(112)ドイツの今を考える。(7)緑の党の連邦首相誕生は可能か 前編

緑の党は過去のラジカルな原理主義者を退かせ、現実的手法のヨシュカ・フィッシャーの下にシュレーダの赤と緑の連立政権を誕生させることで、結果的には新自由主義を推進させた。
それは大半のドイツ市民を困窮させたことで、2005年の連邦選挙、2009年の連邦選挙で低迷し、最早緑の党の未来はないかに見えた。
それ故に2008年のハンブルク州でのキリスト教民主同盟との黒と緑の連立(注1)、そして2009年のザランド州の黒と黄色(自由民主党FDP)と緑のジャマイカ連立(注2)で、そうした閉塞状況を打開しようとした。
部分的には教育政策や環境政策で機能したが、根幹の経済政策や社会政策での溝は大きく、絶えず紛糾を招いていた。
こうした状況を一変させたのは、2009年連邦選挙後黒と黄色のメルケル連立政権の強引な原発運転期間延長法案の議決と最終処分場ゴアレーベンの調査再開であった。
何故ならドイツの世論は脱原発を降り出しに戻すような政策には反対であり、原発電力会社と政治家の癒着スキャンダルが噴出し(注3)、政府の技術官僚たちもメディアを通して原発運転期間延長は危険であることを指摘したからだ(注4)。
そして原発運転期間延長やゴアレーベンの調査再開に対する反対運動のイニシアチブを取ったのは他ならない緑の党であり、2009年の連邦選挙前の世論調査では10パーセントほどの支持率しかなかったが、2010年末には20パーセント超えバーデン・ヴュテンベルク州では緑の党の州首相が予想されていた。
実際2011年3月27日の州選挙では、緑の党は24,8パーセントの票を獲得し、23,8パーセントの社会民主党と緑と赤の連立政権を誕生させ、ヴィンフルート・クレッチャマンが緑の党初の州首相に就いた。
このような緑の党の政権が誕生できた背景には、ドイツ全土の脱原発を求める潮流に加えて、前首相シュテファン・マップスの強引な巨大地下駅開発シュッツガルト21の強行と「影の計画」で明るみに出た原発電力企業との癒着があった。
社会民主党SPDはシュッツガルト21開発を総体として支持していたし、原発電力企業との癒着構造を作り出したのはシュレーダーの電力料金の市場化であり、前首相マップスの攻撃では精彩を欠いていた。
これに対して緑の党州党首はクレッチャマンは、反対運動の先頭に立ちマップス政権を攻撃すると同時に、常に州民の意思を尊重し州民利益を最優先させることを公約して戦った。その結果が、党史初の政権獲得であった。
政権運営では、シュッツガルト21開発で見るように必ずしも一致しないSPDとの連立で難航が予想されたが、開発では約束どおり住民投票を11月27日に実施し決着をつけた。
結果はあらかじめ予想されていたように開発賛成58,8パーセント、反対41,2パーセントとなり、クレッチャマン新州首相は「民意は尊重されなければならない」と公言し、2012年1月からの開発工事再開を認めた。
これに対して反対強硬派は納得せず、「クレッチャマンは退任しろ」とあくまでも反対姿勢を崩さなかったが、新州首相は開発費用への州負担の追加はしないことと、盆地であるシュッツガルトの自然環境に配慮し、「風の道」を生かした環境開発を厳守することを州民に約束することで、現実的手法を採った。
このようなクレッチャマン州首相の現実的手法は現在まで多くの州民に支持されており、選挙1年後のシュピーゲル誌12号の「バーデン・ヴュテンベルク州の実験」と題した記事でも、前途は決して容易ではないとしながらも彼の現実的政治手腕を高く評価している(注5)。
高い評価の理由は、シュピーゲル誌独自の世論調査で、ドイツ人の74パーセントが彼の政治的手腕を信頼できると見なしており、さらに緑の党の州支持率がクレッチャマン効果によって約30パーセントに増加しているからだ。
もっともこうした緑の党の現実的手法は今に始まったことではなく、1988年のカールスルーエでの緑の党大会で、それまで「脱政党」、「反議会」、「反制度」という既製政治のオルターナティブを掲げ、エコロジー運動、反核平和運動脱原発運動、フェミニズム運動等を戦ってきた原理派が執行部選挙で失脚し、フィッシャーの率いる現実派へ移行するなかで、それ以来採られてきた手法であった。(注6)
それは手短に言えば現実を改良するといった妥協路線であり、少なくとも2009年までは部分的な成果はあったとしても成功を見なかった。
それ故注目すべきは緑の党脱原発の追い風と強引な駅開発で州選挙に勝利したことよりも、1年後も支持が継続されているだけでなく、益々高い評価がなされていることである。
何故ならシュピーゲル誌の記事でも引用されているように、「期待が大きければ大きいほど、失望もますます厳しいものとなる」からだ。
次回はそうした現実にもかかわらず支持が増加している理由について考えて見ると同時に、本題の緑の党の連邦首相誕生の可能性について考えて見たい。

(注1)2008年2月24日のハンブルグ市(州扱い)の選挙ではSPDの本拠地であるにもかかわらず、SPDハンブルグ綱領の内紛でCDUに惨敗した(得票率CDU42,6、SPD34,1、緑の党9,6、FDP6,7)。
その結果緑の党は第一党のCDUと教育問題やエルベ川の改修工事での環境保護重視の協定合意で、州レベルでは初めての黒と緑の連立政権を誕生させた。
しかし協定合意になかったモーアブルク地区の石炭火力発電所の建設が浮上し、環境開発省大臣(緑の党)は政権維持のために認可したことから、政権内だけでなく緑の党自体が内紛し、2010年11月28日黒と緑の連立は3年も経たないうちに緑の党からの連立解約通達によって破綻した。
Artikel vom 28.11.2010
Senat Schwarz-Grüne Koalition in Hamburg am Ende
ハンブルグ市政府の黒と緑の連立の終焉
http://www.news.de/politik/855088371/schwarz-gruene-koalition-in-hamburg-am-ende/1/

(注2)2009年8月30日のザールランド州選挙で得票率はCDU34,5、SPD24,5、リンケ21,3(前の州首相で、前のSPD党首のオスカー・ラフォンテーヌが加わったことから)、FDP9,2、緑の党5,9となり、本来ならば赤と赤(リンケ)と緑の連立政権が誕生する筈であるが、SPDのミュンテフェーリング党首がリンケとのあらゆる連携を禁止したことから、黒と黄色(FDP)と緑のジャマイカ連立州政府が誕生した。
しかしFDPが財政問題で連邦レベルで支持率を激減させたことから州のFDPでも内紛が激化し、政権自体も内紛に巻き込まれたことから、2012年1月6日に州首相カレンバウアー女史(CDU)によってジャマイカ連立が解約された。
Machtwort der Regierungschefin CDU kündigt Jamaika-Koalition im Saarland auf
州女性首相CDUの権限ある言葉がジャマイカ連立の解約を通告した
http://www.welt.de/politik/deutschland/article13801472/CDU-kuendigt-Jamaika-Koalition-im-Saarland-auf.html

(注3)例えばバーデン・ヴュテンベルク州の電力巨大企業EnBWは、廃棄すべきネッカーウエストハイム1号機を連邦選挙で救うために国民を騙した。すなわち原子炉は正規の操業では2009年7月までに閉鎖されるべきであった。EnBWの内部文章では、そのために電力製造を抑制し選挙まで少なくとも1年半以上延ばす「影の計画」がかかれている。。その内部文章はグリンピースの手元にあり、「影の計画」は州首相マップスら州首脳が容認していることを言及している。
「影の計画」PDF http://www.greenpeace.de/fileadmin/gpd/user_upload/themen/atomkraft/EnBW_Praemissen_Schattenplanung.pdf

(注4)(86)脱原発を求めて。(16)ドイツの脱原発を実現したZDFフィルム『原発政策の間違い』(日本語字幕付)参照
http://d.hatena.ne.jp/msehi/20120428/1335645334

(注5)BADEN-WÜRTTEMBERG Das Experiment
http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-84430180.html

(注6)「ドイツ緑の党の苦悩」井関正久PDF参照
http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_1_Izeki.pdf