(347)世界戦争の始まり(4)世界はウクライナを見捨てようとしている

ゼレンスキー大統領の心に突刺す連邦議会演説

 

 3月17日のドイツ連邦議会で、上のフィルムで見るようにオンライン演説でゼレンスキー大統領は、今新たにヨーロッパとロシアの間に壁が造られ、民主主義根幹である生存と自由が脅かされていると訴えている。

その壁をセメントで固めようとしているのが、ドイツが進めてきたロシアからの天然ガス輸送ラインのノルドストリームであり、現在も操業しているドイツ企業であり、経済、経済、経済の優先がウクライナ戦争の戦費を賄っていると批判している。

 またナチスの軍隊が80年前首都キエフの渓谷バビ・ヤールで3万3000人のユダヤ民族ウクライナ人を二日間で機関銃虐殺したことを持ち出して、ドイツには歴史的責任があり、「経済、経済、経済」の利益優先を見直し、自由、平等のヨーロッパの価値観を守るため新たな壁を造らせないで欲しいと懇願している。

そして最後の言葉として、「この戦争を止めるよう、私たちを助けてください、私たちを助けてください。Helfen sie uns, Helfen sie uns, diese Krieg zu stopen 」と結んでいる。

その演説は拍手からして議員たちの心に響き、突刺すものであった。しかしその後ゼレンスキー大統領演説に対する議論は行われなかった。

それはEU委員会委員長ウルズラ・ライアンを通してウクライナの緊急加盟を画策したが、27カ国の賛同を得て動き出してはいるが、手続き承認には数年かかり、まして即時ウクライナNATO加盟は不可能であるだけでなく、ウクライナ戦争に直接関与しないことを決議しているからである。

 またドイツは、完成された他の国を股がない海から直接天然ガス輸送ラインのノルドストリーム2を停止し、ロシアからの依存エネルギー全面禁止を最初打ち出したが、現在のドイツのエネルギーの40%はロシアに依存しており、全面禁止すれば大混乱に陥るとして、全面禁止が実現できなかったからである。

 しかし翌日の18日にベアボック外務大臣緑の党)は、ドイツがNATOを指導することで、ヨーロッパの安全保障により強い責任を取らなくてはならないことを指摘し、ロシアからの安全保障と生命不可侵の安全保障を築くために、ドイツの新たな安全保障を発表している。

そしてドイツ公共第一放送ARDのインタビューでは、各国の貿易、外交、協力で「経済的利益を最優先してはならない」と公言している。

 またハーベック経済大臣(緑の党)は、ロシアへのエネルギー依存を断つため、18日にはカタールアラブ首長国連邦を訪れ、天然ガス供給の協議を始めた。

もっともハーベック経済大臣は早くから気候問題解決するのは、再生可能エネルギーの拡大を公言しており、それを実現するために4月には再生可能エネルギー法改正を打ち出している。それゆえアラブ首長国連邦アブダビでの21日の首脳者との会談で、供給要請だけでなく、水素エネルギー貯蔵技術で協力を約束している。

 またショルツ首相も、ウクライナ支援ではゼレンスキー大統領の信頼を得るほど全身全霊で取り組んでおり、軍事を含めて多額の支援をするだけでなく、ノルドストリーム建設推進者で前の社会民主党指導者シュレッダー元首相に露企業役員の辞任及び名誉社会民主党員から除外することを求めている。

 しかしこのようなドイツの気候正義に取組む連立政権も、世界が積極的にウクライナ戦争に踏込まないなかでは、ゼレンスキー大統領の懇願を叶えるには限界があり、ウクライナ降伏を見守るしかないことも確かである。

したがってベアボック外相は、21日の会見でウクライナ避難民が800万から1000万人に達することを想定して、EU加盟27カ国が相応に引受け、ポーランドなどの国境から引受け国に直接空輸することを要請している。

 このような要請は、首都キエフの民間施設への無差別砲撃も激化するなかで、世界がウクライナを実質的に見捨てようとしているからである。

 

 世界は今何ができるか

 

 交通輸送の要である港湾都市マリポリ(人口)は、ロシアの民間人を狙った無差別攻撃で瓦礫の廃墟と化し、数千人が殺され、今もなお数十万人の市民が避難できずに食料や水なしに飢えに瀕している。

 世界のメディアは連日のようにその状況を伝えているが、日々目を覆いたくなるほど悪化していくなかで、プーチンの恐るべき犯罪を激しく糾弾しているが、何もできずに見殺しにしている。

 ウクライナの人々を救うには、世界第三次戦争を恐れる現在の状況からすれば和平交渉しかなく、それを世界はたとえプーチンの要求に屈するものだとしても実現しなくてはならない。

確かにプーチンの要求は無条件降伏に近く、ウクライナ非武装中立化、クリミア半島のロシア領土承認、二つの分離独立を宣言した共和国の承認であり、それを譲れば侵略を正当化するものである。

 しかし今世界が最優先しなくてはならないことは、夥しい人々の命を救うことであるはずだ。ウクライナ非武装中立化は暴挙に見える要求であるが、ウクライナを非武装化する代わりに国連軍が国境に駐留して平和の緩衝地帯を造るように交渉すれば、ウクライナは、市民側からすれば、軍隊のない、軍事費を必要としない理想国家になることも可能である。

またそれは中立国ウクライナ上空の安全保障を国連軍が担保することでもある。

 それでは「力は正義なり」を認めることで解決に程遠いことも確かであるが、二つに分断された世界が緩衝地帯で世界の平和だけでなく、先送りしてきた核の問題や格差の肥大から気候変動の問題を解決に向けて話合いの場を絶えず持つようにすれば、時間はかかるとしても、解決への一歩が築かれよう。

 もっともそれで本質的な解決がなされるようなものでないのは、ゼレンスキー大統領が繰り返し訴えているように、現在の世界が「経済、経済、経済」の利益最優先で新たな壁を造り出しているからである。

すなわちウクライナが無数の人々の命をかけて、自由、平等の民主主義のために戦っているにもかかわらず、ドイツのエネルギー企業から製薬企業に至る多くの多国籍企業は今もロシアで操業しており、それがロシアの戦費を提供していると言っても過言でない。

 また欧米の武器を提供する国々には、軍事産業の巨大な軍産複合体構造が形成されており、戦争を通して潤うため絶えず戦争を求めているとさえ言える。

 またヒトラープーチンなどの独裁者が誕生するのは、格差肥大で大部分の国民が暮らしに困窮するとき、公平さを求めて国家社会主義を希求するからである。

 そうした様々な問題は、格差を肥大し続け、絶えず成長を求める現在の経済のしくみを変えることなくしては、本質的解決は難しいだろう。

しかし現在の経済のしくみを変えることは、現在の時点で見るなら不可能であるとしても、これから人類が遭遇する気候変動の激化によって洪水、干ばつ、食料危機の深刻化、さらには感染症の蔓延という繰り返される禍で現在の経済システムでは対処できないことは多くの専門家が指摘するように明らかであり、禍を力にして人々が幸せになれる経済のシステムに変えて行くことは可能である。

 そこでは、ケインズの指摘した週16時間の労働で十分な世界でもある。何故なら現在の社会の仕事は大半がお金儲けのブルシート・ジョブ(クソみたいな仕事)であるからだ。

  尚3月に出した『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』では、ドイツが戦後「ホロコーストの過ち」を二度と繰り返さないことを誓い、国家のためではない、国民のための基本法を創り出し、官僚支配を官僚奉仕に変え、司法を市民奉仕機関と言い切るまでに進化させ、ロビー支配されていた政治も市民奉仕に変え、気候変動訴訟判決を通して経済を民主化しようとしている実態を検証している。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

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序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221