(471)「ともに、生きる」・団藤重光最高裁事件ノートが語るもの・絶望的な地球温暖化から垣間見える希望

「ともに、生きる」

 

  現在の社会、そして世界は化石燃料による産業社会が行き詰まり、格差増大だけでなく気候変動の激化が顕著となり、二つに分断された世界は核戦争さえ現実味を帯びている。

そうしたなかでは、富める者も貧する者も、健常者も障害者も「ともに、生きる」ことなしには、人類は滅びるという切なる思いで、『退化し続ける日本の民主主義と処方箋』(「永久革命としての民主主義」第二部)を書いた。

既に輸出国日本の勢いは過ぎ去り、膨大な貿易黒字も膨大な赤字に転じ、コロナ禍で「この国には生産能力のないものを、支える余裕がない」という声さえ聞こえてくる。その声は、7年前の津久井やまゆり園障害者殺傷事件で植松聖が唱えた際は異質なものに聞こえたが、7年を経た現在は寧ろ多数派の抱く声にさえなっている。

現に私が見た動画49『ともに、生きる』を投稿して、14万人を超える人々が見てコメントを書いているが、植松の主張「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」に賛同する人たちが多いのも世相を写し出している。もっともそうしたなかでも、「ともに、生きる」ことに共感し希求する人たちは、しっかりそれを書いており、私自身にも力を与えてくれている。

「この国には生産能力のないものを、支える余裕がない」という主張は、ナチスドイツがホロコーストのリハーサルとしての病院での障害者処分に際して高まらせた声であり、それは国民に国家奉仕を強いるものであり、究極的に国民を戦争に連れていくものであった。

しかしドイツは、そのような主張が人類への大罪ホロコーストへと導いたことを深く反省し、戦後は国家が国民奉仕に努める憲法基本法)を誕生させ、「絶えず進化する民主主義(永久革命としての民主主義)」と内外から称される、国民奉仕の民主主義を築いている。

まさにその原動力は、「ともに、生きる(ゾリダリテートSolidarität)」であった。

『退化し続ける日本の民主主義と処方箋』(「永久革命としての民主主義」第二部)では、「ともに、生きる」ことを力として、希望ある未来が開かれることを願い日本の処方箋を書いている。

この本のキンドル版は無料で読めるだけでなく、私が作成した数十本の動画(日本語字幕を付けたドイツ公共放送番組や必見のNHK番組)にリンクする映像本であり、1ケ月の無料キンドル会員に登録すれば無料で見ることができるので是非試して欲しい(1ケ月以内にキャンセルすれば無料)。

 団藤重光最高裁事件ノートが語るもの

 

  2023年4月15日放送のETV特集『誰のための司法か~団藤重光最高裁事件ノート』は、まさに日本の戦後司法の実態を明らかにしていた。

(私の見た動画71『誰のための司法か』は、1時間の公共番組を撮影し、私の心に響くシーンで20分程に編集している)

1969年から始まった航空機騒音に苦しむ住民の「大阪国際空港公害訴訟」は日本で最初の公害訴訟であり、1975年高裁で住民の訴えを認め夜間飛行差し止めを命じた。しかし最高裁は、異例の二回もの判決見直し延期を経て、1981年住民の訴えを退ける判決を下した。

番組の40年を経て団藤ノートが明らかにする事実は、最高裁小法廷が当初騒音公害の酷さから人格権で「飛行差し止め容認」の結論を固めていたこと、1978年9月判決直前で突然大法廷審議に変更延期された内部事情、さらには大法廷審議で裁判官の意見が容認と却下で同数となると、国は退職裁判官を待って新たな裁判官を決めて、最初の公害裁判を国側勝訴に導いた事実である。

団藤重光裁判官は、判決40年後に公開されたこのノートで、国が公害住民訴訟を退けるように介入したことを、怒りを持って証言している。

ドイツでは連邦憲法裁判所の協議室がガラス張りに公開され、審議での異なる意見の論争を見ること自体が国民の民主主義学ぶものだと称されている事実に比べ、この国では守秘義務をたてに審議内容公開が禁じられていること自体、それは戦前の民を政から遠ざけるものであり、権威的専制国家に属するものとさえ言えるだろう。

しかも国側の運輸省航空局の官僚の論理は番組で見るように、国が決めた国策であるから従わなくてはならないというものであり、まさに国民に国家奉仕を求めるものである。

それゆえ日本の司法は、政府及び行政機関の行為を統治行為論などとして、欧米民主主義国家では考えられない論理で、時の政府の行為を全面的に容認しているとも言えよう。

そのように司法が機能しない国は、戦前の無謬神話の国と言っても過言ではなく、今この国が何処に向かって行こうとしているか、国民を何処へ連れて行こうとしているか、国民一人一人が自ら考えなくてはならないだろう。

 

絶望的な地球温暖化から垣間見える希望

 

 5月に入りベルリンで今年12月ドバイで開催される世界気候会議の準備会議が開かれたが、年間の温室効果ガス排出量の増加はパリ協定実行にもかかわらず、絶えずレコードを更新して増大させている。

世界はリオの会議、さらには京都議定書で、排出量を暫時削減することを誓ったにもかかわらず、2020年には1990年比で160%に増大させている現実からは、2030年には200%を超えることさえ現実化していると言えるだろう。

現実を見れば、ドイツなどの僅かの国を除いて、世界の産業社会は脱炭素社会を免罪符として、絶えず成長を追求しており、臨界点を越える気候変動激化阻止は絶望的である。

そうした思いが既に準備会議で支配的で、最早約束目標さえ決められず、ベアボックの唱えるアフリカの再生可能エネルギー計画の成功をただ祈るばかりである。

もっとも日本では、化石燃料エネルギーから再生可能エネルギーの転換も2012年以降の再生可能エネルギー開発のバブルで、現在も後遺症を引きずっていることから、再生可能エネルギーへのエネルギー転換は福音となっていない。

これに対してドイツでは、再生可能エネルギー普及は市民がチェルノブイリ原発事故を経て脱原発、脱炭素を追求してきたことから、エネルギー転換は脱原発、脱石炭、脱臨界点の福音である。

実際90年代に始まった太陽光発電の固定買取り制度のアーヘン方式は、市民が議会で「市民の太陽光パネル設置にかかる費用を、それを賄う価格で買い取る」という決議からであり、補助金拒否の市民のための市民自らの哲学からであった。

そのようなアーヘン方式は2000年から開始された再生可能エネルギー法(EEG)でも生かされ、2011年の脱原発宣言の頃にはドイツの消費電力の再生可能エネルギーの割合は20%を遥かに超え、その大部分は市民、市民エネルギー協同組合、自治体によって担われて来た(それまでは巨大電力企業は実質的に殆ど寄与して来なかった)。

そこでは地域でのエネルギー自立が目標とされ、地域銀行の融資、地域での電力製造、地域での電力消費という好循環を導き、地域が潤って来たからこそエネルギー転換が推し進められたのであった。

2014年の巨大電力企業によって画策された再生可能エネルギー法改悪で、市民のエネルギー転換は窮地に陥っていたが、再生可能エネルギー自体が分散型技術で地域での発電が圧倒的に有利であることから、ドイツのエネルギー転換にブレーキがかかっていた。

しかしウクライナ戦争でドイツはエネルギー危機に見舞われ、2023年には2014年の改悪をすべて撤廃し、2030年までにドイツは消費電力の少なくとも80%以上を再生可能エネルギーで賄うことを世界に明言している。

そうした背景を基にしてアフリカの再生可能エネルギー計画を提唱しているのであり、これから予想されるアフリカの温室効果ガス排出量増大は再生可能エネルギー計画で抑えることができれば、脱臨界点克服も可能であると述べている。

アフリカでの地域での再生可能エネルギーによるエネルギー自立が実現すれば、脱気候変動だけでなく、地域での自給を目指すことから脱貧困も見えて来るからである。