(282)世界危機第20回『避難民危機討論6−5・シリア避難民の視点』・マザー・メルケル緊縮政策の滴り落ちる果実

2月28日のNHKスペシャル「難民大移動 危機と闘う日本人」では、ギリシャとヨルダンのシリア避難民の過酷な現実が伝わってきた。
同時にもしこの人たちを世界は見捨てるなら、いずれ観る側の世界にも過酷な現実が波及するだろうと思った。

今回のフィルムではシリア避難民でもあるフィラス・アル・ファバルが討論に参加し、避難民側の視点からその窮状を訴えている。
なぜこの寒い冬に命をかけてギリシャへ地中海を渡って来るかは、「全ての避難民は(ドイツの)国境が閉められる時が来ることを知っています・・・夏まで待っていたら、国境が閉められ、チャンスがなくなるからです」、そして最早シリアには生きる場がない避難民は、「もし地中海で溺れ死ぬとしても、失うものはないと言うと思います」と述べている。
司会者マイブリットのドイツが国境を閉めたらという問には、それでも避難民はお金目当ての運び屋を通して国境を越えて来るだろうと明言している。
そしてドイツが押し寄せる避難民を減らそうとするなら、トルコでの受入を支援することだと、経験を踏まえて推奨している。(それはまさにドイツ政府が今トルコとの折衝で取組んでいることでもある)。
またザクセン州の都市バウツエンにある避難民宿舎の期待を裏切る状況が語られ、故郷シリアへの帰国を望む人たちも少なくないと訴えている(特にザクセン州は前回も書いたように避難民排斥運動が激しく、宿舎不足や受入体制の不備も指摘されている。もっとも他の州ではバーデン・ヴュルテンベルク州のように歓迎する市民も多く、宿舎も完備されている州も決して少なくない)。

マザー・アンゲラ(メルケル)を支援しないリンケの理由

2015年シュピーゲル誌39号(9月19日)がマザー・アンゲラを特集したのは、姉妹党CSU党首(バイエルン州首相)や各地のCDU党員の激しい批判にもかかわらず、「私たちはそれができるのだ(避難民危機の克服)」、「救いの手を差し伸べないなら、私の祖国ではない」とマザー・テレサのように彼女の信念を貫いているからだった。
その後もマザー・アンゲラはどのように批判されようと避難民政策を邁進し、2015年のジルベスタ(大晦日)には公共放送で、国民への感謝と慈悲をマザー・テレサになりきって訴えていた。
しかしその日の深夜ケルン市で多くの女性が集団暴行され、暴行者に難民申請者(北アフリカ)が含まれていたことから、下図で見るように1月中旬の避難民政策に対するメルケル支持の世論調査では政権誕生以来最低の39%まで低下し、メルケルの辞職さえ囁かれていた。
しかしメルケル人気は不滅であり、2月19日の世論調査では47%まで回復してきている。


メルケル首相の避難民政策に対する支持率推移(2月19日世論調査、1月末、1月中旬)


それはメルケル世界金融危機後のドイツを、さらには原発稼働期間延長後選挙で負け続けたキリスト教民主同盟を救世主として導き、豊かなドイツを再生してきた絶大な信頼に基づいている。
しかしEU諸国では豊かなドイツの再生に対して批判的であることから、さらには右派の台頭もあってメルケル批判が炎上し、ドイツの孤立は日々増していることも事実である。
前回リンケの不寛容さを指摘したのは、その伏線でもある(もっとのこのフィルムでもわかるようにカーチャ・キーピングの誠実で真摯な姿勢に、新たな西欧社民思想を切り開いてもらいたい期待からも、メルケルへの寛容さが不可欠であり、メルケルから学んでもらいたい思いもあって敢えて指摘した理由である)。
リンケがメルケル支援しない理由は、下図のようにリンケ支持層の6割が避難民融和統合及び受入に反対していることもあるが(議会政党では最大)、前回彼女が激しく批判したギリシャ金融危機でのメルケルとショイブレ(蔵相)の緊縮政策であった。


避難民の融和統合に賛成(CDU支持層52%賛成、SPD54、リンケ40、緑の党60、FDP21、AFD3)
その際他のEU諸国も激しくドイツの緊縮政策を批判し、EU共同債による金融緩和を求めた(EU共同債はメルケルとショイブレが断固譲らなかったことから実現しなかったが、実質的に金融緩和政策が採られたことからドイツ以外の国家財政は厳しい)。
ショイブレが財政健全化の緊縮政策に転換したのは、フィンランドの巨大企業ノキアが2007年に72億ユーロ(当時の為替で1兆円)という創設以来の記録的利益を出したにもかかわらず、2008年ドイツの工場全てを賃金10分の1のルーマニアに移転した時からである。(当時私もドイツにいたが、ショイブレは演壇で激しくノキアに抗議すると同時に、カジノ資本主義を批判していた)。
またメルケルカジノ資本主義批判は2005年の首相就任以来絶えず主張していたが、世界が注目したのは2010年トロントでのG20でのフランスと共同で金融取引税(トービン税)導入を激しく求めた時からである。
同時にメルケルはその年の1月から「経済成長加速法(Wachstumsbeschleunigangsgesetz)」を実施し、増税なき財政健全化をスローガンに市民と中小企業の大幅減税で(現在の新自由主義推進国の競争原理強化と逆の政策で)、国民の消費増大を通して経済成長加速を実践してきた(詳しくは昨年書いた『ドイツから学ぶ希望ある未来』参照)。
実際そのような健全財政の緊縮政策が徐々に実を結び、2012年からは殆ど年間財政赤字がなくなり、2014年には89億ユーロの黒字に転じ、2015年からは新規国債発行ゼロ政策実施にもかかわらず、先日公表された2015年のドイツ財政は黒字幅が予想をはるかに上回り、194億ユーロにも達している。
日本のエコノミストたちは、それをシュレーダーの2000年から始めた新自由主義構造改革アジェンダ2010)の成果だと述べているが、とんでもない話で、実際はその逆である(そのようなことはサブプライムローンの際アメリカのエコノミストたちが、多数のノーベル賞受賞者を生み出した金融工学の理論で、安全な債権と組み合わせれば確率的に絶対安全と断言していたように、むしろその信憑性を疑うべきだと思うのだが)。
実際ドイツでは2008年、2009年の老舗企業の倒産は3万を超え、ドイツの年間財政赤字も2009年769億ユーロ、2010年1089億ユーロと肥大化していた。
そうしたドイツの財政赤字中でドイツ四大電力巨大企業は、原発のドル箱を持っていたこともあり、年間数百億ユーロの巨大収益を上げていたのである。
そのような巨大企業の絶好調とは対照的に、私が学んだ2007年から2010年頃のベルリンは、ボトム競争が下へ下へとスパイラルし、私の住居近くではあちこちでマイスターのパン屋が倒産するだけでなく、5ユーロを切る床屋(フリザー)まで出現し、不況のどん底であった。
現在では最早巨大四大電力企業も殆ど国の支援が望めないことから、未来に向けて生き残りをかけて自ら創意工夫を始め、実質の時給が5ユーロを切っていた弱者市民も昨年2015年から厳しい法の下で8,5ユーロ以上とされたことから消費も著しく向上し、税収も予想をはるかに超えて増大しているのである。
そして今その194億ユーロの黒字を避難民の受入に使うと、マザー・アンゲラ同様に、かつて苦みばした表情しか記憶にないショイブレ蔵相も微笑むのである。