(389)“救済なき世界”をそれでも生きる(11)ドイツから学ぶコロナ以降の世界・未来シナリオ2.完全孤立社会

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悲観的ネガティヴな完全孤立社会の未来シナリオ

ゴールデンウィークが始まっているが、家庭での自主規制が求められ、孤立社会に生きる不安がひしひしと伝わって来る。
感染者数は1日当たり数百人の範囲で増減しており、一見爆発的コロナパンデミックが緊急事態宣言で抑えられつつあるようにも見える。
しかし4月28日の公共放送NHK「瀬戸際の保健所 いま何が起きているのか」の報道では、感染症阻止の最前線が機能麻痺に陥っていた。
PCR検査数さえ未だに足踏みをしており、ドイツの1日当たり2万件に対して余りにも少なく、いつまで経っても満足ある回答が為されない。
さらに感染重傷者の命を救える最後の砦の集中治療室も、最早日本では空きがない瀬戸際と報道されているが、感染者数が16万人にも達するドイツでは,、1万以上の集中治療室病床が確保され、使用されているのは千数百病床で、さらなる増加に対しても十分余裕があると聞く。
また日本の感染症病棟の病床数も70年末に1万近い病床数が、利益優先で減らされ続け、現在では2000病床にも満たないと聞く。
そのような中での今の政府は、オリンピック誘致の際もフクシマは克服されたと世界に明言し、まるで福島原発事故がなかったかのように、アベノミクス進軍ラッパを吹き続けながら突き進んで来た。
「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」とヴァイツゼッカー大統領が述べたように、過去の過ちを自虐史観として葬り、未来を創るための反省を置き去りにしてきた附けが、まさに今回のコロナ危機では出てきている。
しかもそうした反省すらなく経済最優先で、この5月連休明けにも、緊急事態宣言を解除したい意向が滲みだしていた。
そのような早急の解除は、日本を取返しのつかない感染爆発と医療崩壊に陥れることは、専門者会議で議論を待つことなく、誰の目にも明らかであり、結局1か月ほど延長されることになった。
確かにさらに一か月も続くことは苦痛であり、誰もが早急のコロナ終息を願っている。
しかし世界の専門家たちの声に耳を傾ける限り、コロナ危機以降の世界は、これまでのグローバルな新自由主義世界とは異なる世界である。
前回載せたシュピーゲル誌オンラインや公共ラジオ放送は、グローバル化の終わりを告げるものであり、今回精読した南ドイツ新聞オンライン4月26日記事、「コロナ危機:パンデミック後に世界経済はどのように見えるか?Corona-Krise:Wie die Weltwirtschaft nach der Pandemie aussehen könnte」でも、前のイングランド銀行総裁マーク・カーニーのブリティッシュエコノミストへの投稿論文を取り上げ、コロナ危機後の経済は従来の効率や成長を追求する経済ではなく、安全第一の経済に移行し、世界は以前とは全く異なったものになると述べている(注1)。

しかもコロナパンデミックは一旦治まったとしても、免疫を持たない非感染者がいる限り、世界がこれまでのグローバルな世界に戻ろうとすれば第2波、第3波が押し寄せて来るというのが、ウイルス感染学者の決まり文句である。
それ故ワクチンの製造が喫緊の課題であるが、製造出来るとしても1年半から2年を要するというのが、ドイツのロベルト・コッホ研究所の見解であり、終息には数年を要するというのがドイツから学ぶものである。
しかもコロナに見られるように、一旦ウイルスを空気飛沫感染へと進化させてしまった以上、新たなウイルスパンデミックが起きる確率は極めて高くなるだろう。
NHKのNESWEBでの長崎大学ウイルス感染学者 山本太郎教授インタビューでは、タイトルでもある「 ウイルスとの「戦争」ではなく「共生」を」訴えていた(注2)。
山本教授は、コロナウイスの原因を「生態系への人間の無秩序な進出であるとか、地球温暖化による熱帯雨林の縮小、それに よる野生動物の生息域の縮小によって、人と野生動物の距離が縮まってきた。それによって、野生 動物が本来持っていたウイルスが、人に感染するようになってきた。それが、ウイルスが人間の社 会に出て来た原因だろうと思います」と述べている。
そしてウイルスとの共生について、「私たちが自然の中の一員である限り、感染症は必ず存在する。まず、第1の論点は、感染症は撲滅できない。撲滅できないところで感染症とつきあうにはどうすればよいか、それは全面的な戦争をすることではなくて、ウイルスの感染に対して、人的被害を最小化しつつ、ウイルスと共生していくことなんだろうと考えています」と語っていた。
さらに今回のコロナ危機への希望について、「社会がどうあるか、どう変わっていくか、どういう希望のもとにあるべきかっていうのは、1人1人の心の中にあるような気が個人的にはします。そういう意味では、今、大変な状況なんだけれども、その次の社会をどういうふうな社会にしていけばいいかっていうことを考えることによって、それが未来への希望につながると思います」と、次に来る社会を考えることが未来への希望につながると結んでいた。
それは、前回から連載しているドイツの未来研究所の4つの未来シナリオを自ら考えることであり、希望ある未来を創り出すことを問いかけることである。
何故ならユヴァル・ノア・ハラリが言うように、現在のコロナ危機は否が応でも民主主義を制限しなくてはならず、それは人工知能とビックデータの独裁政権が出口なしの恐るべき監視社会を構築するリスクが高いからだ。
そのような視点から見れば、今回載せた未来研究所の未来シナリオ2完全孤立社会は興味深く、これまでのベクトルが外へグローバルに向かう世界とは真逆で、内へローカルに向かう社会であり、座標軸も悲観的ネガティブな第三座標ゆえ欠陥も決して少なくない。
もっとも各自が楽観的ポジティブなシナリオ3、4を見る前に、どのような社会であれば満足できるのか考えることは意義があり、希望へつながるものと確信する。
完全な孤立社会は、コロナ危機で安全第一が求められる故に創り出され、人々は手首にチップをはめ、社会の悲観性がハシズムを生み出したように独裁を作り出し、独裁国家にあらゆる行動が絶えず監視されている。
これまでの都会は安全第一により、人が集まる映画やコンサートなどの施設からレストランや喫茶店がなくなり、食料品や生活必需品を売るスーパ以外はシャッターを下ろし、ゴーストタウン化は避けられない。
それ故現在成功している、粋でサブカル趣味のお洒落な人たちも居なくなるだろう。
何故なら娯楽産業やサービス産業ができなくなれば、そのような人たちの仕事もなくなるからである。
それ故これまでとは逆に、地方への人の流れは止まらなくなる。
それが地方の都市化であるが、安全第一で世界の各国が孤立しているなかでは貿易も制限されるため、これまでのように多くの雇用を創出することはできず、都会に取り残された人々の貧困化は避けられない。
逆にこれまで人々の都会への流出を憂いていた地方では、かって地方で生業とされていた農業や林業を蘇させるだけでなく、輸入に頼っていた生活必需品の製造業が盛んになる。
フイルムではそれについて描かれていないが、未来研究所の完全孤立社会のシナリオ解説では(注3)、地方の都市化が言及され、地方の農業とニアショアリンで移転した製造業が盛んになり、貧しくなる都市住民へ食料や生活必需品を提供していると述べている。
このような未来研究所の未来シナリオ2から離れて、日本の状況に照らして自ら考えれば、これまでのように時間泥棒に追い立てられる生き方ではなく、オンラインでの仕事、緑地などあらゆる空地利用で自給が求められる都会の暮らし、過疎化した地方にかつて生業であった農業と林業を蘇らせ、ニアショアリンで製造業が盛んになる地方の暮らしは、決して悪いシナリオではない。
しかし輸出産業、サービス産業、娯楽産業、観光産業の激減で、失業者が溢れ、貧困化が蔓延し、社会福祉サービスだけでなく、医療から介護に至るまで機能しなくなり、国家破綻さえ起きかねない。
そのような最悪のシナリオ避けるためには世界の連帯が不可欠であり、お互いの国が豊かであるためには、適正な世界貿易が不可欠である。
しかしそれは、現在のような自国利益最優先、そして成長最優先の、強者が圧倒的に有利な規制なき自由貿易であってはならないだろう。
その点についてはマーク・カーニーのような世界経済の専門家も、コロナ危機後の世界経済はこれまでとは全く異なり、効率と成長の追究でないことを明言しており、適正な世界貿易という展望が見えて来る。
何故なら利益最優先、絶えざる成長最優先の規制なき自由貿易の世界が、地球温暖化を加速し、ウイルスを進化させ、最早人類絶滅の危機を招いているのであるから、人類が生き延びれるように変わらなくてはならないからである。
またコロナ危機後には、互いの国を思いやる互恵的な世界貿易でなければ、成り立たないだろう。
そのような観点からは、次回に載せる楽観的ポジティブなシナリオも見えて来る。

(注1)
https://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/corona-krise-weltwirtschaft-danach-1.4887221

(注2)
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/interview/detail/opinion_01.html

(注3)前回のブログ注3参照