(396)“救済なき世界”をそれでも生きる(18)・ベックのリスク社会(2)・コロナ危機到来の日本を考える(5)日本を危機から救う具体的方法論

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今回のベックインタビューでは、近代産業社会は想定外のリスクが潜んでおり、そうした中で進歩を可能にしたのが保険原理だと述べている。

すなわちリスクが現実化した場合お金で保証して、突き進んで来たのである。

それ故ベックは、専門家が安全とお墨付きを与えたとしても懐疑的だと明言している。

実際このインタビューの2年も経ない内に、福島原発事故が起き、その際ベックは「原子力事故では被害が大き過ぎ、引き受ける保険会社もないことから保険原理は適用できず、その損害を国や市民が負担するなら、恐ろしく不当だ」と、ドイツメディアだけでなく世界に発信している。

それ故倫理委員会では、ベックは原子力事故の不当性を訴え、「原子力のような恐ろしい技術は廃棄し、自然エネルギーに転換すべきである」と明言している。

次回は福島原発事故直後のベックのメディアへの、ドイツでの具体的発言も載せ、日本がその後も原発を再稼働することがいかにリスクがあり、許されないことであるかも検証したい。

コロナ危機到来の日本を考える(5)日本を危機から救う具体的方法論

コロナ危機は最悪のシナリオで内外で増え続けており、政府の無策と怠惰には、誰もが呆れているのではないだろうか?

前回も述べたように公共放送NHKから、まるで集団自衛権や現代の治安維持法共謀罪)の際の反動であるかのように、森友問題以降は現在の政権批判が溢れ出しており、NHK政治マガジンを見れば明らかである。

それは公文書改ざんが日常茶飯事となり、このまま憲法改正によって公然と軍事大国への道が採られて行けば、戦前の過ちを繰り返すという危機感からでもある。

そうした危機感は、これまで安倍政権支持が圧倒的に不支持を上回って来たが、人災と言うべきコロナ第2波が増大するに連れて、逆に不支持が支持を大きく上回るようになって来ている。

しかし国民の支持政党は、野党が無政府状態と非難しても、圧倒的与党支持は揺るがない。

何故なら、あれだけ国民から支持を受けた民主党政権が、既得権益圧力により自ら崩れ、公約放棄となし崩し的消費税値上げによって、その反動とも言うべき安倍政権を誕生させた罪は余りに重いからである。

労働側は、3つに分かれた立憲民主党、国民民主党社会民主党を一つにまとめ、政権転換の受け皿をつくろうとしているが、そのような統一野党政党が国民にどのようなバラ色の公約を並べても、国民は現在のコロナ危機の時代に一度裏切られた不安定な政権を望むとは思えない。

唯一出来ることは、公正で、国民にガラス張りに開かれた政権を誕生させることだ。

すなわち野党の統一ができることは、国会(立法の中心)から官僚(行政の担い手)を排除し、国会を国民と共に政治を学ぶ場に変えるくらいの覚悟で、国民に謙虚に仕える心の転換が必要である。

もっとも専門家の著しく少ない現在の政治家では、官僚の答弁書なしには議会運営さえできないことから、これまでの国会運営では不可能である。

しかし各省庁(行政)に対応した専門委員会を立ち上げ、委員は各政党の得票率に応じた各政党推薦の専門家で決めて行くことは可能である。

例えば政権誕生の際の選挙で、仮に統一民主党40%、共産党10%、その他の政権党5%、自民党30%、維新10%、公明5%であれば、20人の専門家委員は統一民主党8人、共産党2名、政権その他1名、自民党6名、維新2名、公明1名である。

そのような専門家委員会は、コロナ対応や財政問題から原発廃止のエネルギー問題、さらに行政訴訟問題や司法改革、そして各省庁に対応して約30ほどの専門家委員会がつくられ、国民にガラス張りに開かれたなかで決議できるだろう。

民主党政権の「事業仕分け」は決定機関でもないにも関わらず、最初国民の殆どを政治に巻き込んで行ったことも事実であり、各専門家委員会が各項目での実質的決定機関として、生中継と録画で国民にガラス張りに開かれれば、国民の誰もが再び政治に引き込まれよう。

もちろん専門家会議は民主的議論で営まれ、委員も専門家ゆえに論証を尊重することから、自ずと少数意見も尊重されよう。

例えば行政訴訟問題委員会では、現在の行政訴訟は戦前の役人の無謬神話を継続していることから、議論を進めて行けば必ず不当性が明らかにされ、日本でもドイツのように行政処分の取消を求める者が、職権探知主義・職権証拠調べ採用で(口頭やメモの殴り書きでも訴えの提起とされる)容易に提起でき、訴訟要件に関しても原告適格や処分性といったあまりに高い壁を取り払い、裁判においても裁判所が行政から全ての資料を提出させ、審理開始前に主任裁判官の調査が為されているというやり方に改められる筈である。

そのようなやり方に変われば行政の過ちは正され、日本もドイツのように官僚支配から官僚奉仕に刷新され、公文書改ざんや情報公開での黒塗り報告書もなくなるだろう。

そして日本の政治が実質的に30程の専門家委員会の会議に委ねられるようになれば、政治家の仕事は、先ず政党の各専門家委員会の推薦専門家委員の選定業務、そして各委員会の委員とコンセンサス仲介業務、国会で各委員会の政党の対応報告と形式的決議業務などに単純化される。

そのように業務がガラス張りになれば、国会開催の期日からしても現在のような平均年収が1億円を超える( 

(27)検証シリーズ3 何故日本の国会議員報酬はドイツの連邦議員よりも10倍以上も高いのか。 - ドイツから学ぼう  )ことは自ずと是正され、民間平均年収に近づき、政治家世襲制が問題化される悪しき慣行もなくなろう。

しかもそのような報酬では国民への奉仕精神なくしては務まらないことから、また政治が公正さ追求で利権を求めることができなくなることから、選挙は自ずとドイツのように小選挙区比例代表併用制へと変化していくだろう。

このようにして日本の政治は、国民に仕える官僚、政治家、専門家によって、国民のための公正でガラス張りに開かれた民主政治の筋道が創られよう。

しかしだからと言って、政治は実質的に専門家に任せればよいというものではない。

国民の問題視する各専門家委員会の議論は、たんにガラス張りに開かれるだけではなく、公共放送が国民に判断材料を提供する以外に、市民のための各分野の公共シンクタウンが創られ、市民側に立った正しい情報が提供されなければならない。

ドイツでは公共放送として第一ドイツテレビ放送(ARD)と第二ドイツテレビ放送(ZDF)公正さを競って提供しており、市民のための公共シンクタンクとして、政治経済から暮らしに至る幅広い情報はドイツ経済研究所(DIW)、エネルギーであればフラウンホーファーエネルギー研究所(IEE)、コロナであればロバート・コッホ研究所(RKI)などあらゆる分野に見られ、日々ネットや放送で公正な情報を提供している(次回に具体的に述べたい)。

しかもその情報を市民がどのように受止めているかは、公共放送が絶えず毎週世論調査を実施しているだけでなく、幾つもの世論調査機関が機能していることから、その世論調査はすぐさま政治に反映し、ドイツでは市民参加の倫理的民主主義が機能していると言っても過言ではない。