(36)検証シリーズ6、財政問題は増税で解決できるか。第3回「ドイツから学ぶ官僚支配政府の克服(責任ある決裁権と政治任用制度!)」

現在の官僚支配政府は殖産興業、富国強兵を求めた明治政府誕生から既に始まっており、伊藤博文らはそのためにドイツ帝国ベルリン大学で学び、ドイツの官僚制度を模倣した。
(実際はドイツでは、ビスマルク率いる政府も議会決定なしには身動きできなかったことから、勅令などのやり方で、議会決定なしで主導できる立憲君主制をウィン大学のロレンツ・フォン・シュタイン教授から学んだ。)
すなわち二つの目的を最優先して遂行するために、勅令によって議会に左右されない官僚による専制政府を誕生させたと言えよう。
確かに議会の延々とした議論と判断に依らないことは、即効的に機能し、一丸となった統率力で、日本を短期的に飛躍的に発展させた。
しかしそのような急速な発展自体が官僚組織を肥大化させ、無責任な大本営へと変質させていき、太平洋戦争開戦によって破綻した。

そして戦後の日本はこのような官僚制度を反省することなく、核の持ち込みや核保有の密約などで明らかなように再び官僚主導の統率力のある政府によって、飛躍的な産業発展をさせた。
しかしその飛躍的な発展自体が驕りと過信を招き、官僚支配政府は無責任な大本営と化し、再び破綻へと突き進もうとしている。

これに対してドイツでは、戦前の官僚組織の一兆パーセントのハイパーインフレとナチズムを招いたことが徹底して反省され、情報公開を徹底的して国民に開き、官僚組織が政府に尽くす以前に基本法に則って国民全体の利益に奉仕することが、あらゆる側面で求められた。
その大きな柱の一つは権限の下への委譲であり、担当した官僚が責任の伴う決裁権を持っていることだ。
すなわち日本のように稟議制といって、担当した官僚が係長、課長、局長、大臣官房長、大臣といった承認や指図に従って行政を実施し、過失があっても大臣が替わるだけで責任が問われないシステムではなく、担当者に決裁権があるかわりに、過失の際は責任が厳しく問われるシステムである。
それゆえ官僚は、官僚組織よりも国民への奉仕を優先せざるを得ない。
但し決裁権が任される官僚は、大学のディプロマー試験やマギスター試験に合格し、州政府などに2年間条件付官使として勤務した後、ラウフバー試験(法文系は司法試験を兼ねていることから、弁護士資格を収得)に合格しなくてはならない。
そして3年以上の各省庁での見習い期間を経て、決裁権を持つ官僚になるが、課長以上へ昇進するためには競争も激しく、同時に厳しい責任が課せられている。
それは、日本のように国家公務員試験1種に合格すれば、キャリア官僚として官僚組織があたかも自らの共同体を守るために、上へ上へ育成昇進させていくシステムとは対極するものである。
そしてもう一つのドイツの柱は政治任用制度であり、誕生した政権が各省庁の事務次官、局長などの約400人の上級官僚を任用するシステムである。
そのため各省庁の官僚は各政党にリストされており(多くは政党に入党している)、自ずと情報公開を徹底させ、官僚組織の自己目的化を分断していると言えよう。
しかもこれらの官僚は、厳しい決済への責任が課せられることから、政党に属すことで政党に支配されることなく、基本法に基づいて国民全体の利益を最優先して求めているのである。

それゆえ2010年メルケル政権が原発運転期間を28年間延長し、原発推進へ舵を切ろうとした際、その過ちを強く指摘し、脱原発を実現させたのはドイツの官僚たちであったと言っても過言ではない。

その証拠にドイツのZDFフィルム「大いなるこけおどし・・・政治の間違った約束」に、責任を担う官僚たちは積極的に出演し、原発運転期間延長の政策が間違った政策であることを強く指摘している。

(ヴォルフガング・レネベルク、2009年まで連邦原子炉安全局局長)
私は安全性の理由から、古い原発を設定された期間以上運転することは、無責任だと思っている。
ドイツの全ての原発は、今日申請許可が得られるものではないだろう。

(ボルフラム・ケーニヒ、放射線防護局局長)
ゴアレーベンのような一つだけの最終処分場カードを切ると、実質的には10年から15年の長いプロセスの終わりに、すなわち原子力の計画確定作業の終わりに、安全性の裏づけが得られないということが明らかになれば、対処できない。
私たちは、政治が選んだやり方を理解できない。

(ヨアヒム・ヴィランド、法務局憲法裁判官)
脱原発合意が解約されるなら、すなわち飛行機墜落を防御できない古い原発の操業許可が延長されるなら、国家は市民を守る防御義務に違反する。

(オラーフ ホォフマイヤー、環境事務局メルケル首相政府顧問)
脱原発からの下車は、明らかに巨大電力企業に長期に渡って好意を約束したものである。
それは内容的に全く馬鹿げており、エネルギー政策的に全く間違った決定である。
私たちは脱原発を、さらに徹底して実現していかなければならない。
原発の長期運転は必然的により高い収益をもたらす。しかし必然的に安い電力料金にはならない。
もし私たちが底なしに向かう原発の運転期間を延長するというシグナルを与えるなら、それは同時に再生エネルギー源の基盤による持続的な電力供給を本質的に望まないというシグナルを与えることである。
その限りでは、このシグナルは全く致命的である。

このようにドイツの官僚たちは、官僚組織や政府よりも国民全体の利益と責任を最優先して、国民に奉仕していることは明らかである。

日本は約百年前にドイツから官僚制度を導入したが、それは明らかに機能不全に陥っており、今まさにドイツの国民に奉仕する官僚制度への転換が求められている。