(388)“救済なき世界”をそれでも生きる(10)ドイツから学ぶコロナ以降の世界・シナリオ1.最悪の永続的世界危機の時代

ユーチューブで見れないため、デイリーモーションに転載

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日本、そして世界を出口なしの危機に陥れている新型コロナパンデミックは、世界では感染者が300万人にも達する勢いで増え続けており、日本でも爆発的増加が危惧されている。
万全の医療体制と早期の外出制限を取ったドイツでは、4月初めの新たな感染者数が1日当たり1万人近くに上っていたが、4月中旬には緩やかになって来ている。
しかしそれでも1日当たりの増加数は2000人前後もあり、感染者数は4月22日には15万人を超え、まだまだ増え続けている。
コロナ終息に対しても前回述べたように、日本のような希望的予測はなく、数年を要するという見解が一般的である。
数か月で治まるとしても、現在始まっているアフリカでの感染(現在2万人)や、その他の途上国の感染が収拾がつかない事態を招き、グローバル化が再開されれば、第二波、第三波の襲来は必至と危惧しているからである。
それ故ドイツのメディアは、これまでのグローバルな時代の終わりを指摘する記事も多くなって来ている。
例えば4月11日のシュピーゲル誌オンラインでは、「コロナ後の世界経済・・私たちの知るグローバル化の終わり」のタイトルで、従来のグローバル化が終焉することを指摘している(詳しくは下の注1参照)。
また4月13日の 公共ラジオ放送ドイチュランドフンクでは、「グローバル化の限界・・コロナ危機は世界経済をどのように変えるか」のタイトルで放送されていた(注2参照)。
それらはコロナ危機以降の世界経済を予見するもので、下に詳しく解説したように興味深いものであった。
しかしさらに私を引付けたのは、未来研究所(zukunftinstitute)が提言しているコロナ以降の4つのシナリオであった(注3)。
そのシナリオでは、縦軸に破滅的ネガティヴな未来から創造的ポジティブな未来を取り、横軸にはローカルな未来からグローバルな未来を取り、最悪の永続的危機世界のシナリオから危機を踏み台にした素晴らしい世界が描かれている。 
今回載せた第一のシナリオは、最悪の永続的世界シナリオであり、破滅的グローバルな未来であり、現在の世界の最も近い延長線上にある。
それが、上に載せた動画『コロナ以降のシナリオ1』である。
この動画とは別に、未来研究所がこのシナリオを解説しており、要約すれば以下のようになる。
コロナは終息しても、新たなウイルス恐怖から世界の国々は国益を優先して、国境の封鎖から資源防衛に至るまで、自国第一主義を徹底する。
それがグローバルな協力への信頼を失うだけでなく、これまで世界で機能していたシステムを崩壊させ、絶えず緊張関係にあり永続的危機が続いて行く。
何故なら、ニアショアリング(既存のグローバルな事業拠点を国内の地方都市へ移転)も実施されるが、依然として金融、物流サービスは国際貿易に依存しているからである。
 そして各国にはネオナショナリズムが台頭し、(トランプのような)政府がテクノ技術を利用して国民の行動を徹底監視する。
具体的には国民は、健康の個人責任を理由にスマートフォンを持たされ、あらゆる個人データ保護は取除かれ、恐ろしい監視世界が始まって行く。
もっともこの最悪の永続的危機シナリオでは、それ以上踏み込んで詳しく述べられていない。
しかしそれは、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス・・テクノロジーとサピエンスの未来』が述べているように、これまでの人間が尊重される自由・平等・博愛の人間至上主義の時代から、人間自体をダウングレードするテクノ至上主義とデータ至上主義へと移行する恐ろしい世界である。
ハラリは、『サピエンス全史』で人類の歴史を独創的な視点で描き、『ホモ・デウス』ではテクノ至上主義、データ至上主義の神へのアップグレードされる未来を示唆し、鋭い目線で疑問を投げかけていた。
しかし今回のコロナ危機以前は政治的批判発言はなく、人類は飢餓、疫病、戦争を克服したという楽観論に立ち、「エイズエボラ出血熱のような自然災害との戦いでは、形勢は人類に有利に傾きつつある」と述べている(『ホモ・デウス』上巻24ページ)。
また地球温暖化に対しても、人類と生態系全体の将来にとって大きな脅威の一つになっていると警鐘しているが、「もし状況がいよいよ悪化し、科学者が大洪水を防げなくとも、依然として技術者が、高いカーストにはハイテクのノアの方舟を造れるだろう(下巻27ページ)」と傍観的視点に立っていた。
しかしハラリは今回のコロナ危機で目覚めたかのように、激しく自国イスラエルのメタニアフ政権の独裁、そして監視システムを激しく批判している。
それは、失敗に終わったが議会解散をしようとしたことや、市民の所持するスマートフォンで市民一人一人の健康データや位置情報が保健省のビッグデータに与えられ、感染者に対しては過去に遡って接触者隔離できる恐ろしいシステム批判である。
何故なら、保健省は警察に情報を通報する仕組みが作られていることから、恐るべき独裁国家を誕生させかねないと、自ら世界のメディアに登場して、全体主義に向う世界に激しく警鐘を鳴らし、連帯して取組むことを呼び掛けている。
すなわち現在のコロナ危機は、ハラリが『ホモ・デウス』で、21世紀はテクノロジーの発達が人間を経済的にも軍事的にも無用にする時代であり、AIとアルゴリズムに支配され、それを所有する一部のエリート、すなわちホモ・デウスが大部分の人々を劣等生物として奴隷化する恐ろしい時代の到来を示唆していたが、まさにそれを現実化するものであるからだ。。
そのような社会とは、ジョージ・オーウェルが『1984年』で描いた全体主義監視社会を遥かに越える絶望社会(ディストピア)であり、もし人類がコロナ危機を招いた絶えざる成長を求める欲望世界を反省せず、自国利益だけを優先すれば、未来研究所の描く最悪の永続的世界危機が続くことになるだろう。

 

(注1)https://www.spiegel.de/wirtschaft/corona-krise-das-ende-der-globalisierung-wie-wir-sie-kennen-a-af9f2dd4-f5ce-4402-903f-c6b4949bd562
この記事は、「コロナ危機の衝撃がどれほど深刻になるかわかりません。急激な景気後退の後早期の回復はあるのでしょうか?あるいはこの危機は転換期の崩壊を提示しているのでしょうか?」、という問いかけから始めている。
そしてコロナ危機で世界の多くの国が生産を停止し、グローバルなサプライチェーンが壊れ、奈落の底を凝視している恐るべき様を伝えている。
中段の「同盟国さえ協力を望まない」の中見出しでは、トランプ大統領が協議なしに3月21日アメリカをヨーロッパから封鎖し、主要経済20カ国首脳が未だにコロナ危機克服で合意できないのは決して偶然ではなく、現在の世界が多国間主義の権力紛争は真っただ中にあるからだと述べている。
またコロナ危機は、私たちの時代の地政学的、経済的、イデオロギー的分断を鋭く浮かび上がらせていると訴えている。
それでも危機は、脱グローバル化のトレンドを創り出していないが、その衝撃波は長い間隠されてきたものに、最終的に突破口を開く可能性があるとしている。
過度なグローバル化の瓦礫から生ずる世界は、競争ブロックを崩壊させ得る可能性があると述べている(これは、イデオロギーシステムのライバル間で引かれた鉄のカーテンによる、冷戦の精神回帰を意味するのではなく、経済はつながっていても、国内経済は地域の覇権の主導のもとに結集し、互換性のない規範と標準、技術プラットフォームと通信システム、市場アクセスの障壁とインフラシステムによって好まない競争相手を寄せ付けないことである)。
ヨーロッパの小さな国々だけでは、この新しい世界で生き残ることはできないと述べ、孤立、統制、主権を求めるポピュリストの呼びかけのなかで、ヨーロッパの結束は、ヨーロッパの国民国家の十分に理解された自己利益であると説き、自主ヨーロッパとしてその役割は少なくないと訴えている。
そして自国ドイツに対しては、その経済モデルを根本的に見直す必要があると述べ、東ヨーロッパに製造施設を持つサプライチェーンなどの短いサプライチェーンは、危機に陥りにくい傾向があるとしている。技術主権を維持するためには、研究開発におけるヨーロッパの協力をより緊密にしなければならないと述べている。
さらに脱グローバル化された世界では、輸出の世界チャンピオンはもはや存在できないことから、、ヨーロッパ市場はドイツ経済の存続のために以前よりもさらに重要になっていることを強調している。
そして最後に、利益最優先の新自由主義の時代は終わりに近づいていることを指摘し、新しい世界秩序が連帯的で、ルールに基づく持続可能なものになるかどうかは、今後数年間の政治的論争が決定すると結んでいる。
(注2)https://www.deutschlandfunk.de/grenzen-der-globalisierung-wie-die-coronakrise-die.724.de.html?dram:article_id=474533
この公共放送は、フランクフルトで活動するノルウェーの経済哲学者アンダース・インセットの「状況は深刻であり、変化は10年もかかるものではなく、今すぐ到来するラジカルな変化に直面しており、全ての企業に根本的影響を与える」というインタビューの意見から始まっており、現在のグローバル化が業界代表たちの意見を交えて、分析され、トランプの自国第一主義を生み出している問題点が語られている。
そしてコロナ危機では、インセットは危機を人員削減の口実として捉え、「多くがウイルスの責任として危機を利用し、雇用を削減して生産を戻すでしょう。それはすぐに、次の数か月でわかり、2021年は間違いなく自動化の年となり、ディジタル化の津波が押し寄せ、人員削減を強制するでしょう。これが、ウイルスを良い口実として実施される長期の変更です。すなわちで今後2年間は、急激に変更がなされるでしょう」と述べている。
その変更に対し放送は、「自動化とデジタル化が進むことで、以前はドイツでコストのかかった生産も国内に移転できるでしょう。しかしそれは、途上国の人々がこれまでの仕事の機会を利用できなくするため、開発途上国の人々を犠牲にします。しかも、この移転はドイツでも新しい雇用を生み出すことにはならないでしょう」と解説している。
これに対して急進的と称される「アタック」のエバハルト・ケスナーは、「生態学的な観点から、今、私たちは見なければなりません。実際にどのような生産が必要なのか?生態系に多大なダメージを与える地元の自動車産業が必要でしょうか?交通及び輸送の点では、るかに気候にやさしく、より公平な公的輸送システムが必要でないでしょうか?こもっと公共サービスが必要でないしょうか?・・・私たちは現在、どこを見なければならないのかという方向転換に直面していると思います。実際に10年以内にどのように生活し、ビジネスをしたいのですか?」とドイツが根本的に変わることを求め、ローカルで社会的公正な経済を説いている。
そして最後に経済哲学者インセットは、「前向きなビジョンが必要です。この根本的な変化によって、人々は変化に対応できていません。変化に対応するためには連帯が必要であり、私たちはそれを実行するために、ヨーロッパの指針となる原則、一体性が必要です」と締めくくり、放送も、「それ故危機は、新たな始まりであり、グローバル化の社会的、経済的、生態学的な問題をより厳しく眺めることを、相互に可能にします」と結んでいる。
(注3)https://www.zukunftsinstitut.de/artikel/der-corona-effekt-4-zukunftsszenarien/
今回載せた未来シナリオ1は、このテキストではシナリオ2に該当している。
未来研究所は、1980年代ジャーナリズムの騙取者であったマチアス・ホルクスが開設した将来を予測するコンサルタント企業であるが、現在の問題をポジティブな視点で、未来に向けて斬新に捉えている。
ホルクスは、ドイツに100万人を超える避難民が押し寄せた際ドイツ公共ラジオ放送のインタビューで、避難民流入をポジティブに捉え、ドイツの多文化社会を予測している。
https://www.deutschlandfunkkultur.de/zukunftsforscher-asylkritiker-werden-langfristig-gesehen.1008.de.html?dram:article_id=336188
また「未来のための金曜日」をポジティブに捉え、グレタ・トゥンベリやルイザノイバゥア等を世界の未来を救う救世主として記事を書いている。
https://www.zukunftsinstitut.de/artikel/zukunftsreport/future-people-2020-die-jungen-weltretter/