(35)検証シリーズ6、財政問題は増税で解決できるか。第2回「民にタカル官僚支配政府の舞台裏(審議会は「やらせメール」だ!)」

理不尽な民にタカル復興増税案は、野田内閣の閣議で決めたものではない。
あくまでも彼らは、官僚支配政府のお人形にしか過ぎない。
確かに内閣では午前中から閣議が開かれ、議論し政府案を決定している。
しかしそれはあくまでも形式であり、実際は通常前夜に開かれる官房副長官(官僚)が主導する事務次官会議で決められてきた。
現在のように腰の引けた民主党政権では、その決定を丸呑み、丸投げするしかないのだ。
だからこそ、官房副長官が政府の影の支配者と言われてきた所以である。
とはいえ官房副長官が独裁者のように自らの意見を主張するわけではなく、下から各部局を通して積み上げ、大臣官房で総括し、各省庁の根回もされてきた草案を、只々承認決定しているに過ぎない。
それはこれまで延々と続いてきた慣習によってなされ来ており、それを政治判断で覆せば、たちまち官僚たちの無言の抗議で機能しなくなる。
 2009年11月の第一回の民主党の「事業仕分け」には勢いがあり、政府の外郭団体の廃止や予算の縮減によって公約の16兆円捻出実現だけでなく、官僚支配政治の終わりさえ期待された。
しかし2010年の第三回の「事業仕分け」では雰囲気が一変しており、各省庁の民主党副大臣は従来のお役所のやり方を終始弁護し続け、官僚支配政府の軍門に下ったことを象徴していた。

それは前の柳田法務大臣を事実上の更迭に追い込んだ本音の言葉、「法務大臣とは良いですね。二つ覚えときゃ良いんですから。個別の事案についてはお答えを差し控えますと、これが良いんです。わからなかったらこれを言う。で、後は法と証拠に基づいて適切にやっております。この二つなんです。まあ、何回使ったことか」が表しているように、専門家でなければ官僚の助けなくしては職務遂行も儘ならず、立ち向かうことなど不可能なのである。

実際閣僚の答弁は官僚の書いた答弁書を読むことなしには、弱点をついた自民党の質問(パイプのある官僚たちが書いていると言われている)には太刀打ちできない。
だからこそ、そのような官僚支配を知り尽くしている小沢一郎は、鳩山政権誕生の際官僚を国会から排除しようとしたのだ。
それゆえに危機感を覚えた官僚たちは、従来の合法的汚職と知りつつ小沢一郎を攻撃したのである。

そうしたなかで公約に掲げていた官僚の天下り根絶は、合法化されたと言っても過言ではなく、逆に天下りの数は増加している。
天下りが根絶できない理由は、政権が官僚支配されるだけでなく、日本の現場では1万にも上る権限と権益が未だに存在し、窓口を天下りの役人にした方がはるかに有利だからだ。

例えば第一回で述べた薬の承認では、製薬企業は医療上の有効性と安全性が確認された新薬を厚生労働省に製造販売承認の申請を行う。これを受けて厚生労働省は医薬品医療器総合機構における審査にかけ、その結果をもって、厚生労働大臣の諮問機関である薬事・食品衛生審議会に諮る。審査をパスしたものには、厚生労働大臣から製造販売承認が与えられる。

この審査をする医薬品医療器総合機構は独立行政法人であり、歴代の理事長は天下り官僚であった。
現在の理事長は批判も高まっていたことから、前の国立国際医療センター病院長であるが、理事長は同時に免罪符とも言うべきレギュラトリーサイエンス学会(薬害などの評価科学学会)を主催しており、連携する大学はこの医薬品医療器総合機構OBや厚生労働省OBを教授に採用するという構図が出来上がっている。

また審議会ほど国民を馬鹿にしたものはなく、「やらせメール」の巧妙な手口そのものと言っても過言ではない。
何故なら審議委員は本来ならば国民の利益を求める中立的な専門家が選ばれべきであるが、各省庁の官僚が御用学者、官僚OB、そして財界人から委員を選び、しかも審議された報告書である答申は事務局の役人が書く事から、官僚支配に都合の悪い答申など有り得ないのである。
したがって国民にとって重要な案件を審議する現在115ほどもある各省庁の審議会は、「やらせメール」そのものであり、無駄遣いであるばかりか、官僚支配政府のプロパガンダと言っても過言ではない。

また地方政府においても、総務省の官僚が出向し支配するだけでなく、地方政府の外郭団体も天下りのオンパレードである。
その理由は、交付税と国庫支出金の地方公共団体への配分が中央官僚の裁量によって、公開されない単位費用、測定単位、補正係数といった不透明なやり方で決定されるからに他ならない。
しかも配分の決定は、年度開始から6ヶ月近く経ってなされることから、3月の予算決定はあくまでも仮予算で、9月に補正予算を組まざるを得ず、費用負担などで自主決定をすることができないことから、実質的に地方政府は霞ヶ関詣でまでして、中央の官僚支配政府に全面的に依存しなければならないのだ。
要するにこの国は、ほとんどの国民が理解できないように複雑な仕組みができあがっており、国の予算を見ても特別会計などが専門家さえ理解し難いほど複雑に重複しており、国民の目を逸らしていると言っても過言ではない。

それは伝統的権力の政治思想である「民は愚かに保て、寄らしむべし知らしむべからず」が、まさに物語っているのである。

だからこそ取り仕切る政治家に対しては、特別な地位に祭り上げ、ドイツの連邦議員の10倍以上の実質的報酬を与え、骨抜きにしているのだ。
(投稿文参照http://www.asyura2.com/11/senkyo119/msg/148.html
地方議員に関しては、ドイツだけでなく欧米の民主国家の多くで名誉職(ボランティア)であり、報酬も日当制が常識であり、議会は市民が参加できるように夕方や休日に開催され、議員も地域の専門家とも言うべき教師などの公務員が多い。

しかしこの国では、地方議員も専門職として高い地位に祭り上げ、市民参加もし難いように平日に開催している。

こうした悪しき官僚支配政府は、もはやあらゆる面で限界に達しており、それが1000兆円にも達する負債であり、東日本大震災福島原発事故という人災を引き起こしたのだ。
しかも官僚支配政府は全く責任を取ろうとせず、その責任の処理を国民に全面的に押し付けている。
国民がそれを容認するならば、この国は破綻するしかない。

この国に未来を求めるならば、まず審議会から御用学者や官僚OBを追い出し、中立な学者や専門家(額に汗して働く人と同程度の日当で意欲的に参加してくれる市民)による国民の審議会にしていくことから始めなくてはならない。

そうすれば、現在の政官財の巨大な利権構造で喰い尽くされている無駄な予算から、16兆円どころか、少なくとも20兆円を捻出することも可能である。