(442)民主主義は世界を救えるか(民主主義の機能不全克服の道)(2)緑の党が世界市民の利益を追求する時代・何故ドイツは新自由主義に背を向けることができたか(1)

 

 

緑の党世界市民の利益を追求する時代

  今回の「露にされた独露関係2-2」では、ドイツの世界最大の化学企業BASFが天然ガス開発に技術を提供し、天然ガス輸送パイプラインがロシアの政治的戦略として利用されるだけでなく、獲得された富で現在のウクライナへの帝国主義的侵攻が為されていることを明らかにしている。

そうした事実をBASF代表は認めながらも、ドイツ政府が決定した2024年までにロシアからの天然ガス依存廃止のガスボイコットに反対を表明し、「私たちは、みすみす経済全体を破壊したいのでしょうか? 私たちが何十年にもわたって築き上げてきたものは、何でしょうか?」と国民に訴えている。

 確かにドイツを再び強国ドイツに復活させたのは、ロシアからの安いエネルギーが原動力であった。

しかしそれは、ドイツ産業に勢いを与えると同時に、世界一豊かな労働者の権利を根こそぎする強国ドイツの復活であった。

しかもシーメンスなどのドイツ巨大企業は、ドイツ統一で雪崩れ込んだアメリカ企業のやり口を学び、経済進出国の官僚を買収し、規制緩和によってEU諸国だけでなく世界の富を奪い取って行った(注1)。

すなわち強国ドイツを築き上げるために、賃金コスト削減でドイツ市民の豊かさを奪い、ギリシャや東欧諸国などの市民を二級市民へ没落させたのである。

 しかしそうした事実を、下で述べるように新自由主義の恐ろしさを学んだドイツの市民は、「ガスボイコットでドイツ経済が崩壊する」という産業側の脅しに最早屈していない。

それは4月30日ZDFのPolitbarometerが示すように、ウクライナへの重火器を含めた武器提供に慎重なシュルツ首相支持が49%支持(不支持43%)に対して、ガスボイコット及び武器提供を積極的に表明している外相アンナレーナ・ベアボック支持70%(不支持24%)、また実際にガスボイコット2年以内の早期実現に取組んでいる経済相ロバート・ハーベック支持66%(不支持19%)であり、多くのドイツ市民は経済よりもロシア依存廃止とウクライナへの連帯を支持している。

 それを示唆するように、5月15日のノルトライン・ヴェストファーレン州選挙では、社会民主党SPD獲得票26.7%(前回2017年31.2%)、キリスト教民主独裁CDU35.7%(33.3%)、緑の党18,2%(6.4%)であり、緑の党は3倍近くに激増した。

そのような緑の党支持の増加は、ともすれば産業側ロビー支配によって国益追求を優先する保守政党CDUや、産業側と太いパイプを持つ労働政党SPDとは異なっているからだ。

 すなわち緑の党は政治の市民奉仕を優先する市民政党であり、これからの未来の気候変動激化、感染症激化、戦争によって分断される危機の世界に、救世主として期待されているからに他ならない。

それは、ドイツの自国利益追求だけでは許されない時代の到来であり、現在のドイツを牽引する緑の党が世界の市民利益を追求する時代でもある。

 

 (注1)Siemens-Skandal

https://www.manager-magazin.de/unternehmen/karriere/a-596077.html

 

日本語資料シーメンス贈賄 

http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/09061101_ishikawa.pdf

 

何故ドイツは新自由主義に背を向けることができたか(1)

 

 私がドイツのベルリンで学んだ2007年から2010年の4年間は、まさに競争原理優先の新自由主義に背を向ける転換の時代であった。

 私のドイツへの留学は、若者がドイツの大学で学ぶと言ったアカデミックなものではまったくなく、80年代からドイツを探索して『よくなるドイツ悪くなる日本』を書いたものとして、そのままにできなかったからである。

それは、「よくなるドイツ」を確信していたにもかかわらず、反新自由主義を掲げて勝利したシュレーダー政権で一年後には新自由主義に呑み込まれだけでなく、自ら「アジェンダ2010」を掲げて新自由主義を推し進め、市民の視点からすれば、ドイツも恐ろしく悪くなっていたからであった。

 還暦を迎えた私は、ドイツ語が読めるとしても殆どドイツ語では話せないことから、ホルクスシュウレ(国民学校)でドイツ語会話を学ぶことから始めた。

 ホルクスシュウレは9年間の義務教育を補完する国民のための学校であるが、実質的には移民やEU及び近隣諸国からの若者がドイツで働くための語学及び教養を身に着け、働くための資格学校として利用されていた。それ故EU内の若者や市民は無料であり、それ以外の外国人にも授業料は非常に安く、1日8時間のドイツ語授業で3カ月200ユーロ程であった(外国人向けドイツ語学校は1日4時間の2週間で200ユーロほど)。

しかも教師は経験豊であるだけでなく、公共職員であることから市民としての主張が強く、しばしば語学テキストから脱線して当時のドイツの問題が聞けたことは語学以上の習得であった。

また世界の新自由主義が激化するなかで、EUの負け組イタリア、スペイン、ギリシャ、東欧諸国の若者、さらにはアフガニスタンやシリアからの若者がどのような思いで学んでいるかを知ることができた。

そのような思いがけない収穫は、私が還暦を機に年金と多少の蓄えで暮らそうという節約なしでは成立たない生き方のお陰であり、ベルリンの暮らしでは月10万円を超えることはなかった。

もっともそれでも、住居マンション家賃は都心にもかかわらず、広い暖房付きの快適な12畳の部屋に、冷蔵庫だけでなくオーブンからミキサーまで備わったキッチン、ドラム洗濯機が使用できるバスルームが付いた家賃は400ユーロと恐ろしく安く(5万円ほど)、食材もスーパーマーケットで日本の3分の1ほどで購入でき、パンやバータ、牛肉が安く、ビールやワインも恐ろしく安く、牛乳は1リットル30セントまで値下がりしていた。また野菜や果物はトルコ人の経営する野菜店が特別に安く、10キロのジャガイモが99セントと驚きの価格であり、私にとっては日本で暮らすより豊なものであった(今から思えばベルリン市民の失業給付金が345ユーロであったことから、事実豊かなものであった)。

大学の授業料も2007年には各州の有料化への動きは問題視されるようになり、ベルリンでは授業料無料が当然であり、その後ベルリン自由大学でのガストヘラー授業料も無料で、登録料だけであった。また散髪も最も高い理髪店でも10ユーロほどで、安いところでは半分の5ユーロと驚くほど安く、私の暮らしには有難い時代であった。

 しかしウェーターの実質時間給が5ユーロを下回る時代であり、市民の8人に1人が相対貧困者に没落し、悪魔の労働改革法といわれるハルツ第4法の資産調べで、市民が辱められる記事が連載される苦難の時代であった。

しかも競争に敗れた企業倒産がドイツ中に溢れているだけでなく、街のいたるところに閉店した店が見られた。

 それゆえシュレーダー政権誕生の頃は、左よりのシュピーゲル誌から右よりの大衆紙DIE・WELTにいたるまで国際競争力強化の必要性を訴えていたが、この頃には競争原理最優先の「アジェンダ2010」には批判的になっていた。

なぜなら「アジェンダ2010」を推し進めた社会民主党SPDさえ、新自由政策に批判的となり、2006年に党首となったクルト・ベックは政策の見直しを図り、新自由主義政策を否定するハンブルグ綱領(注1)を2007年の党大会で採択していた。

 また2008年始めには、ノルトライン・ヴェストファーレン州工業都市ボーフムノキア(本社フィンランド)が、突然工場をルーマニアに移転することを発表した。

移転は3200人のノキア従業員に寝耳に水であり、ドイツ市民にとっても突然の不意打ちであり、ドイツ全土に怒りが拡がって行った。

それはノキアが前年2007年に創設来の72億ユーロ(当時の為替で1兆円)という記録的利益を出したにもかかわらず、さらなる競争力強化を求めてルーマニア(賃金が10分の1)への移転であり、ドイツの殆どのメディアがキャラバンキャピタリズムと呼んで激しく非難したからであった。

このような激しい非難報道は、少なくともノキアがドイツを去る6月の終わりまで連日のように続き、各地で市民によるノキア携帯の廃棄もなされ、競争原理優先によって失われていたドイツ人の連帯を呼び覚ました。

 

(注1)ハンブルグ綱領

http://spdnet.sozi.info/bawue/ostalb/jusostalb/dl/Hamburger_Programm.pdf

要約すれば、以下のようになる。

*市場支配を許さないだけでなく、多くの適正な規制は重要であり、必要不可欠である。

*労働者の共同決定権、賃金自治ストライキ権、適用区域による賃金協定、強い組合は重要であり、必要不可欠である。

*財産及び相続財産への公正な課税は重要であり、必要不可欠である(財産税などの復活)。

*失業保証は労働保証に見直されるべきであり(ハルツ第4法の見直し)、法的な最低保証賃金は必要不可欠である。

*年金は全ての就労業務で支払われるように拡大して行くべきであり、年金額は収入額と継続期間に基づいて従来通り支払わなければならない。

社会民主党は大学などの授業料導入に反対であり、2歳からの養育権利を与える無料の全日教育を実現する。

 

しかしこのような反新自由主義政策へのハンブルク綱領での転換は、シュレーダー政権の「アジェンダ2010」を推進してきたフランツ・ミュンテフェーリング(シュレーダ政権での党首、副首相)やシュタインマイアーとって容認できるものではなく、ベック攻撃が密かに激化し、翌年9月には党首ベックが引きずり降ろされたのであった。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

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 前回述べたように、退歩も踏まえて、絶えず進化してきたドイツの民主主義を理解してもらうため、『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』から抜き出し、今回は「ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの」(139頁から144頁)を載せておきます。

 

 

 

ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの  

 

 もっとも具体的にドイツの官僚支配を変えたのは、第一に基本法第一九条四項で、「何人も、公権力によってその権利を侵害されたときは出訴することができる」とし、行政訴訟を容易なものとしたことである。  第二に一九六〇年成立のドイツ行政裁判法(Verwaltungsgerichtsordnung)第九九条一項で、「行政当局は記録文章や書類、電子化した記録、情報の提出義務がある」としたことにある。  しかしこれらの画期的な法案も、すぐさま官僚奉仕へと機能したわけではない。基本法がナチズムの過ちを真摯に反省して一九四九年に誕生させたにもかかわらず、僅か一年あまりの一九五〇年にアデナウアー政権が「非ナチ化終了宣言」を行い、占領軍の手で公職追放されていた元ナチ関係者一五万人のうち九九%以上を復帰させ、五一年に発足した連邦外務省の官僚は、三分の二が元ナチス党員であった。また五〇年代末の元ナチス関与の現職裁判官や検事なども多く(東ドイツから非難キャンペーンによる指摘では一一一八人)、基本法誕生後も一進一退で、基本法を創り出した反省の思いが中々達成されなかった(1)。  しかし基本法が徐々に社会に浸透していったことも確かであり、六〇年代の民主教育改革のリーダー的存在となるヘルムート・ベッカーは、一九五四年に「管理された学校」を書き、現代の学校の教育は、大勢順応的で創造性に乏しく、容易に統制されやすい人間を生み出していると、厳しく戦後教育を批判した(2)。  そして復古主義的雰囲気が支配する戦後ドイツ社会でそれを克服するためには、「自由な学校」を創造することであり、以下のような三つの重要性を説き、民主化への機運を高めて行った。  第一、(自由な学校創造は)、国家の学校監督のあり方を民主化することである。  第二、(自由な学校創造は)、教員の教育上の自由確立と表裏一体の関係にある。  第三、学校の自治は、学校関係者の参加と持続的な対話とを必要とする。    このような基盤の下に六〇年代のドイツの教育改革は、「教育の目標は競争や選抜のためではなく、個人が市民社会に生きていく生活の質を高め、連帯してよりよい平等社会を築くためにある」という理念で推し進められて行った。  同様に司法民主化の改革が、一九六〇年一月二一日行政裁判法発行で始まり、既に述べた第九九条 一項で 「行政庁は、書類および文書を提出し、情報を提供する義務を負う」とし、行政訴訟での行政側の開示を義務付けた。それゆえ行政の過ちを裁く行政訴訟では、弁護士の必要性さえなく、短期で裁くことを可能にし、基本法第一九条四項「何人も、公権力によってその権利を侵害されたときは、出訴することができる」を、より容易に具体化した。  同時にこれによって、現場での官僚の裁量による過ちが容易に裁かれるようになり、官僚支配は徐々に崩れていき、官僚を支配する政令も機能しなくなり、官僚支配から官僚奉仕へと転換して行った。  もっとも日本の裁判官に問題を提起した映画『日独裁判官物語』(3)では、ブラウンシュヴァイク高等裁判所のクラマー元裁判官が、「しかし一九六〇年代の裁判官の独立が事実上存在しないことに、革新的な裁判官たちは気づきました。それは裁判所長官の指示によって裁判官の言論の自由が制限されたり、批判発言に懲戒処分を受けたりしたからです。特に司法の権威主義的構造、非民主的な立法や当時のドイツ民主主義の欠陥についての発言は、特に激しく懲戒を受けました」と語るように、一旦構築された慣習を突き破るには、長い時間と粘り強い戦いが必要だった。  しかしながらこの映画でも語られているように、ナチ支配下の裁判官たちが引退していき、教育改革の民主化の息吹が徐々に感じられるようになったことも確かであり、六〇年代後半には高座の裁判官を傍聴人と同等の席の高さまで引きずり下ろし、傍聴人と隔てる柵が取り払われ、七〇年代には画期的な民主化への転換がなされて行った。  さらに一九八〇年代に入ると、裁判官の政治的発言制限に対して多くの裁判官が積極的に批判するようになり、裁判官たちが一九八三年ハンブルクでの核兵器反対と軍縮会議に対して、市民と共に反核デモに参加した様子が描かれている。そして一九八七年のNATО軍のムトランゲン基地の核配備に対し、裁判官たちは反対してムトランゲン基地前に座り込むという違反行為を敢えて起こした。  しかしこの行動は、裁判官等の政治活動の行き過ぎと世界的に報道されたが、ドイツ市民の圧倒的支持で裁判官たちは不利益を被ることなく、市民との連帯も築いたと語られている。  そしてフィルムの最後では、「開かれた司法、国民の人権を保持する裁判所、それは自由で独立した裁判官なくしては国民の権利は守れない。司法の民主主義を確立するのは主権者たる国民である」と結んでいる。  このフィルムは日本の意ある司法関与者等が制作し、日本の表向き民主的な司法がドイツの司法に較べて如何に権威的で、非民主的であるかを浮き彫りにすると同時に、日本もドイツのように市民に開かれた司法にならなくてはならないと訴えている。しかもドイツの司法は市民奉仕を目指し、官僚支配を官僚奉仕に変えたことを明白に物語っている。  このようにドイツ社会では、基本法を基盤として教育から始まった民主化による市民奉仕が、司法においても市民奉仕へと進化させている。  次章ではそのようなドイツの絶えず進化する民主主義が、メディアを通してどのように形成されて行ったかを述べたい。

(1)ドイツの歴史認識 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E8%AA%8D%E8%AD%98

(2)遠藤孝夫・へルムー ト・ベ ッカーにおける 「管理 された学校」から「自由な学校」-の転換の思想的布置・・・弘前大学教育学部紀要 第八〇号 :一〇九ー一二八頁(一九九八年一〇月)

(3)映画『日独裁判官物語』一九九九年制作(制作・普及一00人委員会)  日本とドイツの裁判官の違いを浮き彫りにし、日本の裁判官のあり方について問題提起したドキュメンタリー映画 https://www.youtube.com/watch?v=FLbp39nxlw4 

(441)民主主義は世界を救えるか(民主主義の機能不全克服への道)(1)富の追求が絶対的な善と過信された時代

 

ウクライナ戦争があらわにする二つの世界の渇望 

 

 ロシアのウクライナへ侵攻する前、ドイツ外相ベアボックとプーチンとの和平交渉が暗礁に乗り上げるなかで、世界戦争の始まりを感じた。何故なら、富を追求する市場経済の西側と東側の激突が避けられない状況に達していると感じたからである。確かに現在は東側と言ってもロシア一国であるが、ロシアのウクライナ戦争でのジェノサイド国連決議では50カ国以上が棄権しており、この戦争の終結が難しく、長期化するなかで自ずとロシア支援が明らかになってくるだろう。

 そしてこの戦争では、前線でどれだけロシアが撃退されても世界最大の核保有国ロシアの敗北はなく、窮地に陥れば陥るほど局地核攻撃、さらには核戦争が始まる可能性も指摘されている。

それにもかかわらず西側はこの戦争で勝たなくては民主主義の未来はないかのように、益々武器支援をエスカレートしている。

 そうしたなかで4月30日のZDFフロンターレは、ガスパイプライン開発を通しての独露関係をあからさまにしていた。

最初はガス油田開発及びガスパイプライ開発の技術が欲しいロシアと安い天然ガスが欲しいドイツはウィンウィンの関係であっても、富の追求がされればされるほど富への渇望が強まり、究極的に資源国ロシアと欧米技術先進国の衝突は必然だったとも言えよう。

 すなわちロシアは天然ガスを得ることで再び産業が発展し、東側の発展した新興国を含め、さらなる帝国主義的発展を求め、西側も安価な天然ガス利用でグローバルな東方拡大を求めることから、自ずと衝突は避けられない。

 しかし現代は自らも滅ぼす核の扉を開いたことから、そのような衝突は終わりなき戦争を通して核戦争へと導き、人類を滅ぼしかねない岐路あると言っても過言でない。

 そのような難しい岐路を克服できるのは、ドイツが実践してきた「絶えず進化する民主主義」だと確信するが、現在の世界の民主主義が機能不全に陥っていることも確かである。

その原因は経済が民主化されていないからであるが、最近のドイツには憲法裁判所の気候正義判決や金融量的金融緩和異議判決で見るように、人々に奉仕する本来の経済へ変えようとする意思も感じられるようになって来ている。

事実ベアボック外相やハーベック産業相は、ドイツは如何なる犠牲を払っても天然ガスのロシア依存を断つ決意を表明し、国民の多くが困難は避けられないとしても、ウクライナへの連帯の表明として支持している。

 このような気候正義、金融正義、経済正義こそは、民主主義の機能不全克服への道であり、戦争のない世界、格差の小さな誰も見捨てない自由な希望ある世界を創り出す原動力だと確信する。

 

 富の追求が絶対的な善と過信された時代

 

 1990年の「ベルリンの壁崩壊」は民主主義の勝利の時であり、世界の民主主義を信奉する市民が喜びと希望に胸を膨らます時であった。しかしそれは「塞翁が馬」で見るように、禍へ転じる時でもあった。

すなわちドイツ統一によって、東ドイツの莫大な富を求めて新自由主義の荒波が押し寄せ、富を根こそぎに奪うだけでなく、戦後ドイツが絶えず民主主義を進化させ築き上げてきた市民の権利を奪い、民主主義の自由と平等を2008年まで大きく退歩させた。

 具体的には多くの弁護士を抱えた専門企業(例えば法律事務所ホワイト・アンド・ケース、コンサルタント企業マッキンゼイ、経営診断企業プリンスウォーター・ハウス・クーパー)が雪崩込み、信託公社の役人や関与する政治家を巧妙に買収し、旧東ドイツのあらゆる資産をタダ同然で強奪して行ったのであった(注1)。

たとえば、当時旧東ドイツには4万ほどの企業があり、従業員を解雇しない空約束で、タダで獲得しただけでなく、2560憶マルクの助成金付きで強奪して行ったのである。

 そのような新自由主義のやり方を学んだドイツ産業は、政治献金とロビー活動の活発化で政治家を支配し、大半の政治汚職を合法化する法律へと改正させ、ドイツのガラス張りに開かれ、昼食接待さえ厳禁する民主主義を骨抜きにしたのであった(具体的には、1994年の刑法108e条改正の連邦議会決議)。

 事実コール政権では、国益追求の名目で大企業の300人にも上る経営代表者たちが政府相談役として連邦議会に出入りし、さらに3000人とも言われる企業ロビイストたちもフリーパスで連邦議会に入れるようになり、80年代終わりまでに築かれた理想的民主主義が蝕まれて行った。

 このような民主主義を退歩させた新自由主義に反対して先頭に立って戦ったのが社会民主党SPDであり、競争優先の規制なき新自由主義経済社会に対して、80年末までの連帯優先の福祉と環境優先の規制ある社会的市場経済への回帰を打ちだして98年の連邦選挙では勝利した。

それ故すぐさま公約に従って、コール政権で企業が実質的に必要なときに自由に解雇出来るようにした「解雇制限法の緩和」を撤廃し、労働者の権利を守った。また公約通り「原発撤退」を世界に宣言し、エコロジー税制改革を導入し、ガソリンや電気などのエネルギー課税で再生可能エネルギーへの転換を促進すると同時に、国民の年金や社会保障費を環境に負荷を与えるものへのエコロジー課税で将来的に補おうとした。

 しかしそのような理想への回帰は、国家利益、産業利益を求めるロビー活動によって懐柔され、シュレーダー政権誕生の一年後には180度転換を余儀なくされた。

そして2000年初頭からの「アジェンダ2010」の福祉と労働市場改革は、福祉と労働賃金削減によって国際競争力強化で強国ドイツの復活であった。

それはまさに、戦後の基本法で固く誓われた「国家のためではなく、国民のためのドイツ」を反転させるものであった。

 具体的には2003年に「解雇制限法の緩和」を復活させ、さらに2005年にはハルツ第4法成立で労働法改革が完成し、これまで築き上げられてきた労働者の権利が根こそぎ奪われて行った。

 すなわちそれまで32ヶ月の失業保険期間(12ヶ月へと短縮)を過ぎても専門職が見付からない場合、無制限に前の職場での総収入の57パーセント(保険期間中は子供世帯で67パーセント)が失業扶助されていたが、そのような手厚い扶助がなくなり、「失業扶助」と生活保護にあたる「社会扶助」が「失業給付2」として一本化された。

しかも「失業給付2」は資産査定によって預金などが当局によって自由に調べられるようになった上に、申請者は屈辱感に耐えなければならず、資産が見つかれば受け取れない生活保護者に転落した。それゆえ支払われる場合も給付額が激減した(住宅手当などを除き、旧西ドイツ州では月345ユーロ、旧東ドイツでは月331ユーロ)。

 このような恐怖のハルツ第4法によって、ドイツの市民の暮らしは一気に質が低下しただけでなく、ドイツ市民の8人に1人を相対貧困者に没落させたのであった(逆に一握りの人たちは恐るべき富を手に入れている)。

こうした豊かであったドイツ社会の激変は、シュレーダー政権のシュレダー演説の政権誕生時からの激変を見れば明らかである。

 

1999年以降のシュレダーの政府演説では、徐々に新自由主義の教義や常套文句が巧妙に羅列されて行き、2005年3月17日のシュレーダーの政府宣言(Die Bundesregierung BULLTIN NR.22-1-10)の巧妙な発言は、それを明確に検証している(注2)。

 

「弱者対して強者、病人に対して健常者、そして」老人に対して若者が責任を持つといった社会んの連帯は、美徳であると同時に重要である。しかしそれを実現するには、経済的成功が前提条件である」(実際は強者の富のしずくはなく、強者の富は弱者から奪われている)

 

「健康保険改革、年金保険改革、そして労働市場改革の法案成立はあくまでも改革過程の必要条件であり、始まりにすぎない」(福祉と労働コストの絶えざる削減)

 

労働市場について話すものは、ドイツの教育について語らなければならない。我々は度々議会においてそれについて議論し、論争してきた。とりわけ我々自身の後継者の面倒をみるのは、経済の責任である」(国益に奉仕する新自由主義教育)

 

「はっきり言えば、職業教育を受けないものは、経済的に自らの乗っかっている枝を鋸で切るようなものだ」(自己責任)

 

 このようにシュレダーが明言する時代は、富の追求が絶対的な善とされ、ドイツの民主主義が懐柔された時代であり、独露のウインウインの関係が築かれた時代であった。

 しかしそのウインウインの関係こそが、嘗てのソ連官僚支配体勢をよみがえらせ、ロシアを帝国主義的にウクライナへ侵攻させているとも言えるだろう。

 

(注1)出典など詳しくは自著『ドイツから学ぶ希望ある未来』参照(57頁から60頁)。

 

(注2)シュレダーの発言を翻訳したものであるが、ドイツ語原文など詳しくは自著『ドイツから学ぶ希望ある未来』参照(54頁から57頁)。

 

 

 『2044年大転換』出版のお知らせ

 

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 尚今回から、退歩も踏まえて、絶えず進化してきたドイツの民主主義を理解してもらうため、『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』から抜き出して、少しづつ載せていきます。

 

世界最上と自負するドイツ基本法(123頁から127頁)

 

 ドイツ第二公共放送ZDFが二〇〇九年に制作放映した『最上の憲法、六〇周年基本法(In bester Verfassung - 60 Jahre Grundgesetz)』では(1)、ヘレンキムゼーでの憲法草案の第一条で「国家は国民(人間)のためにあるのであって、国民は国家のためにあるのではない(Der Staat ist um des Menschen willen da, nicht der Mensch um des Staates willen.)」の明言から始まっている。

 それゆえ発効されたドイツ憲法基本法は、「国家は国民のためにある」を柱として、第一条「人間の尊厳は不可侵である」から始まり、第二条「人格と人身の自由」、第三条「法の前での全ての人の平等」、第四条「信仰、良心、告白の自由」、第五条「表現の自由」、第六条「婚姻、家族、非嫡子の国の保護義務」、第七条「学校制度」、第八条「集会の自由」、第九条「結社の自由」、第一〇条「通信の秘密」、第一一条「移動の自由」、……第一六条「迫害されている者の庇護権」、……第二〇条「抵抗権」に至る二〇条の基本原則を不可侵としている。すなわちこれらの基本原則で「国家は国民のためにある」を実現し、これらの基本原則は民主主義の議会でさえも、多数決で改正できない。

 しかも第一九条四項では、「何人も、公権力によってその権利を侵害されたときは、出訴することができる」とし、違憲訴訟や行政訴訟を容易なものとすることで、従来の官僚支配を官僚奉仕へと導こうとしている。

 また基本法の基本原則を不可侵としたのは、ナチズムが民主主義の多数決に基づいて議会と法を支配し、合法的に独裁政権を誕生させ、官僚支配によって六〇〇万人ものユダヤ人を抹殺したからである。

 そのような恐るべき罪を犯した戦後ドイツは、憲法創設が西側占領国の指令によって着手され、一九四八年六月ロンドン会議で二度と強国ドイツを許さない「連邦制の統治構造」にすることが決議された。これに対して東側占領国ソ連及び東側八か国外相会議はロンドン決議に反対し、東西対立を鮮明にした。そのような(トル)差し迫る状況であったことから、西側占領国から早急の憲法制定が求められ、九月一日からボンで憲法会議を開催することが強いられたと、フイルムは語っている。

 そのような要請に対しドイツの政治家たちは、州の連合といった形態でドイツの憲法が一方的に制定されることを拒み、ドイツ人自らの手で憲法草案を作成することを決意した。その結果、各州議会からの専門家がバイエルン州ヘレンキムゼー島に集まり、自らの憲法草案作成に取り組んだ。

 そこには、西側占領国が求める他力本願の民主憲法ではなく、二度と過ちを許さず、国家が国民のために仕える最上の憲法を作ろうとする思いが、草案作成に参加した最後の生き証人学者ヴァルター・ホルツァペルの回想を通して語られている。

 作成されたヘレンキムゼー草案の中心論述は、「国家は国民のためにあるべきで、国民は国家のためにあるべきではない」であり、それはナチズムの反省から全ての参加者が一致するものだった。

「二度とドイツは独裁者横暴と迫害を許してはならない」、「二度と人々を恐怖政治に晒してはならない」、「二度とドイツは隣人を脅かしてはならない」、「二度と侵略戦争を導いたり、準備を許したりしてはならない」、「二度と戦争と戦争破壊は、飢えと不安で子供たちの子供時代を奪ってはならない」、「二度と家族は互いに引き裂かれるべきでなく、子供に高貴な生き方を与えなくてはならない」。フイルムで叫ばれるこれらの明確な要請を、草案は九月に始まったボンでの憲法作成の議会に盛り込むことを求めた。

 具体的草案の作成者は、議会評議会の女性議員四名を含めたキリスト教民主同盟社会民主党自由民主党共産党からなる六五人の議員であり、第一条の「人間の尊厳は不可侵である」は委員の全員一致で決議されたが、そのような一致は寧ろ例外であり、屡々議論は激しく対立したと語られる。

 しかしそのような対立する激しい論議こそ、「民主主義の授業だった」とも語られている。特に激しく対立したのは、第三条の男女平等の権利であり、女性議員からは、「戦争中男性は働く場所があてがわれていたが、女性は瓦礫の山に立つしかありませんでした」と当時の無念な思いが語られ、「どうしてそのように男女の値踏みがされていたか、今日モラル的要請があります」と、四人女性議員は党派を超え結束し、男女平等の権利獲得を求めた。しかし男女平等の権利は長く放置され、一九五七年に連邦議会で男女平等法案が可決されても、納得のいくものではなかったとナレーションは語っている。

 また議会評議会を率いた議長のキリスト教民主同盟コンラッド・アデナウアーと社会民主党カルロ・シュミットは絶えず衝突したが、議長アデナウアーは司会者のように雰囲気を創り出し、委員長シュミットは妥協決着で一つに結束させたと、議会歴史家フェルド・カムプは二人の基本法への貢献を称賛している。

 このようにして、現在において世界最高と評価される基本法は一九四九年五月二三日に公布された。しかし歴史的瞬間は決して期待を喚起するものではなく、新聞や国民の反応は冷めていた。

 国民はソ連占領下の東側も含めたドイツ全体の基本法を望み、西側だけの基本法を暫定的なものと見なしていた。しかし国民のその望みも、東側が一九四九年一〇月ドイツ国民議会においてドイツ民主主義共和国憲法を決議することで、あえなく断たれた。

 しかも西ドイツの人々は、戦争の傷跡から社会が正常に戻ることを優先させ、社会を根底から問い直す大きな政治を望まなかったと語っている。

 そしてここからフィルムは、基本法を六〇年間に渡って守り育んできたカールスルーエの連邦憲法裁判所に視点を移している。

 ここでの赤い職服の裁判官たちが長年新しい法律が基本法に違反していないか検証し、政治に制約を与え、市民を国家の恣意から守って来たと、具体的な重要判決を挙げて語っている。

 

戦い育む憲法裁判官たち(128頁から138頁)

 

 連邦憲法裁判所は二つの法廷があり、各々八人の裁判官から構成され、基本法が誕生して間もなく、裁判官たちはこれまで人を寄せ付かなかったドアを開き、見えるようにしたと語られる。(連邦憲法裁判所の一六名の裁判官は連邦議会連邦参議院で、選挙での政党投票率で各党推薦の各々八名の裁判官を選出している)

 現職の連邦憲法裁判所長官ハンス・ユルゲ・パピア(Hans Jürgen Papier)は、協議室では意見の一致が見られないことに対し、「議論する裁判官の気質は、ある者は激し、ある者は冷静であり、活発な議論で争われることが想像できるでしょう」と語り、寧ろ意見の一致が見られないことが、民主主義を学ぶことであったと語っている。

 そしてカールスルーエ憲法裁判所は、凡そ年間六〇〇〇件もの抗告を引き受けていると語られる。(注 そのような数の抗告を二法廷で引き受けることは不可能であることから、抗告事例は裁判官の選ぶ法律専門調査官が調べて処理し、重要なものだけを裁判官が協議する)。

 これまでの連邦憲法裁判所の大きな抗争として、一九五六年の共産党KPD抗争があり、憲法裁判所は共産党に対して基本法を敵視すものとして禁止した(2)。

 この件の原告は連邦政府で、ドイツ共産党東ドイツ発案の『全独抵抗』を採択し、革命的な暴力闘争を通じて『アデナウアー政権』の打倒を求めているというのが、主な提訴理由であった。これに対して共産党の抗弁は、「自由な民主的諸原則と矛盾する政府活動に抗して、反対して闘争しているに過ぎない。反政府党であるというだけでドイツ共産党違憲提訴することは、提訴権の乱用である」と反論した。

 しかし連邦裁判所は、「基本法二一条二項からして提訴件の乱用ではないとし、共産党アジテーションプロパガンダ、声明、パンフレット、党機関紙は明らかに連邦共和国憲法制度に敵対している」として、共産党の禁止を判決した。そして判決文では、「自由の敵には無制限の自由を認めない」と明言している(3)。

 そしてフィルムは、この判決が戦後史の最も影響を与える判決であり、連邦共和国は堅固な民主主義であるという警告のサインであったと語っている。

 また一九七五年の妊娠中絶に対する判決(2)も、激しい論争を巻き起こしたと語っている。これは一九七四年社会民主党SPDと自由民主党FDPの連立政権が、女性が健康や社会的問題を訴えた場合妊娠一二週間以内なら期限付きで妊娠中絶を認める法を成立させたことに対し、五つのキリスト教民主同盟政権の州政府が提訴したものであった。

 連邦憲法裁判所の判決は、基本法第一条一項「人間の尊厳は不可侵である」、及び第二条二項「誰もが生命と身体の完全性を持つ権利を有する」を理由に、子宮の生命の保護は、妊娠の全期間にわたって妊婦の自己決定の権利よりも優先されるとして違憲判決を出し、妊娠中絶はドイツ統一後の一九九二年まで待たねばならなかったと語っている。

 さらに大きく争われた憲法裁判に、一九八五年のブロックドルフ原発反対運動をめぐっての画期的な判決がある(2)。

 政府は原発推進が国策であるなかで、原発反対運動が大規模化し、一部が暴力を振るったとしてデモや野外での集会を規制、もしくは禁止した。これに対して原発反対運動主催者側は、この政府措置を違憲として提訴した。

 憲法裁判所の判決は、集会やデモの自由は基本法第八条一項「すべてのドイツ人は、届け出または許可なしに、平穏かつ武器を持たないで集会する権利を有する」の理由から、基本的に「届け出や許可なしに」できるとし、政府措置を違憲と判断した。

 判決文では一部に暴動が予想される場合もデモ参加者の集会の自由は守られなくてはならないとし、禁止はデモ全体が危険なコースを採る場合においてのみ可能で、その場合も当局は平和的デモ参加者が基本的権利を行使できるようあらゆる手段を尽くさなくてはならないとしている。さらに平和的デモ参加者の集会は、「世論形成に関与する目的 」であるとしている。

 またフィルムでは、二〇〇六年のカールスルーエの裁判官たちは、前年に決議された航空安全法(Luftsicherheitsgesetz)に基づく、テロ容疑旅客機の砲撃を可能にする法案に違憲判決(2)を下したと語っている。

 ここでの連邦憲法裁判所は、旅客機の乗客の命を国家のために犠牲を強いるものであり、人間の価値を否認するものであり、基本法第一条の人間の尊厳を侵害することから違憲と判決している。

 このようにして連邦憲法裁判所は、政治を正して基本法を守ってきたことを強調している。しかもその基本法は国民が追読みできるよう、街中に表示されており、国民の代表は基本法を決して視野から失うことはないだろうと強調している。

 しかしそのような努力にもかかわらず、二〇〇九年五月における現在のドイツでは、全土で二五〇万人以上の子供たちや若者が貧困基準以下で暮らしているとフィルムは述べ、「政治はこの課題に降伏するのか?」と問い正している。

 この現実の重い課題に対して、現職の連邦憲法裁判所裁判官のクリスティネ・ホフマン・デンハルト(Christine Hohmann Dennhardt )は、「私は基本法の子供の権利保護を支持します。何故なら、子供たちは将来の基本法の担い手であり、両親の保護、社会の保護、国の保護を必要だと見るからです」と、政治に貧困から子供を守ることを要請している。

(日本では裁判官のこのような公での意見表明は、裁判官の中立義務を欠くとしてあり得ないことであるが、ドイツでは後述するように裁判官がデモに参加して意思表明することも、基本法に沿うものであるなら中立義務より優先されている)。

 さらに浮上して来ている問題が、アフガニスタンにおけるドイツの国連軍参加であり、ドイツ兵戦死者の増加で問題視されていることを取り上げている。

 基本法作成時点では、議会評議会は「戦争準備は基本法で禁じられ、それ故戦争と称されるものは、処罰されなくてはならない」と決議し、再軍備を禁じた。しかしそれにもかかわらず、ドイツは再び戦争に関与しており、政治家は危機の克服のため、戦闘防止のためと称することを好むと、フイルムは問い正している。

 戦闘に対して現職の連邦憲法裁判所長官ハンス・ユルゲ・パピアは、「戦闘は防衛に対してだけであり、防衛以外では基本法に沿うとはっきりする場合のみ動員が許される」と明言し、アフガンでの戦闘を批判している。

 ドイツが再び戦争に関与するようになった経緯は、一九五〇年代東欧の共産化が脅威となり、ドイツも自ら東ドイツから防衛することを求めたからである。また周辺国家が、ドイツの国家主権を回復する条件として、欧州軍としての再軍備を求めたからである。

 そうしたなかで一九五四年基本法が改正され(第四次改正)、防衛のための再軍備合憲を明確化した(4)。もっとも戦前の軍事国家へ戻らないため、防衛のためとは言え、ドイツ単独の軍事行動には歯止めがかけられ、集団相互安全の行動を明言し、一九五四年一〇月軍備の上限、ABC兵器(A核・B細菌・C化学)を所有しないことを誓約することで、北大西洋条約機構NATОに加盟した。

 また一九五七年連邦軍が創設された際は、「軍隊の民主化、軍隊の国民管理」が目標に掲げられ、職業軍人による暴走を起こさないため、制服を着た市民の徴兵制が実施されて行った。しかしながら基本法では、兵役拒否の権利が保証されており、後に良心的兵役拒否の権利が一九八三年に基本法に新たな法律として明記された。

 しかし世界情勢の変化でNATО及び国連軍としての参加要請が増大し、フィルムで見るように一九九二年のユーゴスラビア市民戦争では、ドイツ連邦軍の偵察飛行が憲法裁判所で問われた。それに対するカールスルーエの一九九四年判決(2)は、紛争地域での戦闘能力動員は政府の自由裁量とするのではなく、基本法の趣旨に沿った連邦議会決議を必要とすることを言渡し、一定のブレーキをかけた。

 この一九九四年カールスルーエ判決を、パピア長官も「当時のいわゆる拡大決定のなかで、非常に重要な決定であった」と賛美している。しかし動員に歯止めをかけたやり方は長く続かず、国際政治は地域紛争を多国籍軍で解決することを求め、ドイツは関与を容認しているとフィルムは語り、暗に再考を求めている。

 さらにフィルムで取り上げられたもう一つの大きな問題は、監視カメラやパソコン、携帯などでのプライベートな住居空間への侵入である。

 基本法一三条一項では「住居は不可侵である Die Wohnung ist unverletzlich.」とし、二項以降で捜査ができる場合を限定した。しかし組織的犯罪や国際テロの増加、とりわけ二〇〇一年九月一一日のニューヨークテロ攻撃で、警察の情報収集活動が強化されていき、基本法を実質的に変化させた。

 それゆえ二〇〇四年始めカールスルーエの連邦裁判所は、九年前にコール政権で出された大盗聴法(電話だけではなく、夫婦の営みまで一切合切の盗聴)に違憲判決を出した(2)。その際司法に関与する法務大臣経験者や連邦裁判所裁判官たちは原告側に立って、基本法の「住居は不可侵である」を守ったと語っている。

 前の法務大臣ザビーネ・シュレンベルグ

(Sabine Leutheusser-Schnarrenberger 一九九二年から一九九六年、及び二〇〇九年から二〇一三年連邦法務大臣自由民主党FDP)は、「大盗聴法の違反採決は大きな成果であり、素晴らしい打開判決に満足しています」と絶賛して述べている。

 また現職連邦憲法裁判所裁判官クリスティーネ・ホーマン・デンハート( Christine Hohmann-Dennhardt 一九九六年から二〇一一年まで連邦憲法裁判官社会民主党SPD)は、「プライベート生活で中心領域の絶対的保護があるとするなら、住居への侵入はできない筈です。住居は、私たちの今日の時代において人間であれる場所であり、いわばプライベートを残している最後の砦です。私はこのプライベート空間が、基本法に従い必須の絶対的保護空間だと思います」と明言している。

 しかしそのような大盗聴法の違憲判決にもかかわらず、政府は二〇〇八年G8などでのデモ過激化を理由に、市民のプライベートへの侵入を可能とし、個人データを押さえ、安全法案での抗争を拡大し、電話やコンピュータ監視を強化した。

 これに対して、司法関係者も党派を越えて戦い、シュレンベルグ法務大臣は、貯蔵データ蓄積に反対して自ら連邦憲法裁判所の提訴人になったと述べている。またデンハート連邦憲法裁判官は、国家の責任は市民の安全性を保証することであるが、この履行限界が何処にあるかが重要であり、私たちは前例を越えて立法に抑止をかけ、この限界の境界書を書いて戦ったと述べている。

 そして前の連邦裁判所長官ユタ・リンバフ(Jutta Limbach一九九四年から二〇〇二年長官)は、「連邦憲法裁判所は、模範的やり方で安全性と自由のバランスを絶えず調節し、適正な平行をもたらしていると思います」と結んでいる。

 このように現職を含めて憲法裁判所の裁判官や法務大臣が必死に戦う理由は、今日の時代が有無を言わせず「監視国家」に向かっているからであり、連邦憲法裁判所が監視国家とならないよう、絶えず安全性と自由のバランスを絶えず【とる)取っていかなくてはならないと、前の長官リンバフは強調している。

 実際二〇〇八年二月の憲法裁判所の「オンライン判決」では、 対象者のコンピューターの中に入りこんでデータを取り出す捜査方法は、 個人の個別のデータ収集にとどまらず、記憶メディアを捜査し、情報技術システムの利用を監視し、さらには遠隔操作を可能とすることで、基本法における市民のプライバシーを侵害するとし、違憲判決を下している(2)。

 そしてこのフィルムの終わりは、七〇年代の社会民主党連邦首相ヘルムート・シュミットが、「ドイツ基本法は世界最上の憲法であり、十分尊大だと思います」と締めくくっている。

 このように基本法が世界最上と自負される理由は、発効当初国民に評価されなかったにもかかわらず、連邦憲法裁判所の裁判官たちが国民の先頭に立って「国家は国民のためにある」を守り、戦い育んできたからに他ならない。

 それこそが、ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変え、ドイツの絶えず進化する民主主義を創ってきたと言えるだろう。

 

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(369)~(371)」

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2019/07/20/112746

 

(2)連邦憲法裁判所の重要な判決

https://de.wikipedia.org/wiki/Bundesverfassungsgericht#Bedeutende_Entscheidungen

(3)KPD禁止

https://de.wikipedia.org/wiki/KPD-Verbot

  

(4) 

https://www.bgbl.de/xaver/bgbl/start.xav?startbk=Bundesanzeiger_BGBl&jumpTo=bgbl154s0045.pdf#__bgbl__%2F%2F*%5B%40attr_id%3D%27bgbl154s0045.pdf%27%5D__1636349257221

(440)ウクライナ戦争が招くインフレ、飢餓、金融崩壊[世界戦争の始まり(7)]

終わりなき戦争が招くインフレ、飢餓、金融崩壊

 

 ウクライナ戦争が終わってくれることを日々切に願っているが、前回も述べたように国連が拒否権によって機能不全なかではそれも難しいだろう。

何故なら、ウクライナ軍が欧米支援によって善戦すればするほど、ロシア軍の残忍な無差別攻撃、空爆やミサイル攻撃が激化するからであり、既に2カ月の戦況がそれを明かしている。

 そして果てしない戦争は、世界のインフレ、西アフリカの飢餓、そして金融崩壊の始まりを既に招いている。それはウクライナ及びロシアが世界の穀物生産を担ってきたからであり、天然ガスや石油の高騰に加えて、上に載せた4月14日のZDFジャーナルが描くように、ドイツでも食料品の高騰は凄まじく、インフレが7%を超えて脅かし始めている。

しかし現在のように戦争が終わりなく続いていけば、食料危機を招くだけでなく、特に穀物などの食品がスーパーマーケットから消える日さえ想定しなくてはならないだろう。

 市場はそのような危機を先読みして、実質金利が上がり続けており、ZDFでは金融政策(量的緩和)の転換を指摘している。

 量的金融緩和は日本が不況を乗切る政策(アベノミクス)として世界で最初に2013年に導入し、毎年数十兆円規模の景気刺激政策で国債を発行し、民間銀行にその国債を買い取らせ、日銀が市場金利より高く買取るという仕組みで市場にお金を溢れさせ、景気を活性化するものであった。

 しかし銀行に溢れるお金は、リスクあるものには貸されず投機に向かい、景気を活性化せず、本当に必要とする市民の手に入らなかった。

 そのような量的金融緩和は、サブプライム以降お金に飢えていた欧米でもすぐさま始まり、アメリカであればFRBアメリ中央銀行)、EUであればECB(欧州中央銀行)が債券を買取り、世界の金融市場にお金を溢れさせてきた。

 しかしドイツでは、2020年5月ドイツ憲法裁判所がこのようなECBの量的金融緩和に、違憲判決とも言うべき異議を唱えた(1)。

ドイツ憲法裁判所が異議を唱えた理由は、第一次世界大戦後賠償費用を工面するため、意図的に資金供給量を増大し続けていたが、突然金融制御ができなくなり、ハイパーインフレを招いた苦い経験からであった。

すなわち量的金融緩和の仕組みは、一見安全であるように見えても通貨増刷では同じであり、一旦インフレが加速すると制御不能に陥るからであった。

 それゆえEUはコロナ復興債後は審査も厳しく、金融緩和を少なくすることを表明していたが、EU諸国にとって利子のない国債発行は魅力的であり、3月初めの総会では継続を望んでいた。

しかしウクライナ戦争の影響で物価が恐ろしく高騰していくなかで、ドイツ銀行のヨアヒム・ナーゲル新総裁が金利引き揚げ前の躊躇を警鐘したことを受けて、ZDFが量的金融緩和の転換と指摘して報道したのであった。

 確かにインフレと戦うためには金利引き揚げは優先事項であるが、終わりのない戦争が続くなかで決してバラ色ではなく、ZDFジャーナルが指摘するように市民のインフレとの長い戦いが続くのである。しかも債務を多額に抱えるギリシャポルトガル、イタリアでは金利上昇が重くのしかかろうとしている。

 

(注1)ドイツ憲法裁判所が異議判決

https://www.bundesverfassungsgericht.de/SharedDocs/Entscheidungen/DE/2020/05/rs20200505_2bvr085915.html

 

 

ゼロ金利継続しかない日本の絶望的未来

 

 量的金融緩和創設者の浜田宏一(東大及びイェール大学名誉教授、安倍政権の内閣官房参与)は、当時の「お金をじゃぶじゃぶ印刷してデフレをインフレに転化する」ことに対して、「アベノミクスは実現可能なネズミ講システムであり、普通のネズミ講は破綻するが、政府の行うものは必ず次の納税者が現れ、健全化する」と語っていた。

しかしその後の経過は、アベノミクスによって一握りの企業及び人々が益々裕福になるだけでなく、一般市民の豊かさは益々奪われるだけでなく、日本の負債額は僅か30年で天文学的に増え続け1400兆円を超え、国債の負債だけでも1000兆円を超えるまでに増え続けている。

 私自身はアベノミクスの「賃金をあげます。景気をよくします。平和をまもります」を、国民を破綻へと連れていくハーメルンの笛吹とブログでも警鐘し続けてきたが、今まさに破綻への途が始まろうとしいる。

 確かに国家が絶えず成長するならば、新自由主義信奉者の浜田宏一が唱えた「実現可能なネズミ講システム」も正論であろう。しかし現代の世界が絶えず成長することが難しくなるなかで、量的金融緩和にしても、先のサブプライム金融工学お墨付きで6000兆円売上たデリバティブ金融派生商品)も、「絶えず成長」を掲げるグローバル資本主義錬金術であることは明らかであろう。

 そして日本の場合金利を上げれば負債利子が増大することから、欧米のようにインフレと戦うために利上げができず、益々日本円の価値が失われて行くだろう。

しかも終わりなきウクライナ戦争のなかで、食物依存国日本のインフレは5月以降突出して激増していくことが予想されており、気候変動が招く洪水や干ばつの激化による食料危機が重なれば、ドイツ憲法裁判所が懸念したようにハイパーインフレに突き進み、金融崩壊で絶望的未来を甘受しなくてはならないだろう。

 しかし来るべき金融崩壊、食料危機、感染症危機という禍を、禍を力としてよりよい日本、よりよい世界を創ろうとするならば、塞翁が馬に見るように「禍を転じて福と為す」ことも可能である。

そのように確信して、現在の世界の危機、日本の危機を乗り越える文明救済論『2044年大転換・・・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ救済論』を検証を踏まえて書き上げたので、是非読んで欲しい。

(尚今回は本を書き上げた際の思い、「あとがき」を下に載せておきます)

 

ドイツ大統領訪問が拒否される理由

 

 

 訪問拒否の鍵はゼレンスキー大統領の連邦議会演説にあり(注1)、「経済、経済、経済優先が新たな壁を造ろうとしている」という思いに集約される。

それは社会民主党SPDが伝統的に東方外交を重視し、シュレーダー政権ではドイツとロシアを結ぶ天然ガスパイプライ(ノルドストリーム計画)開発に着手し、シュレーダー自身が政界引退後開発の本体巨大企業ガスプロム(半国営)の相談役に就任したことからも関係の深さが伺える。

そしてシュタインマイヤーの政界入りはシュレッダーの個人秘書から始まり、シュレッダーがニーダーザクセン州首相であった際は州首相府長官であり、シュレーダー政権では首相府政務次官として、「アジェンダ2010」、ハルツ法改革という新自由主義政策を推し進め、2005年から2009年まではメルケル政権の外相として、ノルドストリーム2を推進してきた経緯がある。

 もっともドイツでは、2008年の金融危機以降新自由主義への批判が高まり新自由主義に対しては、「新自由主義の唱える自由とは、リベラルな自由ではなく、公共の規制さえ壊す自由であり、自由化が完了すれば巨大支配によって自らの規制を作り出す自由である」という見方が、産業分野を除き主流になってきている。

 そのような新自由主義の過ちを、社会民主党は2007年党大会のハンブルク綱領(注2)でいち早く反省批判したにもかかわらず、ハンブルグ綱領を指揮したクルト・ベック党首を翌年には引きずり降ろし(注3)、党首を受け継いだのがシュタインマイヤーであり、シュレッダーの新自由主義及びシュレーダーのロシア企業癒着という遺産を引き継いだと言っても過言ではないだろう。

 ドイツの市民はそのような背景を熟知していることから、社会民主党の支持率は以降年々減少し、2021年5月の世論調査では支持率15%まで低下していた。

 しかしキリスト教民主同盟の内紛や緑の党首相誕生への懸念が高まったことから、漁夫の利を得て社会民主党連立政権が誕生したと言えるだろう。現在の社会民主党オラーフ・ショルツ首相は、ハンブルグ市長を経歴した後2018年からメルケル政権で財務大臣を務め、公正を求めて反新自由主義の金融取引税導入に取組んできたこと、及びシュレッダーの息がかかっていない地道さが評価され2021年末首相になったと言えるだろう。

 もっともシュタインマイヤーもドイツ大統領就任後は、ドイツ産業のロビー活動に縛られた社会民主党の枠組から解き放たれた性か、理想的な大統領として国民に奉仕し、平和外交に献身していることも事実である。

それゆえ今回の連邦大統領訪問拒否は、ノルドストリーム2さえ廃止ではなく、一時的停止であり、未だにシュレーダーガスプロム取締役から引きずり降ろせない、経済優先のドイツへの苛立ちの現れであったように思われる。

 そのような苛立ちは、この2か月間の戦争で多くの市民がジェノサイドされるだけでなく、多くの美しい都市が瓦礫と化すなかで、不撓不屈の精神で戦っているゼレンスキー大統領を思いやれば、ドイツ連邦大統領訪問拒否は当然であり、ドイツ及び欧米は見込みのないロシア敗北を望むよりも、あらゆる手段で停戦平和をもたらすことを最優先すべきであろう。

 

(注1)ドイツ連邦議会でのゼレンスキー大統領全演説(字幕付き)

https://www.youtube.com/watch?v=QQg5o4vw8AU&t=303s

 

(注2)社会民主党ハンブルグ綱領

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20121006/1349531794

 

(注3)クルト・ベック党首引き摺り下ろしの背景

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20121013/1350135599

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

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「あとがき」

  現在私自身、鈴鹿山麓のふもとで自給自足を目指して農的に暮らしている。事実既に主食の玄米だけでなく、日々の殆どの野菜も自給できるようになって来ている。また家の修理で大工仕事をしたり、ストーブの薪調達で知人の山に入ったり、倒木や間伐でチェーンソを使い、老いにも負けず、自ら調達できるようになって来ている。 

 そのように暮らしに必要なもの(サブシステム)を自ら創り出すことは楽しいことであり、生きがいと喜びを感じている。

 もっともそうした暮らしは、特に還暦を過ぎて一層強まり、稼ぐことを止め、僅かな年金と少々の蓄えで自由に生きたいと思ったからでもある。

 農的暮らしは体を壊して退職した時から始まっているが、土を耕し、汗をかくことは気持よいだけでなく、楽しいことである。

 それは土を耕す単純作業が楽しいのではなく、土を耕すことが私にとってゆったり思索できることであり、自らを内観できるひと時でもあるからだ。

 それゆえ何事も長続きしない私が、半世紀近くも農的暮らしが続いて来たと言えるだろう。

 そして今世界に目を転ずれば、地球は確実に壊れ始めており、現在の抑制と成長を求める対処ではカタストロフィを最早避けられないだろう。

 それは、利益追求の欲望が益々膨らみ破裂する未来であり、気候変動の最悪のシナリオを歩み、人々が食料に餓え、感染症の蔓延で社会全体が機能しなくなる恐ろしい未来でもある。

 しかし地球が壊れていくことを止めることは最早できないとしても、壊れていくなかで、その原因を生み出しているお金を追求する世界のしくみを、人々の幸せを追求するしくみに変えていくことができれば、カタストロフィを免れ、地球は再生へと向かい、未来は再び輝き始めるだろう。

 現在の降りかかる禍を、「地球が壊れて行く禍こそ、よりよい世界を創り出す力である」と信じるならば、未來への希望にもなり得るだろう。

 それは、「私が体を壊し、(両親には絶えず親不孝をかけ続けたことを悔いてるが)、線路のない人生を半世紀近く面白く歩んできた」と、今思えることにも似ている。

もっとも世の中のことは殆ど思ったように行かず、思ったように行かない事を力として農的暮らしをしてきたからこそ、そう思えるのである。

 農的暮らしをしたことのない人にとって、暮らしに必要なものを自ら創り出そうとする暮らしは大変に思えるかも知れないが、私のように怠惰で不器用な人間でも長期に続く、自らを救済する自由な暮らしである。

 そのような農的暮らしに、世界の人々が転ずることができれば、まさに「禍転じて福と為す」と思い、最後まで書き上げた。

 

二〇二一年一二月末日

                      

                               関口博之

 

(439)戦争のない世界を創り出すためには[世界戦争の始まり(6)]

終わりなきウクライナ戦争

 

 ブチャーの虐殺は、目的達成のために人間をモノとしてしか扱わなくなった近代戦争を象徴し、絶滅戦争であることを明らかにしている。

 4月7日のZEIT No. 15/2022)の記事によれば(1)、「ロシア軍がブチャー撤退後、そこには何百人もの村人が殺されているのが発見され、路上や自転車の横、あるいは逃げようとした車に横たわっていた。何人かは縛られ、頭を撃たれ、体が焦げていたり、すでに半分朽ち果てていたりした。年老いた人もいれば、子供もいた。何百もの遺体が集団墓地に埋葬され、一部はビニール袋に入れられていた」と、村人すべてのジェノサイドであることを伝えていた。

 上に載せた4月8日のZDFheuteが報道するEU委員長ライヱン女史のキエフ訪問は、そのブチャー村での戦争犯罪立証と、ウクライナEUの側にあることを明示するものであった。

 しかしそれは戦争の終わりへの第一歩ではなく、むしろ西側とロシアさらには中国を含めた東側との世界戦争の始まりを予感させるものであり、終わりなき戦争を明示しているようにさえ思える。

 何故戦争が終わらないかは、戦争を終わらせる国連の安全保障理事会が機能しないからである。それは国連設立の際、中国、フランス、ロシア、英国、米国に特別の権限である拒否権を与え、五か国全員の同意なくして実効性のある決議が採択できないからである。

拒否権の背景は、国連誕生に奔走した五か国が、世界の平和と安全を維持する責任と義務を果たすことを期待して、あくまでも対話によって全会一致の同意を求めたことにある。

 しかしそのような理想は、すでに誕生当初から西側と東側の対立があり、玉虫色の決着でしか設立できなかったことを裏返しているように思われる。

それゆえ国連の世界の平和と安全を維持する機能、すなわち最終的に国連軍投入で力による維持機能は、戦後の繰り返されてきた戦争では殆ど発揮されず、絶えず戦争を警告するだけで傍観してきたと言っても過言ではない。

 しかも五か国の拒否権を変える手段は、改革案が国連総会で決議されても拒否権が行使されることから、全くないと言える。

4月7日国連人権理事会が開催され、ロシアの理事国資格停止が93カ国の賛成で決議された。それは国連を通しての出来うる限りの制裁であったが、反対国と棄権国の多さからして、むしろ問題の深さが浮き彫りにされた。決議には中国、北朝鮮など24カ国が反対したのは想定されていたとしても、棄権はインドだけでなくブラジル、メキシコ、アラブ首長国連邦(UAE)など58カ国もあったことは予想外であった。

それはこれ以上の経済制裁がなされても、抜け穴だらけであることを示すだけでなく、このままウクライナ戦争が終わりなく続いて行けば、世界は二つに分かれて、人類を滅ぼす世界戦争に巻き込まれて行くことを啓示しているようにさえ思える。

 

(1)

https://www.zeit.de/2022/15/butscha-graeueltaten-russland-soldaten-krieg/komplettansicht

 

 

戦争のない世界を創り出すためには

 

今回の独裁者プーチンによる残忍な虐殺も厭わないウクライナ戦争は、先送りされてきた多くの問題を露わにしている。

そもそもプーチンのような独裁者帝国を生み出したのは、ドイツがヒトラー独裁帝国を生み出した要因と同じである。

すなわちワイマール共和国では経済の自由が格差を生み出し、大部分の市民が困窮する時公平さが問われ、国家社会主義が必然的に誕生した。現在のロシアでも同様であり、ソ連崩壊後ロシアも新自由主義の侵攻で格差が肥大し、市民の困窮を招いたからこそ強国ロシア復活を望み、表面的公平さを強いるプーチン独裁国家を誕生させたとも言えよう。

それゆえ現在の格差肥大に、世界が本質的に取組まない限り戦争はなくならないだろう。

 しかし残忍な戦争を止めることは、国連が機能していれば可能である。すなわち紛争が起きるやいなや、紛争地に国連軍投入で緩衝地帯を創り出し、国連軍への攻撃に対しては力によるあらゆる手段が採られることを徹底して行けば、戦争のない世界を創り出し、紛争の本質的解決は難しいとしても、司法によって解決することは可能である。

 しかし今回のウクライナ戦争が露見させたように、現在の国連は機能しないことは明らかである。現在の国連が機能しないのであれば、国連を解散して、新たな機能する国連を誕生させるしかない。

もっとも現在の国連を解散することは、拒否権から不可能であり、平和維持に機能する新たな国連を創設するしかない。

しかし現在の無法で残忍なウクライナ戦争にもかかわらず、今回の決議で棄権を含めて82か国もが、国益を求めて今回のロシアの理事国資格停止に賛成しなかったことは、新たな機能する国連を誕生させても、実質的にはイラク戦争における有志連合となり、ともすれば世界戦争を煽ることにもなり兼ねない。

 そのような観点からすれば、今回の戦争を終わらせることは絶望的である。

たとえプーチンが亡くなったとしても、ブチャーやマウリポリのジェノサイドを犯し、さらなる戦争犯罪を拡大させているプーチン官僚支配組織は、ナチズムに見られたように裁かれることを恐れて降伏することがないからである。

すなわちロシアの降伏は敗北しかなく、ヒトラー独裁帝国では敗北が可能であったとしても、世界最大の核保有国ロシアにおいては降伏はないからである。

 そのような私の悲観論からすれば、世界は二つに分かれ、境界線では絶えず戦争を繰り返し、ジョージ・オーウェルが描いた『1984年』の全体主義監視世界に向かっていると思わずにはいられない。

 

尚最近出した『2044年大転換』では、国益を優先する国民国家の現在の国連では、戦争だけでなく、気候正義や社会正義に対しても機能しないことから、世界の地域からなる新たな地方政府連合が、押し寄せる禍を通して、禍を力として必然的に2035年に誕生し、戦争のない世界、誰もが幸せに暮らせる世界を創出することを、検証しつつ述べている。

それは、単なる警鐘未来シナリオではなく、私が半世紀に渡って学んできた「ドイツの絶えず進化する民主主義」の到達点から演繹されるものである。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

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今回は何故このような本を書くにいたったかを理解してもらうために、推敲原稿から「はじめに」を載せておきます。

 

 

はじめに

 私がドイツに関心を持つようになって半世紀にもなる。最初は大学封鎖時の有機化学研究室で化学実験のドイツ語原書を読みあったことから、それ以後ドイツに関心を抱き、ドイツを向いて生きてきた気がする。

 最初は私の専門の化学であったが、製薬会社研究所を体の不調で退職してからは、暮らしと自然の調和を求めるエコロジーへと拡がって行った。

 それが、妙高で農的暮らしをするなかでの宿泊業へと導いた。しかし当時八〇年代末は、リゾート開発が錬金術であった時代であり、持ち上がった子供の通う数百メートル上のゴルフ場開発は、会員権を高く売るための大量殺菌剤散布による緑の芝を保つ開発であり、黙認することができなかった。

 もっともそれは、最初から反対運動というものではなく、「妙高の自然を考える会」を立ち上げて、住民に殺菌剤散布の危険性を知ってもらい、民意で止めたいという思いからであった。しかし地域が利権社会に絡め取られているなかでは、住民の過半数反対署名という民意ですら、開発を止めるものではなかった。

 私が会の代表をしていたことから、区長などの地域ボスたちに呼び出され、きつく苦情を言われるなかで、徐々に強かになって行った。民意無視で開発ゴーサインが出された後も、立ち木トラスト、さらにはゴルフ場開発の水源問題で、関川取水公金不正支出の行政訴訟に参加した(1)。

 しかし九四年訴訟開始から九九年敗訴するまで、何度も地方裁判所のある遠い新潟市まで赴いたが、実を結ばなかった。

 そうしたなかで芽生えたのは、日本は表向き民主国家であるが、実際は戦前の翼賛的な官僚支配国家が継続されているという思いであった。同時に、日本とは対照的に戦後官僚支配から官僚奉仕へ変えて行ったドイツに強く引かれ、日本社会もドイツのように変わらなくてはならないという思いが湧き上がって来た。

 そのような思いから度々ドイツに出かけるようになり、ドイツの現場から学ぶことで、『アルタナティーフな選択・ドイツ社会の分かち合い原理に学ぶ再生論』(越書房)、『よくなるドイツ・悪くなる日本①暮らしと環境』、『よくなるドイツ・悪くなる日本➁政治と社会』(地湧社)を書くことができた。

 しかも、ドイツの小さな都市シェーナウで脱原発を求めて市民電力会社を創設したスラーデック夫妻と知り合い、スラーデック夫妻が脱原発を求めて来日した際半月にも渡って、東京、さらには新潟県巻町から広島まで講演などで一緒し、様々なことを学んだ。

 スラーデック夫妻の来日の目的は、住民投票原発建設撤回を実現した巻町とシェーナウ市の姉妹都市締結であり、夫妻はそれを通して世界に脱原発を訴え、将来的に「核のない世界」実現という遠大な目標を持っていた。しかし残念ながら姉妹都市締結は、平穏でありたいという巻町の意向から叶わなかった。

 それから母を看取るなどで、私のドイツへの探索は何年も中断されたが、還暦を機に二〇〇七年から二〇一〇年までドイツで学び、帰国後遠大な目標を持ってブログ「ドイツから学ぼう」を書き続けている。

 しかし社会は変わらないだけでなく、益々悪くなっていく。

 それにもかかわらず、国民は七〇年以降余りにも平静従順である。そのような平静従順さを、高速増殖炉もんじゅ」がナトリウム事故を起こした際、ドイツの第二公共放送ZDFは批判して、「あらゆる災害を、避けられない運命として受け止めている国民には、地震激震国五〇ヵ所の原発も怖くないのでしょう」と、冷やかに原発事故を警鐘していたが、二〇一一年にはそれが現実化した。

 そして今、気候変動が激化し、感染症が猛威を振う禍なかで、日本及び世界は相変わらず「木を見て森を見ず」であり、いずれ破綻するだけでなく、アメリカのABC放送が警鐘して制作した『地球二一〇〇年』が描く世界のように、機能不全に陥り、世界が滅ぶ未来の現実化に直面している。

 しかし来るべき禍を、どう対処すべきか、世界の一人一人が考え、議論を拡げていけるなら、「禍を転じて福と為す」に見るように、誰ひとり見捨てない、誰もが幸せを感じる世界を創り出すことも可能である。

 本書ではそう信じて、議論のたたき台として『二〇四四年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』を書き上げた。

 それは単なる警鐘未来シナリオではなく、現在あるもう一つの基盤を現実に沿って引き延ばして書き上げたものであり、私がこの半世紀ドイツから学んだ救済の書でもある。

 

 

(1)自著『アルタナティーフな選択・ドイツ社会の分かち合い原理に学ぶ再生論』、越書房、二〇〇〇年

 

 

目次

 

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 

     コロナ感染症が問う社会正義 12

     「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 16

     人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 19 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 24

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 37

     地域の自助経済が創る新しい社会 44

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 54

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 58

     市場が終わりを告げるとき 62

     戦争のない永遠の平和 67 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 75

 

第二章 大転換への途は始まっている

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 82

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?

    ワイマール共和国誕生の背景 98

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 103

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 110

    戦い育む憲法裁判官たち 115

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 125

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 132

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 138

    脱原発を実現させたメディア 150

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 163

 

第六章 人に奉仕する経済の民主化

    危機を乗り越える社会的連帯経済 172

    ドイツの連帯経済 177

    人に奉仕する経済の民主化 182

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える

    気候正義運動が創る違憲判決 192

    文明の転換 196

 

あとがき 204

(438)ドイツが採る塞翁が馬・世界はウクライナを見捨てようとしている(続)[世界戦争の始まり(5)]

ベアボック外相(緑の党)の塞翁が馬

 

 上に載せたドイツ公共第一放送Tagesschauでのアンナレーナ・ベアボック外相インタビューは(3月18日)、午前中にベアボック外相(緑の党)が発表した3つの柱からなる新安全保障戦略を受けての質問であった(1)。

(1)

https://www.tagesschau.de/inland/baerbock-sicherheitsstrategie-tagesthemen-101.html

 

安全保障戦略は、前日17日連邦議会のゼレンスキー大統領の「経済、経済、経済優先が新たな壁を造ろうとしている」の演説に答えるものであった。

それはまだ細部については、他の省庁及び連邦議会の議論を数か月かけ、法案化を目指している。

この新安全保障戦略の第一の柱は、「生命の不可侵、すなわち戦争や暴力から守る安全保障」、第二の柱は「民主主義における私たちの生活の自由な安全保障」、そして第三の柱は「私たちの暮らしの生活基盤の安全保障」である。

それゆえインタビュアーは、安全保障の幅が広すぎるのではないかと質問しているのである。

ベアボック外相はその質問に対して、広すぎることはないと明言し、戦争攻撃から守る安全保障だけでなく、暮らしを守る安全保障が必要であると述べている。ウクライナ戦争で浮上したエネルギー問題も、ドイツがエネルギーをロシアに依存しているからだと述べている。

例えば天然ガスのロシア依存だけでなく、ドイツの主な天然ガス貯蔵施設もロシア企業に、経済利益優先で売却されている現状を批判している。

それは、ドイツの世界最大の化学企業BASFがロシアの世界最大の天然ガス生産企業ガスプロム(半国営企業)子会社に、ドイツにあるBASF所有の全ての天然ガス貯蔵施設(ドイツの貯蔵施設の4分の1)を売却し、BASFがシベリアの巨大天然ガス開発に投資していることを指している(2)。

(2)

https://www.wiwo.de/unternehmen/energie/gefaehrliche-abhaengigkeit-warum-gehoert-deutschlands-groesster-gasspeicher-gazprom/28014654.html

 

こうしたロシアへの資源依存と経済進出が暮らしの安全保障を脅かしており、新たな新安全保障戦略が必要であると説いているのである。

そしてベアボックの会見では、ウクライナ戦争はヨーロッパの安全に広範囲にわたる影響を与える地政学的な転換点だと強調し、安全保障はこれまでの過去から考えるのではなく、未来から考えるものでなくてはならないと説いている。

そこには悲惨な戦争だけでなく、気候変動激化からくる生活基盤の危機に対処できる安全保障でなくてはならず、その実現には利益を優先しない外交、貿易、協働に変えていかなくてはならないという強いベアボックの思いが滲み出している。

 ベアボックはロシア侵攻が開始されるまで、外交交渉で戦争が始まらないよう全力で努めたが、ロシアは国益を求めて侵攻し、欧米諸国も火の粉が降りかかるのを恐れてウクライナへの直接関与を避けるなかで、現在のウクライナ戦争を転換点として、戦争のない平和に安心して暮らせるヨーロッパ及び世界にして行かなくてはならないという、大きな強い意思が感じられる。

まさにそれは、禍を転じて福に変えるベアボックの塞翁が馬である。

 

ハーベック経済相(緑の党)の塞翁が馬

 

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 また連邦経済大臣ロバート・ハーベック(緑の党)は、世界が徹底した経済制裁を発動するなかで、ロシアからの天然ガス禁輸はドイツを大混乱に陥らせると分析警告していた。

しかしそれはロシアからの天然ガス依存を継続を望むのではなく、ロシアからのエネルギー依存を出来うる限り速く断つことを意図するものであった。

すなわち当面は、ロシアが天然ガス輸送停止の万一の場合に備えて、既に述べたようにハーベックは中東を訪問して天然ガスをロシア以外から調達する目途を付けことに努めている。

欧米はプーチンの要求するルーブル支払拒否を決め、ドイツもそれに従うことを決め、万一の場合が急浮上してきたことから、上の写真で見るように3月30日にハーベック経済相は「緊急ガス計画」を発表している(3)。

(3)

https://www.tagesschau.de/wirtschaft/habeck-fruehwarnstufe-notfallplan-gas-101.html

 

具体的計画では、ガス供給を早期警告段階、警告段階、緊急警告段階の3つの段階に分け、現在を早期警告段階とし、ロシア以外のガス輸入促進、国内のガス貯蔵施設の満タン化、エネルギー消費節約に取組むことを誓っている。

そしてロシアからの輸送停止された場合警告段階に移り、市場が混乱して機能が難しくなれば国家が介入する緊急警告段階に移行し、病院などの公共施設や市民生活維持の供給が優先されて配分されると述べている。また産業界には、ガス供給制限による影響でガス供給可能な国への工場移転を採らないよう警告した。

しかし既にハーベックは、本質的解決のために、化石燃料エネルギーから再生可能エネルギーへの100%エネルギー転換を2045年から2035年に早めることを公約している。

 具体的には4月2日のZEITオンラインがその概要を報道しているように(4)、再生可能エネルギー法(EEG)の再改正によって、市民及び自治体が太陽光発電風力発電(陸上)に自発的に取組むインセンティブを約束し、5月には閣議決定することを明言している。

(4)

https://www.zeit.de/politik/deutschland/2022-04/habeck-gesetzespaket-erneuerbare-energie

 

 それは、エネルギー転換を市民の手に再び取り戻すことであり、現在のグローバル大量生産の集中型技術文明からローカル地産地消生産の分散型技術文明への移行を急加速することでもある。

そのようなハーベックの手法も、禍を福に転じ、「緑の党」創設当時の理念「誰もが希望の持てる世界の創出」の実現化に見える。

 もっともベアボックにしても、ハーベックにしても、そのような理念の実現に固執しておらず、只々現実の大戦の危機解決、気候変動危機解決に挺身していると言えよう。

しかしそのような塞翁が馬への挺身こそが、結果的に文明転換の始まりを創り出しているように見える。

 

世界はウクライナを見捨てようとしている(続)

 

 もしメルケルが首相を続けていたら、今回の悲惨な戦争は起きなかったかもしれない。何故ならメルケル外交政策では、まず最初に相手の要求に共感することから交渉を始め、ロシアだけでなく中国とも友好関係を築いてきたからである。

今回のウクライナ戦争では、交渉段階で米国諜報機関プーチンの侵攻指令を察知して、NATO拡大阻止の要求は絶対に譲れないと欧米諸国が最終交渉さえ拒否して、ロシア侵攻が始まっている。

確かにその際にはロシアの軍隊は国境に集結しており、欧米のNATO 拡大への回答は明白であったことから、最終交渉をしても同じであったかも知れない。

しかしメルケルがいれば、ドイツ再統一の立役者コール首相とゴルバチョフ書記長との間に「NATOをこれ以上拡大しない」という口約束は公表されていたことから、プーチンの抱く正義に共感することから始め、「NATOを拡大しない」仕組構築に挺身して努めることを約束し、たとえ不可能としても、NATO拡大阻止の仕組構築を長期的に創ることを提示すれば、プーチンの正義は一先ず充たされ、戦争にならなかった公算も高いように思われる。

なぜこのようなことを書くかといえば、絶えず成長を求める世界が目的達成のためには人間さえモノとして扱い、理性による啓蒙も達成の道具となる時代に(既に20世紀にはホロコーストで見るように)突入しているからである。

すなわちカントの「正義はなされよ、たとえ(邪悪な連中の)世界は滅ぶとしても」が道具として、ナチズムの「正義はなされよ、ホロコーストがなされるとしても」、そしてファシズムと戦った連合国側の「正義はなされよ、原爆投下がなされるとしても」に利用されてきたからである。

 そして今、独裁者プーチンは「正義はなされよ、世界が滅ぶとしても」と侵攻を止めず、欧米諸国も「正義はなされよ、ウクライナを犠牲にしても」と戦争を和平に導く努力を怠っているように思える。

 確かに経済制裁や避難民の受入れでは、日本も含めて欧米諸国の犠牲も多大であり、「ウクライナを見捨ている」と考えるのは見当違いも甚だしいのかも知れない。

しかし経済制裁と武器提供支援が効力を発揮すればするほど、ロシアを追い詰め、空爆と遠距離砲撃による市民の無差別殺戮へと激化させている。

ウクライナの人々の悲惨な状況が深まって行くのを見るにつけても、世界がこのままにすれば、ホロコーストを上回る犠牲者が出ることも現実化しつつあるように思える。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

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序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221

 

 

 

(347)世界戦争の始まり(4)世界はウクライナを見捨てようとしている

ゼレンスキー大統領の心に突刺す連邦議会演説

 

 3月17日のドイツ連邦議会で、上のフィルムで見るようにオンライン演説でゼレンスキー大統領は、今新たにヨーロッパとロシアの間に壁が造られ、民主主義根幹である生存と自由が脅かされていると訴えている。

その壁をセメントで固めようとしているのが、ドイツが進めてきたロシアからの天然ガス輸送ラインのノルドストリームであり、現在も操業しているドイツ企業であり、経済、経済、経済の優先がウクライナ戦争の戦費を賄っていると批判している。

 またナチスの軍隊が80年前首都キエフの渓谷バビ・ヤールで3万3000人のユダヤ民族ウクライナ人を二日間で機関銃虐殺したことを持ち出して、ドイツには歴史的責任があり、「経済、経済、経済」の利益優先を見直し、自由、平等のヨーロッパの価値観を守るため新たな壁を造らせないで欲しいと懇願している。

そして最後の言葉として、「この戦争を止めるよう、私たちを助けてください、私たちを助けてください。Helfen sie uns, Helfen sie uns, diese Krieg zu stopen 」と結んでいる。

その演説は拍手からして議員たちの心に響き、突刺すものであった。しかしその後ゼレンスキー大統領演説に対する議論は行われなかった。

それはEU委員会委員長ウルズラ・ライアンを通してウクライナの緊急加盟を画策したが、27カ国の賛同を得て動き出してはいるが、手続き承認には数年かかり、まして即時ウクライナNATO加盟は不可能であるだけでなく、ウクライナ戦争に直接関与しないことを決議しているからである。

 またドイツは、完成された他の国を股がない海から直接天然ガス輸送ラインのノルドストリーム2を停止し、ロシアからの依存エネルギー全面禁止を最初打ち出したが、現在のドイツのエネルギーの40%はロシアに依存しており、全面禁止すれば大混乱に陥るとして、全面禁止が実現できなかったからである。

 しかし翌日の18日にベアボック外務大臣緑の党)は、ドイツがNATOを指導することで、ヨーロッパの安全保障により強い責任を取らなくてはならないことを指摘し、ロシアからの安全保障と生命不可侵の安全保障を築くために、ドイツの新たな安全保障を発表している。

そしてドイツ公共第一放送ARDのインタビューでは、各国の貿易、外交、協力で「経済的利益を最優先してはならない」と公言している。

 またハーベック経済大臣(緑の党)は、ロシアへのエネルギー依存を断つため、18日にはカタールアラブ首長国連邦を訪れ、天然ガス供給の協議を始めた。

もっともハーベック経済大臣は早くから気候問題解決するのは、再生可能エネルギーの拡大を公言しており、それを実現するために4月には再生可能エネルギー法改正を打ち出している。それゆえアラブ首長国連邦アブダビでの21日の首脳者との会談で、供給要請だけでなく、水素エネルギー貯蔵技術で協力を約束している。

 またショルツ首相も、ウクライナ支援ではゼレンスキー大統領の信頼を得るほど全身全霊で取り組んでおり、軍事を含めて多額の支援をするだけでなく、ノルドストリーム建設推進者で前の社会民主党指導者シュレッダー元首相に露企業役員の辞任及び名誉社会民主党員から除外することを求めている。

 しかしこのようなドイツの気候正義に取組む連立政権も、世界が積極的にウクライナ戦争に踏込まないなかでは、ゼレンスキー大統領の懇願を叶えるには限界があり、ウクライナ降伏を見守るしかないことも確かである。

したがってベアボック外相は、21日の会見でウクライナ避難民が800万から1000万人に達することを想定して、EU加盟27カ国が相応に引受け、ポーランドなどの国境から引受け国に直接空輸することを要請している。

 このような要請は、首都キエフの民間施設への無差別砲撃も激化するなかで、世界がウクライナを実質的に見捨てようとしているからである。

 

 世界は今何ができるか

 

 交通輸送の要である港湾都市マリポリ(人口)は、ロシアの民間人を狙った無差別攻撃で瓦礫の廃墟と化し、数千人が殺され、今もなお数十万人の市民が避難できずに食料や水なしに飢えに瀕している。

 世界のメディアは連日のようにその状況を伝えているが、日々目を覆いたくなるほど悪化していくなかで、プーチンの恐るべき犯罪を激しく糾弾しているが、何もできずに見殺しにしている。

 ウクライナの人々を救うには、世界第三次戦争を恐れる現在の状況からすれば和平交渉しかなく、それを世界はたとえプーチンの要求に屈するものだとしても実現しなくてはならない。

確かにプーチンの要求は無条件降伏に近く、ウクライナ非武装中立化、クリミア半島のロシア領土承認、二つの分離独立を宣言した共和国の承認であり、それを譲れば侵略を正当化するものである。

 しかし今世界が最優先しなくてはならないことは、夥しい人々の命を救うことであるはずだ。ウクライナ非武装中立化は暴挙に見える要求であるが、ウクライナを非武装化する代わりに国連軍が国境に駐留して平和の緩衝地帯を造るように交渉すれば、ウクライナは、市民側からすれば、軍隊のない、軍事費を必要としない理想国家になることも可能である。

またそれは中立国ウクライナ上空の安全保障を国連軍が担保することでもある。

 それでは「力は正義なり」を認めることで解決に程遠いことも確かであるが、二つに分断された世界が緩衝地帯で世界の平和だけでなく、先送りしてきた核の問題や格差の肥大から気候変動の問題を解決に向けて話合いの場を絶えず持つようにすれば、時間はかかるとしても、解決への一歩が築かれよう。

 もっともそれで本質的な解決がなされるようなものでないのは、ゼレンスキー大統領が繰り返し訴えているように、現在の世界が「経済、経済、経済」の利益最優先で新たな壁を造り出しているからである。

すなわちウクライナが無数の人々の命をかけて、自由、平等の民主主義のために戦っているにもかかわらず、ドイツのエネルギー企業から製薬企業に至る多くの多国籍企業は今もロシアで操業しており、それがロシアの戦費を提供していると言っても過言でない。

 また欧米の武器を提供する国々には、軍事産業の巨大な軍産複合体構造が形成されており、戦争を通して潤うため絶えず戦争を求めているとさえ言える。

 またヒトラープーチンなどの独裁者が誕生するのは、格差肥大で大部分の国民が暮らしに困窮するとき、公平さを求めて国家社会主義を希求するからである。

 そうした様々な問題は、格差を肥大し続け、絶えず成長を求める現在の経済のしくみを変えることなくしては、本質的解決は難しいだろう。

しかし現在の経済のしくみを変えることは、現在の時点で見るなら不可能であるとしても、これから人類が遭遇する気候変動の激化によって洪水、干ばつ、食料危機の深刻化、さらには感染症の蔓延という繰り返される禍で現在の経済システムでは対処できないことは多くの専門家が指摘するように明らかであり、禍を力にして人々が幸せになれる経済のシステムに変えて行くことは可能である。

 そこでは、ケインズの指摘した週16時間の労働で十分な世界でもある。何故なら現在の社会の仕事は大半がお金儲けのブルシート・ジョブ(クソみたいな仕事)であるからだ。

  尚3月に出した『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』では、ドイツが戦後「ホロコーストの過ち」を二度と繰り返さないことを誓い、国家のためではない、国民のための基本法を創り出し、官僚支配を官僚奉仕に変え、司法を市民奉仕機関と言い切るまでに進化させ、ロビー支配されていた政治も市民奉仕に変え、気候変動訴訟判決を通して経済を民主化しようとしている実態を検証している。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

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序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221

 

 

 

(436)世界戦争の始まり(3)ウクライナ戦争に終わりあるのか?

核施設攻撃が意味するもの

 

  ロシアは上に載せた3月4日ZDFheuteが報道するように、ヨーロッパ最大規模のザポロジエ原発施設攻撃を皮切りに、チェルノブイリ原発を含め、次々とあってはならない攻撃占拠を為している。

 それは独裁者プーチンのこの戦争に対する思いを表しており、第3次世界大戦、さらには核戦争も厭わない姿勢であり、繰り返される停戦交渉でも一貫している。

 確かにウクライナ軍は各地で予想を遥かに超えて善戦しているが、撃破されても、されても、徐々にロシアの侵攻が深まり、キエフ陥落も時間の問題である。

 下に載せた3月11日、12日のZDFheuteを見ても、ロシアの攻撃は日増しにウクライナ全土に拡がっており、ウクライナ住民が「ロシアは、ウクライナからウクライナ人が出ていくことを望んでいる」と言うように、ロシア人によるウクライナ支配という最悪の結末を予期せずにはいられない。

何故なら、軍事力の差が圧倒的であるだけでなく、世界最大の核保有国ロシアが核戦争も厭わない姿勢を前面に出し、戦車などが至る所で破壊されても、されても、都市住民のジェノサイドとも言うべき残忍な民間人攻撃を強めているからだ。

しかも欧米はそのような残忍な犯罪に対しても、世界大戦の全面戦争を避けたい思いから、攻撃機の提供さえ躊躇するほど腰が引けており、このままではウクライナの無条件降伏も時間の問題である。

 世界が核戦争を避けようとするのは賢明な選択であるが、ロシアの犯罪に対し徹底的な経済制裁で打開できると本当に考えているとすれば、余りにも自分本位であり、無責任である。

経済制裁は相手が現在の世界市場に留まる意思があれば有効であるが、相手が市場からの離脱も厭わず、新たなロシア中心の市場さえ造りかねない現況からすれば、最悪の結末を防ぐものではないだろう。

 独裁者プーチンのかざす正義は東方拡大阻止であり、ロシアのジェノサイド犯罪になす術がないなら、西側は現時点で百歩譲るとしても、ウクライナ非武装中立化、東方拡大阻止の仕組構築でテーブルに着く責任がある。

何故ならウクライナ戦争が始まって3週間が経つが、ゼレンスキー大統領を初めとしてウクライナの人々の涙ぐましい抗戦にもかかわらず、日に日にロシアの民間人攻撃でジェノサイドされる人々が増大しており、降伏まで見過ごすならば何百万人が殺戮され、1000万人を超える避難民が生ずると既に想定されているからである。

 

 

 

世界は最早先送りできない

 

 確かに東方の拡大は、国民国家が国民の多数決でEÚ加盟やNATO加盟を自ら決議したものであり、たとえドイツ統一で約束があったとしても、現在のEU首脳たちで東方拡大阻止条約を締結することはできないだろう。

しかし東方拡大阻止の仕組構築でロシアの要請に従い、前向きに話合い、NATO東方拡大阻止の仕組を時間をかけて構築していくことは可能である。

ロシアが東方拡大を恐れる理由は、核技術と豊富な資源国である以外は、先端技術で圧倒的な差があり、西側の経済進出は歴然たる事実であり、そのままにすればロシア自体が支配されないからである。

それはロシアがソ連誕生以来市場競争に晒されず、国力を核技術に集中させてて来たからである。

また国民にしても欧米の技術進出は格差を肥大させるだけでなく、ロシア国民の暮らしを困窮させて行ったことから、欧米に異議を唱える強い独裁者プーチンを生み出したと言えるだろう。それは、まさにドイツがナチズム(国家社会主義)のヒトラーを誕生させた背景でもある。

実際そのような独裁者を誕生させる背景は、EUに加盟した東欧諸国でも同じであり、西側の経済進出で東欧の市民は大部分が暮らしに困窮し、ハンガリーポーランドルーマニアなど殆どで右傾化するだけでなく、独裁者もどきを誕生させており、EU内の最大の問題になっている。

 このような本質的原因は、アメリカが70年代から開始した規制なき自由競争(新自由主義)の波にドイツ、イギリス、フランスなどのEUを先導する国が90年代末に呑み込まれ、EUの東欧拡大と規制なき市場競争を激化させたからである。

そこでは、企業の株式買取りによる合法的企業乗っ取りだけでなく、市民の暮らしに密接に関与する公共企業を民営化させることで支配し、結果として東欧諸国の富が欧米進出国に奪われている現実がある。

それ故東欧拡大の阻止には、すべての国の国民が豊かになる仕組を創り出すことが重要であり、市民の暮らしに関与する交通、教育、病院などの福祉分野から公共企業に戻し、進出企業もその国の合弁企業とする制約で、激化している市場競争に水を差すことから始めないとならないだろう。

そのような東方拡大阻止の仕組構築は、決して実現不可能なものでなく、前回も述べたように京都議定書EUの公約はEU加盟国の平等性を追求し、すべての国の市民の年間二酸化炭素排出量が同じになる豊かさを世界に公約した原点に立ち返ればよい。

しかしそのような平等性の追求は現在では、理念としてさえなおざりにされ、ドイツなど数国の強国と、多くの弱国を生み出しているのが現状である。

そのように理念がなおざりにされる理由は、市場競争激化のなかで国益及び企業利益が優先されるからである。

 それ故国連に集う非政府組織(NGO)は、そのような国益優先の国民国家によっては何も決まらないとして、1997年の対人地雷禁止条約や2017年核兵器禁止条約の実行締結を成し遂げている。

このように国連で国民国家の決議に見切りをつけ、動き出している理由には歴史的背景がある。

 1972年ローマクラブは環境汚染が脅威となるなかで、「成長の限界」を宣言し、このままま絶えざる成長を追求していけば、100年以内に限界に達することを警鐘した。そして1992年国連のリオ「地球サミット」で、歴史的転換点ともいうべき持続的開発や地球温暖化阻止を目標に掲げた。しかしリオ後の積み重ねられた国際会議では、二酸化炭素排出量削減ができないばかりか逆に増加させていることから、それを利益追求の民間企業に求めても無理として、世界危機克服の担い手は利益を求めない多様な形態の協同組合であることを明記している。

それゆえ2000年の貧困撲滅と環境に配慮した持続的開発を掲げる国連の「ミレニアム開発目標MDGs)」では、担い手は利益を求めない多様な形態の協同組合としていたが、国連決議ではロビー活動によって多国籍企業も担い手として加わり、実質的に行動支配し、従来の開発を継続した。そのため京都議定書の公約が不可能となるなかで、国連は巻き返しをはかるべく2015年から新たに始まる持続的開発目標(SDGs)では、2013年9月にILO、UNESCO,WHOなどの二〇の国連機関、及びICA(世界協同組合)、RIPSS(社会的連帯経済推進のための大陸間ネットワーク)、モンブラン会議(社会的連帯経済インターナショナルフォーラム)の3つのNGOが参加して、SDGsを担う機関として社会的連帯経済タスクフォースを設立して実現を目指した。

しかしまたしても2015年の国連決議では多国籍企業が加わり、現在あらゆるところで推し進められているSDGsは、利益追求の絶えざる経済成長の免罪符として利用されていると言っても過言ではない。

事実2020年に公表された温室効果ガス排出量は、1990年比で160%にも増大し続けており、利益最優先の多国籍企業に支配される国民国家に任せておいてはパリ協定の実現は不可能であり、先送りで最悪のシナリオを辿ることは明白である。

 このように気候問題から核の問題や格差肥大の問題を先送りしていることが、独裁者プーチンを誕生させ、まさに今世界戦争を引き起そうとしているのである。それゆえ西側は、ウクライナ非武装中立化の背後にある東方拡大阻止を、先送り解決の第一歩と捉え、EUの平等性追求の理念にまで立ち返って、喫緊に欧米NATOが身を切る覚悟で、停戦和平交渉のテーブルに着かなくてはならない。

そうでなければ、ウクライナが降伏支配されるだけでなく、世界は完全に二つに別れ、絶えず軍備を増強し続け、いずれ核戦争に発展し、人類は滅びるだろう。

 

尚下にお知らせする『2044年大転換』では、究極的に世界はすべての地域政府の連合からなり、そこでの地域政府は自己決定権を持ち、よそからの商品には地産地消税導入で自助経済を築き、戦争のない、市場競争のない、誰も見捨てない世界創造を提言している。

 

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

何故今本を書いたかをより具体的に理解してもらうため、推敲後の原稿から序章を抜き出し、載せて置くことにしました。また推敲で書き足すことが増えたため、目次も載せておきます。

 

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序章  たたき台としての救済テーゼ

 

 

コロナ感染症が問う社会正義 

 

 二〇二一年夏八月、日本ではコロナ変異株デルタが猛威を振うなかで、オリンピック開催を強行した。英国では、五〇万人もの若者がマスクも付けずに、ロックフェスティバル開催で自由を楽しんだ。

 八月二九日のドイツ公共第二放送ZDFニュースの映像を見ると(1)、まるで英国の若者たちはウイルスとともに生きる術を得て、楽しんでいるように見える。それゆえZDFの記者は、少々呆れながらも、「自由というまやかしの夏を楽しんでいるのでしょうか、それともウイルスと共に生きる術を見つけて楽しんでいるのでしょうか?」という問いを発している。

 もちろん英国コロナ感染者数推移を見れば、「自由というまやかしの夏を楽しんでいる」のは一目瞭然である。英国の一日の感染者数は、今年一月初めには六万人を超えていたが、ワクチン接種が速く進んだことから、五月には千人台に減少し、重症化も激減したことから、七月からすべての制限が撤廃された。

 しかし実際の一日の感染者数は六月には一万人台へ、七月にはニ万台、八月には三万人台へと増え続けており、そのなかでの自由を満喫するロックフェスティバルの開催であった。それは絶えず成長を求める経済の枠組みのなかでは、主催者側は生き残るために開催するしかなく、アーティストたちも開催なくして生き残れないからである。また集う若者も、自由を楽しんでいるというより、長く自由を制限された呪われた時代に怒りをぶつけているように見える。

 しかしまやかしの自由享楽にも限りがあり、変異株デルタが猛威を振うなかで、既に別の変異株へと、ウイルスは生き延びるために突然変異を繰り返しており、まったく終息する目途が立たない。これまでのワクチン接種効力とコロナ感染の推移を見ると、最早数年で終息するとは思えない、恐ろしい時代に突入したように思える。

 このような恐ろしい時代をつくり出しているのは、ペストの時代のような外界との封鎖なしに、ワクチン開発で克服しようとする経済成長優先の構造であり、自然を科学開発で克服できるという傲慢さに思える。事実ウイルスは、ワクチン接種で生き延びるために様々に突然変異を繰り返しており、ワクチン接種は一時しのぎの対処に過ぎない。

 それでも現在の社会で生き残るためには、ワクチン開発が突然変異拡大の一因であるとしても、コロナ感染での重症化激減の事実から、ワクチン接種をしないわけにはいかない。

 もっともこの世界に、気候正義や社会正義が叶うもう一つ別な世界が出現するとすれば、「ワクチン開発によるウイルスの克服、あるいは科学による自然の克服が間違いだった」と見直される日が来るかもしれない。

 コロナ禍で社会正義が機能しない現実を鋭く捉えたのが、二〇二一年一月末にドイツ第一公共放送ARDが放映した『コロナワクチン接種ルーレット Impf-Roulette 』であった(2)。

 このフィルムは、コロナウイルスが世界を震撼させ、再び二〇二〇年秋から感染猛威を振るっていくなかで、公的機関の研究所でのワクチン開発最前線を描くだけでなく、ワクチン臨床試験が為されているにもかかわらず、国民へのワクチン接種が期待できないブラジル医療現場の深刻な問題も映し出していた。

 フィルムでは随所に専門家の意見が挿入されており、「何故かくも速くワクチン開発ができるか?開発されたワクチンは安全なのか?ワクチン接種の世界的な公正な配分、社会正義は為し得るのか?」と問うている。

 ワクチン開発に成功した製薬企業は、この戦いの敵は他の企業ではなく、コロナウィルスであると強調する。しかし現状は、WHOがワクチンの公正な供給を求めてCOVAXを立ち上げ、何十億の貧しい人々に二〇二一年末までにワクチン接種を約束しているにもかかわらず、殆ど進展していない。その反面ワクチン開発に成功した企業の株価は、市場を陶酔させている。

 それは、まさにカジノ資本主義と呼ばれる現在のグローバル資本主義のルーレットが回る光景であり、「ワクチン開発とは、企業の巨大商いなのか?世界を救うものなのか?」を問いかけるかのようである。すなわち前半で描かれていたようにワクチン開発は、政府がドイツ感染症医療センター(DZIF)統括の各地研究所に多額のお金を提供し、膨大な試行錯誤で開発の道筋を作り、開発企業がさらに多額の費用をかけて市場化していく有様は、何十倍もの見返りを期待して、賭け金を積んでいく賭博とも言えるだろう。

 それゆえARDの載せている解説では(3)、「世界危機におけるワクチンルーレットは、金、権力、社会正義、さらには生存と死に対する経済による犯罪劇ではないか "Impf-Roulette" ist ein Wirtschaftskrimi entlang einer globalen Krise. Es geht um Geld, Macht, Verteilungsgerechtigkeit – und um Leben und Tod. 」と問うている。同時に公正なワクチン接種がなされないのは、現在の社会が理想(すべての人の幸せ)を求める社会でないからであり、社会正義が実現される理想を求める社会を創り出さなくてならないと訴えている。

 

 

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く

 

 しかしそのような理想を求める社会は、現在のように市場経済がすべてを支配するなかでは不可能に見える。何故なら、カール・ポランニーが『大転換・市場社会の形成と崩壊』(4)で述べているように、市場という「悪魔のひき臼」は、すべてを粉々に砕き、粉々になるまで退路のない社会を生み出しているからである。

 ポランニーは、古代から封建時代に到る自給自足を基調とした社会では、互酬や再分配によって「経済が共同体という社会に埋め込まれたもの」に過ぎなかったが、資本主義の誕生によって「経済に埋め込まれた社会」という大転換が引き起こされたと述べている。

 しかも大転換した社会では、至るところに市場が形成され、労働、土地、貨幣を商品化することで、市場が「悪魔のひき臼」と化していると指摘している。そこでは労働の商品化が人間を死に到らしめ、土地の商品化が環境を破壊し、貨幣の商品化が人間の欲望を肥大させ、インフレや恐慌を招き、市場は「悪魔のひき臼」となっていく。それゆえポランニーは理想の社会として、「互酬性」と「再配分」を基調とする新たな経済社会を示唆している。

 それに対して現在の社会は、人間が生きていくのに必要な作物さえ先物相場でルーレットを回しているように、「悪魔のひき臼」を激化させており、世界の大部分の人々が気候正義や社会正義を叫んでも、「悪魔のひき臼」が止まる気配は全くない。

 しかし「悪魔のひき臼」の如き市場が、大洪水や感染症蔓延で機能しなくなれば、否が応でも地域での自給自足を強いられ、互酬と再配分で生き延びていくしかない。

 もっとも現在のコロナ禍では、まだそのように考える人は殆どいない。しかし専門家は、気候変動の激化で干ばつや洪水で食料危機と同時に感染症蔓延に見舞われ、市場だけでなく国家が機能しなくなる未来を警鐘している。

 事実二〇〇九年ABC放送が、権威ある数十名の専門家の裏付けに基づいて制作放映した未来シナリオ『地球二一〇〇年』では(5)、関与した多くの専門家自身もフィルムに登場して、人類が築いてきた文明崩壊の可能性を検証していた。

 そこでは、地球温暖化の激化でメガ台風による洪水や干ばつが頻発し、食料危機や難民移動などで、パニックや暴動を繰り返していき、最終的にメガ台風がニューヨークの海岸周辺を水没させ、発生した恐ろしい感染症蔓延が国家機能を奪い、人類の文明が滅びていく有様を描いている。

 しかしその後の世界は、そのような警鐘を無視するだけでなく、温室効果ガス排出量を一九九〇年比で二〇一二年までに漸次削減することを京都議定書で誓ったにもかかわらず、逆に大幅に増大させ、二〇二〇年には一六〇%に増大させている。それはパリ協定厳守が叫ばれる現在も変わらず、二〇五〇年までの脱炭素社会という目標を免罪符とし、むしろ逆に危機を踏台にして、絶えざる成長を追求している。

 しかも絶えざる成長追求で、一握りの人々だけが益々富み、大部分の人々を益々貧しくしていく格差社会が肥大している。大部分の人々はそうしたなかでも、来るべき大いなる禍に真剣に向き合うこともできず、絶えず成長を求めるなかでグリーンニューディールという「成長と抑制」のテーゼに吞み込まれるだけでなく、期待さえ抱いている。

 

 

 

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる

 

 そのような現在の過った実態を、昨年二〇二〇年コロナ禍で世に出た『人新生の「資本論」』(6)は的確に捉えていた。もっとも著者斎藤幸平が述べる、「人類が歴史を終わらせないためには、脱成長コミュニズム共産主義)しかなく、三・五%の賛同者が本気で立ち上がれば、それを実現できる」という主張には異議を感ぜずにはいられない。

 現在の資本主義では最早対処できないという主張には全面的に賛同するが、三・五%の賛同者が本気で立ち上がったとしても、アラブの春や香港の民主化が資本側の力で潰されて行ったように、真っ向から立ち向かうなら潰されることは目に見えている。万一革命に成功しても、民主集中制を盾に異論者をジェノサイドしたり、天安門で市民への発砲指令を出すといった独裁的なものへと変質しかねない。

 もちろん非暴力での転換を考えているとしても、旧勢力の圧倒的な力による支配のなかでは、大部分の市民が望めば民主的に移行できるものではなく、最終的に力による旧勢力との戦いになるからである。しかも力による過去のすべての革命は一旦政権が誕生すると、権力維持優先で理想目標が挫折するだけでなく、反対派の抹殺が常であった。

 しかし私が半世紀近く指針としてきたドイツでは、ナチズム(国家社会主義)の恐るべきホロコーストの過ちを、戦後寧ろ力として基本法を誕生させ、前進と後退を繰り返すなかで、民主主義を絶えず進化させ、教育を市民奉仕に変え、メディア、司法、そして政治さえも市民奉仕へと変えてきている。

 もっとも経済はグローバル資本主義が容認されており、市民への奉仕に転ずるにはまだまだ時間がかかるとしても、二〇二一年四月の連邦憲法裁判所の気候変動訴訟違憲判決で政府政策を大きく変えたことは確かであり、気候正義や社会正義が貫かれる時、経済も民主化へと変わらざるを得ない。

 そのようにドイツの「絶えず進化する民主主義」を展望する時、人々に奉仕する「地域社会に再び埋め込まれた経済」を創り出す日も近いと確信できる。

 しかもそのような「絶えず進化する民主主義」の原動力は禍であり、戦後のドイツには禍(過ち)を力として福へと転ずる、「絶えず進化する民主主義」が埋め込まれていると言えよう。

 しかし現在の世界は、救済目標さえ免罪符として成長を続ける世界であり、このまま進めば迫りくる「大いなる禍」を避けることはできず、滅びるしかない。

 しかしながら世界の市民の力で、日本、そして世界の国々が、ドイツの禍を福へと転ずる「絶えず進化する民主主義」を手本として、気候正義や社会正義を貫くように変われば、「大いなる禍」は避けられないとしても、その禍を力としてカタストロフィを免れ、福と転ずることも可能である。

 それはまさに、気候変動の危機を克服するだけでなく、誰ひとり見捨てない、希望ある未来を創り出すことである。

 

 第一章では、危機直面によって目覚めていく世界が禍を福として、絶望の未來をどのように希望の未來へ変えていくか、『二〇四四年大転換』の未来シナリオで描き出している。

 それは単なる空想的未來シナリオではなく、現在の世界の危機を直視し、でき得る限り現実的な展開で描いており、現在の危機からの救済テーゼである。

 もちろん様々な点で異論はあるだろうが、『二〇四四年大転換』シナリオは将来を考えるたたき台として描いたものであり、世界が希望ある未來に向かう文明救済論でもある。

 それゆえ第二章から第七章までは、禍を福に転じてきたドイツの絶えず進化してきた民主主義について言及することで、『二〇四四年大転換』の正当性を示し、世界が禍を転じて福と為すことを希求している。

 

(1)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(428)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/09/04/143436

〈2)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(413~418)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/2021/02/24/103243

(3)

https://www.daserste.de/information/reportage-dokumentation/dokus/sendung/impf-roulette-die-jagd-nach-dem-wirkstoff-100.html

(4)カール・ポランニー『大転換・市場社会の形成と崩壊』吉沢英成訳、東洋経済新報社、一九七五年

(5)著者翻訳日本語字幕付き動画「ドイツから学ぼう(271~277)」転載

https://msehi.hatenadiary.org/entry/20151118/1447849447

(6)斎藤幸平『人新生の「資本論」』、集英社新書、二〇二〇年

 

 

 

目次

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 11

コロナ感染症が問う社会正義 13

「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 17

人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 20 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ 25

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 27

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 41

     地域の自助経済が創る新しい社会 49

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 60

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 64

     市場が終わりを告げるとき 68

     戦争のない永遠の平和 74 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 82

 

第二章 大転換への途は始まっている 89

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 91

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?107

    ワイマール共和国誕生の背景 109

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 114

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義 121

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 123

    戦い育む憲法裁判官たち 128

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 139

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの 145

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 147

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 153

    脱原発を実現させたメディア 168

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 179

 

第六章 人々に奉仕する経済の民主化 187 

    危機を乗り越える社会的連帯経済 189

    ドイツの連帯経済 194

    人に奉仕する経済の民主化 199

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える 207

    気候正義運動が創る違憲判決 209

    文明の転換 213

 

あとがき 221