(435)世界戦争の始まり(2)死中に活を求める

「平和を守る」ため直ちに採るべき行動とは

 

 

 

世界は平和を希求しており、人の命が最優先されなくてはならないことが国連総会ロシア批難決議で、上に載せた異例のベアボック演説からも溢れだしている。

通常の外相演説では、自らの湧き上がる声として語ることはないが、ドイツの外相ベアボックは平易な言葉で「平和を守る」ことを会場の外相たちだけでなく、世界に訴えている。そして会場のベアボック演説に対する異例の拍手は、「平和を守る」強い連帯を示している。

しかしそれにもかかわらず、戦争は日々拡大しており、人道的な避難市民のコリドー(通路)への攻撃、そしてあってはならない原発施設への攻撃さえ為されいる。

確かに軍事侵攻を始めた国に宥和協議は、日本の開戦やヒトラーの開戦を思いはかれば通用せず、ウクライナ侵攻を一歩譲れば、ポーランドハンガリールーマニアチェコスロバキアと戦線が拡大してくることは目に見えている。

しかし日に日に無惨な犠牲者の増加、そして経済封鎖に対抗して原発施設攻撃へと拡大しており、ウクライナ背後の欧米はロシアの求めるNATO拡大阻止に配慮して、直接停戦協議をロシアに呼びかけるべきである。

具体的には、ロシアの要望に沿って一歩退いて停戦を実現させ、クリミア半島や東部自称独立共和国との境に、ロシアを含めた国連軍を駐留させるなかでNATO拡大のない仕組構築、及び世界平和の構築が話合われ、実現されて行くべきである。

そのようなやり方は本来なら正しくはないとしても、第二次世界大戦とは状況が異なり、一歩間違えば人類滅亡さえ予期され、ロシアが次々と原発施設を占拠および攻撃していることから、核戦争も現実味を帯びてきているからだ。

しかも戦争の痛ましい被害者が増加するなかで、最早対岸の火事として見やるることはできないほど緊迫しており、人命最優先こそが直ちに選択されるべきである。

大局的観点で目先の人命を見過ごしにすれば、日々の戦争エスカレートで核戦争突入も見えてきているからだ。

それを戦争開始からの10日間は提示しており、人命を最優先して米国、欧州は一歩退いてNATO拡大阻止に配慮して停戦協議を呼びかけるべきであり、現時点では人命最優先が「平和を守る」ことである。

 

 

戦争の本質的解決(2)

 

ZDFやARDのニュースによれば、昨日(7日)のウクライナとロシアの3回目の停戦協議でも意見の隔たりは大きく進展せず、4つの都市からの市民避難回路さえ纏まらなかった。

ロシアは怖いものなしで第3次世界大戦に突き進んでおり、原発施設攻撃から見えてくるのは、チェルノブイリ原発の惨事さえ厭わないという恐るべき狂気である。それは、プーチンに何千万人をジェノサイドしたスターリンの狂気とオーバーラップするものである。

それに対してNATOは、ウクライナ大統領ゼレンスキーの人道的なウクライナ飛行区域禁止要請に対して、世界大戦になりかねない理由から拒否している。また米国もウクライナへの戦闘機供与で、直接ではなくポーランドを介して供与したい意向を示し、腰が引けている。

そのように自国に関しては戦争に巻き込まれたくない欧米の本音も見えてきているが、欧米はロシアの「NATO拡大阻止」要求を拒否したことからも、日々増大する悲惨なウクライナの犠牲者に責任があり、「NATOが拡大しない仕組構築」の提案で緊急に停戦を実現し、ウクライナに国連軍総動員で中立地帯を設け、ロシアの要求に沿って長期的視点で議論してべきである。

NATO東欧拡大はEU東欧拡大に基づいており、21世紀の幕開けに始まるEU東欧拡大は、ヨーロッパが一つになって平和構築と平等な豊かさ実現であった筈であり、欧州市民の願望でもあった。

それが新自由主義の到来で経済だけが先行し、自国の国益優先で東欧に拡大して行き、かつて社会主義国であった東欧諸国が築いてきた財産を根こそぎにするだけでなく、企業進出や企業買収で支配下に置き、東欧市民を二流市民に没落させ、暮らしに困窮させて行った。そのような実態が、「NATOが拡大しない仕組構築」では議論されなくてはならないだろう。

それは絶えず成長を求めるグローバル資本主義では、今回のウクライナ戦争も

必然的な遭遇であり、現在のコロナ感染症やその背後に控えるより大きな気候変動危機には対処できないことは明らかである。

本質的な解決のためには、前回も述べたように気候正義、社会正義が担保され、誰も見捨てない経済に変えて行かなくてはならない。そのような経済とは、地域で食料などの生活必需が賄われる地域自助経済であり、そのような経済の仕組が地域の自己決定権によって構築されれば、他国との関係は競争ではなく自ずとポスピリティーに変わるであろう。

そのような地域の自己決定権による自助経済の確立は、現在人類が遭遇している戦争や感染症蔓延、さらには気候変動危機を乗り越えるには不可欠である。

そのような地域の自助経済は早急な議論決定で実現できるものではなく、現在の危機を「禍を転じて福と為す」の姿勢で世界市民が取組むことで、危機に遭遇する度に変えて行くものでなくてはならない。

そのような自助経済への途は、既にドイツでは連帯経済として萌芽しており、気候正義運動として伸展している。2021年4月連邦憲法裁判所の気候変動訴訟判決では、2019年に成立させた気候保護法は基本法第二〇条a「自然的な生活基盤保護」に違反し、将来世代の権利を侵害してiいるとして2022年までに是正を求めた。

それゆえドイツでは直ちに法律の改正がなされ、2050年までに二酸化炭素排出量をゼロにパリ協定実現を5年間速め、具体的実現措置を出して行くことを約束した。

これは、気候正義を担保する経済の民主化につながるものである。もっとも地域の自己決定権による自助経済実現への第一歩に過ぎないが、・・・。

詳しくは今月発売された『2044年大転換』を見て欲しい。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

f:id:msehi:20220206110850j:plain

 

序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221

 

 

 

(434)世界戦争の始まり(1)本質的解決を求めて

世界戦争の始まり

 

 

 上に載せた24日のZDFニュースが報道するように、21世紀にあってはならない世界戦争が始まった。何故なら戦争のエスカレートで、一つ間違えれば核戦争につながるからであり、それは核の冬によって人類を滅ぼしかねないからである。

今回の戦争が世界戦争であるのは、ロシアは最初からウクライナ占拠を計画して突き進み、ウクライナの全ての軍事施設を攻撃破壊を開始しており、実質的ウクライナの白旗宣言なくしては治まらないからである。

それは東部2州の分離主義者占拠地域を独立国と認め、救援の名目で軍隊を侵攻させたことからも明らかである(その下に載せた4月23日ZDFニュース参照)。

しかしウクライナの白旗宣言など、全土を破壊されたウクライナにあり得ないことであり、後ろ盾となっている米国、EUにとっても絶対に譲れないことである。

それ故和平は非常に難しく、長期化する可能性は高く、一つ間違えれば核戦争に発展しかねない。

何故大国ロシアがそのような恐るべき戦争に踏み切ったかは、それなくしてはプーチン政権がもたないからである。

確かに石油や天然ガスの高騰で資源大国ロシアは国家としては一時的に潤っていても、ルーブル安とインフレが継続し、国民の大部分が格差社会を肥大化させたプーチン長期政権に批判的であり、強国ロシア復活でウクライナ占拠しかプーチン独裁政権継続ができないからである。

しかし独裁者プーチンがいなくなれば、解決するといった単純な問題ではない。それは、20世紀の終わりにあれほど熱狂的に民主化を実現させたハンガリーポーランドルーマニアチェコスロバキア独裁国家もどきになりつつある現実を見れば明らかである。

民主化によって規制なき市場競争に晒され、東欧国内の殆どの主要企業が倒産もしくは企業買収によって西側支配されるなかで格差社会が顕著になり、民主主義への期待が裏切られただけでなく、殆どの東欧市民が困窮していく現状があるからだ。

確かに今回のロシアの力による侵略は、戦後世界が築きあげてきた国際秩序を崩壊させるものであり、絶対に許されるものではない。しかし一方で経済による規制なき進出に対して、それが国民国家を破綻させても、国際社会で容認されてきたグローバル資本主義に本質的な問題があるのではないだろうか?

何故なら戦争の原因は経済の追求であり、日本に即して考えて見れば、明治の近代化による富国強兵、殖産興業で絶えず成長が追求され、必然的に朝鮮や中国へ進出し、満州事変、国際連合脱退、日米開戦という無謀な戦争に突き進んだことを思い起こせば明らかである。

それゆえ今回の戦争は、ロシアの求めるウクライナの非軍事化、中立化で条件付き和平合意締結、もしくは嘗てのドイツの東西分断や現在も続く朝鮮半島の南北分断に見られるように分断で解決されるとしても、本質的解決ではなく絶えず戦争が繰り返されるだろう。

それでも今は、今回の戦争がエスカレートせず、早急に停戦合意がされることを祈らずにはいられない。

 

戦争の本質的解決

 

 

18日に開催されたミュンヘンの国際安全保障会議で、ドイツの外相アンナレーナ・ベアボック(緑の党党首)は、上の演説で見るように今回の危機「ウクライナの危機ではなく、ロシアの危機」であると明言している。

そして今回のウクライナ危機も、国際社会が一致団結して交渉していけば解決できると強調している。

そこには、相手の要求に沿って外交交渉を続けて行けば、必ず和平への道があるという決意が感じられた。そのような和平外交交渉はメルケルによって築かれたものであり、相手の要求を尊重して出来うる限り受入れることで成功してきた。

しかしベアボックは余りにも潔癖で、ウクライナの武器供与に対して断固拒否し、ロシアの侵攻に対して新たなガスパイプラインなど重大な制裁を突き付け、外交交渉の駆け引きには問題という指摘もある。もっとも今回のロシアの侵攻は、外交交渉で解決するものではなかったことは明白である。

ベアボックは、外相就任以来ウクライナ問題外交交渉でロシア訪問を含め日々取り組んでいるが、2月11日にはグリンピース元代表ジェニファー・ベーガン女史を気候問題特別大使に任命しており、外交問題は気候正義を追求することで打開しようとしている。

事実ベアボックは連立政権誕生の際、「これからの10年は、気候変動解決のための歴史的機会である」と強調しており、それを裏付けている。

グリンピースの推進する気候正義運動は、人為的気候変動に全く関与していない途上国の人々が最も被害を受けている不正義を訴え、その不正義と気候変動を生み出している経済システムを変えていく市民運動であり、その運動の中心人物を気候問題特別大使に抜擢したことは、ベアボックが本質的解決を目指しているからと言えるだろう。

何故なら現在の経済システムは20世紀終わりから市場競争を激化させ、格差を肥大させてきており、現在の経済システムを変えることなくしては気候変動から貧困や戦争は本質的に解決しないからである。

現在のEUでは加盟国の国益が優先され、理念の平等性が言葉だけに退化しているが、少なくとも新自由主義の波が押し寄せるまでは加盟国の平等性が追求されていたのも事実である。

例えば1997年の京都議定書では、EU二酸化炭素排出量を各国の経済発展指標と位置付け、その指標を同一することを明記し、ドイツなどの産業国は25%の削減、フランスなどの農業国は削減ゼロ、逆に経済発展が遅れているギリシャポルトガルでは30%から40%排出量増大を盛り込み、全体で2012年までに1990年比で8%の減少を確約したのであった。

そこではEU加盟国市民の1人当たりの同一の排出量が目標とされ、同一水準の市民の暮らしが求められた。

しかしその後のEU京都議定書の約束は唯一履行されたが、市場競争の激化で格差が肥大化しており、平等性の理念はますます後退している。

その原因は絶えず成長を求めるグローバル資本主義経済であり、その経済システムを世界の誰もが平等に平穏に暮らせる経済システムに変えていくことなしには、現在の戦争、感染症、そして気候変動危機も本質的に解決しないのである。

そのような危機を解決する経済とは気候正義、社会正義を規範とする経済システムであり、それは経済の民主化でもある。

具体的には戦争だけでなく、最早避けられない洪水や干ばつによる食料危機や常態化する感染症襲来を通して、必然的に求められるようになって行く「地域の自己決定権による自助経済」であり、次回に述べて行きたいと思っている。

 

尚系統的に知りたい人は、下に載せた『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』を読んで欲しい(3月第2週頃発売)。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

f:id:msehi:20220206110850j:plain

 

序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221

 

 

(433)コロナ禍猛威のなかで(2)

新たなコロナの波は既に始まっている

 

今世界の多くの人たちが願うのは、コロナ以前の行動制限のない自由な世界である。

オミクロン感染爆発に関しては、上に載せた2月4日放映ZDFフロンターレの『コロナとの戦い』が描くように、ドイツでは感染爆発が治まっておらず、集中治療室スタッフの感染で、映像で見るように一時的閉鎖に追い込まれている。

もっともドイツではそれでも余裕があり、人口8000万人ほどのドイツの2月17日の集中治療室使用病床数はコロナ患者2471病床(1177人工肺使用)、その他の病気患者3821病床で、空いている病床数は1万8653もある(1)。

それは日本の集中治療室が全国で7015病床数しかなく、1日のコロナ患者数が10万人を超えるだけで、緊迫状況に追い込まれ、大阪などでは機能できなくなっているのと対照的である。

もっともドイツでは、15日にピークを打ったという報告がロバート・ゴッホ研究所から出されたが、依然として新規感染者は20万人前後にも上っている。

確かに欧米の感染者数は多く、特にオミクロンでは著しく多い。それに較べて1日の感染者数が10万人前後で高止まりしており、岸田首相は日本医療の優秀さと述べていたがとんでもない話であり、これから次々に押し寄せてくる感染症に余りにも備えがなく、集中治療室倍増くらいの方針を打ち出すべきである。

コロナで感染者数が少ないのは、素人考えではあるが、アジア人がコロナウイルスに耐性があるように思える。それは、例えば欧米人がアルコールを飲んでも殆ど二日酔いがないのは、アルコールの体内での酸化がアルデヒドで残らず、酸にまで酸化させるDNAの違いである。

ともあれ岸田首相が新しい資本主義を唱えるならば、土木や防衛産業には絶えず大盤振る舞いし、医療や福祉を縮減してきたことから見直すべきである。

ドイツに話を戻せば、オミクロン感染爆発がアメリカやフランスでピークを打ち減少に転じていること、及び経済の低迷による経済圧力から、15日の報道でもすべての行動制限の段階的撤廃を示唆していた。

そして17日のドイツ第一公共放送ARDニュース(ターゲスショウ)では(2)、「何故“自由の日”が相応しくないか}のタイトルで、連邦政府と州政府が3月20日にすべての行動制限の撤廃を決定したと伝えた。

しかしその決定は、粛々と官僚的なものであり、誰もその日を“自由の日”として英国のように祝うことを述べる者がいなかったとしている。

何故なら高齢者は依然として危険にさらされており、オミクロン感染爆発が終わってもコロナ感染は永続し、コロナ以前の暮らしの完全復活ではないからだと伝えていた。

事実連邦政府のコロナ感染症専門家委員は「希望ある地点に達した」と述べているが、それは現在のオミクロン変異株(BA.1)に対してだけ言えることで、次なる変異株(例えば既に感染が始まっているBA.2)の新たな波を警告していた(3)。

 

(1)https://www.tagesschau.de/inland/coronavirus-zahlen-gesundheitssystem-101.html

(2)https://www.tagesschau.de/inland/innenpolitik/corona-freedomday-101.html

(3)https://www.tagesschau.de/inland/corona-lockerungen-143.html

 

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

既に印刷された下図の本が18日に送られてきており、3月初めには書店注文、アマゾンなどで販売されます。

今回は、何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

f:id:msehi:20220206110850j:plain

 

序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221

 

(432)コロナ禍猛威のなかで(1)

コロナ禍猛威のなかで気候正義が問うもの

 

現在急速に日本全土に拡がりつつあるコロナ変異種オミクロン株は、世界でも手が付けられないほど猛威を振ており、まさに出口なしの状況である。

そのようなコロナ禍猛威のなかで、気候正義を問うことは直接的には関係がないように思われる。

気候正義とは、現在の人為的な気候変動を倫理的、政治的な問題と見なす規範的な概念であり、気候正義運動は気候変動を生み出した先進国が途上国の海面上昇、熱波、洪水、干ばつに苦しむ人々を補償していない不正義を訴えるだけでなく、その不正義と気候変動を生み出している経済システムを本質的変えていく市民運動である。

感染症の近年の増大は、飽くなき利益追求でアフリカ奥地からアマゾン至る森林開発を通して莫大な生物種が絶滅しつつあり、急速に生物多様性が失われているからだと言われている。

それは、動物のなかで共存していた感染原生ウィルスが、生態系を壊した人類に感染を拡げ、生残りをかけて人類への攻撃を開始したという見方さえできよう。

しかし人類はそのようなウィルス攻撃による現在のコロナ禍猛威さえ、世界の大部分の人々が恐怖と困窮するなかで、利益追求の踏台として、一握りの人たちだけが益々裕福となっている。

もっとも一握りの人たちも危機を踏台として利益追求しなければ、立ちどころに追い落とされるからであり、そうさせているのがカジノ資本主義とも揶揄される現代のグローバル資本主義に他ならない。

そこではコロナ感染症の拡がりを行動規制とワクチン接種で克服しようとし、コロナ変異種オミクロン変異株の爆発的、出口なし拡がるなかでは行動規制継続では経済システム自体が危機に追い込まれることから、イスラエルデンマークのようにコロナ重症化は軽減されたとして、全ての行動制撤廃に乗り出している。。

しかしそのような政策は人々を動かすことはできても、ウイルスには無力であり、イスラエルに見るように全ての行動制限が解除されて数週間しか経たないにもかかわらず、感染者と死者をさらに爆発的に増大させている。

 

イスラエルデンマークのコロナ禍脅威の現状

 

イスラエルは厳しい行動制限、そしてワクチン接種でも、その秀でた対処は世界的に知られ、オミクロン感染が始まるまでコロナ感染の克服優等生であった。

しかしオミクロン感染の拡がりでは、行動規制や3回のワクチン接種にもかかわらず感染爆発が治まらないことから、重症化の危険性は少ないとして全ての行動規制撤廃に踏み切ったが(1)、その結果は恐るべきであり、一日の感染者数は10万人を超え、死者も100人を超えさらに爆発的急増している実態がグラフからわかるだろう(2)。

【人口920万ほどのイスラエルで1日の感染者数10万人、死者100人を超える事態は、日本の人口で見れば、1日の感染者数が100万人、死者が1000人を超える驚くべき非常事態で、グラフからもその深刻さが読み取れる】

 

デンマークも行動制限やワクチン接種では優等生であり、オミクロン感染が始まるまでコロナ感染はコントロールされてきたが、11月から感染が行動制限にもかかわらず爆発的に急増するなかで、もはや新型コロナは「社会的に重大な疾患」と見なされないとして、1月末全ての行動規制を撤廃することを表明した(3)。確かに現在の集中治療室のコロナ感染患者利用は減っていることは事実としても、1日の感染者数や死者数のグラフからは爆発的に急増しており(4)、経済を優先する政策であることは一目瞭然である。

【人口580万程のデンマークで、2月に入っても1日の感染者数5万、死者21人と上がり続けており、日本の人口に換算して1日の感染者は100万人、死者400人を超えるなかでの行動制限の全廃宣言は異常であり、豊かな民主国家でのこのような措置は恐怖感さえ抱かざるを得ない】

 

(1)https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000240828.html

(2)イスラエルコロナ - Google 検索

(3)https://news.yahoo.co.jp/articles/4b688e0a5c635b500a5592f3c71fb756f2357e1a

(4)デンマークコロナ - Google 検索

 

ドイツに見る出口なしのオミクロン感染拡大

 

ドイツのコロナ感染はオミクロン患者が見つかった11月初めから急速に爆発的に増加し、12月初めには1日の感染者数が10万人を突破した。そのような異常事態に各州の厳しい行動制限に加えて、市民自ら行動を自粛したこともあって、12月末には2万人台へと低下していた。しかし新しい年を迎えて、現在の経済システムで暮らす市民にも限界があり、各州の行動制限にもかかわらず、再び急速に爆発的に感染者数は増加し、1月31日17万9431人、2月1日21万1277人、2月2日23万8252人、2月3日24万8652人と日々増大しており、為す術がない事態と言えるだろう。

もっとも若者及び成人のオミクロン患者は重症化が少ないため、これまでのところ1日の死者数は160人程度と比較的少なく推移している。

ドイツのこのような事態を、コロナ感染症報道では秀でている(ドイツ公共第一放送ARDに属する)北ドイツ放送NDRの1月31日「新しいコロナ変異株オミクロンについてわかっていること」タイトル記事では(5)、危険性についてWHOの見解はリスクを「非常に高い」見なし、危篤な疾患に移行する可能性を示唆し、WHO所長Tedros Adhanom Ghebreyesus の「オミクロンの症状を軽いものと見なしてはならない」という警告を伝えている。

またオミクロン変異株の突然変異については、50以上の遺伝子変化があり、その変化は主に突起部分のスパイクたんぱく質に集中しており、感染回復者や免疫接種者の抗体と殆ど反応しない免疫エスケープ(Immunescape)を示唆している。

またオミクロン感染の拡がりについては、「オミクロンは、これまでの変種では見たことのない速度で広がっています」というWHO所長の発言を伝え、WHOの見解として、「3月初めには、広域ヨーロッパの半分以上の人がオミクロン感染している」という驚くべき見解を載せていた。

しかしこの驚くべき見解は、WHOの公式見解でなかった理由からか、あるいは見解の与える影響の大きさで控えたためか、2月2日の更新記事ではこの見解だけが削除されていた(削除された部分  Die WHO schätzt, dass sich bis Anfang März bereits mehr als die Hälfte der Menschen im Großraum Europa mit der neuen Coronavirus-Variante angesteckt haben.)。

もっともこの見解は、既に英国、フランス、デンマークイスラエルなどの国で国民の3人に1人近くの人が既に感染している事態から、そして今も出口なし的に感染爆発が続くなかでは、驚くべき見解というよりも核心を突いた見解とも言えよう。

 

(5)Omikron: Was über die neue Coronavirus-Variante bekannt ist | NDR.de - Nachrichten - NDR Info 

 

今コロナ禍で何が問われいるのか?

 

確かに製薬企業が言うように、3回目のブースターワクチン接種で抗体レベルを20倍上げ、4回目の接種でさらに5倍に上げるデータは事実としても、その抗体レベルとはワクチンを製造した突然変異していない最初のコロナウイルスに対するものであり、既にドイツではオミクロン株に専門家の間で免疫エスケープが指摘されており、どれ程効果があるか疑わしくなってきている。

事実日本でも、1月31日の朝日新聞一面での「感染の波 高齢者に」の大見出し記事が伝えるように、「ふじみの救急病院」の現場ではオミクロン入院者は60代以上が中心となり、半数以上が肺炎を起こし、殆どが人工呼吸器着けており、鹿野晃院長の「入院患者はどんどん高齢化し、重症化している。ワクチンを2回うっていても、接種から時間が経った高齢者は強烈な肺炎になっている。『オミクロン株は弱毒』と言われているが、現場で見た感覚ではそうではない」という話からも、ドイツでの疑惑が伺える。

そのようなワクチン接種への疑惑は、2021年1月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』(すでにこのブログ413から418で訳して日本語字幕を付けてのせてある)では、フィルムの随所で専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

そしてワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調するが、急激な株価上昇は、市場を陶酔させている。

それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。

事実ARDの載せている解説では、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。

実際私たちがワクチン接種しているファイザー製ワクチンは、ドイツ政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤でワクチン開発の技術を完成し、ドイツの中小製薬企業ビオテックがコロナワクチン開発に成功し、それを世界の製薬巨大企業ファイザーが莫大な費用をかけて市場化したものであり、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいくやり方はカジノ資本主義の賭博(ルーレット)とも言えるだろう。

トルコ人医師夫婦が創設した中小製薬企業ビオテックが開発に成功した理由は、DZIFの研究成果でウイルス突起部分のRNA製造技術、及びそのRNAを大量生産する技術が完成していたからであり、アメリカの巨大製薬企業ファイザーが共同開発企業として市場化したからこそ、半年という速さで世界に出すことができたと言えるだろう。(これまでのワクチン開発では、副作用や遺伝子影響などの長期的データを必要とし、少なくとも10年を要していた)。

そしてそのように速く開発できた大きな理由は、世界経済がコロナ感染の拡がりで経済を止めたくない強い意向が反映されたからだと言えるだろう。

確かにワクチン接種はコロナ感染の重症化を軽減させることは抗体レベルが飛躍的に高くなることから事実であろう。しかしコロナウイルスの突然変異種が5000以上世界で検出されているなかで、遺伝子の突然変異が突出部分に主に集中するオミクロン株の出現は、ウイルスが生残りをかけて人類に挑んできているようにも思え、ワクチン接種を度重ねて行けば克服できるという考えは、抗生物質と病原菌との戦いで耐性菌の院内感染にはお手上げであるように、白旗を挙げる敗北を連想せずにはおられない。

事実4回接種に踏切ったイスラエルが、行動制限全廃を打ち出した後のオミクロン感染のさらなる激増、重症化での死者が激増していることから、ワクチン接種によるコロナ克服に白旗を挙げ、再び厳しい行動制限を宣言する公算も高いと思われる。

そうした背景から浮かび上がる、「今問われているもの」は人々の命が最大のリスクにさらされているにもかかわらず止められない経済システムである。

経済を欧米のかつての長期休暇のように止め、企業から学校まで休みにし、通勤などをなくし、完全に人々の接触をなくせば、理論的には2週間、実際は1カ月継続すればコロナ克服はできる筈である。

それができない経済システムであれば、それは人を幸せにする経済でないだけでなく、究極的に人を滅ぼす経済と言えよう。

まさに今、そのような経済システムが、気候正義運動で問われているのである。

 

本出版のおしらせ

ようやく推敲も終わり、印刷待ちとなり、3月初めには出版されることになりました。

何故本を書いたかは、前2回のブログ及び今回のブログを読んで下されば理解していただけると思います。

 帯の文章が読めないと思いますので、下に書いておきます。

 

f:id:msehi:20220206110850j:plain

  地域の自己決定権による

     自助経済が世界を救う

 

  現在のコロナ感染症(COVID19)は格差社会を益々肥大させていく!

そして未来は洪水、干ばつ、食料危機、感染症蔓延による社会機能不全は避けられないとしても、それを力として、誰も見捨てない生きがいのある社会を創り出すことは可能だ!

本書は、著者が半世紀に渡ってドイツから学んだ救済テーゼである。

(431)初心に思う不条理と決意

新しい年の最初に思う不条理

  現在のコロナ禍が炙り出したのは、禍が貧しい人々、弱い人々を直撃していることであり、1%の人々には危機を踏み台として富が益々集中し、世界の何十億もの人々を困窮させる市場経済の不条理である。

 またそれは、現在のコロナ禍で干ばつで飢餓に直面しているマダガスカル島の映像を見るとき、まったく責任のない人々が市場経済を享受する人々の作り出した気候変動激化で餓死の恐怖に苛まれる不条理である。

 しかもコロナ感染症変異種襲来が予想されても、市場経済は一時的に制限することはできても、本質的に止めることはできないことから、現在爆発的に猛威を振うオミクロン株変異種のように、市場経済に連動して突然変異種が世界中を何度でも襲う恐ろしさである。

 もしオミクロン変異種が欧米で猛威を振い出した時点で完全に入国を止め、入国必要者は空港近くの施設で2週間滞在後のPCR検査陰性に限ることができれば、現在爆発的に感染増大しているオミクロン株変異種は防げたであろう。しかしそのような措置がとれないのは、市場経済が絶えず成長を求めるからであり、市場経済優先なくしてはこれまで構築してきた資本主義社会が壊れかねないからである。

 『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』の序章では、そのような「経済に埋め込まれた社会」を変えることなしには、危機は乗り越えれないと提唱している。

 

 ワクチンルーレットが示唆する理想の社会

 

 序章では二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』(1)を取上げて、現在の市場経済カジノ資本主義ルーレット)のなかでは社会正義が実現しないことを述べた。

 このフィルムでは、随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

そしてこのフィルムを制作したARDが載せている解説では(2)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか ?」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 理想が実現されないのは、現在の社会が一人一人の幸せを求める経済社会ではなく、絶えず利益を求める市場経済社会であるからに他ならない。そのような市場経済をカール・ポランニーは、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出していることから「悪魔のひき臼」と、著書『大転換・市場社会の形成と崩壊』で述べている。

 すなわち市場経済は労働、土地、貨幣を商品化し、労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場こそが「悪魔のひき臼」となっていくからである。

 そしてポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「(すべてが)経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べ、理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 しかしそのようなポランニーの示唆する理想の社会は、「悪魔のひき臼」が回り続け、今コロナ禍で加速激化するなかでも見えてきていない。もっとも意ある識者には見えてきており、一昨年2020年に社会思想家斎藤幸平が世に出した『人新生の「資本論」』では、絶えず成長を求めるグローバル資本主義が壊れ始めていることを的確に捉えていた。

 

(1)日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(2)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

 

人新生は「ドイツの絶えず進化する民主主義」が創り出す

 

 斎藤幸平が唱える「人新生」の新しい理想の社会は、使用価値経済への転換、労働時間の短縮、画一的な分業の廃止、生産過程の民主化、エッセンシャル・ワークの重視の社会であり、「脱成長のコミュニズム」だと説いている。そして「人新生」の新しい社会を創出するのは、社会運動であると述べているが、どのように巨大資本の支配するキャピタリズムから人新生の脱成長コミュニズムへ転換していくのか、具体的にプロセスを述べていない。

 それゆえ「おわりに―歴史を終わらせないために」で、脱成長コミュニズム実現は、「(世界の)三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」と述べているが、奔放に感ぜずにいられない。何故なら三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、「アラブの春」や「香港の民主化」が巨大な力によって潰されて行ったように、潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に短期に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去の革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が見えなくなり、反対派の抹殺で以前より悪くなるのが常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民に奉仕する経済の民主化にはまだ時間がかかるが、その堰が切られたことは確かである。

 2021年4月連邦憲法裁判所の気候変動訴訟判決では、2019年の連邦政府の気候保護法(2050年までに二酸化炭素排出量ゼロの実現を約束)が2030年以降実現するための確かな踏み込んだ計画がないことは、基本法第二〇条a「自然的な生活基盤保護」に違反し、将来世代の権利を侵害しており、2022年までに是正しなくてはならないという判決を下したことは、経済の民主化の堰が切られたことを実証している。何故なら気候正義の高まりから違憲判決が予想されていたことから、政府は直ちにパリ協定の実現を二〇五〇年から二〇四五年に五年間速め、二〇三〇年の温室効果ガス排出量削減を五五%から少なくと六五%以上の削減に踏み切らざるを得なかったからである。

 それは第一歩であるとしても、規制によってドイツ経済を大きく変えるものである。しかも現在の経済はリオ宣言の約束破り温室効果ガス排出量を160%に増大させてきたことを今も真剣に反省していないことから、2030年の約束履行時には削減どころか更なる増大は必至である。

 したがってドイツではそれ以前に厳しい経済規制が課せられ、集中型大量生産から地域での分散型必要量生産への移行は必至である。事実ドイツの太陽光や風力の再生可能エネルギーでは、地域分散技術であることから市民エネルギー協同組合が製造する電力が巨大電力企業製造よりも圧倒的に有利であり、市民によって推し進められてきたからである。

 再生可能エネルギー推進に殆ど関与して来なかった巨大電力企業は、2011年の脱原発宣言によって実質的な赤字へと転落し、株価の大暴落もあって存続危機に陥り、政府を動かして再生可能エネルギー事業を市民エネルギー協同組合からもぎ取り、これからの事業の柱にしている。すなわち再生可能エネルギー法を2014年改正することで、市民エネルギー協同組合の事業運営を困難にし、新たな市民エネルギー協同組合設立が事実上できないようにしている。

 しかし2030年の削減履行がなされないならば、再び違憲判決が下され、そのような改悪措置が見直されるだけでなく、集中型大量生産から地域での分散型必要量生産への転換が加速することは目に見えてきている。

 それは単に巨大電力企業が敗者となるだけでなく、すべての巨大企業が敗者となるときである。何故なら地域での分散型必要量生産では、適正規模の企業が圧倒的に有利であり、気候変動阻止を最優先するなら、市民が創る利益を求めない協同組合形態への転換は必至であるからだ。

 そのような社会は、まさに「経済が共同体に埋め込まれた社会」の到来であり、最早そこには「悪魔のひき臼」はなく、誰もが自由に、積極的に行動し、生きる喜びを感じれる社会が実現する。

 そのような社会を到来させるものは、「ドイツの絶えず進化する民主主義」であり、コロナ禍の背後には更に巨大な気候変動激化という禍が控えているとしても、その禍を力としてカタストロフィを理想の社会創出に転ずることができると確信する。

 そのような思いから、『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』を書き上げた。

 本の構成は、第一章で危機に直面する世界が禍を力として、どのようにカタストロフィを理想の社会創出に転じていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、ドイツの絶えず進化する民主主義を手本に、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台であり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきた「ドイツの絶えず進化する民主主義」について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界の市民が禍を力としてカタストロフィを理想の社会創出に転ずる文明救済論を提唱した。

 

尚12月25日から1月15日まで再び妙高に籠っており、新年は大変遅くなり失礼しました。

(430)『2044年大転換… ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』

長期にブログを休んでいた理由

 2カ月以上に渡ってブログを休んでいたにもかかわらず、先月も百を超えるブログ来訪者があり恐縮している。

 ブログを休んでいた理由は70歳まで暮らした豪雪地妙高に行く事情が生じ、そこではネットが利用できないからであった。もっともネットだけでなく、新聞もテレビもなく、属世界から離れて見るとはっきり見えてきたものがあった。

 現在のコロナ感染症(COVID19)は、格差社会を拡げている。しかも未来への展望は、格差社会のさらなる肥大だけでなく、洪水や干ばつの激化、食料危機や感染症蔓延による社会機能不全も避けられないだろう。

 なぜなら現在の絶えず成長を求めるグローバル資本主義は、リオ宣言にもかかわらず、温室効果ガス排出量を2020年には1990年比で160%に増大させてきており、危機を踏み台にして益々成長を求めているからだ。そのようななかでは既に見られるように、持続的開発(SDGsからグリンニューディールに至るまで)が免罪符となり、2050年排出量ゼロ目標も逆に倍増させ、300%を超える最悪のシナリオを辿りかねないからである。

 しかしそのような到来する恐るべき未来の禍は避けられないとしても、禍を力にすることができれば、、誰も見捨てない生きがいのある社会、世界を創り出すことが可能であるという思いであった。

 それこそがはっきり見えてきたものであり、私が大学時代から半世紀に渡ってドイツから学んだ、絶えず進化する民主主義である。それは、戦後の民主主義を絶えず退化させてきた現在の日本では見向きもされないとしても、書き記して置かないとならないという思いだった。

それゆえ一気に書き上げ、既に自主出版の手続きを取り、初稿が2月上旬にできるところまで漕ぎ着けている。レイアウト編集前の目次を下に転載し(注1)、次回年明けのブログからは章ごとに解説し、根底にあるものも述べたい。

妙高から戻り感じた日本の翼賛化

 12月に鈴鹿山麓の住いに戻り、先ず最初に目にしたのは新聞の記事であり、国民民主党と維新の連携や立憲民主党の政権批判から建設的提案への転換という民主主義の恐るべき退化であり、日本はここまできたのかと言う思いである。

 次に見たものはテレビであり、12月4日、5日に放映されたNHKスペシャル『新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦」』は興味深いと同時に、今制作放映されることに空恐ろしさを感じた。

 新ドキュメントでは当時の国民の思いが、国民の日記を人工知能AIが読み取り、SMSを見るように描かれていた。特に印象に残ったのは、アメリカ文化に憧れる少女が、お国のためにすべてを捧げる熱狂的愛国女性への変身であり、心の変化に恐ろしさを感じないではいられなかった。

 それは10年ほど前に熱狂的に鳩山民主党政権に期待をかけた国民が、安倍政権の集団的自衛権容認、森友学園などの嘘にもかかわらず、右へと翼賛化が進んでいく現在とも類似しており、公共放送NHK政権交代のメディア支配の間隙をついて放映したように思った。膨大な労力によって、当時の人々の残された日記を通して、国民の本音の変わりゆくさまが手に取るように検証されていた。もっともそれは最初から想定されることであり、なぜそのように国民の心が変化したかは、2011年初めに放映されたNHKスペシャル 『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』の方が端的に描かれていたように思う(まだ第一回放映で断定はできないが)。

 それが描く戦争の原因は利権の熟成であり、利権が中国大陸、そして東南アジアへの進出(侵略)を要請し、大本営官僚支配が治安維持法強化、メディア検閲支配強化などで、国民の驚くべき心の変化を作り出していったのが真相と言えるだろう。。

大本営官僚支配は継続されているのか?

  官僚支配と言えば、官僚のトップである各省庁事務次官たちが独裁者のように支配しているかのようなイメージを与えるが、実際の官僚個人個人は、官僚制というシステムのなかで黒子のように政令にしたがって、真摯に滅私奉公しているだけの公僕である。

 事実600万人ユダヤ人殺戮のホロコースト最高責任者アイヒマンも、イスラエルで裁判を傍聴したハンナアーレントが指摘したように、陳腐で小心な市民でしかなかった。

 それでは六〇〇万人のユダヤ人を絶滅させた首謀者は、誰なのであろうか?

 ナチスの綱領では絶滅計画など全く眼中になかったが、ユダヤ人排斥運動がエスカレートしてくると収容所隔離となり、莫大の数の収容ユダヤ人が溢れてくると、必然的に絶滅計画へと発展したのが真相とされている。具体的にはアイヒマンも含めて、一九四二年の各省庁担当官僚のヴァンゼー会議で決められており、最後まで生き抜いた者は適切な処置がなされなくてはならないという政令が絶滅計画を実行させた。

 この政令は、敗戦直前に上官ヒムラーからアイヒマンに中止命令が出されたと言われているが、一旦動き出した政令は止められない仕組みが出来上がっている。何故なら絶滅計画の政令は会議で決まっているように見えるが、会議決定前に根回しを通して、下からの要請の積重ねで、暗黙的に決まったものであり、それこそが政令であるからだ。

 政令が止められないのは、膨れ上がったユダヤ人の適切な処置が、物資の不足から絶滅計画となるのは自然の成り行きであり、もし絶滅計画が中止され、ユダヤ人が解放されれば、肥大した組織が解体され、関与していた人たちも放り出されるだけでなく、責任が問われるからである。

 それは、官僚制度自体が富国強兵、殖産興業という目標のため絶えず肥大するように作られており、一旦動き出した計画は中止できない。もし中止されれば責任が問われることから、無謬神話で突き進むしかないのである。したがって下からの要請の積重ねによって組織が肥大成長していく官僚支配構造こそが、ホロコーストの張本人に他ならない。

 日本においても、国民が意思表示した脱ダム宣言や、科学的に安全性が破綻した高速増殖炉計画、核燃料サイクル開発が中止にならないのは、まさに明治にドイツから学んだ無謬神話の官僚支配構造に他ならない。

 ドイツでは戦後ホロコーストを犯した過ちが基本法を生み出し、民主主義を絶えず進化させることで、お金も申請書もいらない行政訴訟と行政の証拠書類提出義務を創り出し、官僚支配構造は(国益優先の支配構造)は官僚奉仕構造(国民優先の奉仕構造)へと変化した。

 日本では戦前は帝国主義、そして戦後70年代からは新自由主義に仕える官僚支配構造が継続され、再び危機をむかえていると言えるだろう。

 すなわち官僚支配構造とは、絶えざる成長を実現する最善の仕組みであり、成長が限界に達しても突き進むしかない仕組みであり、クライマックスを過ぎれば必然的に危機を招く仕組みと言えるだろう。

日本は民主主義が絶えず退化しているのか? 

 戦後の日本の教育では、教育基本法第一条(2006年改正)「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」で見るように、国家が国民に奉仕することが求められていた。事実当初の文部省は、能力主義による高校進学の選抜さえ見直すことを約束していたが、現在では能力主義が国家繁栄に必用不可欠なものとなり、競争教育が当然のものとして社会に定着し、健全な精神育成を阻み、格差を生み出す原因ともなっていることが殆ど顧みられなくなり、教育が再び国家に奉仕することを求ている。

 戦後の民主主義の基盤は、「国家は国民のためにある」が指摘するように国家に国民奉仕を求めることであり、少数意見を配慮するため寧ろ抑えられなくてはならない多数決が、現在の日本では民主主義の象徴となり、国家の繁栄は国民の繁栄であるという新自由主義の論理を通して、戦前の「国民は国家のためにある」に回帰しているように思える。

 

 戦後のドイツでは、ワイマール民主主義共和国での民主主義の多数決がナチス独裁を招き、ホロコーストの過ちを犯したことから、「国家は国民のためにある」を守るために、基本法第一条「尊厳の不可侵」から第20条「抵抗権」に至るまで、基本原則が議会の多数決では改正できない絶対的基本権となっている。

 それ故ドイツの戦後の教育が、大学からナチ協力者を追放した後産業の復興によって戦前のエリート教育へ一時的に回帰しても、「国家は国民のためにある」に必然的に戻り、60年代初めに教育の民主化が始まり、「教育の目標は競争や選抜のためではなく、個人が市民社会に生きていく生活の質を高め、連帯してよりよい平等社会を築くことにある」となるのである。

 また集会やデモでは、原発推進が国策であるなかで1985年コール政権は原発反対運動が大規模化し、一部が暴力を振るったとして、デモや野外での集会を規制、もしくは禁止した。これに対して原発反対運動側は、この政府措置を違憲として提訴した。そして連邦憲法裁判所の判決は、集会やデモの自由は基本法八条一項「すべてのドイツ人は、届け出または許可なしに、平穏かつ武器を持たないで集会する権利を有する」の理由から、基本的に「届け出や許可なしに」できるとし、政府措置を違憲と判断した。判決文では一部に暴動が予想される場合もデモ参加者の集会の自由は守られなくてはならないとし、禁止はデモ全体が危険なコースを採る場合においてのみ可能で、その場合も当局は平和的デモ参加者が基本的権利を行使できるようあらゆる手段を尽くさなくてはならないとしている。

 また公務員の中立義務に対しては、1987年1月20名の裁判官たちが、コール政権でのムトランゲン基地の中距離核弾頭ミサイルを配備に法を犯して基地専用道路を座込み封鎖で反対した。政府は公務員法を盾に厳しく対応したが、ドイツの殆どのメディアは、「核弾頭ミサイル設置は、生命と身体的無傷の基本的権利、人間の尊厳に対する基本的権利、平和国家の要件に違反している」という裁判官たちの基本法違反の主張を支持称賛した。特にフランクフルター・ルンドシャウ紙は、裁判官たちの訴えた声明文「人質としての人類」(注2)を載せ、ドイツ市民の圧倒的支持を創り出した。それ故裁判官たちの公務員法違反は最初罰金刑が言い渡されていたが、再審で無罪判決を勝ち取られている。

 それ以来ドイツでは、裁判官の意思表示が当たり前となり、連邦憲法裁判所の現職の裁判官さえも違憲紛争中の問題に積極的に意見を法定外で述べており、国民に議論を喚起することも民主主義の授業であり、世論形成も重要な役割であるという発言になるのである。

 もっともドイツにおいても新自由主義を推し進めたシュレーダー政権に見るようにあらゆる分野で民主主義が後退を余儀なくされたことも確かであるが、「国家は国民のためにある」を守る第一条から第二〇条までの絶対的基本権が、後退の過ちも力として、絶えず民主主義を進化させているのである。

 そのようなドイツの絶えず進化する民主主義と日本の絶えず退化する民主主義は、今回誕生したドイツのシュルツ政権と日本の岸田政権の政策公約を見較べれば一目瞭然である。

 

【ドイツの社会民主党(赤)、緑の党(緑)自由民主党(黄)の信号連立シュルツ政権の政策公約の四つの柱は、第一に気候保護の厳守を確約し、石炭廃止を8年速め2030年までの脱石炭実現、また2030年までに再生可能エネルギーの電力割合80%まで引き上げ、メルケル政権で打ち出した温室効果ガス排出量を九〇年比で少なくとも65%削減を確実に実現する。第二の格差の是正では、最低賃金を時間給9.6ユーロから12.0ユーロへの引き上げ、(失業扶助を生活保護と合体させ、しかも資産の厳しい査定を求める)ハルツ第4法を最初の2年間は査定なしで支給される市民手当に置き換える。住宅家賃の高騰に対しては年間住宅40万個の集合住宅建設と家賃上昇を3年間で11%以内に制限。低所得者には暖房費補助金支給。未来を担う子供に対しては、親の所得に応じた子供手当と所得に関与しない子供手当支給の二本立てで手厚い保護、さらに介護関与者に3000ユーロのボーナス支給等々の公約。第三の財政規律では、コロナ感染症で負債による巨額の救済支援を実施したが、その負債を増税によらず、2023年から健全化することを公約。第四に「核なき世界」を求めるため、来年2022年3月の核兵器禁止条約締約国会議にオブザーバー参加を打ち出した。】

 

 このようにシュルツ政権での政策公約は国民利益を具体的に最優先しているのに対し、岸田政権の政策公約は抽象的で殆どなにも具体的な柱がなく、国民の格差是正「賃上げ企業の優遇税制」さえ、企業法人税減税の意図が見えており、国益最優先と言えよう。しかもコロナ禍で300万人もの生活困窮者が無利子特例貸付を利用し、その多くが限度額200万まで借り、返済の目途が立たないだけでなく、今も恐ろしく困窮しているにもかかわらず、まったく救済策がなく、見捨てられているといっても過言ではない。

 そのように日本の民主主義が退化するのは、「国民は国家のためにある」に回帰していくからであり、回帰させるものは官僚支配構造の継続であり、繁栄が既に限界に達しているにもかかわらず、翼賛的に絶えず成長を追求するから危機なのであり、このまま突き進めば破綻は見えているだろう。

 

(注1)本のタイトル

『2044年大転換…

ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 

 

     コロナ感染症が問う社会正義 12

     「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 16

     人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 19 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ

 

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 24

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 36

     利益を求めない医療や介護が変える社会 46

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 53

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 57

     市場が終わりを告げるとき 61

     戦争のない永遠の平和 65 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 73

 

第二章 大転換への途は始まっている

     

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 80

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?

    

    ワイマール共和国誕生の背景 96

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 101

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 108

    戦い育てる憲法裁判官たち 113

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 123

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの

 

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 130

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 136

    脱原発を実現させたメディア 150

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 161

 

第六章 人に奉仕する経済の民主化

 

     危機を乗り越える社会的連帯経済 170

    ドイツの連帯経済 175

    人に奉仕する経済の民主化 180

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える

    

    気候正義運動が創る違憲判決 190

    文明の転換 194

 

あとがき 202

 

(注2)裁判官たちの声明文は民主主義の根幹であり、人類の危機を前にした人々の心に響くものがあり、訳して以下に載せておきます。

 

https://www.atomwaffena-z.info/fileadmin/user_upload/pdf/1987_richter-erklaerung.pdf

 

「人質としての人類」(裁判官たちのの声明文)

 

 私たちは裁判官であり、「平和のための裁判官と検察官のイニシアチブ(NPО)」に属しています。私たちは、一九八三年夏のボンと一九八五年一一月のカッセルでの平和フォーラムを通じて、新聞広告、デモ、決議を通じて、地元の平和団体への参加を通じて、警告してきました。

 しかし平和運動の警告は、耳に届くだけで消えてしまい、今日私たちの安全はこれまで以上に危険に晒されています。レイキャビクでの包括的な軍縮協定が失敗し、世界的な核兵器実験継続の脅威にあります。

 だからこそ、私たちは今日ムトランゲンで道路封鎖をします。私たちは、これがこれまでのすべての言葉より、よく伝わると信じるからです。

 核兵器は正義にも、平和にも役立ちません。核兵器はすべての人類を人質に取り、東西のすべての人々を直接脅してきました。これらの大量破壊兵器の使用が考えられるだけでなく、今ここで何時でも使用可能です。核兵器の使用は世界的な政治危機、世界の大国に対する想像上または実際の実存的脅威、あるいはソ連アメリカのコンピュータの単純な誤動作によって、明日引き起こされる可能性があります。

 それはボタンを押すだけで、ドイツやヨーロッパだけでなく、地球全体を人間の生命のない砂漠に変える脅威を与えています。

 人類の全てにこのような危険は、歴史上一度もありませんでした。脅威の大きさが間違って評価されている理由から、あるいは私たち人間が武器の破壊力を日常の想像力のなかで耐えられない理由から、核兵器の恐ろしい危険は大部分で過小評価され、排除されているのを見てきました。

 核兵器は人類文明の中に存在してはいけないと確信しています。そういう理由で、私たちは大量破壊兵器を排除することに関わりたいと思っています。

 私たちは、核兵器が留まることが法に記載のない、単なる政治的決定であるとは考えていません。核兵器が留まることは、パーシング2(中距離弾道ミサイル)の配備であり、巡航艦ミサイルの核配備同様に違法です。

 それは、生命と身体的無傷性の基本的権利(基本法一一条二項)、人間の尊厳に対する基本的権利(基本法第一条)、平和国家の要件(基本法第一条二項、第九条二項、第二六条)に違反しています。

 それは、私たちの大地に配備された大量破壊兵器の使用に関する決定が米国大統領だけに委ねられているので、基本法二四条で保証し得ない国家の主権の降伏を意味します。

 それは、一九四五年八月八日の国際軍事法廷第六条(ニュルンベルク原則)に従い、大量破壊兵器による武装は平和と人道に対する罪を犯し、ジェノサイド条約(一九四八年一二月九日の国連憲章第四章第二条項)に違反するため、国際法に反します。

 アメリカ兵がトラックで数分待たなければならない理由で、ムトランゲンの軍事基地前の平和的座込みが暴力であるとすれば、広島原爆の数倍殺傷能力を持つパーシング2ミサイルの配備は一体何でしょうか?

 私たちは、この行為が刑事犯罪とみなされるリスクを受け入れます。私たちは、責任を負う子供たちの未来を気遣う母親や父親として当惑するからです。存在そのものを脅かすこの状況では、核兵器の配備が民主的に選ばれた政府によって承認されたという事実によっても、私たちの行動を止めることはできません。

 私たちは今日の座り込み、市民の不服従を通じて、基本法憲法国際法の保護に対して特別な責任をゆだねられた裁判官として、核軍備の非人道的な狂気に抵抗しなければならないことを明確にしたいと思います。

 私たちの封鎖は、検察官によってこのような封鎖で告発され、裁判官によって有罪判決を受けたばかりの何百人もの同胞との連帯行為であり、同様に平和と軍縮での擁護で最も厳しく処罰された東西の人々との連帯でもあります。

 私たちの連帯は、それらのすべてと一緒にあり、私たちはできる限り大声で、核軍備に“ノー!”と叫びます。

(429)ドイツ最新ニュースから学ぶ(22)ドイツ連邦議会選挙が語るもの・更に進化するドイツ

都合によりしばらく「ドイツから学ぼう」を休みます。

10月1日                関口博之

 

 

既に赤と緑の連立で勝敗が決着

 

 上に載せた連邦議会選挙前の議会では、メルケル首相、首相候補3人、及び他の野党党首も内心勝敗の決着が着いたことから、メルケル首相、与党同盟首相候補ラシェットは,

ドイツが左へとシフトしないように訴えている。また自由民主党FDP党首は、決してリンケ(左翼党)との赤赤緑連立政権はあってはならないと牽制し、自由民主党との赤緑黄連立政権を呼びかけている。

 このように勝敗が決着したのは、一枚の写真からであった。具体的には7月17日の洪水被災地で、シュタインマイヤー連邦大統領(SPD)の被害者に支援約束演説の背後で、こともあろうに被災地ノルトライン=ヴェストファーレン州のアルミン・ラシェ(CDU)首相が笑みを讃えて笑っている下の写真が、多くのメディアを通してドイツ中を駆け回ったことに発している。

https://ostbelgiendirekt.be/wp-content/uploads/2021/07/485F1795-149F-4380-B538-DF850C64D004-e1626599414262.jpeg

https://ostbelgiendirekt.be/wp-content/uploads/2021/07/485F1795-149F-4380-B538-DF850C64D004-e1626599414262.jpeg

 

もっとも世論調査に影響を与え始めたのは、7月末からであり、それを後押ししたのは、ZDFの首相候補ラシェット夏インタビューで(注1)、ラシェットが「愚かでした。在ってはならないことであり、遺憾なことをしました。 "Es war blöde und es sollte nicht sein und ich bedauere es"」と、ひらあやまりしたからであった。

 それまではラシェットの楽勝ムードが高まり、世論調査の支持率は30%を超えており、対抗相手の緑の党首相候補ベアボックは20%を割り、社会民主党SPD首相候補シュルツに至っては、当初からそれまで絶えず15%ほどの支持しかなく、誰もSPD支持率の上昇を期待するものさえない有様だった。

 それが8月1日の世論調査(平均)では、与党同盟UNIONが28%、緑の党19%、SPD16%、8月15日UNION25%、緑の党19%、SPD18%、9月1日UNION23%、緑の党18%、SPD23%、9月18日UNION22%、緑の党16%、SPD26%と、信じられない大きな変化をし、最早SPD緑の党の連立政権誕生は動かし難いものとなったと言っても過言ではない。

 もし一枚の写真がなければ、緑の党との連立ラシェット政権、もしくはSPDとの連立ラシェット政権は確実であったことから、ドイツの歴史を変えた写真と言えよう。

 

(注1)

https://www.zdf.de/politik/berlin-direkt/berlin-direkt---sommerinterview-vom-25-juli-2021-100.html 

 

緑の党ベアボックに見るペトラ・ケリーの再来

 

 

 9月12日開かれた公開放送での3者討論対決では(注1)、ベアボック候補の主張の鋭さと、訴える力は、上に載せたZDFheuteニュースでは、ほんの一部しか伺えないが、討論対決でのラスト1分の主張は圧巻であった(その下に載せた動画)。

 これまでの討論対決では、演台から離れ一歩前に出た候補者は誰もいなかったが、ベアボックはその壁を破り、「私たちが本当に壁を破るのか、それとも壁を維持することに固執するのか?Schaffen wir einen echten Aufbruch oder verharren wir im "weiter so"? 」述べたのは見事であり、まさにコロンブスの卵であった。

 ZDFの3者討論対決の世論調査では(注2)、SPDショルツ候補 が最もよかったと思う視聴者は全体の32%、緑の党ベアボックが26%、UNIONラシェットが20%であったが、感情に訴える力はベアボックが39%で、ショルツ28%、ラシェット14%で、ひときわ光っていた。また若い人(18歳から34歳)のベアボック評価(最もよい)も、52%と群を抜いていた。

 最もベアボック候補は、緑の党が5月に支持率26%でUNIONを抜くと、急に批判が高まり、州や連邦での要職経歴がない、2018年クリスマス賞与の申告もれ、さらには今年出した、彼女の気候正義、社会正義などの実現を書いた本『アンナレーナ・ベアボックの今・私たちの国の刷新方法Jetzt Annalena Baerbock・Wie wir unser Land erneuern』では、出典が書かれていないことから激しく攻撃され、支持率は26%から急落し、最悪時は14%まで下がっていた。

 確かに経験不足は否めないが、それにもかかわらず党内のガラス張りに開かれた選挙で急激に這い上がってきたのは、まさに彼女の秀でた力であり、緑の党創設者のペトラ・ケリーを彷彿するものを感じる。

 今回の選挙で首相になることは難しいとしても、連立政権では首相シュルツコントロールで固い壁を破り、必ずや気候正義、社会正義を成し遂げてくれると期待したい。

 (注1)

https://www.zdf.de/politik/wahlen/bundestagswahl-2021-triell-100.html

(注2)

https://www.zdf.de/nachrichten/politik/tv-triell-blitzumfrage-laschet-scholz-baerbock-100.html