(421)ドイツ最新ニュースから学ぶ(14)

何故ドイツでは気候保護法が5年早まるのか

(ZDFheute5月12日)

 5月12日のZDFheuteでは、ドイツのパリ協定のため政府の昨年決議した2050年までに二酸化炭素排出量ゼロを実現する気候保護法を、5年早めて2045年までに実現すると改正した。

何故政府がドイツ産業連盟の圧力が強いなかで改正したかは、この報道で述べているように連邦憲法裁判所が2週間前に、現在の気候保護法では「将来世代の権利を侵害」しており、2022年までに是正しなくてはならないという判決を下したからである。

このようなドイツの画期的な歴史的判決を引き出したのは、環境団体ブンドなどと共に提訴していた「未来のための金曜日」の若者たちである。

ドイツの憲法である「基本法」は人間不信の憲法といわれるように、人間の尊厳、基本的人権、そして万民の幸せ追求を憲法改正できない普遍原理とし(第1条から第20条まで)、戦争に導くファシズム共産主義などの全体主義を厳しく禁止し、自由に対しても厳しく規定していることにある(「ホロコーストはなかった」という表現の自由さえも、犯罪と見なされる)。

そのような多数決で改正できない普遍原理として、第20条aで「自然的な生活基盤保護」を保証しており、それを遂行するのは国家の義務であるからだ。

判決では、2019年に出された基本保護法を原告の要請に従い詳細に検証し、2030年以降の実現するための確かな踏み込んだ計画がないことは、基本法第20条aに違反するとして、改正を求めたのである。

日本においても憲法第25条は、1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と国民の生存権を保障し、その2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国の責務であると明記しているにかかわらず、コロナ禍では数えきれないほど多くの人たちが暮らしに困窮しているにかかわらず、見捨てられている。

確かに国は困窮者には特例貸付制度で困窮者を救っているとしているが、困窮者が自ら職を見つけて稼ぐことは難しく、何度も特例貸付制度が利用され、返済不可能にまで借金が膨らんでいるのが実態である。

しかもこのような人々が生活保護を申請しても、予算枠があることから、生存するための預金などがなくても、就職活動が積極的でないなどの理由で認可が難しいのが現状であり、孤独死に追いやられていると言っても過言でない。

このような実態は明らかに憲法に違反するものであり、ドイツであれば違憲判決が出され、即座に改善がなされる筈である。

何故なら予算がないわけではなく、Go To では1兆円以上を計上し、土建国家維持のためには将来世代からの負債である国債を無尽蔵に増発しており、憲法上問題がある防衛費増大にも糸目を付けずに出していることからしても、国が真剣に憲法25条を責務と考えるなら即座に実現できる筈である。

しかし実現しないのは、国が憲法を建前ぐらいにしか考えておらず、それ故に平和憲法の改正をコロナ禍でさえ急ぐのであろう。

何故ドイツでは憲法裁判がそのように機能するかは、ドイツがナチズムを誕生させた富国強兵、殖産興業優先の官僚支配を、国民への官僚奉仕に逆転させたからである。

それは行政訴訟を簡易にするだけでなく、裁判では行政の全ての記録資料提出が義務付けられており、徹底した官僚責任が問われているからである。

またそのような官僚奉仕のなかでは、政治家も国民への奉仕が第一に求められるため、今回の判決でも映像で見る政府の連邦環境大臣や経済大臣は、まるで力を得たかのように判決を歓迎し、2週間で気候保護法を強化改正したのである。

日本も明治政府がドイツ帝国から学んだ官僚支配を、いつまでも固執しているようでは最早国が倒壊しかねない時代が、間近に来ていることを喫緊に悟らなくてはならない。

 

パレスチナ紛争エスカレートが投げかけるもの

(ZDFheute5月11日) 

11日間に渡ってエスカレートしたパレスチナ紛争が、前日ドイツ外相ハイコ・マースがイスラエルを訪れ、戦闘停戦を強く要請したことから、イスラエル側も特別な関係にあるドイツ、そしてEUの要請拒否は難しいことからようやく停戦が実現した。

今回のハマスパレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織)が5月10日に突然開始したロケット弾攻撃は、それなりに理由があるとしても、イスラエル市民の無差別砲撃は絶対に許されるものではない。

そのような砲撃をすれば、これまでの経緯から圧倒的力の差があるイスラエルが、ゴザ市民を徹底的に無差別空爆することは判り切ったことである。

それにもかかわらずパレスチナ市民を生贄にしてまで実行した裏側には、想像を絶する恐ろしい目的があったようにさえ思える。

またイスラエルにしても、祖父母世代がホロコーストというジェノサイドを受けたにもかかわらず、無防備なゴザの市民や子供たちをを11日間に渡って、徹底的に空爆で殺戮したことはジェノサイド行為である。

ホロコーストでは、人の命が“もの”としてしか考えられず、600万人ものユダヤ人が虐殺されたが、それはアドルノ等が指摘するように、理性による啓蒙が近代において自然や人間支配の道具となったことに依っている。

そのような理性の道具化は戦後においては益々拡がっており、ポルポトの大虐殺から最近の香港やミャンマーの市民虐殺に至るまで、目的達成のために人の命が“もの”として扱われることが日常茶飯事となって来ている。

しかし国民の多くが餓える国でも北朝鮮のように核大国になれる事実からして、最早このようなジェノサイドを国際社会が直接関係ないとして放置すれば、憎しみの連鎖がエスカレートして行き、核戦争、すなわち世界絶滅戦争を招くことは必至である。

国際社会が真摯に関与しても、従来のように平和協定を目標にするとすれば、カントの言うように平和協定は将来必ず破られるものであり、実際中東紛争では何度も何度も破られ、その度に憎しみの連鎖を激化させており、究極的に世界絶滅戦争は避けられないだろう。

本質的解決のためには、例えば国連軍がイスラエルパレスチナの間に中立緩衝地帯を造って、ハーグ国際裁判所を緩衝地帯に移転するくらいの行動的積極性が不可欠である。

中立緩衝地帯はイスラエル誕生前のようにユダヤ人とアラブ人の共存を望む人たちを入植させ、国際司法が時間をかけて解決していかなくては人類の未来はないだろう。