(435)世界戦争の始まり(2)死中に活を求める

「平和を守る」ため直ちに採るべき行動とは

 

 

 

世界は平和を希求しており、人の命が最優先されなくてはならないことが国連総会ロシア批難決議で、上に載せた異例のベアボック演説からも溢れだしている。

通常の外相演説では、自らの湧き上がる声として語ることはないが、ドイツの外相ベアボックは平易な言葉で「平和を守る」ことを会場の外相たちだけでなく、世界に訴えている。そして会場のベアボック演説に対する異例の拍手は、「平和を守る」強い連帯を示している。

しかしそれにもかかわらず、戦争は日々拡大しており、人道的な避難市民のコリドー(通路)への攻撃、そしてあってはならない原発施設への攻撃さえ為されいる。

確かに軍事侵攻を始めた国に宥和協議は、日本の開戦やヒトラーの開戦を思いはかれば通用せず、ウクライナ侵攻を一歩譲れば、ポーランドハンガリールーマニアチェコスロバキアと戦線が拡大してくることは目に見えている。

しかし日に日に無惨な犠牲者の増加、そして経済封鎖に対抗して原発施設攻撃へと拡大しており、ウクライナ背後の欧米はロシアの求めるNATO拡大阻止に配慮して、直接停戦協議をロシアに呼びかけるべきである。

具体的には、ロシアの要望に沿って一歩退いて停戦を実現させ、クリミア半島や東部自称独立共和国との境に、ロシアを含めた国連軍を駐留させるなかでNATO拡大のない仕組構築、及び世界平和の構築が話合われ、実現されて行くべきである。

そのようなやり方は本来なら正しくはないとしても、第二次世界大戦とは状況が異なり、一歩間違えば人類滅亡さえ予期され、ロシアが次々と原発施設を占拠および攻撃していることから、核戦争も現実味を帯びてきているからだ。

しかも戦争の痛ましい被害者が増加するなかで、最早対岸の火事として見やるることはできないほど緊迫しており、人命最優先こそが直ちに選択されるべきである。

大局的観点で目先の人命を見過ごしにすれば、日々の戦争エスカレートで核戦争突入も見えてきているからだ。

それを戦争開始からの10日間は提示しており、人命を最優先して米国、欧州は一歩退いてNATO拡大阻止に配慮して停戦協議を呼びかけるべきであり、現時点では人命最優先が「平和を守る」ことである。

 

 

戦争の本質的解決(2)

 

ZDFやARDのニュースによれば、昨日(7日)のウクライナとロシアの3回目の停戦協議でも意見の隔たりは大きく進展せず、4つの都市からの市民避難回路さえ纏まらなかった。

ロシアは怖いものなしで第3次世界大戦に突き進んでおり、原発施設攻撃から見えてくるのは、チェルノブイリ原発の惨事さえ厭わないという恐るべき狂気である。それは、プーチンに何千万人をジェノサイドしたスターリンの狂気とオーバーラップするものである。

それに対してNATOは、ウクライナ大統領ゼレンスキーの人道的なウクライナ飛行区域禁止要請に対して、世界大戦になりかねない理由から拒否している。また米国もウクライナへの戦闘機供与で、直接ではなくポーランドを介して供与したい意向を示し、腰が引けている。

そのように自国に関しては戦争に巻き込まれたくない欧米の本音も見えてきているが、欧米はロシアの「NATO拡大阻止」要求を拒否したことからも、日々増大する悲惨なウクライナの犠牲者に責任があり、「NATOが拡大しない仕組構築」の提案で緊急に停戦を実現し、ウクライナに国連軍総動員で中立地帯を設け、ロシアの要求に沿って長期的視点で議論してべきである。

NATO東欧拡大はEU東欧拡大に基づいており、21世紀の幕開けに始まるEU東欧拡大は、ヨーロッパが一つになって平和構築と平等な豊かさ実現であった筈であり、欧州市民の願望でもあった。

それが新自由主義の到来で経済だけが先行し、自国の国益優先で東欧に拡大して行き、かつて社会主義国であった東欧諸国が築いてきた財産を根こそぎにするだけでなく、企業進出や企業買収で支配下に置き、東欧市民を二流市民に没落させ、暮らしに困窮させて行った。そのような実態が、「NATOが拡大しない仕組構築」では議論されなくてはならないだろう。

それは絶えず成長を求めるグローバル資本主義では、今回のウクライナ戦争も

必然的な遭遇であり、現在のコロナ感染症やその背後に控えるより大きな気候変動危機には対処できないことは明らかである。

本質的な解決のためには、前回も述べたように気候正義、社会正義が担保され、誰も見捨てない経済に変えて行かなくてはならない。そのような経済とは、地域で食料などの生活必需が賄われる地域自助経済であり、そのような経済の仕組が地域の自己決定権によって構築されれば、他国との関係は競争ではなく自ずとポスピリティーに変わるであろう。

そのような地域の自己決定権による自助経済の確立は、現在人類が遭遇している戦争や感染症蔓延、さらには気候変動危機を乗り越えるには不可欠である。

そのような地域の自助経済は早急な議論決定で実現できるものではなく、現在の危機を「禍を転じて福と為す」の姿勢で世界市民が取組むことで、危機に遭遇する度に変えて行くものでなくてはならない。

そのような自助経済への途は、既にドイツでは連帯経済として萌芽しており、気候正義運動として伸展している。2021年4月連邦憲法裁判所の気候変動訴訟判決では、2019年に成立させた気候保護法は基本法第二〇条a「自然的な生活基盤保護」に違反し、将来世代の権利を侵害してiいるとして2022年までに是正を求めた。

それゆえドイツでは直ちに法律の改正がなされ、2050年までに二酸化炭素排出量をゼロにパリ協定実現を5年間速め、具体的実現措置を出して行くことを約束した。

これは、気候正義を担保する経済の民主化につながるものである。もっとも地域の自己決定権による自助経済実現への第一歩に過ぎないが、・・・。

詳しくは今月発売された『2044年大転換』を見て欲しい。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

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序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221