(436)世界戦争の始まり(3)ウクライナ戦争に終わりあるのか?

核施設攻撃が意味するもの

 

  ロシアは上に載せた3月4日ZDFheuteが報道するように、ヨーロッパ最大規模のザポロジエ原発施設攻撃を皮切りに、チェルノブイリ原発を含め、次々とあってはならない攻撃占拠を為している。

 それは独裁者プーチンのこの戦争に対する思いを表しており、第3次世界大戦、さらには核戦争も厭わない姿勢であり、繰り返される停戦交渉でも一貫している。

 確かにウクライナ軍は各地で予想を遥かに超えて善戦しているが、撃破されても、されても、徐々にロシアの侵攻が深まり、キエフ陥落も時間の問題である。

 下に載せた3月11日、12日のZDFheuteを見ても、ロシアの攻撃は日増しにウクライナ全土に拡がっており、ウクライナ住民が「ロシアは、ウクライナからウクライナ人が出ていくことを望んでいる」と言うように、ロシア人によるウクライナ支配という最悪の結末を予期せずにはいられない。

何故なら、軍事力の差が圧倒的であるだけでなく、世界最大の核保有国ロシアが核戦争も厭わない姿勢を前面に出し、戦車などが至る所で破壊されても、されても、都市住民のジェノサイドとも言うべき残忍な民間人攻撃を強めているからだ。

しかも欧米はそのような残忍な犯罪に対しても、世界大戦の全面戦争を避けたい思いから、攻撃機の提供さえ躊躇するほど腰が引けており、このままではウクライナの無条件降伏も時間の問題である。

 世界が核戦争を避けようとするのは賢明な選択であるが、ロシアの犯罪に対し徹底的な経済制裁で打開できると本当に考えているとすれば、余りにも自分本位であり、無責任である。

経済制裁は相手が現在の世界市場に留まる意思があれば有効であるが、相手が市場からの離脱も厭わず、新たなロシア中心の市場さえ造りかねない現況からすれば、最悪の結末を防ぐものではないだろう。

 独裁者プーチンのかざす正義は東方拡大阻止であり、ロシアのジェノサイド犯罪になす術がないなら、西側は現時点で百歩譲るとしても、ウクライナ非武装中立化、東方拡大阻止の仕組構築でテーブルに着く責任がある。

何故ならウクライナ戦争が始まって3週間が経つが、ゼレンスキー大統領を初めとしてウクライナの人々の涙ぐましい抗戦にもかかわらず、日に日にロシアの民間人攻撃でジェノサイドされる人々が増大しており、降伏まで見過ごすならば何百万人が殺戮され、1000万人を超える避難民が生ずると既に想定されているからである。

 

 

 

世界は最早先送りできない

 

 確かに東方の拡大は、国民国家が国民の多数決でEÚ加盟やNATO加盟を自ら決議したものであり、たとえドイツ統一で約束があったとしても、現在のEU首脳たちで東方拡大阻止条約を締結することはできないだろう。

しかし東方拡大阻止の仕組構築でロシアの要請に従い、前向きに話合い、NATO東方拡大阻止の仕組を時間をかけて構築していくことは可能である。

ロシアが東方拡大を恐れる理由は、核技術と豊富な資源国である以外は、先端技術で圧倒的な差があり、西側の経済進出は歴然たる事実であり、そのままにすればロシア自体が支配されないからである。

それはロシアがソ連誕生以来市場競争に晒されず、国力を核技術に集中させてて来たからである。

また国民にしても欧米の技術進出は格差を肥大させるだけでなく、ロシア国民の暮らしを困窮させて行ったことから、欧米に異議を唱える強い独裁者プーチンを生み出したと言えるだろう。それは、まさにドイツがナチズム(国家社会主義)のヒトラーを誕生させた背景でもある。

実際そのような独裁者を誕生させる背景は、EUに加盟した東欧諸国でも同じであり、西側の経済進出で東欧の市民は大部分が暮らしに困窮し、ハンガリーポーランドルーマニアなど殆どで右傾化するだけでなく、独裁者もどきを誕生させており、EU内の最大の問題になっている。

 このような本質的原因は、アメリカが70年代から開始した規制なき自由競争(新自由主義)の波にドイツ、イギリス、フランスなどのEUを先導する国が90年代末に呑み込まれ、EUの東欧拡大と規制なき市場競争を激化させたからである。

そこでは、企業の株式買取りによる合法的企業乗っ取りだけでなく、市民の暮らしに密接に関与する公共企業を民営化させることで支配し、結果として東欧諸国の富が欧米進出国に奪われている現実がある。

それ故東欧拡大の阻止には、すべての国の国民が豊かになる仕組を創り出すことが重要であり、市民の暮らしに関与する交通、教育、病院などの福祉分野から公共企業に戻し、進出企業もその国の合弁企業とする制約で、激化している市場競争に水を差すことから始めないとならないだろう。

そのような東方拡大阻止の仕組構築は、決して実現不可能なものでなく、前回も述べたように京都議定書EUの公約はEU加盟国の平等性を追求し、すべての国の市民の年間二酸化炭素排出量が同じになる豊かさを世界に公約した原点に立ち返ればよい。

しかしそのような平等性の追求は現在では、理念としてさえなおざりにされ、ドイツなど数国の強国と、多くの弱国を生み出しているのが現状である。

そのように理念がなおざりにされる理由は、市場競争激化のなかで国益及び企業利益が優先されるからである。

 それ故国連に集う非政府組織(NGO)は、そのような国益優先の国民国家によっては何も決まらないとして、1997年の対人地雷禁止条約や2017年核兵器禁止条約の実行締結を成し遂げている。

このように国連で国民国家の決議に見切りをつけ、動き出している理由には歴史的背景がある。

 1972年ローマクラブは環境汚染が脅威となるなかで、「成長の限界」を宣言し、このままま絶えざる成長を追求していけば、100年以内に限界に達することを警鐘した。そして1992年国連のリオ「地球サミット」で、歴史的転換点ともいうべき持続的開発や地球温暖化阻止を目標に掲げた。しかしリオ後の積み重ねられた国際会議では、二酸化炭素排出量削減ができないばかりか逆に増加させていることから、それを利益追求の民間企業に求めても無理として、世界危機克服の担い手は利益を求めない多様な形態の協同組合であることを明記している。

それゆえ2000年の貧困撲滅と環境に配慮した持続的開発を掲げる国連の「ミレニアム開発目標MDGs)」では、担い手は利益を求めない多様な形態の協同組合としていたが、国連決議ではロビー活動によって多国籍企業も担い手として加わり、実質的に行動支配し、従来の開発を継続した。そのため京都議定書の公約が不可能となるなかで、国連は巻き返しをはかるべく2015年から新たに始まる持続的開発目標(SDGs)では、2013年9月にILO、UNESCO,WHOなどの二〇の国連機関、及びICA(世界協同組合)、RIPSS(社会的連帯経済推進のための大陸間ネットワーク)、モンブラン会議(社会的連帯経済インターナショナルフォーラム)の3つのNGOが参加して、SDGsを担う機関として社会的連帯経済タスクフォースを設立して実現を目指した。

しかしまたしても2015年の国連決議では多国籍企業が加わり、現在あらゆるところで推し進められているSDGsは、利益追求の絶えざる経済成長の免罪符として利用されていると言っても過言ではない。

事実2020年に公表された温室効果ガス排出量は、1990年比で160%にも増大し続けており、利益最優先の多国籍企業に支配される国民国家に任せておいてはパリ協定の実現は不可能であり、先送りで最悪のシナリオを辿ることは明白である。

 このように気候問題から核の問題や格差肥大の問題を先送りしていることが、独裁者プーチンを誕生させ、まさに今世界戦争を引き起そうとしているのである。それゆえ西側は、ウクライナ非武装中立化の背後にある東方拡大阻止を、先送り解決の第一歩と捉え、EUの平等性追求の理念にまで立ち返って、喫緊に欧米NATOが身を切る覚悟で、停戦和平交渉のテーブルに着かなくてはならない。

そうでなければ、ウクライナが降伏支配されるだけでなく、世界は完全に二つに別れ、絶えず軍備を増強し続け、いずれ核戦争に発展し、人類は滅びるだろう。

 

尚下にお知らせする『2044年大転換』では、究極的に世界はすべての地域政府の連合からなり、そこでの地域政府は自己決定権を持ち、よそからの商品には地産地消税導入で自助経済を築き、戦争のない、市場競争のない、誰も見捨てない世界創造を提言している。

 

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

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序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221