(229)特別提言「ドイツから学ぶアベノミクスの間違いと処方箋」

総選挙を機にアベノミクスの信憑性が国内を二分し、アベノミクスの継続が問われている。
私自身は最初からアベノミクスが如何様であることを、「タイタニック日本のないことを願って」で連載して述べてきた。
実際日銀支配で年間80兆円ほどのお札刷り、国債購入を含めて市場に供給していることから、激的な円安が進んだ。
すなわち1ドル80円から120円ほどに50パーセント近くも円安が進んでいるにもかかわらず、輸出は伸びず、国内総生産GDPは今年に入り2期連続マイナスである。
しかも100兆円を超える景気対策がなされているにもかかわらず(財務省によれば、2013年度末の国債などの国の借金1024兆円は2014年度末には1143兆円達する)、益々沈む速度を速めている。
安倍首相は原発汚染(水)はコントロールされていると明言したときのように、「賃金が上がり、雇用が100万人改善されている」と明言するが、実質賃金は15か月連続マイナスを示し、100万人の非正規雇用が増えただけで、ワーキングプアは益々増大している。
その反面裕福層(純金融資産1億円以上)はこの2年間で2割以上も増加し、100万世帯を突破し、裕福層の資産総額も188兆円から241兆円に増大している(逆に全く貯蓄がない世帯が増大し31パーセントに達している)。
まさに1パーセントのためのアベノミクスであり、富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちると確約するトリクルダウンは全く見られないだけでなく、間接的に富める者が貧しい者から益々富を奪っているように見える。
しかもアベノミクスの生みの親と言われている浜田宏一(内閣参与、エール大学名誉教授)は11月18日の記者団インタビューに答えて、「実現可能なネズミ講システムだ。普通のネズミ講はどこかで終わって破綻するが、どこの政府でも次の納税者は必ずあらわれる」との発言を、ロイター通信が世界に報道したがネズミ講生みの親の言葉は実現可能との断言では同じである(WORLDの記事では文末に浜田宏一のネズミ講Ponzi scheme発言が載せられている)。
世間は偉い学者への信頼度は高いが、実際は新自由主義を代表するノベール賞受賞経済学者マイロン・ショルズとロバート・マトンは金融工学を生み出し、高度な方程式を用いて「危険な債券も安全な債券と高度な数式に基いて組み合わせればリスクはコントロールできる」とお墨付きを与え、サブプライム住宅債券を組み込んだ金融派生商品デリバティブ)が日本円に換算して世界で6000兆円も売られたが、結局サブプライム住宅ローンが破綻すべくして破綻すると、安全と担保された多くの金融派生商品も紙切れとなった。
そのような思いから、再度アベノミクスの間違いを検証することにした。

1、デフレ脱却の驚くべき間違い
日本経済の停滞はデフレが続くからであり、「お金ジャブジャブ刷って、インフレにすれば景気が戻って来る」という発想自体、三本目の矢が不毛なことから、既に間違いと思う人も少なくないだろう。
私自身は内需商品が日本の3分の1ほどに安いベルリンで暮らした経験から、デフレの原因は日本の内需産業が余りにも国際競争力がないからであると指摘してきた。
すなわち農業を含めた内需産業は、長年輸出産業の犠牲となって国際競争力のないまま放置され、国外的には高い関税で、そして国内的には天下り利権構造支配の複雑な流通機構で、創意工夫することなしに高コストのまま護られて来た。
しかしグローバル化が進展すると海外の安い商品が規制を潜り抜けて入って来るようになり、最早これまでの価格で売ることができなくなっているから、デフレ不況が継続されているのである。
そしてアベノミクス実施後は、公共料金の値上げ、円安での石油製品の値上げ、消費税値上げで、消費者が必死に家計を遣り繰りしているにもかかわらず、デフレ不況を抜け出そうとしていると豪語している。
しかし実際は国内生活関連商品の店は消費者節減で安売りせざるを得ず、落ち込みも死活問題である。
それとは対照的に海外からの安い商品や食品を扱う店は、円安も物ともせず活況を呈している。
それゆえ本質的に解決するには、余りにも国際競争力のない内需産業を改善することなしにデフレ脱却もない。
それなくしては、3本目の矢も机上の空論である。

2、TPP、法人税減税、地方創生も同じ穴の貉・・デフレ困窮の推進力
TPPのような有無を言わさない世界規模の例外規制なき自由貿易協定が結ばれれば、輸出産業は益々利益を拡大するとしても、農業を含めた内需産業は壊滅的となり、職場を失った多くの国民が犠牲になろう。
また2015年からあくまで減税実施を明言している法人税減税は(最終的には10%ほどの減税が目標とされている)、外部標準課税などの適正課税で捻出するとしている。
それは、現在法人税を支払うのが大部分輸出産業の大企業だけであることから、赤字の地域内需産業にも広く適正に課税することを意味する。
一見正当な課税に見えるが、要は輸出産業が更に利益が出るようにし、結果的に赤字の地域内需産業を潰すことに他ならない。
すなわちTPPにしても法人税減税も多国籍化した大企業のためのものであり(これらの大企業はアベノミクスの2年間で益々巨額の内部留保を増大し、今年は空前の利益を出しているにもかかわらず、ベクトルを益々海外現地生産に向けている)、アベノミクス自体が地方の内需産業を益々疲弊させていると言っても過言ではない。
それゆえに地方創生という免罪符が出てくるのであるが、政府の多国籍化した大企業利益最優先政策(新自由主義政策)自体が地方を疲弊させる最大の原因であることから、政府に有効な政策があるわけがない。
そのためかつての“ふるさと創生”の際のように地域丸投げで、実質的にはバラマキ以外の何者でもない。
もっともそれでは国民の批判が強いことから、地域の自主性で創生プランを求めているが、現在のような新自由主義政策の枠組のなかで本質的な地方創生プランなどある筈もなく、結局は線香花火のようなミニバブルで益々地方を疲弊させるだけでなく、日本列島改造論から始まった日本の負債を弾かせることになる。

したがってアベノミクスを一言で言えば、安倍首相という多国籍企業セールスマンによる、多国籍企業ための最優先政策と言っても過言でないだろう。
しかも生みの親とも言うべき浜田宏一の“実現可能なネズミ講システム”発言からすれば、これ以上継続すればドイツの有力誌FAZが述べるように、国民は2018年までに日本デフォルトを覚悟しなければならないだろう。

ドイツから学ぶ処方箋
既にブログでは断片的には述べており、詳しく書くことはこの冬の私の課題にして、ここでは題目と解説に留めたい。

1、エネルギー転換を通して地域内需産業再生
世界を変えるドイツのエネルギー転換で載せたZDFフィルムが描くように、ドイツの巨大電力企業の明日はないと結論するまでにドイツの再生エネルギーへのエネルギー転換は力強く進展している。そこでは最早「原発は安い、クリーン、安全」という新自由主義のキャッチフレーズは死語になっている。特筆すべきは再生エネルギーの転換が北ドイツの過疎地でも風力産業を興隆させ、1万ほどの製造部品が必要なことから地域の中小企業を活性化させている。しかも巨大電力企業子会社の世界最大規模のバイオマス発電企業が廃業に追い込まれたように、巨大規模の中央集中型技術よりも適正規模の地方分散型技術が圧倒的に有利であることである。日本の場合は再生可能エネルギーは不安定との理由で、地域でやっと始まった太陽光発電の流れを削いでいる。最初から太陽光発電風力発電は不安定なことはわかり切ったことであり、バイオマス発電などを組み合わせと不足分を天然ガス火力発電で補うことがドイツのように計画に設定されていなくてはならない。そのような配慮がされていないのは、福島原発事故後も原発推進の方向性を変えていないからに他ならない(原発が稼働すれば1基あたり24時間100万キロワットほどの電力が常に一定して産出されることから、多くの再生可能エネルギーで産出されたエネルギーが不要になるからであり、既に2015年の再稼働ラッシュを決めているという見方もできよう)。

2、責任ある政治システムを構築して新規国債ゼロ

既にブログで早くから述べているように、ドイツは戦前のハイパーインフレやナチズムの反省から、戦後権限を個々の官僚に委譲することで責任ある官僚制度に刷新した。しかも行政裁判では行政に全ての資料提出を義務付けていることから、官僚の責任が厳しく問われる制度へ大転換したと言えよう。したがって2010年の原発運転期間延長では、原発各部門の責任者が公共放送ZDFフィルムに自ら出演して危険性を訴えるだけでなく、反対を明言している。さらに憲法で禁じたナチズムや共産主義憲法改正で厳しく取り締まるだけでなく、新自由主義に対しても2008年の世界危機後に厳しい姿勢で取り組むようになり、憲法財政均衡主義に2009年の憲法改正で債務ブレーキ条項を決議し、2013年3月には2015年度から公債ゼロを宣言し、来年から公債ゼロが始まる。
戦後日本では国民代表の審議会で政策が発議されるようになったが、審議会委員を決める前に政策が官僚によって決められており、どのような過ちが起きようと責任の所在がなく、以前の無責任な大本営が継続されていると言えよう。したがってむしろ海外から日本デフォルトの危機が厳しく指摘されているにもかかわらず、金庫の大穴である利権構造には手を付けず、益々借金を肥大させている現実も無視して、2020年までの財政均衡実現を唱えているが、このままでは不可能なことは明らかである。
本気で財政均衡を実現する気があれば、新たな政権での3年以内の実現を公約すべきであり、現在の安倍首相にとっても2020年は政権にいない、遥かに遠い未来なのである。
日本がデフォルトを回避するためには、ドイツのように責任ある官僚制度に刷新することで金庫の大穴を解消する以外にはない。そのためには政治家が自らの痛みを断行するだけでなく、官僚の天下りをドイツのように名誉職(ボランティア)とする仕組みの構築が必要である。それでも予算が足りないと指摘するのは世の常であるが、必要な公共投資も寄付で賄い(例えばベルリンのノインケルン地区の大規模スーパ倒産の再開発でも裕福者の寄付で実現)やティアハイム(動物保護センター)の運営も殆ど寄付で賄われている。日本においても政治が創意工夫で新規国債ゼロと恒久的継続を実現すれば、たとえその時点で国の負債が1500兆円に達していても、日本デフォルトは回避されよう。

3、万人の幸せを最優先
戦後のドイツでは社会的市場経済という枠組みで“万人の幸せ”が追求され、世界一と言われるほどに市民の幸せを実現して来た。しかしその豊かさも新自由主義のハルツ法によって絡めとられ、多くの市民が困窮するほどに追い込まれていた。しかし福島原発後ドイツの代表企業シーメンス原発から完全撤退したように、メルケル政権も脱原発だけでなく、脱新自由主義で万人の幸せ最優先に転換しつつある。その証拠に少し前まで実質的に5ユーロほどと底なしに下がって行った時間給賃金が、来年1月1日からは8,5ユーロの法定最低時間給賃金が開始される。ドイツのように日本に較べ生活関連物価が安い国で、最低時間給賃金8、5ユーロ(1270円ほど)になれば、消費も自ずと活性化され、再び市民が世界一豊かになることは必至である。まさにこのような高い法定賃金制度は、賃金がボトム競争で下へ下へとスパイラルさせる新自由主義に対抗するものである。日本が本当に賃金上昇を実現する気があるならば、消費税増税の際法定最低時間給賃金を導入すれば国民の実質的賃金は確実に上がるのであるが、それを言い出さないのは賃金のボトム競争を容認しているからに他ならない。それは日本がもろ手を挙げて新自由主義を推進しているからであり、推進は益々多くの人たちの幸せを奪うものであり、ドイツのように万人の幸せが最優先されなくてはならない。

4、全ての教育の無償化と大学の地方分散化
ドイツは2005年から各州で大学授業料導入で競争原理導入が求められたが、州選挙で国民は教育の機会均等が損なわれるとして授業料導入を拒否し、再びドイツ全州で授業料が無料化され、幼稚園から大学及び職業教育が無償化された。そうしたドイツの教育は日本から見れば驚くべきものであるが、将来世代をドイツの未来を創る貴重な金の卵と考えているからに他ならない。
またドイツの戦後教育指針は競争よりも連帯であり、戦前のフンボルト大学のようなエリート大学をつくらないことであり、若い学者が末席の教授に昇格する場合他大学へ移ることが法律で定められていたことから優秀な学者が地方に分散し、大学予算も差別されなかったことから大学こそが必然的に地方の要となっている。
そうしたドイツのやり方を、日本は今危機にあるからこそ学ぶべきである。