(188)地域分散型自給社会が創る理想世界への道5・・官僚絶対主義を革命的に変える3つの方法


国会での松野頼久議員の動物愛護改正法案についての質問

日本社会が官僚絶対主義であることは前回のドイツとの比較からも明らかであるが、官僚自身も日本が官僚絶対主義であることを使命としていることは、故厚生省検疫課長宮本政於の書いた『お役所の掟』(講談社)での宮本本人と局長の問答を読めば明らかだろう(28ページ)。

(局長)「国会なんてそんなもんさ。俺がお前みたいに初めからバカにした態度をとらないのは、程度の悪い議員でも、いちおう国民に選ばれた人たちだからだ。だから形だけでも尊敬の念を表すことにしている」
(宮本)「ところで、官僚の中から、権力一点集中の問題点を指摘するような人が出ても、いいのではないですか」
(局長)「君は世の中の見方が甘い。せっかく権力を手に入れた人間が、簡単に手放すような真似をすると思うか。政治家が努力して解決する問題なのだ」
(宮本)「でも、現状を見ていると政治家が自分たちを改革するのは不可能ですよ。選ばれる人も選ばれる人なら、選ぶ人も選ぶ人ですからね。しかし、局長の論理だといつまでたっても官僚絶対主義はかわりませんよ」
(局長)「それが日本なのさ。現実をよくわきまえて実状に即した行動をとる。この能力を持つことが官僚として大切なのだ。君はアメリカから帰ってきたばかりだから、書生っぽいことを言っているが、いつまでもそんなことを言っていると、官僚組織から放り出されるぞ。官僚組織の批判をすることは自分に唾を吐きかけるているも同然なのだ」

そしてこの本で、官僚の国会答弁での「努める」という言葉が「結果的に責任を取らないこと」を意味し、「配慮する」が「机の上に積んでおくこと」、「検討する」が「検討するだけで実際にはなにもしないこと」、「見守る」が「人にやらせて自分はなにもしないこと」、「お聞きする」が「聞くだけでなにもしないこと」を意味する舞台裏が暴露された。
しかし官僚たちは、その後現在に至るまで、相も変わらず粛々とそのような官僚用語で答弁している。
例えば最近私が視聴した2013年11月29日の松野頼久議員と環境省官僚との質疑問答を見れば、官僚絶対主義が理解できるだろう(注1)。
一見環境省の局長が挺身低頭で道化役を演じているようにも見えるが、官僚絶対主義を見せつけているのである。
この質疑応答は2012年8月28日に「生後56日を経過しない犬と猫を店で販売することを禁じる」という議員立法動物愛護管理法改正案が、衆参両院で全議員一致で成立したことに発している。
この改正理由は、現行の生後45日経過の販売が欧米に比較して余りにも短く、専門家から経過期間が短いと不安定になり、噛みついたりするなどの原因となっているとの指摘が強まったからだ。
しかしこの法改正には附則が付けられ、法案施行後3年間は従来の45日を継続し、施行後5年を目途に検討するとなっており、動物愛護者から玉虫色のザル法という批判を受けての質問であった。
動画を見てもらえばわかるように、環境省星野自然環境局長は松野議員の執拗な追及に対して、「施行後5年以内に検討していきたい」と、何度も、何度も、何度も、石原環境大臣も呆れるほど、同じ答弁を繰り返している。
誰もが、この道化のように小走りで、挺身低頭して同じ答弁を繰り返す有様を滑稽に思うだろうが、実際は“したたか”以外の何物でもなく、このような動物愛護法案の些細な改正さえ官僚絶対主義は許さないのだ。
もし星野局長が「3年後直ちに56日になるように図ります」と言えば、それは「お役所の掟」を破ることであり、明治の議会発足以来議会決定も天皇の勅令で自由自在にしてきた官僚絶対主義を議会決定に明け渡すことになることから、厳しい裁きを受けなければならない。
まさに官僚絶対主義の官僚支配の鉄の規律であり、選挙で民主党脱官僚主義を掲げて大勝利して鳩山政権を誕生させたにもかかわらず全く歯が立たず、官僚支配を打ち破ることは不可能にさえ見える。
しかしこのような官僚絶対主義の官僚支配による安倍政権が推し進める原発や戦争へ向けたベクトルは、最早支持されていない。
既に6割を超える民意は、脱原発、脱戦争に向けられている。
脱官僚を掲げた鳩山政権が全く歯が立たなかったのは全く戦略がなく、『“熱狂”はこうしてつくられた』見ればわかるように、すっかり懐柔された大メディアに余りにもナイーブであったからに他ならない。
どのように官僚絶対主義の壁が高くそびえていようとも、民意の結集で以下に述べる3つの方法を実現していけば、打ち破ることは決して困難ではない。

第一の方法は、現在の国民発案や国民審査が擬装されている審議会や第三者機関の委員(有識者)の選挙での選出である。
ドイツでは戦後長年、州、連邦の審議会などの委員は選挙での得票率で各政党推薦の委員が選出され、委員自身が競争でガラス張りにしようとすることから、日本のような問題は皆無と言える。
日本の場合これらの委員を官僚が選出することから、政策は全て官僚のシナリオで作られ、強固な官僚支配が築かれていると言っても過言ではない。
各省庁の人事や公務員人事を官僚自ら遂行するのは当然であるが、司法の独立を掲げる以上裁判官人事はドイツのように独立したものであるべきだ。
また会計監査や審査機関が官僚自身によって遂行されることは、多くの識者が指摘してきたように健全ではない。
これらに関与する委員は、国民によって選出されるべきである。
具体的にはドイツのように各政党には現時点でその能力が十分といえないことから、国民は国政選挙で各政党審査団体だけでなく、例えば市民オンブズマン日弁連、民間総合研究所などの立候補する団体を選ぶやり方で、現在の官僚絶対主義を崩すことは可能である。
すなわち市民オンブズマンが選挙で30パーセントの得票率であれば、原発最終処分場の50人審議会であれば15人を選出し、会計監査院の監査が現在のように職員が1000人必要であれば、300人を選出するやり方である。
そのようなやり方に変われば、政治がガラス張りに開かれるだけでなく、絶えず公正と理想を追求する革命的変化をもたらそう。

第二の方法は戦後のドイツのように官僚権限を下に委譲し、官僚一人一人に決裁権を与える事で、厳しく責任を問う官僚制度刷新の断行である。
それは官僚自身で断行することは不可能であり、断行に関与するのは第一で選出された委員たちであることは言うまでもない。
もちろん行政訴訟も住民の簡易な請求で審査がなされ、行政裁判がなされる場合行政側に全ての書類を行政裁判所に提出することが義務付けられなくてはならない。
そのような官僚制度の革命的刷新では、最早官僚政治は自らの組織利益や産業利益のために国民を支配するものではなく、国民への奉仕を最優先するものに変わらざろう得ない。
すなわち官僚一人一人の責任が問われることで、官僚自身がこれまでとは180度転換し、ドイツのように理想追及の推進者にもなり得よう。
そのような重責では、優秀な官僚が育成できないという考えもあろうが、本当に重要なのは国民利益と国民に奉仕する意思であり、医師と同様にエリートであれば誰でもなれることこそ問題なのである。

第三の方法は現在の民意を反映し難く、莫大な選挙費用がかかる小選挙区比例並立制の選挙制度を変えていくことである(注2)。

ドイツでは選挙用紙第一票に小選挙区立候補者の名前を書き、第二票に支持政党を書く小選挙区比例代表併用制が採られ、連邦議会議員定数598人の配分は第二票の票数で決められることから、民意の反映を最優先していると言えよう。
ドイツも299の少数選挙区制を採っているが、ある政党が第二票で40%の得票率があえば239人(598×0,4)の議席数が決められ、小選挙区で200人の当選があれば39名が比例名簿から順に決められる方式である(注3)。
このドイツの選挙制度に従い2012年の衆議院選挙を議席配分すれば、比例で27,6%を得た自由民主党は132議席であるが、小選挙区から105議席が超過議席となり237議席(実際は294議席)。
日本維新の会97議席(実際は54)、民主党76議席(57)、公明党57議席(31)、みんなの党42議席(18)、共産党29議席(8)、日本の未来の党27議席(9)、社民党11議席(2)、その他9議席(6)となり、現在の480議席が105超過議席を生じ585議席となる。
これが本来の民意であるが、105超過議席は異常であり、ドイツであればすぐさま改正されよう。
105超過議席の理由は、自由民主党小選挙区で43%の得票率を得たからであり、小選挙区では民主党政権の裏切りへの反動もあるが、選挙候補の選挙費用が多ければ多いほど有利となる仕組みにある。
それが、日本の議員は世界一高い年間報酬を得ても、選挙費用で吸い取られると言われる所以でもある。
ドイツでは比例名簿が党にとって欠かせない人物順に決められことから、政党支持選挙であり、議員はコール前首相のように小選挙区で落選しても、政党に欠かせなければ必ず当選できることから、政党での成績を上げる日頃活動こそが選出される鍵と言える。
実際ドイツでは、選挙規制する必要がないことから選挙期間もない。
ドイツから見れば、日本の選挙は莫大な選挙費用にもかかわらず民意も反映せず、殆どの候補の選挙カーでの絶叫は異常以外の何物でもない。


(注1)下のアドレスで11月29日審議中継が開かれ、松野頼久をクリックすれば動画が再生される。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=43290&media_type=wb


(注2)1993年までの日本の衆議院選挙では、一つの選挙区から複数人(概ね3人から5人)を選出する中選挙区制であったが、同一政党の同士討ちによる金権選挙横行への批判や、民意を反映する民主政治実現に向けた比例代表制への世界的な流れの中で、民間政治臨調は1993年4月の国会で小選挙区比例連用制を提唱した。この小選挙区比例連用制は全議席を比例得票率で配分し、超過議席も生じないことからより民主的とも言われた。しかし翌年1月に成立した小選挙区比例並立制では、300議席小選挙区と180議席は完全に独立しており、少数政党には極めて不利なものとなり、民意を反映しないばかりか、金権選挙をエスカレートさせたと言っても過言ではない。すなわち官僚に丸投げしてつくられた現在の選挙制度は、民間臨調の提唱とは180度異なるものと言えよう。

(注3)実際は第二票の比例配分が2011年の改正で連邦全体集計から州単位となったことから、超過議席が増加し2014年現在の連邦議会議員数は631名に増加している。すなわちある政党が州での得票数からの配分が6議席であるとしても、州の8選挙区で勝利すれば、2議席が超過議席となる。またドイツではナチズムの反省から少数政党乱立防止のため5%に満たない政党は得られないことから、政党の得票率による議席数よりも多くなる