスト教民主同盟の牙城であった原発王国バーデン・ヴュテンベルク州の不正が明るみ出ると、瞬く間に原発の“クリーン、安全、安い”の嘘が剥がれて行った。

それが折しも、2011年の福島原発事故直後の州選挙で、緑の党クレッチャマン首相政権を誕生させ、今日の緑の党の勢いを創り出している。

何故なら、クレッチャマン政権は緑の党の理想原理にこだわることなく、3期に渡って市民ための政治を現実に沿って実践し、市民を裏切ることがなかったからである。

緑の党についてはブログ112,113、114参照)

すなわちドイツ国民のそのような信頼醸成が、産業側に組する保守政党労働組合に組する政党よりも、すべての市民がロビーイストでもある緑の党に首相誕生の期待を生み出していると言えるだろう。

そして産業成長や労働組合に関与しない市民政党の首相が生まれるとすれば、これまでの絶えざる成長政治では地球温暖化が激化する未来を乗切れないと、市民が判断した証しであり、世界の国々にそのような市民政権が誕生すれば、間違いなく世界は変わるだろう。

 

 

 

(418)ドイツ最新ニュースに学ぶ(11)・ワクチン接種ルーレット(6最終回)

連邦政府の権限強化 (ZDFheute4月8日)

結局月曜日の首相会議は、州首相の多くが権限奪うものだという考えであることから、中止された。

しかし連邦政府のコロナ感染への統一的対処は強く、各州は発生率(住民10万人あたりの7日間の発症者数)が100を超えたら夜間外出禁止、店舗閉鎖のロックダウンを採るという具合に、全州一律の規制を適用することで合意した。

メルケル首相が、昨年秋のコロナ感染第二波を許した反省から、コロナでの連邦政府の権限を強化し、コロナパンデミックを終息したい思いは理解できる。

実際これまでの感染防止法では各州の事情に配慮して、一律の規制を強いることはできず、連邦政府の4月18日までのロックダウン規制にもかかわらず、ザールラント州は8日から解除している。

確かに連邦共和国で各州の事情を配慮し過ぎれば、各州が独自の権限を持つことになり、連邦政府政権と真逆の右派、もしくは左派州政権では、連邦政府と対立すれば究極的にスペインで見るように独立運動になりかねないからだろう(私自身は、地域が分散的に自立し、自治権を持つのは賛成であるが)。

しかしコロナ感染では、各州の感染状況も異なり、各州の事情に配慮せず、権限の強化で連邦政府が介入するのは、ヨーロッパが採る補完性原理にも違反する(もっとも、今回のドイツの連邦権限の強化は、あくまでも統一した一律規制を求めるもので、州に配慮した介入とも言えるだろうが)。

補完性原理とは、もっとも身近なところが優先して対処するという原理で、家族で対処できない場合はコミュニティが、コミュニティが対処できない場合は自治体が、自治体が対処できない場合は州が、州で対応できない場合は連邦が、連邦で対応できない場合はEUが対応するという原理である。

私が思うには、コロナ禍で国(連邦)の権限強化はもっての他で、むしろコロナ禍を踏み台として、これからの未来に降りかかる禍に対応するためにも、地域対応優先の補完性原理を推し進めるべきである。

 

ハンガリーでのコロナ脅威(ZDFheute3月31日)

(何故独裁もどきの東欧が今コロナ非常事態なのか?)

ドイツがコロナ発症率(住民10万人あたりの7日間の発症者数)が100を超えて来たことから(4月12日発症数が140,9)、連邦のコロナ防止法改変で権限強化を打出すほど深刻な対応から見れば、現在の東欧の発症率は余りにも高すぎる(4月12日ハンガリー353.9、チェコ共和国264.2、ポーランド359.6、ルーマニア165.3)。

2月末に世界最高の発症率と紹介したチェコ共和国では、3月6日には発症率805.1を記録し、3月31日には449.4に下がり、さらに264.2まで下がって来ていることから峠を越えたようにも見える。

しかしチェコ共和国では、昨年秋に始まった第2波は10月27日に806の頂点に達し、その後12月始めには200台前半まで下がると、再び上がり出し、1月11日には846.8の頂点を打つという具合にアップダウンを繰り返している。

このアップダウンは、ハンガリーポーランドルーマニアでも同じであり、これらの東欧諸国では、1989年ソ連全体主義に支配されて来た市民が民主革命を成功させ、その後新自由主義の競争原理浸食によって困窮し、再び公平性を求め、国家社会主義的独裁者とドイツなどでは批判される首相を選んだ国々である。

これらの首相たちは、新自由主義での経済的成功者であり、EUの補助金では自らの企業着服嫌疑さえかけられている。

何故これらの国でロックダウンにもかかわらず、コロナ猛威が繰り返されているかについては、チェコ共和国の際に述べたように様々な憶測がなされている。

前回はARD傘下のバイエルン公共放送が述べる、危機の時代に生き延びる戦略として培われた伝統的な逆らう気質に説得力を感じたが、それだけでもないようだ。

現在も世界で最もコロナ猛威が激しいのはアメリカとブラジルで、アメリカはトランプ、ブラジルはボルソナーロの経済優先の失政と言えるだろう。

両者とも独裁的権力でコロナ第1波では即座にロックダウンをするが、自らの事業も経済的打撃が大きいことから、第2波ではロックダウンを先送りし、経済を優先して来た構図が見られる。

時期を失い一旦拡がってしまうと、後に戻らないし、その後で市民の暮らしをロックダウンしても、製造企業の操業は止めず、コロナ禍でも絶えず経済優先の構図である。

そのような構図が、まさに東欧諸国でも見られる。

 

ARD『ワクチン接種コロナルーレット6』最終回

 

企業側はワクチン開発は他社との競争ではなく、競争すべき敵はコロナウイルスであると言う。

しかし誰の目にも明らかなように、ワクチン開発は利益追求の最前線であり、市場(株式相場)を陶酔状態にさせるカジノルーレットでもある。

今回の冒頭で現在の世界は理想社会ではないと言っているが、理想社会とはどのような社会であろうか?

私が思うには、カジノルーレットが回らない社会であり、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」がすべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会ではなく、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会であろう。

それなくしては、社会正義や気候正義の実現は不可能であり、人類は滅亡するしかないだろう。

尚ドイツ第一放送(ARD)のこの作品は、私自身が50年近くも前、製薬会社の化学研究室で抗免疫剤開発をしていたこともあって、興味深いものであった。

当時は疾患部細胞を鍵穴と見なし、有効物質に化学合成で鍵を付けることで増強するというやり方で、殆ど体の免疫作用機序も知らずに取組んでいたが、サリドマイドやキノホルム(スモン病)など多くの薬害が問われる時代でもあった。

今回のワクチン開発では、コロナウイルス突起部の人工合成の遺伝子情報(mRNA)ワクチンであったり、またコロナ感染で苦しむ患者には患者体内に生ずる抗体をCHO細胞培養で大量生産するという薬剤開発にも、驚くものを感じた。

しかもこの作品は、そうした現場をドキュメンタリーで描くだけでなく、現在進行形のコロナ禍で様々な問題を投げかけており、必見の価値はあるだろう。

 

*前々回述べたように『ワクチン接種ルーレット』終了しましたので、「ドイツ最新ニュースに学ぶ」に絞り、隔週で継続します。もっとも今回のように友人が脳梗塞で運ばれるというように、一寸先は何があるかわかりませんが。