(111)ドイツの今を考える。(6)社会民主党SPDの復権はあるのか 後編

クルト・ベックの反新自由主義政策へのハンブルク綱領による転換は、シュレーダーの「アジェンダ2010」を推進してきた人たちにとって過激な転換であり、容認できないものであった。
アジェンダ2010」をシュレーダ辞任後もメルケル政権の閣僚として推進してきたフランツ・ミュンテフェーリング(シュレーダ政権での党首、副首相)は、2007年のハンブルグ綱領採択直後の11月に全ての役職を辞任したが、転換への不満が再び翌年の7月には前線に蘇らせた。
もっともミュンテフェーリングは、翌年初めに既に転換への批判を通してベック攻撃を開始していたことから(注1)、辞任はハンブルグ綱領採択までの内部抗争の敗北を意味すると同時に、反撃への開始でもあった。
そして誰も予想が出来ない速さで動き、9月8日にベックの党首辞任が発表され、同時にフランツ・ミュンテフェーリングが再び党首に返り咲くことが報道された。
翌日のシュピーゲル・オンラインは、ベック支持者のザーランド州SPD党首のハイケ・マスをインタビューし、その背後の事情を聞こうと試みている(注2)。
しかし彼は直前までベックは確固たる地位にあったことは認めるものの、突然起こった政変劇の事情について知らないと答えるだけであった。
それはSPDの内部の鉄のカーテンを示唆しており、ハンブルグ綱領採択までの内部抗争、そしてベッグ党首辞任への急激な転換の抗争など一切公表されていないことからも明らかである。
こうした内部抗争を象徴するものとしてヘッセン州の州議会選挙がある。
2008年1月の長年キリスト教民主同盟CDUの牙城であったヘッセン州の州議会選挙では、反新自由主義を打ち出したハンブルク綱領が好感されたことからSPDが躍進し(獲得議員数SPD42、CDU42、自由民主党FDP11、緑の党9、リンケ6)、リンケとの閣外協力合意で赤と緑の連立政権誕生が確定したかに見えた。
事実SPD州党首イブシランティ女史の次期州首相としての勝利会見までなされた。(注3)
しかし「アジェンダ2010」を推進してきたミュンテフェーリング側は主導権を巻き返し、あくまでもリンケとの閣外協力合意は認められないとして内部紛糾で半年以上も議会決定を延長させた。
そして11月始めの議会でようやくイブシランティ女史の州首相就任が報道されたが、議会前日4人のSPD議員がイブシランティ女史を州首相として投票しないことを表明し、全てを降り出しに戻した。
そのため翌年2009年1月に再選挙が実施され、SPDの内部抗争に怒った州民は、結局CDUのFDPとの連立政権で決着せざるを得なかった(獲得議席CDU46、SPD29、FDP20、緑の党17、リンケ6)。
まさにこの内部抗争は選挙民の意思を全く無視しており、日本のヤクザ抗争と大きな差異を感じられないほど醜悪なものであった。
しかも内部事情が自由に語られないことから不満や怨念が拡がって行き、連邦選挙直前にはシュレダー政権からの看板女史ウララ・シュミト厚生大臣が公務から引きずり降ろされた。
すなわちウララ・シュミト厚生大臣が、フランスでの休暇を必要もない公用(施設訪問)で政府公用機を使用したことが明らかにされ、それが国中のドイツ国民の怒りを爆発させた。
何故ならドイツ国民は雇用の過激な質の悪化と同時に、ウララの実施した保険改革で社会福祉が過激に切り捨てられたことに怒りを募らせていたからだ。
そして9月の連邦選挙では、SPD首相候補のシュタインマイヤーのポスターや看板への醜悪な落書きがベルリンでは目立ち、SPDの歴史的敗北によってミュンテフェーリング党首は引責辞任し、全ての役職から解かれた(注4)。
その結果抗争は静まり、反省から本気でハンブルグ綱領の実現に向けて動きだしており、最近の緑の党との財産税復活協議がそれを裏付けている(注5)。
しかし9月28日の党大会でシュタインブリュックの首相候補決定と同時にベックの引退が表明されたが、ベックはあくまでも健康上の理由として全く何も語らなかった(注6)。
まさにベックの沈黙自体が、未だにSPDの開かれていないことを物語っている。
それは世論調査SPD支持率にも反映されており、メルケル与党政権CDU(CSU も含め)に10パーセントほど引き離されている。
すなわちドイツの世論調査最大手のTNS Emid研究所の10月7日の世論調査では、CDU37パーセント、SPD28パーセント、緑の党12パーセント、リンケ8パーセント、FDP5パーセントである(注7)。
しかし赤(SPD)と緑の政権復帰はリンケと協定を結ぶことができれば十分可能であり、リンケとの協定がシュタインブリュック連立政権の鍵を握っていると言っても過言でない。
シュタインブリュックはシュレダー政権を支え、メルケル第一次大連立政権でも財務大臣としてメルケル首相を支えてきたことは確かであるが、ベックを副党首として支え、当時から新自由主義を反省するハンブルク綱領に前向きであり、メディアのインタビューにも2009年の連邦選挙でクルト・ベックが首相候補になることを述べていた(注8)。
そのようなシュタインブリュックの柔軟さから、さらにはリンケの若い女性党首カーチャ・キーピングも連携を強く求めていることから、リンケとの閣外協定によって社会民主党SPDの政権復帰はきわめて高いと言えるだろう。
しかし問題は赤と緑の政権復帰後であり、新自由主義に組み込まれた産業と太いパイプのある社会民主党SPDが再びシュレーダ政権の過ちを繰り返さない保証は何処にもないからだ。
過ちを繰り返さないためには、まず党内論争をガラス張りに開き、御用組合を通した産業支配をどのように克服し、反新自由主義路線に立つハンブルク綱領を実現する具体的な戦略が必要である。

(注1)2008年3月15日T・オンライン
シュピーゲル誌」の報告として「ミュンテフェーリングは左への転換は誤り」という見出しで、ミュンテフェーリング前党首がSPDの内部戦略誌でベックの政治路線を激しく批判したことを伝えている。
彼は「アジェンダ2010」の改革が途中で放棄されてはならないこと、リンケとの協同作業はあってはならないこと、そして年末には2009年の連邦選挙首相候補としてシュタインマイヤーを選ぶべきであることを強調している。
http://nachrichten.t-online.de/spd-muentefering-kritisiert-kurs-von-kurt-beck/id_14529596/index

(注2)2008年9月9日シュピーゲルオンライン
「党首をそのように扱うことは容認できない」という見出しで、ハイケ・マスの明らかに無念さを隠したインタビューが載せられている。
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/saar-spd-chef-maas-so-kann-man-mit-einem-parteichef-nicht-umgehen-a-577049.html

(注3)その際の彼女の喜びの笑顔が今も忘れられないが、ドイツの人たちにとっていっそうセンセーショナルな出来事であった。結果的に無効となったが、この際SPD緑の党、リンケが2006年から始まった大学授業料有料化を無料に戻す公約は生き残り、その後有料化された他の3州でも次々と無料化され、現在ではバイエルン州ニーダーザクセン州を残すのみとなり、ドイツの大学授業料の無料化は今や時間の問題であり、教育の機会均等を守る観点からも最初の第一歩であった。

(注4)歴史的な敗北とはいえ23パーセントも得票率があったことは、国民がドイツの豊かさをCDUアデナウアーで社会的市場経済で創り出し、SPDのヴィーリー・ブラントの教育無料化などの社会保障充実で育てたことに恩義を感じているからであろう。

(注5)シュピーゲル・オンライン、2012年8月8日
「赤と緑は200万ユーロの所有から財産税を求める」
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/vermoegensteuer-spd-und-gruene-wollen-abgabe-ab-zwei-millionen-euro-a-848948.html

(注6)シュピーゲル・オンライン、2012年9月28日
「クルト・ベックは全ての役職から引退を表明」
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/beck-hoert-als-ministerpraesident-und-spd-chef-in-rheinland-pfalz-auf-a-858667.html

(注7)シュピーゲル・オンラインに掲載されている6つの世論調査のうち最大手のTNS Emid研究所の世論調査による。
SPDは2005年の連邦選挙前後の支持率は25パーセントほどで、2009年には20パーセントまで支持率を落としているが、その後徐々に回復してきている。
http://www.spiegel.de/politik/deutschland/wahl-umfragen-sonntagsfrage-fuer-bundestagswahl-und-landtagswahlen-a-623633.html

(注8)南ドイツ新聞、2007年7月13日
「副党首ペール・シュタインブリュックのインタビュー・・クルト・ベックが首相候補になるだろう」
http://www.sueddeutsche.de/politik/sz-interview-mit-parteivize-peer-steinbrueck-kurt-beck-wird-kanzlerkandidat-der-spd-1.777879