(357)2019年新しい年のメルケル初頭挨拶が投げかけるもの


私にとっても2018年は様々なことがあったが、新たな年を志をより高くして、無事に迎えれたのは有難く、森羅万象に感謝す思いと、困難に打ち克つ願いで、写真に見るようにヤドリギを玄関に飾った。
ドイツではヤドリギを飾るのは珍しくなく、古代ケルト人が樹々に寄生するヤドリギを見て、困難に打ち克つ力を感じたことに由来している。
飾ったヤドリギは、薪作りの際樹に登る必要のないところに偶然見つけたものであり、ヤドリギ花言葉が克服、忍耐(、求愛)と定着していることから、私としては現在の危機克服を希求して、今年も忍耐強く歩みたいと願って飾ったのである。
そして私の新しい年は、今年もメルケルの新年挨拶を翻訳することから始まった。

メルケルは、昨年バイエルン州及びヘッセン州キリスト教民主同盟CDUの敗北を受けて、10月末引退声明を出したと言われているが、この新年挨拶からは明らかにそれが間違いであると、私には感じられた。
事実この挨拶でも、2005年に首相になってからの13年間は満足のいくものであったことを自負しており、最初反新自由主義を掲げた社会民主党SPDシュレーダー政権によって競争原理の坩堝とかし、恐怖のハルツ第四法によって市民の権利が根こそぎにされ、豊かな市民の八人に一人が相対貧困者に没落していたドイツを、現在の豊かさを取り戻しつつある社会へと導いたのは、ひとえにメルケルの尽力によるものだ確信する。
世界金融危機後の2010年には、まるで新自由主義を加速するような呼び名の「経済成長加速法」で、反新自由主義的な低所得者市民及び中小企業への240億ユーロにも上る大型減税を断行し、逆に大企業には支援なしに創意工夫の努力を呼びかけ、財政健全化を実現させていったのである。
それまでは私自身メルケルに対しサッチャー同様の悪いイメージであったが、この頃から一変し、2011年の見事なドイツの脱原発宣言、2015年には高い法定最低時間給賃金法実施、さらに同年与党内の激しい批判のなかでシリアからの100万人を超えるドイツへの避難民を政治生命を賭けて守り抜き、基本法の庇護権には上限はないと跳ね除け、「救いの手を差し伸べないなら、私の祖国ではない」との明言には、感動せざるを得なかった。
今回の挨拶では、気候変動の問題解決、避難民とテロを生み出さない平和世界構築に向けてイニシアティブが取れるようEUを創り上ていかなくてはならないという、メルケルの静かな闘志さえ感じられる。
その闘志ゆえに5期メルケル内閣はないと退路を断って、その目標達成に2021年までの目途をつけたと言えるだろう。
そしてメルケルドイツ国民、そして世界の私たちにそれを実現するために呼びかけたものは、公明正大、忍耐、尊敬の3つの価値に他ならない。
それはドイツがナチズムの過ちを犯した深い反省から、ドイツ憲法の最初に「人間の尊厳は不可侵である」と掲げる基本法を創り上げ、現在のドイツ市民に定着していると言えよう。
それは私の最近見た動画『Markus Gabriel in Japan(注1)』でも、ドイツの若き新実存主義創設哲学者マルクス・ガブリエルと人間型ロボットの世界的権威石黒浩論議を通して強く感じられたことであり、人間型ロボットがドイツを除いてフランスでもイタリアでもヨーロッパ中で絶賛されたのに、ドイツでは多くの人がヒューマノイドを拒絶し、理解できないと非難したことを石黒が問い正したのに対し、ガブリエルは即座に、ドイツは強制収容所での非人間化を犯したからであり、ヒューマノイドのような研究は人間性を壊すからだと明言していた。
そしてドイツ人は観念論で統一されているとも言い切った。
それは世界の永遠平和と真の民主主義を希求するカントの観念論であり、ホロコーストの過ちを通して蘇り、新自由主義に砕かれても不死鳥である。
それこそがメルケルが世界に呼びかける3つの価値、公明正大、忍耐、尊敬であり、新しい年がそれを通して人間を幸せにする経済を構築し、世界平和と真の民主主義を創り出す契機となることを切に願う。

(注1)https://www.youtube.com/watch?v=H9J19m4ey8g&t=2173s