(466)『永久革命としての民主主義』・ドイツから学ぶ戦う民主主義

(予定では理想を追求するドイツの医療(4)を書くつもりでしたが、ドイツでの医療革命が中々進まないこと、また昨年から思うことがあり電子書籍永久革命としての民主主義』に取組み、そちらに気がとられ進まなくなったことから、期待してブログを訪れた人には申し訳ありません。尚「理想を追求するドイツの医療」については、夏頃ドイツの医療革命が進展すれば、続きを書きたいと思っています。

昨年12月19日に放映したZDFのWISO(どうしてなの)は、字幕を既に付け終わっていたので下に載せておきます。

フイルムからは、昨年末のドイツの医療はコロナ最盛期以上に混乱している様子が見てとれます。しかしそのような禍を力として、克服の道を切り拓いて来たのもドイツであり、私自身も期待する次第です。)

 

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なぜ今『永久革命としての民主主義』を書くか

 

 上の表紙の写真は、1983年NATОがバーデン・ヴュルテンベルク州東部地区ムトランゲン核ミサイル基地配備を決め、ドイツ市民の激しい反対にもかかわらず基地配備が進むなかで、公職の中立性が求められる裁判官たちが刑事罰を覚悟して基地前専用道路に座込み、国民世論を動かし、基地配備撤去で勝ち取ったものである。

 それはドイツの民主主義を大きく前に進め、ドイツの裁判官たちは市民の重要な問題に対して、積極的な意見表明を可能とし、絶えずドイツの民主主義を進化させている。

 もっともそれを可能にしたものは、公職法より基本法(ドイツ憲法)が優先されたからであり、基本法がそのように導いたと言える。

 基本法はナチズム独裁国家、そしてホロコーストを許した深い反省から、二度と過ちを繰り返さない強い思いから作られており、過去の禍を力として、将来訪れる禍を克服する力が秘められている。

事実核ミサイル基地配備でも、禍を力としてドイツの民主主義を進化させているのであり、昨年のドイツはロシアからの天然ガス禁輸で大変であったが、そうした禍を通して、絶えず前に進んでいる。

現在は世界の民主主義の危機であり、気候変動激化、食料危機、頻発する感染症など、禍の到来は避けられないとしても、禍を力として、自由、平等、戦争のない世界を創り出して行くことを希求して、『永久革命としての民主主義』を書き上げました。

(下に序章を紹介文として載せておきますので、読んで共感できれば購入し、知り合いにも薦めて下さい。拡げることで日本、そして世界を変えることができると思うからです)

 

日本の『永久革命としての民主主義』 

 「永久革命としての民主主義」と述べたのは丸山眞男であり、一九六〇年新安保条約が国会で自然承認された二か月後に、「永久革命はただ民主主義についてのみ語りうる。民主主義は制度としてでなく、プロセスとして永遠の運動としてのみ現実的なのである」と述べているNHK「知の巨人たち」丸山眞男)。

  日本の戦後民主主義の育ての親とも言われる丸山眞男は、新安保条約での国会衆議院での強行採決暴挙に対して、「この事態を認めるならば、それは権力がもし試すれば何事も強行できること、つまり万能であることを認めることであり、権力が万能であることを認めることはできない」として、世に問う運動として「永久革命としての民主主義」を掲げた。

そこには、少なくともこの時まで、戦前の「国民は国家に奉仕すべき」支配国家体制から、戦後の「国家は国民に奉仕すべき」という転換を基に、民主主義を育んできた自負があり、挫折を乗り越えて、絶えず民主主義を育もうとする強い意志が感じられる。

そのような意思に反して、この時を起点として日本は、一九六〇年代の高度成長を通して経済が最優先され、民主主義退歩を繰り返して行ったと言っても過言ではない。

丸山眞男自身も、六〇年代終わりの民主主義の退歩を力によって変えようとする学生運動に向合うことができず、東大教授を辞して市民との対話を通して立て直そうとした。

 しかし七〇年代の日本列島改造、八〇年代のバブルのなかで、戦後民主主義は益々衰退して行き、「永久革命としての民主主義」の思いが叶わずして八六年にこの世を去った。

それでも前年のオーム真理教一斉逮捕に際しては、「戦前は日本全体がオーム真理教だった」と述べ、「私自身は大日本帝国の実在よりは、戦後民主主義の虚妄のほうにかける」と言って、「永久革命としての民主主義」に思いを馳せ、諦めていなかった。

しかしその後の日本は、九〇年代から現在までの失われた三〇年で見るように、絶えず国家成長を追求したにもかかわらず、国の負債は肥大し、一握りの人たちが偏った富を得ている反面、多くの人たちが暮らしに困窮し、戦後の弱者に配慮した民主主義が退歩し続け、再び戦争が始まる方向へと向かっている危機感さえ感じられる。

そのような危機感は、昨年NHKが放映した『新・ドキュメント太平洋戦争』(第一回第二回第三回第四回)を見れば、自ずと感じられるだろう。

この番組は、戦時下に生きた人々の日記や手記を通して描かれており、膨大な資料をデジタル化することで、当時の人々の本音や意識変化を浮かび上がらせている。

ジャズやハリウッド映画に憧れた少女が愛国少女になるだけでなく、軍部下当時の政治を批判していた新聞記者が愛国者になっていく意識変化は、時代の波が巻き込んで行く恐ろしさを強く感じさせる。

また回が進むにつれ、日本の敗色が強まるなかで、戦時下で生きた人々が自らの命を家族のため、国のため、命を捧げた純真な振舞いは、涙なしには見られない。

私自身は、権威的ナショナリズムを嫌悪し、翼賛的社会にだけは生きたくないと思っているが、この時代に生きていたら、恐らく時代の波に巻き込まれ、父母たちのように愛国者として振舞っていただろう。

そのような思いから、二度と戦争を繰り替えさないため、そして丸山眞男が思いを馳せた「永久革命としての民主主義」を根付かせるためにも、日本はドイツの「永久革命としての民主主義」を学ばなくてはならないと思っている。

 

ドイツの『永久革命としての民主主義』

ドイツの民主主義は、ナチズムを通してホロコーストを犯した深い反省から始まった。

ナチズムが誕生したのは、第一章で述べているように、民主主義の理想を求めたワイマール共和国の誕生にある。

ドイツ帝国を市民革命によって誕生させたワイマール共和国は、議会制民主主義国家であり、民主主義の理想を掲げていたにもかかわらず、本質的には官僚支配国家であり、富国強兵、殖産興業で窮地を乗切ろうとした。

それは一時的に繁栄をもたたすが、産業が行き詰まると、大部分の国民を困窮させ、必然的に国家社会主義(ナチズム)を生み出して行った。

何故なら産業の行き詰まりで困窮する社会では、不公平、不公正を正すことが求められ、金融投資で益々裕福になる一握りの人たち(ユダヤ人)を糾弾しようとするからである。

すなわち公平、公正を求めるヒトラーの率いるナチズムが、圧倒的な国民の支持を得て、なにも決められないワイマール共和国の民主主義を合法的に葬って行った。

しかし実質的に国家を運営したのは、官僚支配構造であった。

官僚支配構造とは、殖産興業、富国強兵を唱えて、絶えず成長を求めて国家を富ませるための仕組であり、国民を国家に奉仕させる仕組であり、成長が限界に達すると戦争に駆り立てる仕組でもある。

そのような官僚支配構造が、人間をモノとして扱い、ホロコーストという大罪を犯したのであった。

それゆえ第二章で詳しく述べているように、ドイツの戦後の民主主義はその深い反省から始まり、国民に奉仕する国家を創ることであった。

そのため一九四九年に誕生させた基本法(ドイツ憲法)は、第一条から第二0条までにおいて「国家は国民のためにある(国家は国民のために奉仕する)」を明確に規定し、民主主義の理念を具体的に守るものであった。しかもこれらの規定は、多数決によって変えられない不可侵であった。

しかしそのような規定にもかかわらず、戦後占領軍によって公職追放された元ナチ関係者一五万人の殆どが、アデナウアー政権が出した「非ナチ化終了宣言」で公職復帰し、外務省の官僚は三分の二が元ナチス党員であり、裁判官や検事も元ナチス関与者が千人を超えていた。

そのような公職復帰はドイツが西と東に分断され、ソ連支配の東ドイツが共産化を推し進めようとした背景があるとしても、国家の復興を早期に実現するには熟練者の存在が不可欠であったからだ。

それゆえ五〇年代は、戦前の官僚支配構造への回帰が様々な分野で見られた。

しかし日本のように官僚支配構造に戻ることがなかったのは、基本法の第一条から第二〇条が守ったからである。すなわちこれらの不可侵の条項が、ドイツの戦後の民主主義の理念を守るために、遅まきながら徐々に機能し始めたからであった。

特に第一九条四項の「何人も、公権力によってその権利を侵害されたときは出訴することができる」は、容易に行政訴訟が為されるよう導き、一九六〇年に成立させたドイツ行政裁判法では、「行政当局は記録文章や書類、電子化した記録、情報の提出義務がある(第九九条第一項)」を明記し、行政に過ちがある場合有耶無耶にできないようにしたからである。

それは、裁量権を持つ官僚一人一人の責任を問うものであり、戦前の官僚支配構造から官僚奉仕構造へ変えたと言っても過言ではない。

そのような驚くべき変化が、日本の官僚制度誕生の生みの親でもあるドイツで実現できたのは、基本法を守り、基本法を的確に機能させてきた連邦憲法裁判所の存在が大きい。

ドイツの連邦憲法裁判所は五一年に設立された時から、国民にガラス張りに開かれている。すなわち一六人の裁判官たちは選挙での政党得票率で各政党推薦の裁判官であり、競い合って国民に正義を訴えている。

しかも協議室の議論は、国民にガラス張りに開かれており、裁判官たちの相反する激しい議論を見ることで、国民が合意を求める民主主義を学べるよう意図されていると言えよう。

そして第三章では、そのように配慮されたドイツの民主主義が、どのようにドイツの民主主義を絶えず進化させてきたかを述べている。

しかし現在の世界の民主主義はロシア侵攻のなかで、危機に瀕していることも事実であり、第四章ではドイツの民主主義がどの様に立ち向っているかを述べた。同時に世界の民主主義がなぜ危機に陥っているかについて書くと共に、その克服には究極的に経済の民主化が必要であることを述べ、第一部を終えている。

四月刊行予定の「永久革命としての民主主義」第二部では、ドイツが気候変動の激化、格差拡大、コロナ禍、ウクライナ戦争のなかで、気候正義、社会正義を通して、どのように経済の民主化をしようとしているかを述べたい。

またそこから演繹される「永久革命としての民主主義」の社会、すなわち世界が禍を力として、どのような希望ある民主主義社会を築いて行くか、検証したい。

(尚この本の第一章から第四章までを読んでもらえばわかるように、至る所で私が日本語字幕を付けたドイツ公共放送の動画を通して、映像でやさしく学べるようにしています。また今回の電子書籍「ドイツからの学び」シリーズでは、全ての本でそのように映像でやさしく学べるように考えており、日本の民主主義を取り戻すためにも、順次出して行くつもりです)

 

理想を追求するドイツの医療が直面する禍

残念なことに、WISOフィルムは著作権が行使され、見れなくなりました。

 

 映像からは理想を追求するドイツの医療が、禍に見舞われている様子が伝わって来る。もっともドイツが絶えず禍を力として理想を推し進めてきたことも事実であり、夏頃までの医療革命に期待したい。