(367)ドイツから学ぶ未来(10)何故農的暮らしに拘るのか・ワイマール共和国(官僚支配)からドイツ連邦共和国(官僚奉仕)への民主的革命(2)

ワイマール共和国(官僚支配)からドイツ連邦共和国(官僚奉仕)への民主的革命(2)

 前回ドイツ帝国からワイマール共和国への革命においても、当初から官僚支配は継続されていたことを述べた。
それは林健太郎の名著『ワイマール共和国ーヒトラーを出現させたもの』(中公新書27)では、「政党が国民的機能を果たさなかったとき、官僚と軍隊がこの国の最大の実力者になったのは当然であった。・・・」と分析されている。
今回のフィルムではごく僅かな人たちだけが享受できたものと断って、危機を脱した1920年代初期のワイマール時代がいかに自由であったかを象徴する映像から始まる。
それは、「虚構と未来への期待が現存を加速し、同時に幻覚から目覚めていた」、「夢想家がほっつき歩き、当時は素晴らしい時代であり、敗れた戦争の余波は最早感じられなかった」、「多くの女性は自己認識、自己決定で、益々自由に生きていた」と語られている。
しかし大部分の国民は飢えを脱しただけで、そのように自由を謳歌できる暮らしとは程遠く、政治の腐敗と並行するように門閥主義が横行し、職人の子は職人、インテリの子はインテリ、企業家の子は企業家であることが暗黙的に決められた階級社会であり、そうした共和国の自由で一握りの人たちだけが益々裕福になっていく時代であった。
そして危機を脱したのは、ワイマール時代が労働者や兵士の革命から始まったにもかかわらず、穏健な理想主義者エーベルトの下で、政治がドイツ帝国を見限った官僚に丸投げされ、再び成果を上げ始めたからである。
そのような変化は、当時のヨーロッパ世界が益々帝国主義強化を求めており、ドイツの近代産業が大戦後も余力を残し、富国強兵、殖産興業を推し進めたからに他ならない。
しかし繊維機械などが行渡ると、鉄工業なども過剰生産に陥り、増大した過剰資本は株式などに投棄され、肥大化によってウォール街金融恐慌が生じ、フィルムでも語られているようにドイツの7万社の企業が倒産し、数百万人が失業し、「国民の大部分が差し迫った非常事態に陥れられた」のであった。
そうしたなかで急激に国民の支持を得て行ったのがヒトラーの率いるナチズム(国家社会主義)であり、ワイマール共和国政府の無能さを非難し、なにも決められない民主主義を葬っていった。

官僚支配こそホロコーストの首謀者

ヒトラー独裁政権が誕生したのは、国民の大部分が暮らしに困窮するなかで、ヒトラーナチス党が説く25か条綱領が腐敗と門閥を自由に容認する社会から冷遇されている人たちに、正義感、愛国心、未来への希望を巧みに訴え、熱狂的に支持されて行ったからである。
すなわち第11条で労働によらず、努力のない所得の廃止、第12条で企業の国有化を要求し、第14条での大企業利益の国民への分配、第16条での百貨店などの即時市町村有化、第20条での勤勉なすべてのドイツ人に国庫負担での教育を保証などを掲げ、富の平等な分配と公正さを求める国民を熱狂的に取込んで行った。
そしてドイツの官僚に対してはその優秀さを讃え、国家が平等に分配できる富を得るために、これまでの官僚支配で推し進めてきた帝国主義を強化し、第3条で海外進出による領土拡大を求め、雇兵を廃止と国民軍編成を要求している。
さらに第23条では、新聞のメディア支配を打ち出し、最後の25条では、ナチス政治的中央議会の無制限の権威を掲げ、ナチズム独裁国家建設を誓約している。
そして実際ナチスが政権をとってからは、ナチス政府は官僚に丸投げであり、議会制約もないことからも、ワイマール共和国以上に官僚支配が強化されたと言えよう。
しかし官僚支配の実態は支配と言う言葉とは裏腹に、官僚一人一人に黒子のように滅私奉公を強いるといったものであった。
そのような実態は、600万人とも言われるユダヤ人を強制収容所輸送し、絶滅させたホロコースト最高責任者だったアドルフ・アイヒマン保安警察ユダヤ人課課長)の行為の全貌が、61年の裁判で世界に明らかにされたが、冷徹強肩なヒトラーようなものではなく、単に職務命令(政令)に忠実に従わざるを得ない小市民像しか浮かび上がらなかったことからも明らかである。
その裁判を傍聴したハンナ・アーレントは『エルサレムアイヒマン・悪の陳腐さについての報告』で書いており、「アイヒマンは、怪物的な悪の権化では決してなく、思考の欠如した官僚でした。・・・」と指摘し、彼の行為を悪の凡庸と名付けている。
実際のアイヒマンは今でもZDFドキュメンタリーフィルムで見られ(注1)、「私は自分仕事を鉄のように固い意志でやり遂げただけです。だがそのあまりの悲惨さに心が痛み、配属先を変えてほしいと上司に何度も懇願しました」、そして裁最終証言の「私にとって不幸でした。あのような残虐な行為の遂行は本意ではありません。収容所の指揮を任せられたら断ることはできません。そこでユダヤ人殺害を命令されたら実行するしかありません」という言葉からは、小心な政令に従う市民像しか浮かび上がってこない。

(注1)

https://www.youtube.com/watch?v=3fOM_C5O0h8&t=12s


それでは600万人のユダヤ人を絶滅させた首謀者は、誰なのであろうか?
ナチス25条綱領では、第4条でユダヤ人は国家公民でないと断言し、第5条で(ユダヤ人は)外国人関係法規を適用しなければならないとしているが、絶滅計画など全く眼中になかった。
しかしユダヤ人排斥運動がエスカレートしてくると、収容所隔離となり、収容ユダヤ人が莫大な数となり溢れてくると、必然的に絶滅計画へと発展したのが真相とされいる。
すなわち1942年のアイヒマンも含めて15人の各省庁担当官僚によるヴァンゼー会議で決められており、最後まで生き抜いた者は適切な処置がなされなくてはならないという政令である。
この政令は敗戦直前に、上官ヒムラーからアイヒマンに中止命令が出されているが、いったん動き出した政令は止められない仕組みが出来上がっていた。
何故なら絶滅計画は表向きは会議で決まっているが、政令はいつも会議決定前に根回しを通して、下からの要請の積重ねで暗黙的に決まっているのであり、膨れ上がったユダヤ人の適切な処置が絶滅計画となるのは、物資不足のなかで必然的な決定と言えよう。
もし絶滅計画が中止され、物資不足の理由からユダヤ人が解放されれば、それを運営していた組織が解体され、関与していた人たちが放り出されるからでもあり、官僚組織は絶えず肥大するように、そして縮小できないように作られているから中止できないのである。
しかも中止すれば責任が問われことから、無謬神話で突き進むしかないのである。
それは現在の日本でもしばしば見られることであり、脱ダム政策を公約して勝利した鳩山民主政権が2009年政治主導で八ッ場ダム建設中止宣言を出しても、政令によって守られていたように、いったん動きだしたものは止める手段がないのである。
そうした止められない計画で現在は溢れており、多くの専門家が誤まりを指摘しても止まらない高速増殖炉計画や核燃料サイクル計画だけでなく、財源に窮乏する時代になっても高速道路計画なども止まらない。。
話をホロコーストに戻せば、下からの要請の積重ねの中で組織肥大していく官僚支配という構造こそが、ホロコーストの首謀者と言えるだろう。

 

何故農的暮らしに拘るのか

5月の終わりに植えた稲の苗は除草機をかけたことで勢いを増し、数日前からは下の写真のように最終の除草機かけと株間の草取を始めている。
その間玉ねぎやにんにくの収穫も終わり、毎日食べているだけでなく、レタス、人参、ジャガイモ、キャベツなども自家製で十分間に合っている。
こうした農との付き合いは既に40年を超えて続いており、映画も最近見なくなったことから、私の人生で続いている唯一のものと言えるだろう。
続いている理由は、単純にやりたいと思うからである。
やりたいと思うのは気持ちがよく健康が保てるからであり、その上収穫の喜びは格別であるからだ。
確かに農的暮らしが継続されてきたのは、やりたいと思うからであるが、最近娘と暮らし始めてもっと深い根があること知った。
娘は現在大学で社会学者マリア・ミースのサブシステンス(生命維持や生存のための喜びある暮らしや活動)を研究しているが、そのサブシステンスはグローバル化の急激な浸食で、日本だけでなく世界のあらゆる地域で失われようとしている。
そして娘から学ぶミースの思想は、競争原理最優先で分断と崩壊の危機にある現代を自然や生命中心のサブシステンスへ転換し、平和で支配のない新たな文明構築を目指している。
そのミースの思想から私の農的暮らしを見れば、まさに現代が失った生きる喜びのあるサブシステンスな暮らしであり、活動である。
しかもそれは、私がブログでこれまで希求して来た、分散型自然エネルギーによる地産地消の自立した地域中心の世界に他ならない。
それ故に私の農的暮らしは、食の自給や脱石油だけでなく、電力オフグリッドもできる実践でなくてはならず、現代社会のお金に縛られた生き方を自ら変えるものでなくてはならないと思うのである。

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勢いづいた苗の草取

 

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庭の自給野菜

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収獲した玉葱やニンニク

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電気柵の中の穀物