ドイツから学ぼう(365)ドイツから学ぶ未来(8)令和が求めるもの・ガブリエル倫理トーク(13)遺伝子組み換え食品

5月6日投稿

 令和が求めるもの

 

長い間帯状疱疹で農作業を休んでいたが、自然は待ってくれないため急速に育ち始めた作物の草取りや土寄せ、そして稲の苗箱作りに追われている間に、あっという間に平成から令和に入っていた。
上の私の見た動画59を見れば一目瞭然のように、長年「美しい日本を掲げて来た安倍首相が、本来の平和を追求して来た平和憲法を改正して、徹底した平和主義のために国民が身を捧げるという美しい日本に他ならない。
安部首相は平和をどのように続けていくかの質問に対して、「しつかりと備えて、努力していかないといけない」と明言している。
その言葉はメディアを利用して多くの国民には優しく響いて来るが、私には恐ろしく感じられる。
何故なら徹底的平和主義の本質は、力によって平和をつくりだすことであり、明らかに平和憲法に違反する集団自衛権行使を国民世論無視で強行成立させたことから見れば、政令によって徹底的平和主義を貫徹する強い意志が感じられるからだ。
事実「令和」という元号は、今年2月末事務方によって十数案に絞られるなかで、安倍首相が「他にも検討しよう」言って万葉集の権威中西進氏に依頼し、3月25日ごろ追加元号「令和」が提出され、28日に「令和」を含む6つの元号原案を決め、4月1日に首相が「令和」に決定したと報道されている。
そして令和の由来は、万葉集の巻五にある「梅花(うめのはな)の歌32首 序文」からで、「時に初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫ず」より採ったそうであり、自ら決めた首相は「令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べている。
しかし万葉学者品田悦一東大教授は、万葉集が忠君愛国と切っても切れない関係で、戦前の軍国主義に利用されてきたことから警鐘をならしいる(朝日新聞4月16日32面)。
そのことからすれば、まさに「令和」は政令で徹底的平和主義のために、国民に身を捧げることを求める首相の「美しい国」である。
もっとも心から平和と世界の共存共栄を願って、『書経』の「百姓昭明、協和万邦」からつけられた昭和が、太平洋戦争を犯したことからすれば、こうした元号由来を国民が考える切っ掛けとなれば、塞翁が馬のように災い転じて福となすこともできるだろう。
すなわち平和憲法改憲だけでなく、福祉財源が益々縮減され、イージス基地に見られるように軍事財源だけが益々増大する「令和」という時代を、国民の自ら考える切っ掛けとなれば、近く問われる憲法改正も跳ね除け、平和の継続だけでなく、万人の幸せが求められる時代にすることも決して難しことではないだろう。

 

ガブリエル倫理トーク(13)遺伝子組み換え食品

 

ガブリエルの「既に神学的に議論されたとき、大地は人に意のままにされるべき古い契約があると言えるでしょう」という言葉は、バチカンのマルティー大司教が「遺伝子組み換え食品は、バチカンの大きな懸念である世界の飢餓を軽減できる可能性がある」と訴え、ヨーロッパ中で大議論となったことを受けている。
ガブリエルの視点に立てば、人類の歩みとは大地を意のままにしてきた歴史であり、遺伝子操作の利用は遅かれ早かれ免れないと考えており、恐るべき被害を受けないために科学的追及と同時に倫理的追及、そして厳しく管理していかなくてはならないという主張が聞こえて来る。
具体的な遺伝子組み換え食品には触れられていないが、既に世界では(アメリカやブラジルなど)、トウモロコシ、大豆、菜種、綿などの生産の大部分は除草剤耐性や害虫耐性の遺伝子組み換え作物となっており、日本では大豆の自給率7%を除き3品種の自給率はゼロであり、輸入される9割が遺伝子組み換え作物であると報告されている。
確かに日本では試験栽培以外に露地栽培されておらず、豆腐などでは使用されていない表示がなされている。
しかし日本では遺伝子組み換えの飼料を使用していないものはないと言ってもよく、菜種油、味噌、醤油などの加工食品でも家庭に行き渡って来ており、既に誰もが遺伝子組み換え食品に取り込まれていると言っても過言ではない。
市民運動の強いドイツでは当然のことながら遺伝子組み換え食品に対する反対の声は強く、牛乳や乳製品にも飼料として遺伝子組み換え飼料を使用していない表示も当たり前となっている(下に載せたドイツの遺伝子組み換え作物に対するバイエルン放送の動画参照)
こうした遺伝子組み換え食品はたんに風評被害ではなく、世界の各地から健康によくない、環境を破壊するという事例や声が益々拡がって来ており、それにもかかわらず世界の遺伝子組み換え作物は増大している。
その理由は競争原理が最優先されるからであり、それを達成するために作物栽培では除草と害虫駆除が最大の問題であり、とくに大規模大量生産では除草剤耐性、害虫耐性の品種を生み出すことが求められるからである。
しかし除草剤の健康被害さえ頻繁に起きているなかで、雑草が枯れても枯れない、害虫が死ぬような作物自体、人間の体に影響がないという方がおかしいのではないだろうか?
事実フランスなどの除草剤耐性トウモロコシの試験研究では、腫瘍発生や肝臓や腎臓障害を報告しており、疫学的証明は難しいとしても、大きなリスクのあることは否定できない。
また抗生物質が細菌との戦いであるように、除草剤に打ち勝つ雑草や害虫耐性種に打ち勝つ害虫は既に生じてきており、鼬ごっこはさけられず、結局除草剤や農薬の使用量が年々増えて行くことになる。
また現在は日本では露地栽培はされていないが、栽培されるようになれば交配による遺伝子汚染は避けられず、従来の品種が駆逐されて行きかねず、長い年月によって形成された多様性も失われる。
単一種になって行けば、病気の拡がりによって世界飢饉を招く確率も飛躍的に高まるだろう。
またゲノム編集を通して人への応用も始まっており、現在までのところ難病治療のためにしか応用されていないが、最早遺伝子操作技術はデザインナー・チルドレンを作れるまでに達しており、その危険性は計り知れない。
すなわち現在の世界は核戦争危機や地球温暖化危機が迫っているだけでなく、遺伝子組み換えやゲノム編集に見るように、あらゆる分野で人類の危機が迫っている。
そのような人類の危機を、これまでのように競争原理に任せて行けば、人類は滅びるしかないだろう。