(443)民主主義は世界を救えるか(3)石油とガス禁輸へのドイツの決意・何故ドイツは新自由主義に背を向けることができたか(2)

ドイツの決意

 

 上に載せたドイツ第二公共放送ZDFが5月12日に放映した『石油とガス無しのエネルギー自立社会』は、プロローグ「ウクライナ戦争、気候危機、ガス・石油価格の上昇。今ドイツは、できるだけ早く化石燃料依存から抜け出したい」から始まっている。

 石油とガス無しのエネルギー自立社会はユートピアではなく、既にエスリンゲン市の西部団地地区では既に100%再生可能エネルギーのエネルギー自立が実現していることが描かれて行く。

具体的には全てのアパート屋上に設置された太陽光発電風力発電で電力を製造し、消費電力を超える電力は地下に設置された水電解装置で水素として蓄積して、風のない夜や日照の少ない冬は水素燃焼でエネルギーの自給自足を実現している。

 このような石油とガス無しの自立社会の実現は、否が応でもしなくてはならないドイツの現実であり、ドイツ政府はロシアの石油とガス禁輸に備え、3月30日にガス緊急事態計画を公表している(注1)。

https://www.tagesschau.de/wirtschaft/verbraucher/gas-notfallplan-bundesnetzagentur-101.html

何故なら、ロシアのガス禁輸がドイツ経済に致命的打撃を与えかねないとしても、EUを牽引するドイツは今回のロシアのウクライナ侵略戦争に屈することはできないからである。

 ドイツ経済への致命的打撃は、2000以上に上るドイツの化学産業企業にとってガス供給停止が原料停止を意味し、他からの原料調達では生き抜くことが困難となり、さらに農業、食品、自動車、化粧品、衛生、建設、医薬品、エレクトロニクスなど全ての産業を危機に落とし入れるからである。

それ故ドイツ化学産業連盟会長ヴォルフガング・グローセ・エントループは、「金融危機やコロナ危機とは異なり、ドイツは天然ガスの長期停止で産業危機が発生した場合、比較的迅速に回復しないだろう。そうなれば、この国の経済が危機に瀕する」と訴えている(注2)。

https://www.tagesschau.de/wirtschaft/unternehmen/gasmangel-chemieindustrie-101.html

 本来であればドイツ政府は、前回のフィルム『露にされた独露関係』が語るように、2006年スエーデン国防省がロシアの石油とガスを政治武器として警告した際ロシア依存を見直すべきであった。それが難しいとしても、2014年のロシアのクリミア併合は明らかに侵略戦争であり、遅くともその時点でロシア依存にブレーキをかけなくてはならなかった。

しかし実際はむしろ逆に、シベリア油田共同開発、ノルドライン2開発を推進し、依存を深めて行った。それはドイツ社会が2008年以降新自由主義を克服して行ったにもかかわらず、経済においてシュレーダー政権の開始した新自由主義が継続されていたからだった。

 今回のロシアのウクライナ侵略戦争では、ドイツは石油とガス禁輸で譬え致命的な打撃を受けるとしても、ロシアの要請に従う選択肢はない。

そうした事情から、ハーベック経済相は即時のロシアのガス禁輸には反対と前置きして、停止された場合に備え、3月30日にガス緊急事態計画を公表した。

ガス緊急事態計画によれば、ロシアからのガス停止の場合15%のドイツの電力を担っているガス火力発電所は、石炭火力発電所と石油火力発電所に切替られることになっている。もっとも石炭の段階的廃止は延期されるべきでないことを明記している。

 そして4月6日にはハーベック経済相は、2014年の改正でブレーキを踏んだ再生可能エネルギー法(EEG)を急加速できるようにする改正を決め、2030年までにドイツ電力の少なくとも再生可能エネルギーの割合を80%まで上げることを明言した(注3)。

https://www.bundesregierung.de/breg-de/themen/klimaschutz/novellierung-des-eeg-gesetzes-2023972

 それは、再び地域のエネルギー協同組合や自治体が積極的に再生可能エネルギーへのエネルギー転換を推進できるようにする改正であり、ドイツの危機に立ち向う決意であった。

すなわちその決意は、単にロシアへのエネルギー依存克服の決意だけでなく、危機を通してエネルギーの100%自給自足をやり遂げる決意であった。

そして放映された『石油とガス無しの明日のエネルギー自立社会』は、そのようなドイツの決意に呼応するものであった。

 

何故ドイツは新自由主義に背を向けることができたか(2)

 

 新自由主義の国際競争力強化を説いていたマスメディアも、ノキア撤退を契機として、新自由主義に批判的になって行った。

何故なら、マスメディアがノキアキャラバンキャピタリズムと非難したものは規制なき自由競争追求に他ならず、新自由主義の本質であったからである。しかも規制なき自由競争は、その後のドイツ夥しい数の伝統企業を倒産させて行ったからである。

 事実2008年には電波時計で世界に名を轟かしていたユングハウス(9月倒産。翌年縮小して再建)を初めとして29500件を超える企業が倒産し、翌年の2009年には益々倒産が増加し、1月に陶磁で世界的に有名なローゼンタール、6月には7万5000人の従業員を持つアルカンドーア、7月はドイツの老舗ピアノメーカのシーメル、9月は世界のファショーンブランドのエスカーダなどが倒産し、34300件にも上った。

特にアルカンドーアの倒産の際は、傘下に1881年創業128年の歴史を持つドイツの顔とも言うべき百貨店カールシュタット(ドイツ全土で120店舗)があり、ドイツ国民にとって衝撃的であった。

 しかし国民の殆どを怒りで立ち上がらせたのは、2008年世界金融危機を受けてのドイツの金融デフォルトであった。

 当時ドイツでは、日本の低金利政策とは対照的に、ドイツ全ての銀行の5年間定額預金が5パーセントにも達する高金利で競われていた。

金利な理由は、ドイツ全ての銀行が世界全体で6000兆円売られたサブプライム金融派生商品を定額預金に組み込んでいたからである。

これらの金融商品はトリプルAであり、多くのノーベル経済賞受賞者を生み出した金融工学も安全であるとお墨付きを与えていたからだ。

しかしサブプライムのバブルが破綻すると、リーマン・ブラザーズを筆頭に多くの金融機関が倒産し、アメリカは7000億ドルの公的救済を2008年10月に実施した。

しかしそれ以上にドイツの被害は大きく、10月にはバイエルン州立銀行を初めとして殆どの州立銀行が金融デフォルト状態に追い込まれ、ドイツ政府は5150億ユーロ公的救済を実施せざるを得ず、しかもそれでも治まらないことから翌年にはさらに2450億ユーロを投入し、全体で7600億ユーロ(100兆円超)の公的救済を実施した。

 このようにしてドイツの銀行は救済されたが、銀行経営者の責任が問われないだけでなく、銀行役員の高額な給料に加えて、責任を回避して逸早く退職した役員にも、高額な年金が支払われ続けた。

 これに対して、銀行投資コンサルタントの巧みな勧誘で老後の蓄えとして金融派生商品を購入した市民は全く救済されなかった。

 それ故サブプライム金融派生商品を多く売った銀行の前では、被害を受けた多くの市民が「私のお金を返してくれ」と激しく抗議し、「bring back my Money to me」と穏やかではあるが怒りの合唱をしていた。

このような国民の怒りに、シュレーダー政権の当初「国際競争力強化」を説いて新自由主義を支持していたシュピーゲル誌を初めとしたドイツのメディアは、一転して激しい新自由主義批判に傾いて行った。

なかでも公共放送ZDFは、『巨額な博打・誰が我々のお金を博打に掏ったか(Milliarden Spiel.・Wer hat unser Geld verzockt ?)』を2009年7月に放映し 、金融危機の責任も取らずに甘い汁を吸い続けている銀行幹部たちを厳しく批判すると同時に、ドイツの金融危機の原因は2003年3月6日シュレーダー側近のハンス・オイヒャー連邦蔵相の金融自由化宣言から始まっており、この時からドイツの銀行は「巨額な博徒」になったと指摘していた。

また書店には、新自由主義の本質を暴露するブラック本が、スキャンダラスなものから学術的なものに至るまで店頭に並べられ、新自由主義開始のドイツ統一での強奪から政治腐敗に至るまでが、見事に炙り出されていた。

学術的に教育から政治経済に至るまで新自由主義の過ちを詳しく指摘した本としては、Rowohlt社が2009年に出した『Schwarzbucu Deutschland』があり、例えば独占が進む電力業界では、政治と電力企業の以前には存在しなかった強固な利権構造が築かれ始めており、退職後は名誉職ボランティア奉仕のドイツではなかった日本特有の天下りが生じ、これまでになかった著しい政治腐敗が起きたことを指摘している(198頁)。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

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 今回は『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』の転載最後として、「メディア批判の引金を引いた『ホロコースト

放映」(147頁から152頁)を載せておきます。

 

メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映

 

 ドイツ民主主義を進化させてきた本質は基本法であるが、中々機能しないだけでなく、一九五〇年代の復興のなかではホロコーストという過ちすら、自虐史観として忘れ去ることが求められた。しかし遅まきながら六〇年代から教育の民主化が始まると、司法の民主化で述べたように基本法の理念が徐々に現実社会に浸透して行った。

 もっともドイツのメディアは、現在のように率先して政治や社会を鋭く批判するものではなく、国民議論を喚起するものでなかった。

 そうしたなかで世界に衝撃を与えた『ホロコースト・・ワイス家族の歴史 Holocaust  Die Geschichte der Familie Weiss 』(424分の長編映画)が(1)、七八年にアメリカで製作され、ドイツの放映では物議を醸した。しかし翌年七九年一月ドイツ第一公共放送ARDに属するWDR(西ドイツケルン放送)が放映した。

 それは民主主義の熟成に伴って、メディアも公正な情報を市民に提供するだけでなく、市民に議論の場を与え、世論形成を促すことが求められようになってきたからであった。それゆえ極右の通信網爆破予告だけでなく、実際にコブレンツやミュンスター近郊で送信施設が破壊されたにもかかわらず、ドイツ全土に四日間に渡って放映された。

 物語は、ドイツに暮らす献身的ユダヤ人医師家族が、迫害、逃亡、収容所で悲劇と絶望にもかかわらず、誠実に生きようとする家族の歴史である。物語の対立する軸として、大学で法学を学んだ失業中の若者が、ワイズ医師に恩義があるにもかかわらず、親衛隊入党ユダヤ人迫害に関与してき、大量虐殺に加担することで出世の道を昇りつめてくというストーリーである。

 架空のフィクションであるが、六〇〇万人以上が殺害されたホロコーストを、戦後ナチズムの犯したものとして避けてきたドイツ国民に、センセーショナルな議論を巻き起こした。

 一九七九年一月二八日のシュピーゲル誌5号では、「『ホロコースト』放映で、過去が戻って Holocaust : Die Vergangenheit kommt zurück 」のタイトル記事で、000万人ものドイツ市民がこの番組を視聴し、計り知れない衝撃を受けたことを伝えている(2)。全国の放映した放送局には、万人もの聴取者から電話がかかり、匿名で番組のすぐさまの中止を求めて脅すものもあったが、予想を超えて多くの生存者が恥じ入り、自らを責め、泣きじゃくるという衝撃的なものであったと伝えている。

 また放映によって、ドイツ中が「ホロコースト」の真摯な議論が沸き起こり、当時の新しい資料、行動記録、日記、詩が多く提供されたことを報告している。

 また「歴史家の暗黒の金曜日Schwarzer Freitag für die Historiker 」のタイトル記事では(3)ドイツの歴史家、ジャーナリスト、映画制作者が恐るべき世紀の犯罪を長年伝えてきたことは評価できるとしてもヒトラー後のドイツ人を目覚めさせるため最初にハリウッドの商業映画が必要であった(4)」と強調している。

 そしてこの記事の最後では、「『ホロコースト』放映は、西ドイツの歴史家にとって暗黒の金曜日となった。何故なら、彼ら研究の意義や必要性について反省しなくてはならない彼らの学問は、何十年も大衆の関心と必要性によそよそしく、徹底して明かすことを殆どしてこなかった。今こそ転換する時である(5) 」と締めくくっている。

 それは、ドイツの歴史家ホロコーストの悲惨な大量虐殺を何十年に渡って膨大な資料や残されたフィルムで検証してきたが、研究のための検証であり、自らの視点がなく、大衆の関心や必要性に奉仕するものではなかったと、指摘するものであった。

 確かにこの映画『ホロコースト』は、善(被害者)と悪(加害者)の二項対立で描かれ、観客を善の側に引き込み、まるで観客自身が絶望の淵から生還したかのように心を動かすフィクション商業映画であった。しかし実在する大量虐殺の記録フィルムを随所で巧みに利用して実在感を高め、自ずと観客ホロコーストと真摯に向かいうように描かれていた。

 事実四日間に渡って放映された『ホロコースト』は、殆どのドイツ市民の心を動かし、ドイツ中をホロコースト議論に巻き込むと同時に、「シュピーゲル誌」に見られるようにドイツのメディアに革命的変化をもたらす切っ掛けとなった。

 例えば一九七九年二月二日の「ディー・ツァイト」は、第一面に「ドイツの歴史の授業ホロコースト・三〇年後の衝撃」というタイトル記事(6)、マリオン・・デーンホフの記事を載せている。彼女は反ナチ運動としてヒトラー暗殺計画に参加したことでも有名であり、一九四六年の「ディー・ツァイト」創刊に参加し、ここでは編集長としてメディアの使命に言及している。

 その記事では、日間に渡る『ホロコースト』放映が日を追うごとに視聴率を、三二%、三六%、三九%、四一%と上げてき、いかにドイツ人の心に衝撃を与えたかを述べている。具体的には、すべての第一放送ARDの放送局では、一日あたり七〇〇〇人を超える聴衆者からの電話に加えて、無数の手紙、電報、テレックスが送られてきたことを述べ、学校での議論、家族での議論は唯一つであり、ホロコーストの議論であったと述べている。

 さらに人々は興奮し、影響を受け、突然知識への渇望に満ちていると述べ、最後にホロコーストの総括なくして、ベトナム戦争の抗議やカンボジア虐殺述べても不十分であると強調し、世論形成への意思と覚悟を説いている。

 また一月二九日のフランクフルター・ルンドシャウ日刊紙では「ドイツの学ぶ時間」タイトル記事(7)、ジャーナリストとして頭角を現してきたロデリッヒ・ライフェンラート(後の編集長)が以下のような主張記事を書いている。

 『ホロコースト』放映は、今まで殆ど感じられなかったタブーを崩壊させた。両親や祖父母の時代にすべてがどのように起きたかを知ることは必要であり、学校や家庭での優先事項として議論されるべきである。

 

(1)現在でも、この長編映画をユーチューブ動画で見ることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=JnP9jyuNuNo

(2)

https://www.spiegel.de/politik/holocaust-die-vergangenheit-kommt-zurueck-a-3609aeed-0002-0001-0000-000040350860

(3)

https://www.spiegel.de/politik/schwarzer-freitag-fuer-die-historiker-a-d807cfc1-0002-0001-0000-000040350862

(4)Es ist einfach phantastisch: Da haben sich nun unsere Zeitgeschichtler, Journalisten und Filmemacher jahrelang bemüht, in Dokumentationen, Artikeln und Filmen den ganzen Horror des deutschen Jahrhundertverbrechens zu vermitteln - und doch muß erst ein Konsumfilm Hollywoods kommen, um die Nach-Hitler-Deutschen aufzurütteln.

(5)Auch Westdeutschlands Historiker, denen die »Holocaust«-Ausstrahlung zu einem Schwarzen Freitag geworden ist, haben einigen Grund, über Sinn und Nutzen ihrer Arbeit nachzudenken. Selten ist einer Wissenschaft so drastisch bescheinigt worden, daß sie jahrzehntelang an den Interessen und Bedürfnissen der Öffentlichkeit vorbeigelebt hat. Es ist Zeit, umzukehren.

(6)

https://www.zeit.de/1979/06/eine-deutsche-geschichtsstunde

(7)

https://zeitgeschichte-online.de/sites/default/files/documents/mbauseneik.pdf