(369)ドイツから学ぶ未来(12)ワイマール共和国(官僚支配)からドイツ連邦共和国(官僚奉仕)への民主的革命(4)国家は国民のために仕えなくてはならない

国家は国民のために仕えなくてはならない 

前回『基本法70周年・世界の最上の憲法であり得るか』(ZDF6月6日放送)を次回から載せると言ったが、このフィルムを字幕を訳しながら詳しく見て行くと、70年後の今、いかに基本法がドイツの国民に愛され、素晴らしいものであるは素晴らしく描かれていたが、基本法の成立過程、意図、そして目的という点では簡略化され、最初に見てもらうには相応しくないように思われた。
そのため基本法を描いた動画を探して見たところ、ZDFが基本法60周年の2009年に制作した『最上の憲法、60周年基本法』が見つかり、趣旨に相応しく思われたことから、まずこれから載せることにした(但しドイツ語字幕が自動なため、字幕を付けることには苦労しているが)。
何故今基本法を載せたいかと言えば、今回参議院議員選挙では2020年の憲法改正が問われており、現在は9条に自衛隊を明記するだけと言われているが、その向こうに恐ろしい日本の将来、世界の将来が危惧されるからである。
実際ネットで拡がっている憲法改正動画を見ると、それは単に憶測や風評でなく、第一次安部内閣法務大臣長勢 甚遠は「国民主権基本的人権、平和主義、この三つをなくさなければ自主憲法でない」と明言している。

https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8

またこの後防衛大臣となる稲田 朋美は「国防軍創設の憲法草案を提出しました」と述べており、第二次安倍内閣の新藤 義孝総務大臣に至っては、「尖閣を軍事利用しましょうよ。北方領土を取戻しましょうよ」と明言しており、まるで戦前の大本営にタイムスリップしたのではないかと驚かせる。
すなわちドイツ帝国主義を模倣して強国を目指す大本営では、力による領土拡大こそが推進力であり、お国のために身を捧げることが求められ、国民主権基本的人権などを口にすれば非国民として憲兵に引っ張られ、お国のために身を捧げて戦うことが正義とされる時代であった。
それが上のZDF『最上の憲法、60周年基本法』では、ヘレンキムゼーでの憲法草案の1条で「国家は国民(人間)のためにあるのであって、国民は国家のためにあるのではない(Der Staat ist um des Menschen willen da, nicht der Mensch um des Staates willen.)」と明言から始まっている。
それ故草案をたたき台とした議会評議会の決議した第1条では「人間の尊厳は不可侵である」から始まり、第2条の人格と人身の自由、第3条の法の前での全ての人の平等、第4条の信仰、良心、告白の自由、第5条の表現の自由、第6条の婚姻、家族、非嫡子の国の保護義務、第7学校制度、第8集会の自由、第9結社の自由、第10通信の秘密、第11移動の自由、・・・第16迫害されている者の庇護権、・・第20抵抗権に至る20項目の基本原則は不可侵であり、民主主義の議会も改正できないのである。
何故ならナチズムは民主主義のルールに基づいてこれらの基本原則を支配し、独裁政権を誕生させ、600万人ものユダヤ人を抹殺したからである。
そこではドイツ国民も加害者であり、国民の多くが戦場と瓦礫の中で困窮の末亡くなったことでは被害者であり、そのような過ちを二度とを犯してはならないという必死の思いが、ヘレンキムゼーの草案には感じられる。
確かにドイツの憲法創設も西側占領国の指令によって着手され、1948年6月ロンドン会議で戦後のドイツを「連邦制の統治構造」にすることをを決議した。
これに対して東側占領国ソ連及び東側8か国外相会議がロンドン決議に反対し、東西対立が深まったことから、西側占領国から早急の憲法制定が求められ、9月1日からボーンで憲法会議を開催することが強いられたのであった。
それゆえドイツの政治家は、西側の指令に従って一方的に州連合といった形態でドイツの憲法が制定されることを拒み、ドイツ人自らの手で憲法草案を作成するために各州議会から代表がヘレンキムゼーに集まり、自らの憲法草案を作成したのであった。
そこには、西側のかつての中央集権の強いドイツを許さない民主主義といった他力本願の憲法ではなく、二度と過ちを許さず国家が国民のために仕える必死の思いが、このフィルムからも感じられる。
それは、ナチズムの独裁によって人間の尊厳が奪われただけでなく、人間としての基本権が議会を通して合法的に奪われて行った反省からであり、党派を越えてそれを二度と許してはならないという思いに他ならない。
そして今年70周年を迎えた基本法は益々国民に愛されており、ZDFの世論調査で「基本法はこの70年で真価を発揮してきたか?」の質問で、81%の市民が「イエス」と答えている。
そして『基本法70周年・世界の最上の憲法であり得るか』(ZDF6月6日放送)では、登場する市民の誰もが基本法を評価し、世界最高の憲法と言わせるまでに基本法への愛が滲みだして来ている。
このようにドイツ国民に愛される基本法に較べ、日本の憲法は国民の誰もが愛するとは言えない。
しかしその原因は基本法と較べて劣り、改正を必要とするものなのだろうか?
私自身は決してそうではないと思っており、日本の憲法も占領軍アメリカの要請で創られた状況はドイツと同じであり、二度と過ちを赦してはならないという作成者たちの思いは決してドイツに負けていないと思う。
次回はそのような視点で、何故今憲法改正が求められるのか、そして私が最上と思う憲法に、何が欠けているのか(それは9条だけでなく、競争原理最優先によってあらゆるところで憲法違反を野晒にしている司法であり、政府であり、社会であることは明白であるが)、さらにドイツの基本法を学ぶなかで考えて見たい。