(546)映画を高潔な倫理へ昇華させた溝口健二映画論②『山椒大夫』、『ある映画監督の生涯』

社会の仕組みを変えることを求めた『山椒大夫』

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平安時代末期に不作が続くなかで、朝廷の厳しい取立てに逆らったとして8年前に筑紫へ左遷された平正氏を慕って、妻玉木(田中絹代)と厨子王、妹安寿、女中の姥竹の一行が旅していくところから映画が始まる。

回想シーンでの、平正氏が筑紫へ出立の際厨子王に残した言葉は、「人は慈悲の心を失っては、人ではない。自分を責めても、他人に情けをかけねばならぬ。人間は皆、平等に作られておる。自分に優しく、人にはもっと優しくせねばならぬ」であった。

父親は朝廷の掟に逆らっても、慈悲の心を優先させ、息子に対して利他主義に生きることを求めた。家族は父親の教えに従って、利他主義に生きている。しかしこの家族は、そのような生き方とは対比的なお金のためなら何でもする人たちの手にかかって、妻玉木は佐渡に売られ、厨子王と安寿は丹後の豪族山椒大夫のもとへ奴隷として売られていく。

 そこでの厨子王は過酷な労働と掟のなかで、生き残るために父親の教えである慈悲の心を失っていき、10年後には安寿の諌言に対しても「甘いことを言うな」と突き放し、実利的に生きようとしている。しかし佐渡から売られてきた娘奴隷の小萩が口ずさんでいた歌から、生き別れた母親が厨子王と安寿を案じて生きていることを知り、幼い頃の思い出から純真な心を取り戻していく。

そして厨子王と安寿に、死にかけている小萩を山に捨ててくる役目が与えられると、厨子王は救済を求めて逃亡を企てる。安寿は自分を犠牲にしてでも兄厨子王を逃がそうと思い、追っ手を阻むため池に入水して命を絶つ。

小萩を抱えて逃げ延びた厨子王は中山国分寺へとたどり着き、そこでの僧侶の助けで都に出て、朝廷を支配する関白の藤原師実に直訴を行う。直訴は失敗し捕らえられるが、詮議の結果彼が平正氏の嫡子であり、平正氏の功績と正当性が再評価され、厨子王は丹後の国守に赴任する。

丹後の国守として赴任した厨子王は、直ちに人身売買を禁止し、悪逆を重ねていた山椒大夫を丹後の国から追放し、奴隷たちを解放する。その後厨子王は国守の地位を辞任して佐渡に渡り、「厨子王恋しや」という歌の伝手を頼りに、落ちぶれて目も見えなくなった母親・玉木と涙の再会を叶える。

この映画を見終えた際、誰もが涙し共感しないものはいなかったとさえ語り継がれている。それは1954年に公開された当時、映画を見た人の大部分が戦争によって家族が引き裂かれ、労働を強いられる体験を経てきたことからであり、涙し共感せずにいられなかったからである。

また海外での反応も高い評価で、52年の『西鶴一代女』、53年の『雨月物語』が最高の映画賞を受賞した後、54年の『山椒大夫』はヴェネツィア銀獅子賞を受賞して絶賛されている。その背景には、二度と戦争を繰り返してはならないというヨーロッパの人々の思いが切実であり、この映画が徹底したリアリズムで利他主義の倫理を昇華させていたからである。

本来戦争が起きるのは自国利益第一主義で他国から奪い取るからであり、他者の幸せや利益を第一にする利他主義の倫理が確立されれば、永久平和も可能な筈である。しかし人間は欲望の塊であり、そのような利他主義を貫くことは難しい。事実この映画の厨子王の父平正氏は、利他主義を貫き通したことで、筑紫へ左遷されている。しかも筑紫へ旅する家族の一行も、父親の教えを守り、利他主義に生きていたからこそ人に騙され、人買いによって売られたと言えるだろう。

しかし現在のトランプの自国利益第一主義の世界を見れば、人類は利他主義の倫理を確立しなければ、戦争の拡大や地球温暖化の激化によって人類にもはや未来がないことも確かである。また個人の生き方としても、絶えず競争と自己責任を求める社会で山椒大夫のように富と権力を得たとしても、満足が得られないだけでなく、欲望を肥大させるだけで、悲しい最後が待っていることは必至である。

そのように人間に欲望を駆り立てるのは社会の仕組みであり、この映画は社会の仕組みを変えることができれば、利他主義の倫理が確立され、喜びと涙を共感できる社会が到来することを教えている。

52年制作の『西鶴一代女』では、そのような悪しき仕組みの社会に対して、お春は托鉢をすることで、「自己の執着を捨て、他者の幸福を願う」自ら生き方を通して乗り越えようしている。また53年制作の『雨月物語』でも、人間の救済が「戦のない世での平穏な暮らし」にあることを突きつけている。しかし悪しき社会の仕組みを変えることには、一歩も踏み込んでいなかった。したがって54年制作の『山椒大夫』では、人間の救済が本質的に得られるために、悪しき社会の仕組みを変える作品に挑んだと言えるだろう。

そのためこの作品は、森鴎外の書いた小説『山椒大夫』(注1)の映画化にあたって、小説を大きく改変している。すなわちこの映画は、第一に悪しき世の中の仕組みを変えるものでなくてはならないからである。小説では、厨子王は丹後の国主に任命されると、人の売り買いを禁じたが、山椒大夫を罰することなく共存共栄するように取り計らい、国主の辞任もせず母を探しに佐渡に渡り、涙の再会で終わっている。それは小説のモチーフが、「過酷な宿命に屈しない人間の尊厳さ」と「自己犠牲を伴う家族の愛」だったからである。しかし映画のモチーフは、「悪しき社会の仕組みを変える」ことであり、そのためには山椒大夫を罰することが必要であり、歴史的考証からも厨子王は国主を辞任する必要があった。しかも映画では、リアリズムを貫き通すため、見る側の誰もが納得するように節々で小説を変えている。

例えば小説では、筑紫への旅に出た際姉14歳、弟12歳となっているが、映画では兄妹の関係に変え、厨子王13歳で安寿8歳である。また脱走を計ったのが、小説では奴隷として売られた一年後であるが、10年後であり、厨子王23歳、安寿18歳として描かれている。 

何故なら小説での一年後の脱走では、利他主義という高潔な倫理への昇華を、徹底したリアリズムで描くことはできないからである。したがって厨子王が奴隷制度の暴力と掟の支配なかで、生き残るために実利的な生き方に陥っていく10年間の年月に変えている。またそのように変化した厨子王が妹の家族愛や自己犠牲を通して子供の頃抱いた慈悲の心を取り戻し、利他主義を貫いて生きる物語をリアリズムで描くため、脱走の過程や丹後の国主になる経緯など節々で小説を改変する必要があったからである。

そしてこの溝口映画のリアリズムこそが、国内外で絶賛されたと言えるだろう。しかも溝口監督の演出は、撮影現場での俳優への演技指導が全くなく、俳優自身が即興的に迫真に迫る演技を何度も繰り返すことで、監督自身の納得する完璧性を生み出すというやり方であったと聞く。したがってその作品の完成度は監督の資質と感性に依り、自身が身をもって体験してきたものに対してはそれがフルに発揮され、神業の作品が生まれたと言えよう。

そして溝口健二監督の足跡をたどるとき、父親の事業の失敗により極貧生活を余儀なくされ、御殿医の娘であった母は苦労に苦労を重ね生活苦のなかで亡くなり、姉寿々は芸者に身を落とし子爵松平忠正の妾となることで、一家が寿々の仕送りによって成り立つという苦しい境遇のなかで、溝口健二の資質と感性が育まれていることを知る。

したがって溝口映画で描かれる「男の都合や社会の理不尽によって犠牲になる女性」は、母や姉の生き様からきていた。そのような溝口健二の資質と感性は、下に載せた新藤兼人の『ある映画監督の生涯・溝口健二の記録』によって、その一端が紐解かれている。

 

(注1)森鴎外の小説『山椒大夫』は青空文庫で読むことができ、朗読もされているので、映画『山椒大夫』を見た人は是非比較して欲しい。

 

『ある映画監督の生涯』が紐解く溝口健二

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この映画を制作した新藤兼人は、溝口健二の下で美術助手や助監督として映画作りを学び、溝口を生涯にわたって師と仰ぎ、深く尊敬していたことで知られている。溝口監督の死後、新藤兼人は俳優や映画制作スタッフ39人のインタビューを通して、1975年にドキュメンタリー映画『ある映画監督の生涯』を完成させている。この映画は、溝口健二の人間像と映画への執念、さらには彼の資質と感性を浮かび上がらせている。

具体的な撮影現場スタッフの証言を通して、溝口監督が自分の納得がいくまで俳優や撮影スタッフに何度でも繰り返しを求め、映画制作への執念が生々しく感じられる。また若い頃の愛人に背中を切りつけられた事件や、妻千恵子の精神病入院等々、壮絶な人間溝口健二の私生活が語られている。もっとも人間溝口健二のすべてが語られているわけではなく、彼の苦しみや怒り、そして作品に挑む執念の本質は、本人しかわからないことも確かである。

しかしこの映画を見るとき、人間溝口健二の私生活の苦しみや怒りこそが、世界に残した絶賛作品群の原動力となっていることを思い知る。

尚新藤兼人の作品群には、溝口健二から学んだ「リアリズムへの徹底的執念」と「女性の視点から社会を描く姿勢」が、初期の『裸の島』や『鬼婆』から最後の『一枚の手紙』に至るまで貫かれている。

(545)映画を高潔な倫理へ昇華させた溝口健二映画論①・『西鶴一代女』、『雨月物語』

『西鶴一代女』の先見性と利他への帰依

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 溝口健二の作品が西洋世界で絶賛されたのは、戦後の平和を誓った世界に帝国主義の兆しが復活していくなかで、溝口映画に先見性を見出したからだと言われている。もっともそのような意図は溝口健二監督にないとしても、戦争中戦意高揚への加担を反省する思いから必死に制作した作品群が、人間を搾取する世の中の仕組みを炙り出し、資本主義社会の欺瞞を批判し、先見性を与えたことは確かである。しかもその描き方は斬新で、「ワンシーン・ワンカット」の長回しや「クレーンショット」の流れるような映像美で見事に描かれている。

 したがってジャンリュク・ゴダールは、溝口健二を崇拝し、「カメラの配置や動きそのものが、対象に対する作家の倫理観、世界観の証明となっている」と述べ、溝口映画を「人間の本質や社会の不条理を告発するための、高潔な映画の倫理へと昇華させている」と絶賛している。

 絶賛された作品の一つである1952年制作の『西鶴一代女』は、簡潔に述べれば、主人公のお春(田中絹代)が宮廷の女官から大名の側室、さらには花魁から街頭に立つ老いた娼婦へと転落していく物語である。

宮廷の女官時代には、低い身分の武士勝之助(三船敏郎)との許されない恋に陥り、勝之助は斬首刑に処せられる。その際勝之助はお春への遺言として、「人間、生まれてきたからは、身分の隔てなく、思う人と添い遂げるのが本当の生き方。私は死んでいくが、お春はどんなことがあっても生き抜いてくれ」という言葉を残している。そしてお春は転落し続ける不条理のなかで、「私はどんなことをされても、生きてみせます。勝之助様が『生き抜け』とおっしゃったのですから」と強い決意を漏らしている。

また大名松平晴隆(山村聡)の側室時代には、正妻の嫉妬や側近たちの身勝手な保身的考えから、世継ぎを産むと容赦なく城から追い出される。一方お春の父親は娘が世継ぎを産んだことから、借金をして呉服商を始めていたことから、戻ってきたお春を京都島原の遊郭に売り渡す。お春にとって結果的にそれは、家父長制社会の中で父親によって金を作る商品にされたことを意味している。

また島原の遊女時代では、気品と美貌、さらに大名の側室であった経歴から煌びやかな着物を着て多くのお供を引き連れ歩き、最高位の吉野太夫として扱われる。しかしそれは最高位の商品に過ぎず、ある時大金持ちがお春を自分のものとしようとして、お春の前で大量の小判をばら撒く。それに対しお春は、「私の体は買えても、心は買えない」と、渡された金を叩き返す。遊郭にとってお春の行為は、客の侮辱以外の何ものでもなく、店主はお春に他の店も含めて出入り禁止を申し渡す。しかしその大金持ちが、お金を叩き返したお春の気品の高さと美しさに惚れ込み、お春を身請けしたいと望むと、手の平を返したように店主はお春を崇める。しかし大金持ちの持参したお金がすべて贋金であったことから、お春も犯罪に加担したとして、遊郭から叩き出される。

実家へ舞い戻ったお春は、側室の推挙の際関わった裕福な商人に見込まれ、商人宅で妻の髪結いのお世話をすることになる。しかしお春が遊女であったことを知った商人の妻は、邪推と嫉妬からお春を追い出す。その後扇屋の店主に見初められ、ようやく掴んだ幸せも夫が不運にも盗人によって殺され、親類から籍を抜かれ追い出されていく。

お春はその後も、我慢に我慢を重ねて懸命に生きようとするが、お金と掟に縛られた世の中では、お金と掟に染まらず、真っ当に生きようとすること自体が下へ下へと転落させていく。

そして若さも美貌も失ったお春は、三味線弾きで日銭を稼いでいくが、芸だけでは食えないことから夜鷹にまで身を落としていく。そのような境遇を救うかのように、お春の産んだ若殿が松平家を継ぐことになり、お城に呼ばれる。しかし夜鷹をしていたことが家臣に知られ、息子に会うことも叶わず、永年蟄居の処分を受けそうになり、必死に城から逃げ出す。

 そして映画のラストシーンは、すべてを失ったお春が仏門に入って、「南無阿弥陀仏」と唱えながら托鉢をしていく姿で終わっている。そこには、過酷な運命を乗り越えた女性の利他への力強い生きる術を感じずにはいられない。すなわち托鉢への帰依は、「自己の執着を捨て、他者の幸福を願う」利他への生きる術に他ならず、人間を搾取する社会、そして世界の未来に先見性を感じさせる。

そしてその生きる術を絶えず下へと転落していくお春の遍歴を通して描き出した溝口映画は、映画自体を高潔な倫理へと昇華させるものである。それ故にゴダールを含めヌーヴェル・ヴァーグに集結にした映画監督たちは、溝口映画を絶賛したのであった。

 しかも溝口映画の演出は、制作スタッフの誰もが知るように完璧性を求めるものであり、一シーン、一シーンを何十回、何百回と溝口監督自身の納得いくまで繰り返され、『西鶴一代女』、『雨月物語』、『近松物語』、『山椒大夫』などの作品に限り、神のみぞ創り出せる作品に仕上げたと言っても過言でないだろう。・

 

人間の業と救済を描き尽くした『雨月物語』

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 1953年に制作された『雨月物語』は、欲望に塗れた人間の業の深さと救済を描いた最高傑作であり、現在2026年の欲望に塗れ、戦争に明け暮れる愚かな世界を見るにつけても、私の心を突き刺さずにはいられない。

 舞台は戦の絶えない戦国時代であり、琵琶湖北岸の村に暮らす陶工源十郎(森雅之)は、戦に乗じて自分の焼いた陶器を高く売り、さらなる欲に駆られて大儲けを企てる。また義弟の百姓藤兵衛(小沢栄太郎)は武具を揃え、侍となって立身出世を夢見る。

源十郎の妻の宮木(田中絹代)は、そのような夫の金儲けに反対で、源十郎の思いとは対照的に描かれている。すなわち妻宮木が唯一望むものは、お金や出世ではなく、「戦のない世での家族の平穏な暮らし」である。また百姓藤兵衛の妻阿浜(水戸光子)も、夫の「手柄を立てて侍になる」という野心を強く罵り、分相応の夫婦ふたりの平穏な暮らしを望んでいる。しかし男たちの野望に押し切られ、宮木や阿浜は、都へ野望を求める男たちの手助けをするしかなかった。

戦で破壊された都では、源十郎の焼いた陶器が驚くほどの高値で売れ、源十郎の一攫千金の夢が叶えられる。また藤兵衛は武具を調達して侍となり、偶然手に入れた大将首によって、望みが叶って侍大将に出世する。

しかし金儲けの欲望を叶えた源十郎の前に高貴な美しい若狭姫が現れ、源十郎は妻子のことも忘れ、若狭姫の屋敷で贅沢で甘美な暮らしに溺れていく。ある時街へ出た際僧侶に怨霊に取りつかれていることを指摘され、身体中に厄除けの呪文を書いてもらうことで目が覚め、必死に逃げだす。

また侍大将に出世した藤兵衛も郷里へ凱旋する途中、敗軍兵に輪姦され、生き延びるために遊女に身を落とした阿浜に再会する。阿浜が涙ながらに、「私がこんな姿に出世したのは、お前が侍に出世したおかげだ!」と叫び、井戸に飛び込んで死のうとする。その姿に藤兵衛は自分の犯した罪に気づき、二人で郷里へ戻り、武具を川に捨てた後「戦が俺たちの望みを歪めてしまった」と悔い、百姓として平穏な暮らしを実現していく。

しかし源十郎を郷里で待ち受けていたのは、落ち武者に殺された妻宮木の残酷な現実であった。もっとも溝口映画では単に残酷な現実を突きつけるのではなく、それを通して人間にとって何が一番大切なものか描き切っている。

すなわちそれは、家族の平穏な暮らしに他ならない。源十郎が帰り着いた荒れ果てた家には誰もいなかったが、長回しのカメラが家を一回りすると、妻宮木が待って、待って、源十郎を待ち受けている灯のともる幻想の家に変わり、「あなた、お帰りなさい。ようございました」と言って源十郎を只々喜んで迎えてくれる。翌朝村長の訪問で、迎えてくれたのは宮木の霊であることを知り、源十郎は自分の犯した罪の大きさに気づき、むせび泣く。

そして源十郎が宮木の墓で、「なぜ死んだのだ。なぜ死んだのだと」泣き叫んでいると、「私は死んではおりません。あなたのそばに生きています。あなたの迷いも消えました。本来の場所で本来の場所に戻るのです。早くお仕事を」と、宮木の魂が源十郎を諭すかのように語りかけるのであった。

その後源十郎が再び「ろくろ」を回して焼き物をつくり始めると、「まぁ綺麗な形だこと。・・・・・・いろいろなことがありましたね。今あなたがやっと私の思うおかたになってくれたと、そう思うとき、私はこの世のものではなくなったのです。これが世の中というものでしょうね」と語りかけ、人間の救済が「戦のない世での平穏な暮らし」にあることを突きつけている。

またこの映画がもう一つの突きつけるものは、人間の業(欲望)の深さであり、特に美しい怨霊の若狭姫を通して、迫真に迫るものがあった。

都で焼き物を売る源十郎に、乳母を従えた美しい高貴な姫君が彼の様々な焼き物を注文した時から、源十郎の心は奪われていく。それらの焼き物を屋敷に届けると、若菜姫から「あなたは北近江の源十郎様でしょう。・・・・・・市の雑踏のなかで自分の目を疑いました。・・・・・・どうしてあんな美しいものができるのか、お目にかかってお話を聞きたかったのです」と才能を褒め称えられ、源十郎の自制心が失わせていき、すべてを忘れて若狭姫と契を結んでしまう。契を結んだ後若狭姫は、「あなたはもう私のものとなりました。これから私のために命を尽くしてくれなければなりません」と語り、源十郎は美しい若狭姫との甘美で官能的暮らしに溺れていく。

しかし僧侶の厄除けによって我に返り、若狭姫の怨霊から逃げようとするシーンでは、源十郎が妻子のある身であると許しと暇を請うと、若狭姫は「そのようなことは忘れてしまいなさい。・・・・・・さぁ、私と一緒に国へ帰りましょう」と誘う。それを拒否してあくまで暇を請う源十郎に対して、姫の乳母は、「妻子がありながら、なぜ契をかわされた。(わからない。・・・・・・)男は一旦の過ちですもうが、女はすまん。(お許し下さい。・・・・・・)。それを(呪文)ぬぐいなさい」と厳しく責める。

さらに若狭姫は源十郎の身体中に書かれた呪文を見て、「どうしてこのような恐ろしいことをして下さいました。若狭はいつまでもお傍に置いていただきたいと思います。いつまでも」と、京マチ子演ずる若菜姫は迫真の演技で迫る。それに対して森雅之の源十郎は全身を振るわせて許しを請う。そのような二人の迫真の演技は、人間の業の深さと哀れみを、見る側の心に焼きつけずにはいられなかった。

 このように人間の業の深さと救済を描き尽くした『雨月物語』を、ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちは、単にストーリー展開に頼るだけでなく、画面に映るすべての要素(美術、光、役者の動作)が完璧な調和を見せる演出力を、映画表現の最高到達点として讃えた。

 

(544)生きる術を問いかける巨匠ルキノ・ヴィスコンティ⑤最終回・『イノセント』、『ヴィスコンティの肖像』

なぜ命をかけて『イノセント』を制作したのか?

 

 ヴィスコンティの『イノセント』は、男の究極的エゴイズムの物語であり、既に遺言と称される『家族の肖像』を完成させたにもかかわらず、なぜこのような作品を最後に死をも恐れず、命をかけて制作したかを問わずにはいられない。

物語は単純で、19世紀末イタリアの由緒ある貴族トゥリオが、夫に従順で貞淑な美しい妻ジュリアーナがいるにもかかわらず、情熱的な恋を求める美しい愛人に執着し、妻を裏切り不倫し続けている。そのような夫の不倫で心を病む妻ジュリアーナは、トゥリオの弟の紹介で人気の若手作家と知り合い一夜をともにする。その結果妻が妊娠すると、トゥリオが嫉妬と屈辱に駆られ、妻の産んだ他人の赤ん坊を許せず、クリスマスの夜に寒さの中に放置して殺す、異常なストーリーである。

この映画『イノセント』は、イタリアのガブリエーレ・ダヌンツィオの歴史に残る耽美小説『罪なき者(イノセント)』の映画化であり、そこにこそ重要な鍵がある。ダヌンツィオは19世紀のイタリアの人気作家(詩人)であるだけでなく、既存の倫理を否定するニーチェ思想(注1)の傾倒者であり、平穏で凡庸な大衆の生き方を軽蔑し、自らの意思で新たな価値を創造する強者の生き方を耽美的に実践した。

すなわち彼のニーチェ思想は祖国イタリアへのナショナリズムへ向かっていき、彼は第一次世界大戦後義勇軍を率いて武装蜂起し、領土フィウーメを占領して独自の軍事政権を築いた。その際の扇動的演説、ローマ式敬礼、黒シャツの制服、国家を統制する協調組合主義をダヌンツィオはムッソリーニに先んじて実践しており、ファシズムの先駆者であった。

小説と映画の大きな違いは、小説『罪なき者』では嬰児殺し後の葬式で終わっているのに対し、ヴィスコンティの制作した映画では嬰児殺しの後主人公トゥリオのピストル自殺で終わっている点である。すなわち小説は、世紀末イタリアの退廃的雰囲気なかで自らの心に正直に生きる超人思想の主人公が描かれ、プロログでは一年後の裁判での主人公の「人間の裁きなど、私にはどうでもいいことだ」という思いがかたられており、三島由紀夫の生き様に見るように、その後の作者ダヌンツィオの超人思想への傾斜とファシズムへの熱狂が感じられる。

例えば小説では、主人公トゥリオの自己中心的な超人性を正当化すべく、次のように描かれている。

「また、彼女(妻)は私の知性の優越性を認め、大多数の人たちが表明する道徳論を排撃して、彼女の前で幾度となく開陳した一種特異な理論をともなった、私の放埓な生活をある程度は許していた。私が並みの人間とはちがうと彼女に見做されているのだという確信が、私の意識の中で、自分の過ちの重さを減じていたのである。・・・・・・」(ダヌンツィオ『罪なき者』脇功訳、松籟者、2008年、8頁)

これに対してヴィスコンティ映画の主人公トゥリオは、嬰児殺しの後妻から「あなたを軽蔑する」と罵られ、愛人からも「あなたは怪物よ」と突き放され、究極的エゴイズムな生き方が破綻し、ピストル自殺している。

そのように小説を大きく改変した理由は、70年代のイタリアが鉛の時代と呼ばれるように極右と極左が爆弾テロを繰り返し、ネオリベラリズムが浸透する先に、再びファシズム帝国主義の時代を垣間見たからに他ならないだろう。すなわちヴィスコンティは、ダヌンツィオの小説『罪なき者』にファシズムの源流を見ており、観客が主人公トゥリオの生き様を軽蔑し怪物と感ずるように、鋭い批判精神でもって警告するように描かずにはいられなかった。

したがってこの映画の主人公トゥリオの他者の嬰児殺しは、後にナチズムが犯した優勢思想(純潔以外排除する思想)によるホロコーストであり、未来のファシズムが犯すホロコーストを警告していると言えるだろう。

 

『ヴィスコンティの肖像』の「生きる術」と「生き様」

 

 ヴィスコンティが亡くなった後、ルーカ・ヴェルドーネ監督が1976年に制作したドキュメンタリー映画『ヴィスコンティの肖像』は、ヴィスコンティ自ら述懐や俳優、製作スタッフの述懐で編集されており、ヴィスコンティの「生きる術」が述べられると同時に、ファシズムに生涯をかけて戦い続けたヴィスコンティの「生き様」が、彼自らの証言を通して滲み出してきている。

ビスコンティの両親は貴族の崩壊を先取りし、ナチズム時代にはユダヤ人や政治犯を隠し部屋にかくまい、「子供たちにも自力で生きる術を求めた」と、ヴィスコンティ自ら語っている。

1928年兵役後ヴィスコンティは父の創設した劇団で芝居を上演していたが、1935年パリに出て映画監督ジャン・ルノワールに師事し、映画制作を始めている。彼はこの時代を「この時期は知的転換期でもあった。マルクス主義を発見した時期だ。人生や社会に対する考え方を発見したのだった」と述べている。

またナチズムの時代に対しては、「私の生涯で最も重要なのはレジスタンスの時代だ。私はローマのアパートでファシストに捕まり、監獄に送られた」と語っている。最も重要な部分は具体的に語っていないが、レジスタンスとして命をかけて戦い、捕らえられて拷問を受け、死に直面する体験を経てその後もファシズムと戦い続けた姿が目に浮かんでくる。

またヴィスコンティは、映画制作と並行して数々のオペラを演出したことが語られている。そのようなオペラとの並行制作こそが、ヴィスコンティ映画にドラマツルギーと美を融合させ、総合芸術へと昇華させたと、私自身この映画から思い知った。

そしてこの映画では、1942年制作の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』から1976年制作の『イノセント』までの一つ一つの作品に、ヴィスコンティの思いを自ら述べている。しかも『若者のすべて』以降の作品では、忍び寄るファシズムの復活する足音を聞き、それに執念を燃やして戦うヴィスコンティを感じないではいられない。

特に晩年の車椅子での制作では、「一瞬、一瞬を生きたいのだ。大切なのは仂き、思考し、隣人と語りあうこと」と述べ、最後のメッセージとして、「私は死ぬのは恐くない。恐れる理由などあるのだろうか?映画やサーカスに行くようなものではないか!」と、死をも恐れず理想を貫き通す思いを述べている。

そしてヴィスコンティ逝去後この映画のラストでは、ヴィスコンティと脚本をともにしてきた脚本家スーゾ・チェッキ・ダミーコ女史の次のような述懐で終わっている。

「ヴィスコンティは素晴らしい魅力の持ち主で、磁石のように人を引き付けるの。この魅力が全ての原動力だったと思います。そして類まれな威厳を備えていました。その威厳にまじって大いなる優しさと折り目正しさと、穏やかな海のような力も感じられました。ゆったりした波の海、嵐に荒れる海ではないわ。感情を露わにするのも必要な時だけで、冷静さも失わなかった。彼はゆったりした波のような人物でした」

 

ヴィスコンティが今生きていれば

 

(オペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より)

 

現在の世界は、プーチン、トランプ、メタニアフに見るように、力による支配を求める新たなファシズム帝国主義時代へと突入しており、ヴィスコンティの警告が如何に心髄をついていたか感じないではいられない。もっとも60年代末には、規制なき自由競争、自己責任、自助努力を掲げるネオリベラリズムが台頭してきており、ファシズムと戦い、マルクス主義に目覚めたと語るヴィスコンティが、新たな帝国主義への回帰、独裁者による全体主義(ファシズム)を警告したのは当然のことのように思える。

 もちろんヴィスコンティはプーチン、トランプ、メタニアフを知りもしないが、ネオリベラリズムが台頭するなかで、世界が究極のエゴイズムが創り出す独裁者によって、ファシズムへと導かれていく様が見えていたことは確かであり、それ故に命をかけて『イノセント』を制作したと言えるだろう。

 しかしそのような警告も、規制なき自由競争のネオリベラリズムが浸透する中で機能しなかったのも確かである。したがって既に『山猫』で述べたように、ヴィスコンティが新たなファシズム帝国主義時代に突入した現在に生きているとすれば、究極的な個人主義が産み出すファシズムへの警告ではなく、究極的な利他主義が産み出すマルキシズムへの希望を描くだろうと思われる。

 それは、AIに支配されるイノセントで実利的な市民が十数メートルの海面上昇や繰り返される戦争に巻き込まれる中で、生き残るために利他主義に目覚め、希望に満ちた社会を築いていく物語である。

すなわち他国からの搾取なしには成り立たない資本主義国家が水没、熱波、巨大台風、干ばつ、伝染病の蔓延などで破綻していき、自然発生的に搾取のない自律経済の無政府主義国家が誕生し、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に見るように、国家や権力による上意下達の統制ではなく、市民社会の相互承認や合意形成による争いと格差のない共同体社会が描かれる筈である。

何故なら、ヴィスコンティはワーグナーに傾倒しており、『ルードヴィヒ』では自らを代弁する王が『ローエングリン』や『タンホイザー』に心酔し、壮大な世界観に没頭していく様を描いている。また『ベニスで死す』では『トリスタンとイゾルデ』のテーマ「愛と死の不可分性」に取り組み、「死をもってのみ完成する愛」の絶対美を描いているからである。

 

(注1)哲学者ニーチェの思想は、端的に言えば、既存の絶対的価値観(神や生きる意味)を否定し、人間が自らの力で新しい価値観を創り出す生き方を説いた思想である。しかし彼の既存の道徳を打破して自ら価値を創る「超人」や「力への意思」という概念が、強者による支配や暴力の肯定に勝手に解釈され、ファシズムに利用された。実際のニーチェは、ナショナリズムや反ユダヤ主義を嫌悪していたことが、著作や証言から明かである。

(543)生きる術を問いかける巨匠ルキノ・ヴィスコンティ④・『ベニスに死す』、『家族の肖像』

 『ベニスで死す』での絶対美への追求

(この映画の英語版はこのサイトで見られます

 71年に制作された『ベニスに死す』は、ヴィスコンティ自身がその制作意図について、以下のように語っている。

「生涯をかけて、絶対的な美というものを作品にしようとしていた。老境が近づき、自分の望みが空しいと突然気がついた。エロスの介在がなければ不可能なのだ。私はこの知的冒険を真実と想像の平衡を保ちつつ、現実的であると同時に幻想的に描きたかった」(彼が亡くなった76年に編集された『ヴィスコンティの肖像』より)

 この映画は全編に死と愛をモチーフとするマーラーの曲が流れ、主人公の初老の作曲家アッシェンバッハは、映画の後半で語られるように、自作の新しい曲を指揮演奏後聴衆や評論家の冷ややかな反応と非難から心を患い、保養のためにベニス(ベニスは英語名、イタリア語ではヴェネツィア)に逗留する。ホテルでポーランド貴族家族一行の美少年タジオに出会い、圧倒的な美しさに魅了されていく。そしてタジオが浜辺で遊ぶ姿を観察するなかで、心酔していく。伏線として主人公が浜辺に売りにきた苺を食べているシーンがあり、浜辺に売りにきた食べ物を買っていけないという放送が流れる。

ある日ホテルのエレベータにタジオと少年仲間と乗り合わせて心がときめき、降りたタジオから視線を投げかけられていることに気がつき苛立つ。その後彼の弟子アルフリートの激しい議論の回想シーンが挿入される。アルフリートは、美の本質は理性で創りだせるものではなく、人間の直観や感覚のなかに宿るものであり、自然が創り出すものだと主張する。これに対してアッシェンバッハは、高潔な美や芸術は、理性とたゆまぬ努力によって自らの意思によって創り出すことができると反論していた。

そのような主人公は、理性を失ってタジオに心酔していることに気づき苛立ち、ホテルを立ちベニスから出ていくことを決断する。しかし駅まで出てみたものの、タジオへの断ち難い思いから留まることを選ぶしかなかった。駅に出た際、感染者が死んでいく光景を目撃する。またホテルへ戻った後、主人公はタジオの後を追って街を徘徊するなかで、コレラが街に蔓延していることを知る。しかも主人公は浜辺で苺を食べたことから、既にコレラに感染しており、急速に心身が衰弱していく。しかし主人公は、タジオへの心酔からコレラへの感染を認知できない。その結果主人公は、衰弱による老いを隠すため髪を染め化粧し、夢遊病者のようにひたすらタジオを追いかけていく。

そしてこの映画ラストは、主人公アッシェンバッハが介添えの助けで浜辺の椅子に座り、浜辺で輝く海とそこに佇むタジオの姿を見つめる。そしてタジオの遠くを指さす美を追い求めようとするなかで、主人公は息を引き取る。

生涯をかけて理性で美を追い求めてきた主人公が、美少年に陶酔して死んでいく有様こそ、ヴィスコンティが追求した絶対美である。そこには、絶対美を創り出すのが理性か、自然かの議論を超えた美がある。すなわち絶対美を求めて絶えず追い求めていくなかにこそ、議論を超えた絶対美があると、ヴィスコンティが言っているように思える。

 尚公表されている『ベニスに死す』制作スタッフの話で、ヴィスコンティ監督は糖尿病の悪化もあって容貌の老いと体力の衰えが目立ってきていたことから、それを隠すために髪を染め、迫りくる死にも気がつかず、必死に取り組んでいたことが知られている。その際ヴィスコンティの髪から、ラストシーンの主人公アッシェンバッハと同じように、流れ落ちる汗で色墨が流れ出ていたそうである。

 

『家族の肖像』に見る、神となったヴィスコンティ

 ヴィスコンティは『ベニスに死す』を制作した後、自らの思いをルードヴィヒ国王の生き様に自らの生き様を託すかのように、『ルードヴィヒ』の制作に取り組んだが、73年に編集段階で脳卒中に倒れた。しかし左半身不随となりながら、執念から74年に見事に仕上げている。しかも73年には、車椅子でヴェルディのオペラ公演演出に取り組み、大成功させている。そして74年には、『家族の肖像』の制作に取り組み、自らの心境を語るかのように、ヴィスコンティの遺言とも称される作品を完成させている。

 その制作過程でヴィスコンティはインタビューに答えて、「病気のために、私は体を自由に動かせない。仕事をする上でひどく辛い。一瞬、一瞬を生きたいのだ。大切なのは仂き、思考し、隣人と語りあうこと。仕事のおかげで病気を克服できた。昔からそうだが、仂くことが生きることなのだ」と述べている(『ヴィスコンティの生涯』より)。

 そこからは、最早死への恐れや、迷いは感じられず、一瞬、一瞬を映画制作に打ち込むヴィスコンティの迫力が伝わってくる。もっとも脳卒中も長年の糖尿病の合併症からくるものであり、車椅子で制作するなかでも足の壊疽へと進行していたと言われており、死をも恐れることなく映画制作に打ち込むことで、病気を心的に克服していたと言えるだろう。

 もっともそれは、自らの死を向き合うことであり、これまでのように自らの理想の追求や現実の頑な拒絶ではない。すなわち『家族の肖像』では、現実のすべてを受け入れようとする、ヴィスコンティの大きな愛が感じられる。

『家族の肖像』のあらすじは、ローマの静かな豪邸で現実を拒絶して暮らしている元大学教授のもとに、ブルモンティ侯爵夫人(夫は大物ファシスト)の一家が屋敷の上階の間借りを求め、強引に割り込んでくる。夫人の家族は心の優しい娘リエッタと婚約者ステファノ(右翼青年)、そして夫人の愛人コンラッド(元左翼過激派)であり、余りにも価値観の違う人たちである。最初教授は、そのような人たちの侵入に心を乱され、疎ましく感じている。

しかしそのような心を乱される暮らしのなかで、教授はコンラッドがモーツァルや愛蔵する絵画「家族の肖像」にも詳しく、彼に興味を覚えるようになっていく。そしてある夜コンラッドが上階で何ものかに襲われ、血まみれになって負傷する事件が起きる。教授は負傷したコンラッドを隠し部屋の書斎で手当てする。この際コンラッドの過去(68年の5月革命参加の左翼崩れであり、伯爵夫人の愛人である傍ら、裏では政治陰謀に関わっている素性)がわかり始め、二人の魂の絆が深まっていく。

コンラッドを書斎に寝せている間教授は応接間で寝起きし、その際モーツァルトの甘美で哀愁に満ちた曲が流れ、若く美しい母との美しい回想シーンが挿入されている。この回想シーンは、若かりし頃の教授が美しい母親と語っており、彼にとって古き良き時代であり、侵入されることを拒む聖域であることを暗示している。

またある夜中、教授はモーツァルトの曲が流れるなかで妻との裏切られた愛を思い出している。その際上階からホップソングが響き、階上に上がった教授は3人の若者の倫理を欠いた情熱的な愛を目撃し、エネルギッシュなホップソングが流れるなかで呆然自失する。しかし彼らの教授をいたわる優しい思い遣りに、教授は親しみを感じていく。

その後教授は上階の四人を晩餐に招き、遅くなった伯爵夫人の来訪で四人が揃うと、「あなた方が加わっていただいてうれしいです」と、新しい家族ができた謝意を述べている。

しかし伯爵夫人の夫(右翼大物)が愛人コンラッドと別れることを求めたという話から、二つの社会の対立へと口論が拡がり、ステファノ(右翼)がコンラッド(左翼)を卑しい愛人と罵り、取っ組み合いの乱闘になる。教授はなす術もなく、二人を引き離すのがやっとであった。誰も罵られたコンラッドを弁護せず、コンラッドは部屋から出ていく。

その後すぐさまコンラッドから、「残念ですがもう私達が会うことはないでしょう・あなたの息子コンラッド」と書いた手紙が届き、読み終わる間もなく階上で爆発音がし、階上でコンラッドが爆死していた。教授はコンラッドに、「私たちは家族なんだから」と言ってやれなかったことを悔いて寝込み、死の床につく。しかし彼を見舞う伯爵夫人と娘リエッタの別れ際では、まるで家族を求めるかのように、手を差し伸べて亡くなっていく。

この老教授の「手を差し伸べる死」は、『ベニスで死す』の老作曲家の「手を差し伸べる死」とは明らかに異なっている。すなわち『ベニスで死す』は、絶対美を求めるものであり、あくまでも現実を拒絶した死である。これに対して『家族の肖像』は、すべてを受け入れ、愛を求める死であり、現実を受け入れようとするヴィスコンティの大きな愛である。

そこには、死と向かい合ったヴィスコンティの生きる術を感じないではいられない。事実ヴィスコンティはこの映画を制作した後、次のような遺言を私たちに残している。

「現代は、道徳的社会的精神的に危機に瀕している。だが全面的な敗北や、決定的な敗北ではない。一時的な敗北である。敗北の度ごとに新しい力が生まれる。私の描いた人物達もそう信じている。私はペシミストではない。どの時代にも暗闇はある。良心は常に後からくる。我々の生きている混乱はやがて解決されるだろう。

  私は死ぬのは恐くない。恐れる理由などあるのだろうか?映画やサーカスに行くようなものではないか!」(『ヴィスコンティの肖像』で自身が語る証言より)

そのような証言が裏付けるように、まさに映画『家族の肖像』には、死と向かい合い、ひたすら映画制作に取り組む、神のように優しく、現実を超越したヴィスコンティを見る。

(542)生きる術を問いかける巨匠ルキノ・ヴィスコンティ③・『地獄に落ちた勇者ども』、『ルードヴィヒ』

『地獄に落ちた勇者ども』が描く絶望的生きる術

 映画『地獄に堕ちた勇者ども』は、ナチス帝国の侵略を可能にした製鉄王ヨアヒム男爵一族の物語であり、エッセンベック家の人々はナチス支配のなかで権力を手にするため蹴落とし合っていき、最終的に冷酷な絶対支配者というモンスターを産み出し、狂気と破滅へ向かう絶望的な生きる術を描いている。

社長ヨアヒムはナチスを軽蔑しており、姪の夫で反ナチの民主主義者ヘルベルトを副社長に据えている。しかし彼の誕生日に、共産党を犯人に仕立てる国会議事堂放火事件が報道されると、企業存続のため親ナチ体制に刷新することを決断する。すなわちヘルベルトを退任させ、同時に甥の突撃隊幹部の重役コンスタンティンを副社長に据える。

しかし事態はそれでは収まらず、親戚でもある親衛隊少佐のアッシェンバッハは企業の全てをナチス支配するため、欲望の強いゾフィ(戦死したヨアヒム長男の嫁)とその愛人フリードリヒ(一族ではない会社重役)を唆し、ヨアヒムを殺害させる。しかも退任して屋敷を去ったヘルベルトに、殺人の罪を着せる。また一時的に会社の実権を握ったコンスタンティンを葬るために、突撃隊とヒトラーとの間に軋轢が生じていることを利用して、親衛隊による突撃隊幹部粛清「長いナイフの夜」を企て、突撃隊幹部の一網打尽とともにコンスタンティンを葬る。(この映画では、突撃隊の幹部たちが退廃的な狂騒を長々と享受するなかで、突然親衛隊が皆殺しにする様が、ヴィスコンティ特有の耽美的で冷酷な演出で描かれている。)

このようにして親衛隊少佐アッシェンバッハの悪しき企ては思い通りに遂行され、彼は企業のすべてを手に入れる。

しかしこの映画の主人公はゾフィーの息子マルティンで、母親への愛情に飢え、小児愛や女装癖にのめり込み、頽廃的な異常性癖の青年である。そのような青年が社長ヨアヒムの死によって会社の全てを相続することになったことで、これまでの権力への無関心さから、権力掌握のモンスターへと変身していく。それは、ウインで画家を目指したヒトラー青年が挫折と孤独な退廃的暮らしのなかで、独裁者へ変身する様を暗示させている。しかもマルティンのやり方は悪魔のように巧妙冷酷で、民主主義を信奉するコンスタンティンの息子ギュンターに復讐心を駆り立て、自らの絶対支配の道具にしていく。この映画では親衛隊少佐アッシェンバッハの絶頂へと上り詰めた姿しか描かれていないが、ギュンターが彼を父親コンスタンティン殺害の黒幕であると知るのは時間の問題であり、アッシェンバッハの力が削がれていくであろう。

事実母親ゾフィーと名ばかりとなった社長フリードリヒの結婚式では、すべてを支配采配したのはマルティンであり、二人に毒入りカプセルで自決することを強いている。しかもラストでのマルティンの表情には、地獄のような時代に生き残るために悪魔のモンスターに化した独裁者の狂気が感じられた。

また1969年にヴィスコンティが『地獄に落ちた勇者ども』を制作した意図を考えるとき、ヴィスコンティの時代への警鐘を強く感じる。すなわち戦前同様に、1969年には人間を競争、戦争に駆り立てるネオリベラリズム(新自由主義)が台頭してきており、いずれ帝国主義を蘇らせ、生きる術のない絶望的な時代到来を警鐘したように思える。

 

ルードヴィヒの理想の挫折と現実の拒絶

 ヴィスコンティが亡くなる2年前に制作された『ルードヴィヒ』には、ヴィスコンティの晩年の思いが主人公バイエルン国王ルードヴィヒ2世の生きる術に投影されている。それは、叶わない理想への希求と頑な現実の拒絶である。

 ルードヴィヒ2世の生きた時代は、19世紀後半の絶対王政から近代国家へ移り変わる時代であり、憲法や議会政治が普及して国王の権力が弱まり、実質的には官僚が政治支配する時代であった。しかもその時代は帝国主義が台頭する時代であり、国家の力による他国への進出こそが生き残る道であり、戦争が求められる時代であった。

そのような時代に生きたルードヴィヒ2世は、父親ルードヴィヒ1世の死で1864年18歳の若さで国王に即位した。彼は作曲家ワーグナー(注1)を敬愛しており、「現在の政治国家は、人々を自然に反して発展する方向に導こうとしており、これまでの国家は人間の本性をまったく理解しておらず、国民一人一人の自由な自律を基礎とした新しい社会を建設すべきだ」というワーグナーの思想に心酔し、戦争のない美と芸術を愛する理想国家を建設しようとした。そのような理想国家建設こそが世界を救うものだと信じ、すぐさまワーグナーをバイエルン王国に呼び寄せ、理想の実現に取り組んでいる。

映画『ルードヴィヒ』は2部構成で描かれ、第一部は国王ルードヴィヒの理想への希求と挫折であり、第二部は建設した理想の城での現実逃避と現実拒絶である。

第一部では、ルードヴィヒは呼び寄せたワグナーと理想の世界や芸術について熱い対話を交わし、心から彼の才能に心酔し、全面的に支援することを誓う。しかし側近官僚たちは、ワーグナーの理想劇場建設(従来の歌唱主体のオペラではなく、音楽、詩、舞踏、舞台美術が統合できる総合芸術実現の円形劇場)に莫大な資金が使われていることから、「ワーグナーは王の純粋な憧れを利用し、愛人との贅沢な暮らしに溺れて王の期待を裏切っている」と反発を徐々に強めていく。また新聞も莫大な借財を国民負わせていると書きあげ、国民もワーグナーへの反発を強めていく。  

そのような側近や国民の反発に対してルードヴィヒは、ワーグナーを擁護し続け、「あなたといると勇気が湧き、私の救いだ」と益々強くワーグナーに心酔していく。しかし最終的にルードヴィヒは、側近たちのワーグナーへの巨額な出費や国家への悪影響という進言を拒否できなくなり、側近たちの要請によってワーグナーの追放を強いられる。(尚この映画でのワーグナーは、欲望の強い愛人コージマを無邪気に熱愛し、彼女の誕生日に楽団を率いて心から祝い、楽団の人々からも愛されている偉大な芸術家であり、純真な理想追及者として描かれている。)

またルードヴィヒは心の底から従姉のオーストリア皇后エリザーベトを愛し、許されぬ恋ゆえに悩む。現実的に強く賢く生きるエリザベートは、ワーグナーの巨額な散財を戒め、恋愛についても現実的選択を迫り、心の優しい妹ゾフィーとの縁談を薦め、ルードヴィヒに婚約を決断させる。しかしルードヴィヒはエリザベートへの一途な思いを断ち切れず、苦悩して挙式を延期し続け、最終的に国王としてあるまじき婚約破棄を選択する。ルードヴィヒの叶わぬ恋への苦悩は、エリザベートとゾフィーの会話でも語られている。すなわちルードヴィヒがゾフィーを呼ぶとき、オペラ『ローエングリン』の王女エルザ(エリザベートの略称も示唆)で呼ぶことで、孤独な純真な白鳥の騎士ローエングリンの宿命の恋の苦悩を暗示させている。

もっともエリザベートも本当はルードヴィヒを心から愛しており、映画のラスト近くで側近の陰謀を知らせるためか、あちこちの城を探し回っている。ルードヴィヒもエリザベートへの強い愛は変わらないが、叶わぬ恋であり、窶れ果てた姿を見られたくないため会うことを断念する。しかし「エリザベート、エリザベート、エリザベート」と独白する叫びに、純真さと哀れさを感じないではいられない。

またバイエルン王国が普墺戦争に巻き込まれて敗れ、彼の愛する純真なオットー王子は、国家への忠誠心から前線で兵士を鼓舞し続け、疲労と戦争のトラウマから心を病んで戻り、後日精神病院に拘束される程病んでいく。

さらに普仏戦争(プロイセン王国とフランス帝国の戦争)に巻き込まれ、プロイセンの鉄血宰相ビスマルク(注2)は、ドイツ統一をルードヴィヒに力と金で強いる。ルードヴィヒは「バイエルン王国が奴隷になることだ」と、バイエルン王国の連盟国参加を激しく拒否するが、ドイツ帝国誕生を認めるしかなかった。

第二部では、理想国家建設の挫折、叶わぬ恋愛の破綻、彼の嫌う戦争での他国への服従といった理想の挫折のなかで、ルードヴィヒの理想を心のうちで実現しようとする姿が描かれている。すなわち多額の国費を投じて建設した理想の城(ノイシュヴァンシュタイン城)に閉じこもって、美しい近習やウインから呼び寄せた役者を侍らせ、ワーグナーのオペラ寸劇を演じさせ、王の自由と尊厳を守る暮らしを始める。しかし余りにもワーグナーの寸劇に純真にのめり込み、役者も疲労から逃げ出す有様である。また当時の慣習からくる同性愛への罪悪感もあって、ルードヴィヒは退廃的で虚しい饗宴に沈溺していく。

そのようなルードヴィヒの退廃的な暮しに対して、側近の官僚たちは現実的な生き方を求めるが、ルードヴィヒは王の自由と尊厳を守るため、ことごとく拒絶する。そのため側近たちは1886年国王退位を求め、査問委員会による国王の精神病鑑定でルードヴィヒを退位させ、シュタルンベルク湖畔のベルク城に幽閉する。しかし夕方精神科医と散歩に出たルードヴィヒは夜になっても帰らず、湖の中で二人の死体が発見される。

この映画ではこのルードヴィヒの死を、ルードヴィヒが現実を拒絶し、国王の自由と尊厳を守って死を選択したように描かれている。すなわち側近たちの陰謀が実現していくなかで、ルードヴィヒは信頼する近習に、「魂の不滅と神の正義を信ずる」と死を選ぶことを独白しており、彼の心情を理解することができる。

そして『ルードヴィヒ』で描かれたルードヴィヒの理想の挫折と現実の拒絶は、まさに前回『山猫』で述べたようにヴィスコンティ監督の楽園到来という理想の挫折であり、帝国主義へ回帰する現実の拒絶に他ならない。

 

注1)

ザクセン王国の宮廷楽長のワーグナーは、無政府主義のバークニンやブルードンの影響を受け、国家による権力支配を否定し、1849年人間性の回復を求めてザクセン王国の市民による革命(ドレスデン放棄)にバークニン等と参加するが、失敗してスイスへ逃亡している。ドレスデン放棄失敗以降は力による革命を求めず、ルードヴィヒ国王の篤い支援にも助けられ、創作したオペラを通して理想の社会像を求めるように変化して行った。例えば無政府主義国家成立後の社会を描く「ゲノッセンシャフト(協同組合)」の『マイスタージンガー』では、国家や権力による上意下達の統制ではなく、市民社会の相互承認や合意形成によって共同体が刷新される様を描いている。また20年以上の歳月をかけて創作した『ニーベルングの指環』では、世界を支配する指環が国家権力支配の象徴として描かれ、最終的にそのような世界が崩壊する物語を通して、権力構造の否定や人間性の回復を訴えている。

しかし物語には、ドイツ人の民族的アイデンティティであるナショナリズムも描かれているため、ナチズムの反ユダヤ主義プロパガンダに利用され、現在に至るも厳しい批判を受けている。もっともワーグナーは、本質的に人間の幸せ、人間性の回復を求めていることから、時代を超えて世界の多くの人に愛されている。

 

(注2)

ビスマルクはユンカー(土地貴族)の出身であり、プロイセン国王ヴィルヘルム1世の下で1862年首相となり、軍国主義化を推し進め、普墺戦争、普仏戦争を勝利に導き、1871年にドイツ統一によるドイツ帝国を誕生させている。

明治の大久保利通使節団は、日本の国際社会における近代化を求めて1873年鉄血宰相ビスマルクに会見し、次のようなビスマルクの忠告に従い、ドイツの富国強兵、殖産興業を推進する官僚制度を学び、日本の軍国主義化を推し進めて行った。

 

「国と国との関係は万国公法と言う国際ルールに基づいている。しかしそのような約束事は絵空事に過ぎない。大国は自分に利益がある場合は万国公法に従うが、ひとたび不利益と見れば、たちまち軍事力にものを言わせてくる。国際社会で小国が生き残るためには国家を強くしなければならない」

 

(541)生きる術を問いかける巨匠ルキノ・ヴィスコンティ②・『若者のすべて』、『山猫』

『若者のすべて』が描く5人の兄弟の生き方

 『若者のすべて』は、貧しさから逃れるためにイタリア南部の片田舎から都会ミラノに移住してきた家族の物語である。イタリアの南部農民は、中世の封建時代は領主貴族に思い課税を課せられて、農奴のごとく厳しい暮らしを強いられたきた。そのような農民が19世紀後半の独立運動、20世紀初めの一部の農地解放、さらには戦後の民主化による農地収得で、一時的に楽園のような暮らしが実現した。すなわち兄弟たちの父親の時代には、家族が力を合わせて汗水流し、共同体の人々と助け合って、心豊かに誇りをもって暮らせる時代が到来した。

  しかしそのような家族が都会に出てこなければならなかった理由は、一つには農業が機械化され、これまで大家族や地域共同体の助け合いで数十人を必要とした労働が、一人でも出来るようになったからである。また地域経済も大規模で生産されたフランスなどの食料品や、ドイツなどの生活必需品、工具や機械が安く輸送されてきたからである。すなわち片田舎の力を合わせて心豊かに暮らしていた大家族は、地域での自給自足を基本とした戦後の地域自律経済の崩壊で、南部の片田舎では食べて行けなくなったからである。

 長男ヴィンチェンツェは、家族の移住のためにいち早く都会で働き、家族の一家が出てきた頃には、都会の娘と結ばれるまでに都会移住の足掛かりを築いていた。しかし効率や競争が求められる暮らしで、片田舎で育まれた利他性が失われ、自らの家庭を築くことが優先するように変化していた。すなわち都会では、助け合って生きてきた利他性が不要となるだけでなく、自分本位な実利的な生き方が求められ、家族の絆が弱まり、必然的に家族を助けることにも消極的になっていた。

 次男のシモーネは、実利的な都会の暮らしにすぐさま馴染み、一獲千金を狙ってボクサーの道を選び上り詰めていく。しかし実利的である故に、欲望も強く、都会でしたたかに生きる娼婦ナディアを溺愛し、怠惰からボクサーの道も挫折する。ナディアに愛層を尽かされたシモーネは、街の不良仲間のリーダーへと転落していく。

三男のロッコ(アラン・ドロン)は、実利的なシモーネとは対照的にあくまで利他的な生き方を貫き、ひたすら家族を愛する純粋な優しい青年である。クリーニング店で堅実に働いていたが、兵役に出る。ロッコは兵役先の街で、刑務所から出所したばかりのナディアに偶然再会する。したたかに生きてきたナディアは、ロッコの利他性からくる純粋さと優しさにに心を洗われ、ロッコとの愛を育んでいく。

しかしミラノに戻った2人を待ち受けていたのは、嫉妬に狂ったシモーネだった。ある夜シモーネとその不良仲間は2人を待ち伏せ、ロッコを力ずくで押さえつけ、ナディアを暴行する。血まみれの兄弟喧嘩の後、ロッコはミラノ大聖堂(ドゥオーモ)の屋上でナディアに会い、泣きながら「兄を救えるのは君だけだ。兄の元へ戻って支えてやってくれ」と別れを告げる。そのようなロッコの固い決意を前にして、ナディアは絶望して、自暴自棄となり、溺愛するシモーネの元へ戻っていく。

ロッコはシモーネの借金などを穴埋めをするため、やむなくプロボクシングの道を選び、その天才的な才能と真面目な努力で勝ち進み、大金を稼ぐようになる。しかしシモーネの堕落は止まらない。

四男のチーロは、真面目に自動車工場(アルファロメオ)で働くなかで合理的な価値観を身につけ、ロッコの盲目的な「家族愛」がシモーネを堕落させていると批判する。しかし、「家族はどんな罪をも庇い合うべき」という信念のロッコや母と対立する。

数年後ロッコは、ボクシングのチャンピオンとして防衛を果たし、一家は裕福になる。しかしシモーネは、ますます堕落して犯罪を犯し、落ちぶれた身を罵ったナディアを殺害し、逃げ場を失って家に逃げ込んでくる。ロッコは、「シモーネは悪くない、都会が兄を変えたんだ」と匿うが、チーロはロッコの制止を振り切り警察へ通報し、シモーネが逮捕される。

 映画のラストでは、まだ幼い五男ルカが工場から出てくるチーロを待ち受けている。チーロは幼いルカに、「ロッコのやり方は間違っている。シモーネを自首させることが本当の愛だ」と述べるが、「いつかきっと、俺たちの生まれ故郷の村ルカニアへ帰れる日が来る。その時の故郷は、昔のような貧しい場所ではなく、もっと良くなっているはずだ」と希望を託す。そしてルカがミラノの街を歩き去っていくなかで、「ロッコが帰るなら、僕も故郷に帰る」と、ロッコの願望を受け継ぐ決意を述べ、幕が下りる。

 この映画はヴィスコンティらしく、五人の兄弟の生き方が非常に論理的に構成されており、「生きる術」を問いかけ続けたヴィスコンティを称賛しないではいられない。そこには、次男シモーネのように実利的にしか生きれなくなっていく利己主義な時代へのヴィスコンティの悲しみと同時に、幼い五男ルカの利他主義への回帰に希望を見る。

 

『山猫』に見るヴィスコンティの哲学

   この映画の舞台は、19世紀のイタリア統一運動の時代であり、没落していくシチリアの名門貴族・サリーナ公爵(バート・ランカスター)の「生きる術」を描いている。侯爵は新たな時代を生き残るため、野心家の甥・タンクレディ(アラン・ドロン)を新しい時代の幕を開こうとしている革命軍に参加させる。一見そこには、古い支配階級が生き延びるために、新しい支配階級に適応する功利主義が感じられる。

  しかもこの映画を貫く「変わらないためには、変わらなければならない」という哲学は、滅びゆく貴族の保身と適応を象徴する処世術としての「生きる術」のように思われる。しかしヴィスコンティの生き様を辿るとき、由緒ある貴族の出であるからと言って、滅びゆく貴族の変化への保身や適応、そして新しい時代を受け入れる諦観を描くために『山猫』を制作したのではない。

  それは、新政府の役人にシチリアの代表者(上院議員)になってもらいたいという要請に、「我々は山猫だった、獅子だった。山犬や羊どもが取って変わる。そして山猫も獅子も、また山犬や羊すらも、自らを地の塩(世の中にかけがえのないもの)と信じ続ける」と変化を受け入れているが、「シチリアは変化を望んでいない」と断るシーンから紐解くことができる。

  侯爵は、シチリアの島民は変化を望んでおらず、自分が代表者になっても何も変えられないと達観し、要請を断っている。すなわち山猫や獅子から山犬や羊への変化は、貴族支配の時代からブルジョア支配への狭い意味の変化ではなく、広い意味で自然に適応していた利他主義に基づくシチリア農民や漁民の平和な暮しから、近代化による実利主義の争いを強いられる暮らしへの変化であり、それをシチリアの島民は望んでいないとの侯爵の思いから断っている。

  もちろんヴィスコンティ自身もそのような変化を望んでいないが、冷徹に現実を受け入れていることも確かである。それは侯爵の生き様に描かれており、変化を悲しみと諦めで受入れながらも、人間として誇りを持って生きたいと願う侯爵の思いから伝わってくる。

  それにもかかわらず、そのような願いの叶わないことを侯爵は諦観している。映画のクライマックスである舞踏会での長い長い踊りのシーンが、その侯爵の思いを見事に描いている。嘗ての踊りの名手と言われた侯爵が甥の婚約者アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)と華麗に踊るが、華麗であればあるほど、終焉での侯爵の悲しみや諦めが心に突き刺さってくる。

  そしてラストシーンでの侯爵の呟き、「星よ、我が忠実な星よ。お前はいつになったら約束してくれるのか。こんなひと夜かぎりではない約束を。お前の永遠に不変の胸にいつ私を迎えてくれるのか。この愚かさと流血から遠く逃れて」で終わっている。

  これは滅びゆく貴族の侯爵の死生観であり、「変わらないためには、変わらなければならない」という哲学も、抗することができない時代への移り行く時代への悲しみと諦めを込めたヴィスコンティの思いである。そのような思いが滲み出してきている背景には、映画監督ジャン・ルノワールの下で映画制作を始めた頃、本人が自ら語るように、理想社会へのマルクス主義思想を発見したことにある。

  マルクス主義思想を端的に言えば、「生産手段(土地や工場など)をみんなで共有し、貧富の差や支配のない、誰もが自分の能力を活かして自由に生きれる共同体社会を創り出す」ことであった。すなわちヴィスコンティの理想の夢が、1960年『若者のすべて』を制作した後、1963年の『山猫』制作にあたっては完全に失墜していたからである。そのような失墜は既に言われていたことであったが、1962年にソルジェニーツィンのソ連の強制収容所を舞台にした小説『イワン・デニーソヴィチの一日』が発表され、スターリン独裁帝国の全貌が世界に明らかにされ、理想の夢が完全に失墜したからであった。したがって、実利的なグローバル資本主義社会の到来にネガティブでありながらも、「変わらなければならない」という思いが悲しみと諦めを持って描かれている。

  もっともヴィスコンティが今生きていたならば、プーチンやトランプの帝国主義へ移り行く時代を悲しみや諦めで描くことはないだろう。むしろそれとは逆に、トルストイのような侯爵の生き様を通して、喜びや希望が溢れる共同体作りに挑む「生きる術」が描かれる筈である。

  トルストイはマルクス同様に、強大な資本主義や土地の私有制に反対し、それを守る国家権力を強く批判している。しかしあくまでも非暴力主義で、革命には一貫して反対であった。自ら所有する領地を農民に無償で与え、利他主義に基づく平等で平和な、喜びと希望が溢れる共同体の創造に取り組んでいる。

  現在のイタリアでは、1980年代末からグローバル資本主義のファストフード台頭に抗して食べ物に、伝統を受け継いだ喜び、環境や生態系を守る生産加工、生産者にとって適正な公正価格を掲げたスローフード運動を掲げて世界に拡げている。また地域のエネルギー自立は最早ドイツの専売特許ではなく、8000近い自治体をあくまで死守したイタリアの地方自治体において、直近では4万を超える再生可能エネルギーコミュニティが建設されており、地球温暖化によって十数メートルの海面上昇に向かう世界に、地域自律経済再興で生き延びようとしている。

  そのような新しい時代への息吹が湧き上がるなかでのヴィスコンティであれば、危機の時代に挑むトルストイ侯爵のような人物の「生きる術」を描き、悲しみと諦めではなく、生きる喜びと希望を与えてくれるだろう。

  もっとも上に述べた『若者のすべて』では、既にそれを先取りしている見方もできる。すなわち四男のチーロは、実利的に生きることを強いられる資本主義のなかで、民主主義の法による合理的生き方を選択しているにもかかわらず、幼い五男のルカに楽園となった故郷へ戻れる日を語っている。そのような故郷への帰還こそは、トルストイの目指した理想的共同体社会への帰還であり、ヴィスコンティの希求する楽園となった故郷への帰還である。

 

尚、月初めはドイツの今を伝えると書きましたが、私の映画論も拍車がかかってきたことから、途中で止まらくなり、月3回続けて書きます。次回はビスコンティの三回として、ドイツ三部作を取り上げます。ビスコンティの後は溝口健二、そして最後は黒澤明を、現在の視点で掘り起こしたいと思っています。

(540)生きる術を問いかける巨匠ルキノ・ヴィスコンティ①・『揺れる大地』、『夏の嵐』

イタリアネオリアリズムの秀作『揺れる大地』

 1948年制作の『揺れる大地』はヴィスコンティの初期作品にもかかわらず、素晴らしく見事なイタリアネオリアリズムを体現する作品であった。イタリアネオリアリズムは、第二次世界大戦後イタリアで生まれた映画運動で、野外ロケと俳優も現地素人起用を原則に、貧困や社会問題をありのままに描いている。『揺れる大地』の冒頭では、シシリア島の現地素人俳優起用で制作されたことを記している。

 この映画は、戦後の貧しい漁師家族暮らしを丁寧に描くことから始まっている。代々漁師として暮らすヴァラストロ一家の長男・ウントーニは、獲れた魚を安く買い叩く網元や仲買人たちの不当な搾取に憤りを募らせている。ある日村の若者漁師たちが団結して、不当な取引に反旗を翻して戦うが、ウントーニたちは投獄されてしまう。釈放後ウントーニは、「このままでは一生搾取されるだけだ」と決意し、自分たちの力で漁をして直接競りに出すという独立の道を選ぶ。自宅を抵当に入れて銀行から借金をし、自分たちの船を手に入れる。独立当初は順調で、大漁に恵まれ、一家は希望に満ちていた。

しかし一家が希望に輝いていたのはそこまでであり、借金をしたことから天候の悪い日でも漁にでないわけにはいかない。また他の漁師が独立を見合わせたことから、漁場での助け合いも期待できず、転落は目に見えていた。

海が荒れたある大しけの日、他の船が漁を見合わせる中、ウントーニたちは借金を返すために無理をして漁に出、船が暗礁にのりあげ大破してしまう。

 多額の借金だけが残ったヴァラストロ一家は、生活に困窮し、抵当に入れていた家も手放さざるを得なくなり、一家は路頭に迷う。そのため家族の絆が失われ、諍いが絶えなくなり、次男や長女が家を出ていき、家族はバラバラに崩壊していく。

何もかもを失い、孤立無援となったウントーニは、幼い弟二人をともなって仲買人や網元に頭を下げ、再び不当な低賃金で雇われる漁師となる。映画は、朝の海へと漕ぎ出していくウントーニの姿で幕を閉じる。

余りにも救いがない結末であるが、それにもかかわらず再び家族全員の写真を壁にかける妹マーラに、そして舟をこぐウントニーノの表情に救いのない状況に立ち向かおうとする誇りが感じられる。さらにこの映画を褒めれば、シシリー島漁民のどうしようもない貧しい暮らしにもかかわらず、懸命に生きようとする姿が美しいモノクロ映像でリアルに生き生きと描かれており、160分という長い時間を感じさせなかった。

それは、ビスコンティ自らの体験から溢れ出してくる「生きる術」であり、非情な世の中にあっても、人間としての尊厳を持って生きてきた術からくるものである。すなわち見る側は、思い通りいかない非情な世の中に生きており、結末での舟をこぐウントニーノの誇りの表情から、人間として尊厳を持って生きる勇気がごく自然に湧き出してくるからに他ならない。

ルキノ・ヴィスコンティの亡くなった1976年に制作された『ヴィスコンティの肖像』を見ると、彼自ら述懐する生きてきた軌跡から、彼の「生きる術」が湧き出していることがわかる。

『ヴィスコンティの肖像』は、「父は聡明で、家柄を理由に権利や特典を望むなと教え、ブルジョアの自力でのし上がった企業家の娘であった母はもっと強烈で、子供たちは温室を出て、世の中と関わって自由な人格を作るよう望んだ。家柄や財産に頼るなと教えた」と、名門伯爵家に1906年に生まれたビスコンティの述懐から始まっている。

「1928年兵役終えてミラノに戻ると、父が創設した劇団のために2つの芝居を上演した。……1935年パリに出て、映画監督ジャン・ルノワールに師事した。彼は素晴らしい人物で、左翼運動の闘志たちに囲まれ、若い私に芸術的精神的に大きな影響を与えた」と述べている。さらに「この時期は知的転換期でもあった。マルクス主義を発見した時期だ。人生や社会に対する考え方を発見したのだった」と述べている。

また「私の生涯で最も重要なのはレジスタンスの時代だ。私はローマのアパートでファシストに捕まり、監獄に送られた」と語っている。具体的には語らていないが、レジスタンスとして命をかけて戦い、捕らえられ拷問を受け、死に直面したヴィスコンティの必死に生きようとする姿が目に浮かんでくる。

アメリカ軍のローマ進攻で釈放されたヴィスコンティは、一つの時代の証言として苦悩するイタリアを記録映画『栄光の日々』を1945年に制作し、オペラなどの新しい演劇活動も始めるなかで、1948年に『揺れる大地』を制作している。

そのようなヴィスコンティの生きてきた軌跡から見れば、ウントニーノがすべてを失って絶望的な状況にもおいても、舟をこぐ表情に生きる誇りが感じられるのは当然である。すなわちはウントニーノの生きる誇りは、ファシズムの絶望的監獄で生き抜いてきたヴィスコンティの生きる誇りであり、「生きる術」に他ならない。

 

『夏の嵐』が逆説的に問いかける「生きる術」

   この1954年制作の『夏の嵐』は原題は『Senso(官能)』であり、一見48年に『揺れる大地』を制作した同じ監督とは思えない。物語もイタリア伯爵夫人リヴィアがオーストリア軍青年将校フランツに恋に溺れいき、破滅するストーリである。

  映画は1866年のオーストリア占領下にあるヴェネツィアが舞台であり、ヴェネツィアの劇場でヴェルディの自由と愛国心を求めるオペラ『ナブッコ』の上演から始まる。そこには1階席を多くのオーストリア軍将校たちが占めており、自由と愛国心を叫んで幕が下りると、天井桟敷から若い活動女性の「占領兵は出ていけ」という叫びとともに、イタリア独立運動のビラがまかれる。その際リヴィアの従兄で独立運動の指導者ロベルトがフランツとの口争いから、決闘へと発展する。リヴィアは従兄を敬愛していることから、フランツに決闘を中止するよう嘆願する。それが二人の恋のきっかけとなって、リヴィアは徐々に軽薄で若く美しいフランツへの恋に溺れていく。

 戦火が激しくなり、リヴィアはヴェネツィア郊外のアルデーノにある別荘へ疎開する。そこで彼女は従兄のロベルトと再会し、レジスタンスのための軍資金を託される。しかしその夜、別荘にフランツが忍び込んでくる。リヴィアは、理性と逆に盲目的に彼を愛し、軍籍を抜け出して愛し合いたいという彼の言葉を信じ、レジスタンスの軍資金を全て渡してしまう。

 その後イタリア軍がクストーザの戦いでオーストリア軍に大敗を喫し、従兄も戦士したにもかかわらず、フランツから軍を退役して療養生活をしているという知らせが届くと、リヴィアは最早愛の情欲を押し留めることができない。オーストリア軍が占領する彼の居るヴェローナへと、すべてを捨てて馬を走らせる。しかし軍退役で自由を手に入れたフランツにとって、突然のリヴィアの訪問は迷惑以外のなにものでもなかった。そこにはリヴィアへの思いやりも愛も全くなく、罵詈雑言を浴びせ、「ロベルトを密告して逮捕させたのは自分だ」と言い放つ。彼の裏切りと冷酷さに目覚めたリヴィアの顔の表情には、見る側の心も突きさす鋭く恐ろしい怒りがあった。

 怒りで覚醒されたリヴィアは、オーストリア軍司令部へと向かい、伯爵夫人として司令官に会い、恥じ入った不倫恋愛を明かし、彼女の与えたお金でフランツが軍退役を偽装したことを暴露し、司令官を通して脱走兵としてのフランツの銃殺刑を計る。

 フランツはすぐさま捕らえられ、即刻銃殺刑が実施される。リヴィアは暗い夜道を「フランツ、フランツ」と叫びながらさまよって行くが、それは最早フランツを求める叫びではなく、フランツと自らを弔う叫びであり、盲目的な欲望や妄執から覚醒され、「生きる術」を取り戻した叫びである。

 したがって私には、彼女を尾行するまでに愛している伯爵のもとに戻り、償いとして祖国の独立のために、献身的に尽くす姿さえ見えてくる。それこそが、ヴィスコンティが逆説的に問いかける「生きる術」である。