(382)“救済なき世界”をそれでも生きる(4)・武漢封鎖が投げかけるカミュの「ペスト」到来

カミュの「ペスト」はアルジェリアの港町オラン封鎖から始まる小説であったが、今まさに、中国の大都会武漢封鎖で現実化している。
伝染病と地球温暖化の相関関係は公には証明されていないが、科学誌「ネイチャー」などでは、急激な温度上昇に平行して、激増していること早くから警鐘してきており、IPCC報告やそれを基にした環境省公表資料(下のアドレス参照)でもその因果関係を指摘している。
http://www.env.go.jp/earth/ondanka/pamph_infection/full.pdf
また実際にもエイズエボラ出血熱に見られように、以前は動物間でのウィルス感染がヒト感染へと変異し、それを感染する媒介動物の生息域も温暖化に伴い、急速に北上拡大していることも事実である。

上に載せた動画『パンデミックによる人類滅亡』は、2009年にABC放送が世界の権威ある専門家約50人の裏付けと出演で制作した『地球2100年』のラスト部分である。
それを見れば、地球温暖化での干ばつや洪水の激化、そして海面上昇の大都市水没は想像を絶するものとしても、人類滅亡に最終的とどめを刺すのは、伝染病蔓延と見抜いているのが理解できよう。
世界はそのような恐ろしい未来について、『地球2100年』が放映された2009年時点では敢えて眼を背けていたが、武漢封鎖の現実を直視すれば、危機を叫ぶグレタ世代に任せるだけでなく、市民自ら地球温暖化阻止に立ち上がらなくてはならないだろう。
さもなくば武漢封鎖は鎮静するとしても、何れ日本にも襲いかかり、21世紀半ばにもABC放送が描いたような新型ウイルスの感染症蔓延で、世界は機能不全となり、人類滅亡も有り得ないシナリオではない。
カミュの「ペスト」では、人々が封鎖された港町オランのペストで亡くなることだけでなく、死刑や戦争で殺されることも不条理として表現され、人々がそれを克服しようと一緒に行動する連帯に救いが求められていた。
今そうした不条理な世界に生きているとしても、地球市民全体が地球温暖化阻止で連帯して歩み始めることができれば、その連帯が一人一人の生きる尊厳を尊重する公正で開かれた民主主義へと導き、貧困や戦争のない世界連邦を誕生させることも可能である。

 

『金曜日デモの若者たち3-2』が映し出す、理想を希求する民主主義

 

 

今回の動画では、主人公3人の家族での議論が描かれ、その問題意識の高さは、私自身を含めて驚くものがある。
例えば、父親に会いたいと願いながらも飛行機には乗りたくないアンドレアスの家庭では、絶えず気候問題が議論され、義父の「私が全ての議論で自問するのは、CO2中立に生きることが、ここでの私たちの生活水準を保って、可能かどうかです」という言葉からは、その真剣さが覗える。
また、前回各地を講演巡業し、「未来のための金曜日」デモを啓蒙していたラグナは、現在ドルトムントで学び、地球温暖化の臨界点を学ぶため学者招くワークショップ企画に取組んでいる。
そこへ母親グドロンが訪れ、自分の未来が盗まれいると思う娘ラグナは、社会を変えれなかったのは両親を含めて大人世代の責任だと迫る。
母親はその責任を認めたうえで、自らの取組みを披露するとともに、何が今できるかを気遣う会話には、意識の高さと愛情が滲み出している。
そして地域の職業学校でビオガスエネルギーに取組むアンドレアスの場合は、彼の父親は絶えず真摯取組み、エネルギー節約を追求する息子を自慢に思いつつも、自ら建設した石油暖房装置への投資が家庭に大きな負担であったことから、息子の求める再生可能エネルギーに躊躇している。
それでも父親は、「後の世代のための自然が保持できるように、子供たちの未来を望んでいます」きっぱりと述べている。
そうした環境、社会、政治に対する意識の高さは、私のドイツで暮らした体験からも日本に較べ驚くものがあり、程度の差があるにしても、殆どの市民に共有されていると言っても過言ではない。
そこには、市民が社会に個人の尊厳、自由、公正さを希求しているからであり、市民一人一人が自ら希求しなければ再びナチズムを繰り返す反省の思いがある。
それこそは、ドイツの戦後の戦う民主主義であり、70数年行きつ戻りつの戦いであったが、着実に絶えず理想の実現へと歩みを続けている。
それが、ドイツでの「未来のための金曜日」デモに集う若者たちが140万にも上り、脱原発や脱石炭を宣言するだけでなく、パリ協定の着実な順守実現では不満が噴出し、さらなる早期の実現を求める原動力でもある。