(431)初心に思う不条理と決意

新しい年の最初に思う不条理

  現在のコロナ禍が炙り出したのは、禍が貧しい人々、弱い人々を直撃していることであり、1%の人々には危機を踏み台として富が益々集中し、世界の何十億もの人々を困窮させる市場経済の不条理である。

 またそれは、現在のコロナ禍で干ばつで飢餓に直面しているマダガスカル島の映像を見るとき、まったく責任のない人々が市場経済を享受する人々の作り出した気候変動激化で餓死の恐怖に苛まれる不条理である。

 しかもコロナ感染症変異種襲来が予想されても、市場経済は一時的に制限することはできても、本質的に止めることはできないことから、現在爆発的に猛威を振うオミクロン株変異種のように、市場経済に連動して突然変異種が世界中を何度でも襲う恐ろしさである。

 もしオミクロン変異種が欧米で猛威を振い出した時点で完全に入国を止め、入国必要者は空港近くの施設で2週間滞在後のPCR検査陰性に限ることができれば、現在爆発的に感染増大しているオミクロン株変異種は防げたであろう。しかしそのような措置がとれないのは、市場経済が絶えず成長を求めるからであり、市場経済優先なくしてはこれまで構築してきた資本主義社会が壊れかねないからである。

 『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』の序章では、そのような「経済に埋め込まれた社会」を変えることなしには、危機は乗り越えれないと提唱している。

 

 ワクチンルーレットが示唆する理想の社会

 

 序章では二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』(1)を取上げて、現在の市場経済カジノ資本主義ルーレット)のなかでは社会正義が実現しないことを述べた。

 このフィルムでは、随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

そしてこのフィルムを制作したARDが載せている解説では(2)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか ?」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 理想が実現されないのは、現在の社会が一人一人の幸せを求める経済社会ではなく、絶えず利益を求める市場経済社会であるからに他ならない。そのような市場経済をカール・ポランニーは、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出していることから「悪魔のひき臼」と、著書『大転換・市場社会の形成と崩壊』で述べている。

 すなわち市場経済は労働、土地、貨幣を商品化し、労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場こそが「悪魔のひき臼」となっていくからである。

 そしてポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「(すべてが)経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べ、理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 しかしそのようなポランニーの示唆する理想の社会は、「悪魔のひき臼」が回り続け、今コロナ禍で加速激化するなかでも見えてきていない。もっとも意ある識者には見えてきており、一昨年2020年に社会思想家斎藤幸平が世に出した『人新生の「資本論」』では、絶えず成長を求めるグローバル資本主義が壊れ始めていることを的確に捉えていた。

 

(1)日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(2)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

 

人新生は「ドイツの絶えず進化する民主主義」が創り出す

 

 斎藤幸平が唱える「人新生」の新しい理想の社会は、使用価値経済への転換、労働時間の短縮、画一的な分業の廃止、生産過程の民主化、エッセンシャル・ワークの重視の社会であり、「脱成長のコミュニズム」だと説いている。そして「人新生」の新しい社会を創出するのは、社会運動であると述べているが、どのように巨大資本の支配するキャピタリズムから人新生の脱成長コミュニズムへ転換していくのか、具体的にプロセスを述べていない。

 それゆえ「おわりに―歴史を終わらせないために」で、脱成長コミュニズム実現は、「(世界の)三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」と述べているが、奔放に感ぜずにいられない。何故なら三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、「アラブの春」や「香港の民主化」が巨大な力によって潰されて行ったように、潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に短期に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去の革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が見えなくなり、反対派の抹殺で以前より悪くなるのが常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民に奉仕する経済の民主化にはまだ時間がかかるが、その堰が切られたことは確かである。

 2021年4月連邦憲法裁判所の気候変動訴訟判決では、2019年の連邦政府の気候保護法(2050年までに二酸化炭素排出量ゼロの実現を約束)が2030年以降実現するための確かな踏み込んだ計画がないことは、基本法第二〇条a「自然的な生活基盤保護」に違反し、将来世代の権利を侵害しており、2022年までに是正しなくてはならないという判決を下したことは、経済の民主化の堰が切られたことを実証している。何故なら気候正義の高まりから違憲判決が予想されていたことから、政府は直ちにパリ協定の実現を二〇五〇年から二〇四五年に五年間速め、二〇三〇年の温室効果ガス排出量削減を五五%から少なくと六五%以上の削減に踏み切らざるを得なかったからである。

 それは第一歩であるとしても、規制によってドイツ経済を大きく変えるものである。しかも現在の経済はリオ宣言の約束破り温室効果ガス排出量を160%に増大させてきたことを今も真剣に反省していないことから、2030年の約束履行時には削減どころか更なる増大は必至である。

 したがってドイツではそれ以前に厳しい経済規制が課せられ、集中型大量生産から地域での分散型必要量生産への移行は必至である。事実ドイツの太陽光や風力の再生可能エネルギーでは、地域分散技術であることから市民エネルギー協同組合が製造する電力が巨大電力企業製造よりも圧倒的に有利であり、市民によって推し進められてきたからである。

 再生可能エネルギー推進に殆ど関与して来なかった巨大電力企業は、2011年の脱原発宣言によって実質的な赤字へと転落し、株価の大暴落もあって存続危機に陥り、政府を動かして再生可能エネルギー事業を市民エネルギー協同組合からもぎ取り、これからの事業の柱にしている。すなわち再生可能エネルギー法を2014年改正することで、市民エネルギー協同組合の事業運営を困難にし、新たな市民エネルギー協同組合設立が事実上できないようにしている。

 しかし2030年の削減履行がなされないならば、再び違憲判決が下され、そのような改悪措置が見直されるだけでなく、集中型大量生産から地域での分散型必要量生産への転換が加速することは目に見えてきている。

 それは単に巨大電力企業が敗者となるだけでなく、すべての巨大企業が敗者となるときである。何故なら地域での分散型必要量生産では、適正規模の企業が圧倒的に有利であり、気候変動阻止を最優先するなら、市民が創る利益を求めない協同組合形態への転換は必至であるからだ。

 そのような社会は、まさに「経済が共同体に埋め込まれた社会」の到来であり、最早そこには「悪魔のひき臼」はなく、誰もが自由に、積極的に行動し、生きる喜びを感じれる社会が実現する。

 そのような社会を到来させるものは、「ドイツの絶えず進化する民主主義」であり、コロナ禍の背後には更に巨大な気候変動激化という禍が控えているとしても、その禍を力としてカタストロフィを理想の社会創出に転ずることができると確信する。

 そのような思いから、『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』を書き上げた。

 本の構成は、第一章で危機に直面する世界が禍を力として、どのようにカタストロフィを理想の社会創出に転じていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、ドイツの絶えず進化する民主主義を手本に、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台であり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきた「ドイツの絶えず進化する民主主義」について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界の市民が禍を力としてカタストロフィを理想の社会創出に転ずる文明救済論を提唱した。

 

尚12月25日から1月15日まで再び妙高に籠っており、新年は大変遅くなり失礼しました。