(374)メルケル時代の終りから見えてくる世界(3)・違憲審査法廷創設の必要な理由(3)憲法を守ることで見えて来る希望ある未来(中編)

福島原発事故判決に日本の未来はない

9月19日の福島原発事故強制刑事起訴裁判での原告無罪は、誰も責任を取らない無責任と責任が問われない仕組をまざまざと見せつけた。
検察官役弁護士石田省三郎のネットや紙面での、「国の原子力行政をそんたくした判決だ」、「(原発は)絶対的な安全が求められていない」という怒りは、現憲法を守りたいと願う国民であれば、誰もが感じた筈である。
何故なら日本国憲法では、第32条で「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」としており、国民の生きる基本的権利や自由が奪われた時政治権力から独立した公平な司法救済を保証している。
今回の福島原発事故は、当時の政府が専門家達を通して検証したように人災であり、無数のフクシマの人々の生きる基本権利や自由が奪われているにもかかわらず、その責任が誰ひとり裁かれないとすれば、司法が機能していないからに他ならない。
確かに「疑わしきは罰せず」が一般刑事裁判の鉄則であり、被告旧経営陣3人は15.7メートルの報告に耳を傾け、津波対策に尽力していたとしても、原発事故が防げたかどうか定かでないことから、多くの専門家は無罪は当然の帰結と見ている(津波対策ができるまで止めていれば事故が起きなかったことも明らかであるにもかかわらず)。
すなわち判決の最後での、「3人は東電の取締役などの立場にあったが、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならない」という結論になるのであろう。
しかし政治ショウとしてイスラエルアイヒマン裁判を批判したハンナ・アーレントは、ユダヤ人の誰もが凶悪と見るアイヒマンの行為を政令に従っただけの陳腐な悪と世界に訴えたにもかかわらず、余りに大きな「人道に対する罪」であるゆえに、死刑(絞首)にされなければならないと述べている。
その後ホロコースト戦争犯罪のような大量殺戮の「人道に対する罪」は、2003年オランダに設立された国連の国際刑事裁判所で採択されており、原発事故は大量殺戮ではないとしても、一般刑事裁判とは異なり、「人道に対する罪」が問われなくてはならない。
何故なら原発津波予見報告の先送りによって、避難を含めて44人が亡くなり、現在も4万人を超える人たちが生きる基本権である住まいを奪われており、汚染水流出も未だに目途が立っていないからである。
さらに巨額な国民の血税がつぎ込まれなくてはならないだけでなく、チェルノブイリ原発事故20年後の報告からすれば、測り知れない被害は免れないからである。
しかも福島原発事故では、炉心爆発へと繋る可能性は高かった。
事実ドイツ政府は事故後すぐさま拡散放射能測定を開始し、炉心爆発の起きる可能性が高いと判断し、大震災5日後の16日には東京、横浜に住む約1000人のドイツ人に大阪や海外への避難勧告を出し、実際に避難を敢行している。
もし炉心爆発が起きていれば、無数の命が奪われるだけでなく、東京を含めて日本の半分近くが人の住めない場所となり、日本壊滅も決してあり得ないことではなかった。
そのような福島原発事故で、絶えず住民には二重、三重の安全が施されており絶対安全だと言い続け、大地震予測が高まるなかで津波予見報告先送りによって、起きた人災事故が司法で裁かれないとすれば、日本の未来はない。
何故なら私自身今も記憶に残っているが、95年の高速増殖炉もんじゅ」のナトリウム事故直後ドイツの公共放送ZDFは、他国への政治干渉というリスクを侵して、日本のような地震列島で50もの原発が稼働している危険性を痛烈に批判し、高速増殖炉爆発で日本壊滅の可能性もあったにもかかわらず大きなデモも起きないことに対して、「おとなしく従順な国民は、原発事故も運命だと諦めているのでしょう」と報道していたが、この予言は的中し福島原発事故が起きた。
それでも司法が裁かず、誰ひとり責任を取らないとすれば、原発事故を繰返すのは必至であるからだ。
日本の原発裁判は、1992年の伊方原発最高裁判決で「看過し難い過誤・欠落」のない限り行政庁の判断を尊重するという姿勢が示され、司法判断はこの「伊方方式」を踏襲していると言っても過言でない。
(2014年の大飯原発での福井地裁、2006年の志賀原発での金沢地裁、2003年の動燃・もんじゅ訴訟での名古屋高裁金沢支部判決では、裁判官の誠実さから司法が機能したが、これらの裁判も高裁及び最高裁では伊方方式採用で原告敗訴となっている。・・・『原発に挑んだ裁判官』参照)
対照的にドイツでは、連邦憲法裁判所が1978年カルカー高速増殖炉建設で「カルカー決定」を出し、基本権を侵す損害は許されないとして、徹底した危険排除とリスク予防を厳しく求め、行政があらゆる努力で危険排除とリスク予防を実施しているか、司法の積極的介入を求めている(そうした厳しい規範の下でドイツの高速増殖炉建設は推し進められたが、プルトニウム装着前の試運転で度重なる事故を起し中止へと追いやられた。ブログ26ブログ307参照)。
このような対照的な司法判断は、ドイツではナチズムによるホロコーストを招いた反省から、司法が積極的に政府、行政の行為を容易に介入判断できるようにしたからである。
すなわち市民のメモ用紙の殴り書きでも、行政訴訟の出訴として受理されることから、ドイツの年間の行政訴訟出訴数は日本の250倍を超えている。
すなわち日本の行政訴訟出訴数は年間2000件(勝訴率は約10パーセントで全面勝訴は数パーセント)ほどに対して、ドイツでは50万件(行政裁判所20万件、社会裁判所25万件、財政裁判所約7万件)を超え、勝訴率も約20パーセントと驚くほど高い。
しかも行政訴訟では訴訟費用が殆どかからず、政府行政の全ての資料が裁判所に提出されることから、平均6カ月ほどの短期間で判決されている。
それゆえ官僚は過誤なく市民に仕えなくてはならず、それが戦前の官僚支配から官僚奉仕への転換と呼ばれる理由である。
そのようなドイツは一時的に競争原理最優先の新自由主義の荒波に打たれ、市民の希望が失われることもあったが、司法の健全性が希望を蘇らせている。
すなわち原発及び化石燃料から自然エネルギーへのエネルギー転換、財政の健全化、先進的地球温暖化への取組など、希望ある未来像を世界に提示している。
それに対し日本は、利権死守の原発維持、石炭火力推進をあくまでも続けて行こうとしており、そのような政府行政に忖度する司法であれば、次の原発が起きる前にも滅び、日本の未来はない。

人間メルケルの脱ロビー支配からの覚悟 

上のフィルム『人間メルケル6-3』を見ればわかるように、メルケルは3歳の時西ドイツから東ドイツのテンプリンへ移住してきた。
それは司祭である父親が、自由で平等なプロテスタンスイズムの社会を求めたからであるが、社会主義が宗教に寛容でなかったことから、絶えず監視下に置かれていた。
それ故彼女は生涯を通して抱く二つの事、言動に注意すること、他の人より優れていることを学んでいる。
それはDDR末期に発揮され、父から受け継いだ信条を実現するためアカデミー研究機関を辞め、政治に参加する。
私が2007年から2010年までドイツで暮らしていた際、その当時のメルケルがメディアで話題になり、メルケルを知る人たちは彼女が緑の党へ入党すると思っていたという話を屡々聞いたものである。
しかし今から思えば彼女の信条を早期に実現するために、与党のキリスト教民主同盟CDU入党が彼女の選択であり、それが今回のフィルム終りのフランクフルター・アールゲマイン新聞でのコール決別宣言(注1)であったと推測される。
すなわちコールはドイツ繁栄の父であるが、ドイツ統合の際旧東ドイツ資産獲得を求めて到来した新自由主義の劇波に抗することができず、政府内に300人もの大企業代表を相談役として向かい入れ、政治家も退職後相談役として就任することが解禁されるだけでなく、日常茶飯事になり、政治のロビー支配を促進したと言えよう。
そうした状況のなかでコール裏金不正が発覚し、CDU自体が裏金不正の泥沼化で存亡の危機に晒されて行った。
メルケルはそうした機会を逃すことなく、新聞でコールの功罪を包み隠さず述べ、コール決別宣言を轟かした。
それはCDU再生宣言であると同時に、彼女のロビー支配決別宣言であったと推測される。

(注1)メルケル投稿した記事「ヘルムート・コールの認める事件は政党に苦痛を与える(Die von Helmut Kohl eingeräumten Vorgänge haben der Partei Schaden zugefügt)」は、ドイツ全土にセンセーショナルに轟き、これが実質的メルケル時代の幕開けとなった。詳しい記事は以下のアドレス参照。
http://germanhistorydocs.ghi-dc.org/pdf/deu/Chapter10_doc_7.pdf