(373)メルケル時代の終りから見えてくる世界(2)・違憲審査法廷創設の必要な理由(2)憲法を守ることで見えて来る希望ある未来(前編)

人間メルケル(2)氷の女王からマザーテレサへ変身したのか?

メルケルが氷の女王とか鉄の女と言われる切欠は、このフィルムでも次回描かれるが、彼女の育て親であるヘルムート・コールの不正献金疑惑の際コールの功罪を、正直に全国紙に公表した時から始まっている。
公表した理由はその際彼女がCDUの書記局長であり、国民の信頼を裏切ったことで党の存続危機にまで不信感が高まったからである。
公表ではドイツの父とまで言われたコールの功績もしっかり述べているが、不正献金疑惑にはついては一切かばうようなこともなく、厳しく批判したからである。
このようなメルケルへの批判は、彼女の統率力でCDUが2005年に政権に返り咲くことで一旦は消えていた。
しかし前回も述べた2010年の「経済成長加速法」では、低所得者や中小企業の大型減税を断行し、大企業や富める人たちには一切支援せず、富の再配分で財政健全化に取り組んだことで、党内からも批判が再び高まって行った。
そのようにメルケルが競争原理最優先の新自由主義の流れに立ち向かったのは、育ての親コールを不正に巻き込み、究極的にドイツを害すると察知したからに他ならない。
すなわちメルケルは、新自由主義ロビイスト政治支配を克服しようとしたのである。
それが鮮明になったのは2011年の脱原発宣言であり、国民の圧倒的多数の脱原発世論を創り上げることによって、ロビイスト支配の議員が党派内で過半数を占めるなかで、有無を言わせない強行突破であった(CDUの新自由主義ロビイスト支配は、御用組合化した労働組合をパイプとした社会民主党SPDほど酷くはないとしても、以前ブログ79で述べたヴルフ大統領失脚に見られるように強固であった)。
それ故に、2011年以降の新自由主義陣営のメルケール攻撃は激しさを増し、ドイツの代表的新自由主義の週刊誌「フォーカス」は、2013年5月の20号で「メルケル東ドイツDDRでの過去」というタイトルで特集を組み、あたかもメルケルDDRに洗脳されているかのような印象を与えている。
またギリシャ財政危機では、メルケルのあくまでも自助努力を求める財政緊縮政策に対して「氷の女王」とか「鉄の女」と呼び捨てに攻撃し、引きずり降ろそうとしたのである(実際は困窮するギリシャ市民を救済するため、内外の激しい批判にもかかわらず、ギリシャ財政支援を継続している)。
しかしドイツの国民は、世界金融危機以降メルケルの救いを求める人たちを助けたいという思いを徐々に理解し、政治情勢を無視するかのようなシリア避難民の全面的的救済も少なくとも2015年末までは支持していた。
それゆえ2015年9月の「シュピーゲル誌」39号が、メルケルを「マザーアンゲラ」と讃えたが、それは氷の女王からマザーテレサへの変身ではなく、寧ろメルケルの本来の姿、信条と見るべきであろう。
だからこそフィルムで見る記者会見で、「私たちはできる(避難民を救済することができる)」とか、「救いの手を差し伸べないなら、私の祖国でない」という強い言葉が出て来るのである。


違憲審査法廷創設の必要な理由(2)憲法を守ることで見えて来る希望ある未来(前編)

現在の日本社会は確かにモノが溢れ享受されているが、私のこれまでの70年の人生からしても現在ほど生きにくい社会はなく、益々それは将来に向けて加速しているように思われる。
実際現在の社会では、働いても働いても豊かになれないワーキングプアが1400万世帯を超えており、子供たちの貧困も6人に1人が相対貧困に陥り、学ぶ機会だけでなく、子供たちの未来が奪われている。
その上高齢化社会に突入し、「歳をとることは罪なのか」と言われるほどに、死に場所さえままならない老人漂流社会が現実化している。
まさにこれは、憲法25条の「すべての国民は、健康で文化的最低限度の生活を営なむ権利を有する」に明らかに違反している(行政は裕福者に利する現在の税制を90年代に戻せば、それを解消する十分な財源を確保できる筈)。
また先日のあいち企画展「表現の不自由展・その後」の中止は、憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保証する」に違反する(脅しに対しては重大な自由の侵害であることから、他の規約などを外し徹底捜査すべきであり、万全の警備強化で開催継続は可能な筈)。
このように違憲憲法9条の集団自衛権法案だけでなく、競争原理が最優先される社会では憲法のすべてに渡っており、それが益々生きにくい社会をつくり出していると言えるだろう。
しかもそのように無数の違憲が見られるにもかかわらず、違憲裁判自体が他国に比較して恐ろしいほど少なく、憲法誕生以来違憲判決は僅か21件で、目につく違憲は選挙での議員配分定数違憲や嫡外子の相続差別違憲であり、日本の司法は政府行政の行為に関与する事を避けていると言っても過言ではない。
これに対してドイツでは、市民からの違憲訴えも訴訟費用や面倒な手続なしに容易に憲法裁判所が受け付けており、毎年5000件前後の違憲訴えがある。
その違憲訴えを市民の側にあるオンブズマン審査官が調査し、正当なものであれば裁判が開かれ、その際政府行政は全ての記録及び資料を裁判所に提出しなくてはならない。
そのような仕組ゆえに、戦後憲法裁判所が誕生以来2008年までに違憲判決は600件を超えており、違憲判決が出れば法律であれば即時効力を失い、開発であれば即時中止がなされといった具合に、即時対処がなされて来たのである。
そのようなドイツは、ドイツ憲法基本法を国民の目線でしっかりと守って来たからこそ、競争(コンクレンツ)優先の新自由主義市場経済にも一定の規範を設け、連帯(ゾリダリテート)優先の社会的市場経済に戻し、あらゆる面で希望ある未来が見えて来ている。