(383)“救済なき世界”をそれでも生きる(5)・ドイツの140万金曜日デモを生み出しているもの

 

上のZDF37°『ドイツの金曜日デモの若者たち3-3』では、アビ試験終了後(大学入学資格)各地で「未来のための金曜日」活動拡大に取組む女子生徒レグナは、ザクセン・アンハルト州のある共同住宅に腰を落ち着け、当面一年、二年働きながら「未来のための金曜日」運動に専念する事を決め、これからの自らの選択を述べている。
またエクアドルで父との感無量の再会を果たしたザムエルは、「未来のための金曜日」デモの目標を実現するために、政治に積極的に参加することを決意し、ある政党に入党する。
また飽くまでも地域が幸せになることを使命感に持つ職業学校の生徒アンドレアスは、再生可能エネルギーへのエネルギー転換の一役を担い、地域強化のために政治や経済を考えようとしている。

 

140万にも達する生徒たちの金曜日デモを生み出すドイツの背景

上に登場した生徒たちは何れにしても、現在の奪われた未来という状況のなかで、希望を失うことなくデモに参加することで、寧ろ危機に立ち向かうことで生きがいを感じている。
未だに競争教育の真っただ中にあり、気候正義を求めるデモさえままならない日本から見れば、羨ましいほど自由に、伸び伸びと行動している。
しかも彼らの社会、世界を変える考えは、60年代末の世界的学生運動に見られるようなマルクス理論に導かれる革命志向は全くなく、気温上昇を1,5度以内に抑える気候正義を、倫理的戦う民主主義の啓発で実現しようとしている。
それを生徒たちに可能にしているのは、ドイツ社会が生徒たちの「未来のための金曜日」デモを支持する背景があるからであり、下に載せたドイツ全土の保護者アンケートでは二人に一人の保護者が、たとえ校則を破るデモであっても、気候正義を求める生徒たちの行動を容認していることからも明らかである。

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金曜日デモに対するドイツ保護者のアンケート調査

小学校46%、職業学校、実務学校などでは43%と支持率は半数を切っているが、大学進学のギムナジウム高校56%、統合高校54%で、平均50%の保護者が支持している(ドイツ学校ポータルサイトが新聞社ZEITの協力で行った調査)。

https://deutsches-schulportal.de/schule-im-umfeld/fridays-for-future-wie-eltern-zum-schulstreik-fuers-klima-stehen/



だからといって安易に参加しているわけではなく、校則に反してデモに参加する選択を真剣に自ら選択しており、危機の未来を実存的に生きようとしている。
もっともそのようなドイツの生徒たちも、2000年以降新自由主義の競争原理追求の荒波を受け、つい最近まで競争教育の重圧にさいなまれていたことも事実である。
すなわちこれまで小学校入学から高校卒業(アビトゥーア大学入学資格試験)までの学習期間が13年間から12年間に短縮され、履修内容が削減されないないことから、ターボアビとして多くのドイツの子供たちが過労や脅迫観念から、腹痛、疼痛、さらには精神的に病んでいる実態が、絶えず新聞記事やZDFなどの公共放送で扱われていた(例えばブログ223ドイツの新自由主義教育参照)。
https://msehi.hatenadiary.org/entry/20141030/1414659054
それが2008年の金融危機でドイツが最も大きな被害を受けたことから、ドイツ社会は競争原理を優先する新自由主義を、人間を不幸に導くものとして批判し始めた。
それはそれ以降のメディアの扱いを見れば一目瞭然であり、競争原理優先の資本主義をキャラバン資本主義、あるいはカジノ資本主義呼び、弱者に配慮したドイツの社会的市場経済の復興、あるいはドイツの戦う民主主義を担うかのように、激しく批判を開始した。
そうした流れは、特にシュレーダー政権以降競争原理を優先してきたドイツの教育政策を大きく変えた。
すなわち60年代初めから始まった「競争よりも連帯を優先する」教育の民主化を、復活する動きへと転じた。
具体的にはエリート育成を目標に、大学授業料の有償化、さらには大学独自の選抜試験を掲げ、2006年からバイエルン州を初めに全ての州で有償化に向けて動き出していたが、金融危機以降の州選挙で大学授業料有償化が問われ、全ての州で教育の無償化を求めたことから、2015年以降再びドイツの全ての大学は再び大学授業料の無料化が復活している。
ターボアビについても、12年にするか13年にするかは生徒の自主的判断ができる仕組に変化していることから、以前の「競争よりも連帯を優先する教育に戻りつつあると言えよう。
そうした社会背景を受けて、二人に一人の保護者や大部分の教師も「たとえ校則を破るものであっても、環境問題は重要である」として、金曜日デモの容認、もしくは支持している。
しかしそのような背景はあるはとしても、校則に違反して金曜日デモへの参加は生徒自らの決断である。
そのような決断を生徒に促しているものは、戦後のホロコースト反省から脈々と受け継がれて来た批判精神に他ならないだろう。
そのような批判精神がどのような状況に置かれても生き延びてきたのは、まさに私のブログで絶えず訴え続けて来たものであり、官僚支配から官僚奉仕への大転換に他ならない。