(397)救済なき世界”をそれでも生きる(19)・ベックのリスク社会(3)・コロナ危機到来の日本を考える(6)日本を危機から救う具体的方法論2

ベックのリスク社会(3)・過去の過ちから学ばない独善的日本

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今回の議論では、ベックはリスクの副作用が政治的障壁を取払い、政治的視座を与え、リスクに対処できる民主政治への転換圧力を生み出すと述べている。

実際福島原発事故直後のドイツの市民新聞「タッツ」のインタビューでベックは(注1)、「原子力産業、規制当局、政治の間の癒着は明らかです・Die Verfilzung  zwischen der Kernindustrie, den Aufsichtsbehörden und der Politik ist augenfällig. 」と民主政治の欠陥を指摘し、「優先事項は、安全性、制御性、透明性でなければなりません。私はさらに一歩進め、間違いを認める可能性に基づいていなければなりません・Die Priorität muss auf Sicherheit, Kontrollierbarkeit und Durchsichtigkeit liegen. Ich würde noch einen Schritt weiter gehen: Sie muss auf der Möglichkeit beruhen, Irrtümer einzugestehen.」と述べている。

そして福島原発事故後の世界に対して、「私たちは、空間的、時間的、または社会的に制限することができない新しいタイプの危険に取り組んでいます。その発生確率は非常に低いとしても、どのような状況でも発生してはなりません・Wir haben es mit neuartigen, weder räumlich noch zeitlich noch sozial eingrenzbaren Gefahren zu tun, deren Eintrittswahrscheinlichkeit sehr gering ist, die aber auf keinen Fall geschehen dürfen.」と明言している。

さらに原子力産業が社会の信頼を破ったことを、以下のように問い正している。

「信頼のカテゴリは、リスク評価に不可欠です。危険な未来への組織的な回避は、信頼なくしては不可能です。この信頼は、制度化された事故処理などの社会契約から生じます。しかし、原子力産業はこの社会契約を破った。これは、合理的な根拠の欠如から明らかであり、これらの大惨事について体験することは許されないという合理基盤に欠けていたことは明らかです・Die Kategorie des Vertrauens ist wesentlich für die Risikoeinschätzung. Ohne Vertrauen ist ein organisierter Umgang mit gefährlichen Zukünften gar nicht möglich. Dieses Vertrauen entsteht aus einem Gesellschaftsvertrag, wie etwa dem institutionalisierten Umgang mit Unfällen. Die Kernenergieindustrie aber hat diesen Gesellschaftsvertrag gebrochen. Das wird deutlich an der fehlenden Rationalitätsgrundlage, dass man eben keine Erfahrungen mit diesen Katastrophen machen darf.」

そして原子力の将来について、「日本の大事故は、世界中の原子力エネルギーを再考することを可能にします。それはこの可能性を強化し、代替エネルギー政策のための行動の機会を開きます。この点で、リスクは別の現代への新しい道の展望も提供します・Die Katastrophe in Japan ermöglicht es, weltweit neu über Kernenergie nachzudenken. Sie erzwingt sogar diese Möglichkeit und eröffnet Handlungschancen für eine alternative Energiepolitik. Insofern bieten Risiken auch Perspektiven für neue Wege in eine andere Moderne.」と結んでいる。

 

実際世界はこの福島原発後、日本以外の先進国は原子力エネルギーを将来のエネルギーとして取り下げ、日本からの原発輸入を決めたいた新興国も全て契約を破棄し、ベックの言う代替エネルギー自然エネルギー)推進に将来的エネルギー政策を転換したと言っても過言でない。

しかし当事国の日本は、事故調査委員会福島原発事故が人災と結論づけたにもかかわらず、原発を将来においても基幹エネルギーと位置づけ、従来通り安全性よりも早急な再稼働をこの10年追求し続けている。

そこには。過去の過ちから謙虚に学ばないだけでなく、過ちを手段として焼け太りさせる、明治以来の独善的官僚支配を感ぜずにはいられない。

 

コロナ危機到来の日本を考える(6)日本を危機から救う具体的方法論2

日本感染症学会理事長の舘田一博がこの19日学術講演で、「第二波の真っただ中にいる」と述べるように、学校などが始まる9月を前にして、迫りくる危機への不安と脅威が拡がっている。

何故ならマスク装着と3蜜回避だけでは、最早感染拡大は避けられず、このまま学校などを通常通り開始していけば、瞬く間に感染が子供たちに拡がり、家族感染で老人施設から最終的には医療機関まで機能しなくなるからである。

確かに国民の動脈とも言える経済が滞れば、コロナ危機が国家危機へと波及しかねないことは理解できるが、5月のように長期的配慮なく目先の解決を求めて全ての規制緩和を断行して行けば、今回のような第二波を招くことは想定できたことであり、現在の第二波は人災である。

もっとも経済の滞りで多くの人が暮らしに困窮していることも確かであり、緊急の救済は絶対的必要であり、そうしたことから給付対象が二転三転して、国民全体の一律10万円給付になったように思える。

これは近年言われ出したベーシックインカム(政府がすべての国民に最低限の生活費を継続的に支給する)の一種であり、富の格差が世界で益々拡がるなかで、欧米では救済解決策として議論が拡がり、日本でもこのコロナ危機で急速に拡がっている(注2)。

今回何故ベーシックインカムの話になったかと言えば、前回述べたようにドイツ市民は、単に2つの公共放送だけでなく、政治経済から暮らしに至る幅広い情報であればドイツ経済研究所(DIW)、エネルギーであればフラウンホーファーエネルギー研究所(IEE)、コロナであればロバート・コッホ研究所(RKI)などあらゆる分野に見られ、そのような情報機関を通してベーシックインカムが市民の話題になっているからである。

具体的にはドイツ経済研究所が、コロナ禍での困窮者救済のため、ベーシックインカムの本格的な調査を開始したことを報道しているからである。

ドイツ経済研究所はブログ(239)で詳しく紹介したように、福島原発事故を受けて世界の原発推進の動きが急速に衰退するなかで、地下にCO2貯蔵(CCS技術)で石炭電力利用推進の動きが活発化した。

しかしドイツ経済研究所のヒルシュハウゼン教授(ベルリン工科大学)は、過去20年間のCCS技術の研究結果報道を通して、CCS技術がフィクションであることを明らかにし、教授自らDIWのインタビュー放送で何故フィクションであるかをわかり易く説明している。

それ故少なくともドイツ市民は、CCS技術が産業界のプロパガンダと認識していた。

すなわちそれは、ドイツ市民が言わば市民のシンクタンクを通して、倫理的民主主義の原理に基づいて啓蒙され、絶えず学んでいると言えるだろう

そして今、ドイツ経済研究所が報道するのは、主にコロナパンデミックの影響と対応であり、特に私が引付けられたのは、ベーシックインカムの本格的調査開始と、ドイツでも増え続ける富豪実態と格差是正のための財産税復活の提言である。

詳しくは次回に述べようと思うが、ドイツのように日本を官僚支配から官僚奉仕に転換するためには、真理と平和を希求する人間の育成(改正前教育基本法前文)が必要であり、日本においてもドイツのような市民のためのシンクタンクを創らなければならないだろう。

 

(注1)https://taz.de/Ulrich-Beck-ueber-Atomrisiken/!5123617/

市民の寄付で成立っているので、寄付を求めて来ますが強制ではないので、取り止めで(abbrechen)で読めます。

 

(注2)コロナ禍で注目のベーシックインカム 日本でできることを考える

https://globe.asahi.com/article/13605674

コロナ危機とベーシック・インカム

http://www.jsri.or.jp/publish/review/pdf/6007/01.pdf