(428)ドイツ最新ニュースから学ぶ(21)コロナ変異株デルタとアフガニスタン総括が語るもの

英国のコロナ変異株に見る自由というまやかし

ZDFheute8月29日

 

50万人もの英国の若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバルを自由に楽しむ映像を見ると、まるで若者たちはウイルスとともに生きる術を享受したかに見える。

それゆえZDF記者は、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのか?」という問いを発するのである。

もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。

https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/united-kingdom/

すなわち今年1月初めには1日の感染者数が6万人を超えていたが、ワクチン接種が他国に比べ速く進んだことから、5月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、7月からすべての制限が撤廃された。

しかし実際の1日の感染者数は6月には1万人台へ、7月には2万台、8月には3万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。

それは絶えず成長を求める経済の仕組のなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちでさえ開催なくして生き残れないのである。

また集う若者も楽しんでいるというより、自由を制限された長く呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に変異株ミューへと、ウイルスが生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する未來が見えてこない。

これまでのワクチン接種率とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、“ペスト”の時代のような完全封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする現代世界の奢りに他ならない。

すなわちウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種の一時しのぎが見えてきている。

しかし現在の社会のなかで生きるためには、ワクチン接種が突然変異の原因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実からも、ワクチン接種しないわけには行かない。

もっとも気候正義が叶う時代がくるとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が過ちだった」と見直されるだろう。

 

アフガニスタン20年の総括ZDFheute8月31日

 

アフガニスタン20年の総括をすれば、どのような巨額なお金(アメリカだけで約250兆円)と兵力を投入しても、力による平和は創り出せないということである。

それはまさに、「アメリカ、イギリス、フランス、NATOの旗で棺桶を象徴的に包んでいます」の映像が描き出している。

しかしこれらの国の力による平和工作が単に失敗しただけでなく、ロケット砲テロ攻撃を拡大強化させ、公開処刑のテロ集団組織「イスラム国」を誕生させ、アフガニスタンを含め世界に拡散させ、さらにテロ支援国家と指摘した北朝鮮原発大国にまでさせたことは、最早戻すことができない紛れもない事実である。

こうした事実からも、力による解決を考え直す機会であり、今年国連で発行された核兵器禁止条約が科学者、法律家、医師の3つの非政府組織NGOが創り出しことを考えれば、紛争地では非武装の専門家市民組織(NGO)の介入による方法に転換して行くべきである。

実際1981年設立された国際平和旅団(Peace Brigade International: PBI)や2002年に設立された非暴力平和隊(Nonviolent Peaceforce:NP)は、トレーニングを受けた多国籍の非武装の市民チームで組織され、紛争地に入り監視や護衛活動で、紛争の暴力化抑止に一定の成果をあげている。

またヨーロッパ諸国では、ドイツを中心として90年代末より「市民平和活動」ZFD(Zivile Friedensdienst)が活発であり、ドイツでは連邦政府が財源を出し、ZFDと政府が共同で非軍事的非暴力の平和構築に貢献している。

アフガニスタン陥落後の世界は、力による積極的平和構築での取り戻すことができない失敗の甚大さから、このような非軍事的非暴力解決を目指す非政府組織を強化結集させ、紛争両者の理解と生活支援(赤十字社国境なき医師団)を通して、長期的に解決していく必要があるだろう。

もっともそこでは、資源国の国有企業を民営化させ、民営企業買収で貧困をつくりだしている大国の大資本が当然問われ、世界の市民がガラス張りにして長期的に関与するなかでは、徐々に経済も変わらざるを得ず、本当の平和を期待することも可能であろう。