(359)ドイツから学ぶ未来(2)市民エネルギー転換への道標・尊厳最優先のともに生きる社会(マルクス・ガブリエルの倫理トーク3偏見、4トランプ)

ドイツから学ぶ未来(2)市民エネルギー転換への道標

ここ鈴鹿山麓の冬も暦の上では大寒を過ぎ、春へ温かい陽射しへの期待が実感されるようになって来た。
ここでも雪は降るが殆ど積もることはなく、毎朝山の畑へ野菜の収穫に出かけれることは、今の自分にとって無上の喜びに感じられる。
そして来月の如月からは、再び大地との営みが始まる。
太陽に向けた希望の拡がりであり、体だけでなく心にもエネルギーが充足されて行くイメージが強い。
それは私にとって太陽が、太陽光や風力、そしてバイオマスであれ、現在のグローバル化がもたらしている危機救出のシンボルであるからだ。
それを教えてくれたのは、ドイツ市民のエネルギー転換であり、そのエネルギー転換を研究面で率いてきた第一人者であり、市民のエネルギー転換の啓蒙実践者でもあるウベ・レプリヒ教授の主張であり、ジャーナリストのフランク・ファランスキーが自ら製作した『エネルギー転換の時代に生きる』であり、巨大電力企業が経営危機に追い込まれるまで全くエネルギー転換に取組まないなかで、再生可能エネルギーを急増させて来たのはドイツ市民(900にも上るエネルギー協同組合等の)であった。
事実レプリヒ教授は、ドイツ公共放送ZDFのエネルギー転換を描いたフィルム『Wer für die Energiewende bezahlen muss・誰がエネルギー転換のために支払わなければならないか』で、専門家第一人者として登場し、「エネルギー転換の敗者は巨大電力企業になる」と明言し、フィルムの終わりも「地域で安く電力を製造する無数の小さな発電装置が益々巨大発電所を負い詰めて行く」というナレーションで終わっていた。
今回上に載せたファランスキーの『レプリヒ教授に聞くエネルギー転換の道標』でも、レプリヒは2014年の再生可能エネルギー法改正でエネルギー転換がブレーキがかけられたことを指摘した上で、「再びエネルギー転換の推進力を燃え上がらせないことは、むしろ信じられないことだ」と強調している。
それはまさに、どのように巨大電力側が政治家をロビー支配しても、最早その流れは止められないことを確信させるものである。
何故なら巨大電力企業が洋上風力発電やメガソラー基地で大量に電力を製造し、巨大電力網で国土の隅々まで送電しようとしても、地域の身の丈規模の分散技術で造る太陽光、風力、バイオマスの電力コストに比べ圧倒的に高く、どのような優遇策を持ってしても勝てないからである。
最もそれ故に、巨大電力側は政治家のロビー支配で市民が自ら電力を全く造れないよいように、法の改悪で画策しているのである。
このフィルムでもファランスキーが指摘しているように、本来市民の側でなくてはならない社会民主党SPD党首で経済相のガブリエルが、産業側のロビー活動に絡め取られており、国民にエネルギー転換促進と石炭火力発電廃止を約束しながら、実際は石炭火力発電維持に努め、エネルギー転換にブレーキをかけている。
そうした裏切り行為ゆえに、ファランスキーはインタビューで経済相ガブリエルを思わず罵ったのである。
まさにそこにこそ、現代の危機が潜んでいる。
すなわち格差や貧困の解消を目標に掲げ、本来市民の側に立たなければならない社会民主党が、格差と貧困を拡げる新自由主義の担い手にならない状況に、現在の世界が全体主義に向かう危機の本質がある。
それは前回のブログで述べたように、1998年の連邦選挙でコール政権での新自由主義の押し寄せる侵攻に、社会民主党が戦後の弱者救済を責務とした社会的市場経済を規制によって取戻すことを掲げて大勝利し、シュレーダー政権政権を誕生させた時から始まっている。
確かにシュレーダー政権は公約に従って、企業の自由なリストラを制限する解雇制限法の復活や病欠手当・年金減額法の廃止など労働者の権利を回復しただけでなく、脱原発環境税導入(エコロジー税制改革)などで新自由主義克服に積極的に取組んだことは事実である。
しかしそのような市民側への手厚い政策、そして世界一高い労働コストが、グローバル化で激しい国際競争にさらされるドイツ企業を存亡の危機へと陥らせ、必然的にシュレーダー政権を180度転換させて行ったといえるだろう。
すなわち産業側は企業の全面的国外移転という脅しによって、世界一強固といわれたドイツの労組を御用組合化し、その結果社会民主党はその労組を通して格差と貧困を拡げる新自由主義推進の担い手を演じざるを得ず、それは現在においても継続されており、ドイツのエネルギー転換にブレーキをかけるのである。
そうした表では格差と貧困の解消を訴え、裏では格差と貧困拡大の推進を演じている実体は、既に多くのドイツ市民は見抜いており、それ故に連邦選挙では選挙の度に得票を激減させ、このままでは解党さえもあり得ると言っても過言ではない。
こうしたドイツの悪しき状況のなかでも、ウベ・レプリヒの発言に見るように未来展望は決して暗くなく、むしろ障害を乗り越える意欲さえ感じられる。
それは2008年の世界金融危機で最大の被害を被ったドイツで、それ以降も産業のグローバル化が益々進行し、相も変わらず社会民主党のロビー支配が継続されているにもかかわららず、新自由主義をカジノキャピタリズムとか、キャラバンキャピタリズムとして批判する報道が増え、ドイツの未来、そして世界の未来に公正さを求める世論が高まっているからだ。
そして地域で再び市民による分散技術の無数の自然エネルギー発電が燃え上がり、それが地球の隅々にまで拡がって行くとき、それらの地域はエネルギー自立だけでなく殆どが地産地消を実現され、経済的コロニアリズムといわれる新自由主義グローバル化が克服されるだろう。
そこでは戦後のドイツがナチズムを生み出し、ホロコーストを犯した過ちが深く反省されたように、人間の尊厳を不可侵とする民主国家が創られ、自ずと世界各地の衝突が平和へと転換されよう。
さらにそのような国では、戦後も競争原理最優先の新自由主義経済、戦争、環境破壊を生み出してきた道具的理性が本質的に反省され、理性と自然が和解し、倫理を通して世界の永遠平和が希求されよう。
そのような社会は、人が生きる喜びや幸福、そして尊厳ある生き方が出来る社会であり、現在の分断された世界においても、そのような社会を実現しようと考えている人は、ドイツでは決して少なくない。
昨年来日し、若き天才哲学者として一世を風靡したマルクス・ガブリエルもその一人であり、下の倫理トークなどを通してそのような社会実現にアンガージュマンしているのだ。

マルクス・ガブリエルの倫理トーク(3)・偏見

人は子供たちに、先入観にとらわれず正直であれと教える。
しかし子供の正直さが障害者の振舞いを悪しきものと見なすとき、母である政治学者のクリスチャンはどのように対処すべきかをガブリエルに尋ねる。
ガブリエルは正直さをそのままにするのは良心を咎める行為であり、子供に「これらの障害者の人たちは大そう弱い人たちである」と説明理解を求め、「私たちが障害者の人たちと向かい合い、責任を果たす」ことだと教えている。
すなわちそれが共同体に生きる人間が、ともに生きるための規範であり、ガブリエルの主張する倫理なのである。

マルクス・ガブリエルの倫理トーク(4)・トランプについて

ガブリエルが来日した際2018年7月6日毎日新聞の「政治に倫理は大事なものでなくなった」の記事で、ガブリエルはその典型がトランプであり安倍政権であると明言し、その理由として「古い価値観を捨てなければラジカルな未来は開けないという絵空事のような言葉が、人々の倫理を鈍らせるのです。安倍政権は経済を安定させれば政権は揺るがないとわかっている。政権の中身がどうあれ、どれほどスキャンダルが続こうと、権威主義、強い男のイメージが備わっていればなんとなく支持されると。ただし、経済が傾けば、もともとイメージだけなので、崩れるときは早い」 と述べている。
今回の倫理トークでもガブリエルは、「トランプは心底から人々に語りかけているのではなく、操作するために人々の愚かさを利用している」と明言し、民主主義がデマゴーグに利用される危機を警鐘している。
そしてそのような危機の解決法として教育を挙げ、徹底した教育の機会平等を通して、教育による倫理啓蒙を推し進め、エリートを求めるトランプのようなデマゴーグを阻止して行かなくてはならないと訴えている。