(100)オルターナティブな小沢一郎論。(3)何が今一番必要なのか

今回の官僚組織、産業組織、そして組合組織に乗っ取られた民主党政権の失敗は、結局は小沢一郎の想定の甘さにも原因がある。
しかしその甘さこそが小沢一郎の人間像であり、いかなる逆境からも前に進もうとし、彼自身も進化し続けている。
その甘さと変化による前進こそが、メディアを通して多くの国民が彼を嘘つき、そして悪党と思う理由でもある。

細川政権破綻後小沢は羽田政権を誕生させるが、既に彼の改造計画は終わっており、組織の求める村山政権誕生シナリオで引きずり下ろされた。
それでも彼は94年9月に新進党を結成し、一時的に脚光を浴びたが衰退の流れは食い止めることができず、97年12月に解党した。
そしてまた98年1月自由党を結成し、一旦自自連立で政権側に復帰するが、小沢の保守政治での官僚支配政府解体という構想は実現される筈もなく、99年の公明党政権参入で政権側から追い払われた。
それでも2000年の衆議院選挙では、自らを象徴するかのように顔を殴られるCMを流すことで善戦した。
しかしその後の選挙では小泉旋風でじり貧を辿り、目的の実現から益々遠のいて行くなかで、一大決断をした。
すなわち2003年の党名、綱領など全面受け入れによる民主党との合併であり、小沢一郎にとっては保守政治から社民政治への転換であった。
社民政治とは、資本主義のもたらす貧困や格差などの解消を優先する政治であり、生みの親であるヨーロッパでは2000年以降社会民主主義新自由主義に呑み込まれて行くなかでの決断であった。
それ故民主党内にも2004年若手議員を中心に新自由主義を求める「小さな政府研究会」が発足されたが、小沢一郎はそれには参加せず、「東北議員団連盟」結成で地域主義を打ち出し、社民政治一筋に邁進した。

そして2006年の民主党代表選挙の政見演説では、ビスコンティ映画『山猫』を引用して、「変わらずに生き残るためには、まず、私自身が変わらなくてはなりません」と述べ代表に選ばれたことは、まさに小沢一郎を象徴している(注1)。

それ以降彼は「政治とは国民の生活を守るためにある」と強調して、「国民の生活が第一」という社民政治の実現を叫び続け、2009年に民主党政権を誕生させた。
しかし民主党政権誕生と同時に、メディアを通して官僚側、産業側、そして組合側の攻撃が強まり、それまで小沢一郎によって封印されていた新自由主義民主党を支配し、マニュフェストが180度転換されたのであった。

そして今一番必要なのは、2009年に国民の大部分が望んだ「国民の生活が第一」という社民政治を取り戻し、利権構造延命のための消費税増税原発再稼動を通してなし崩し的に核燃料サイクル計画の延命、そしてTPPなどの自由貿易政策を通しての新自由主義推進にストップをかけることだ。

ストップをかけるためには、今や日本の原子力ムラの新しい管理人になった民主党自民党公明党の3大政党に選挙で勝たなければならない。
小政党が自らの正当性と公約を各々主張しても、300議席小選挙区では全く勝ち目がないことは最初から自明であり、「オリーブの木」のような連合で勝利するしか途はない。

しかし現実は「国民の生活が第一」の結成で、国民の選択肢に希望が生まれたにもかかわらず、再び小沢バッシングが再炎し、保守政治時代の福祉目的税創設などの現在の小沢一郎とは相反する政策がほじくり返され、脱原発を求める人たちからさえ「騙されるな」と声が上がっている。
(もっとも私自身も、一年前のブログで小沢一郎支持を表明しているが(注2)、少なくとも「山猫」宣言以前は現在の大部分の国民と同様に小沢一郎アレルギーであり、そのような批判する人たちにも小沢一郎によってつくりだされた選択肢の積極的利用を願って、今小沢一郎論を書く理由でもある)

それは国民の六割が脱原発、脱増税を求める中で、結果として国民の希望を摘み取ることであり、国民の不幸でもある。
それ故今一番必要なのは、各小政党が目先のことに囚われず大きな視点で「オリーブの木」育てることであり、共産党からみんなの党に至るまでの全ての小政党が参加する公開論議(たとえばオリーブの木育成模索委員会)を始めるべきである。

共産党脱原発、脱増税、脱TPPなどで政策合意できるのであるから、国会挨拶の際小沢一郎の「オリーブの木」提案に志位代表は冷ややかであったと伝えられるが、唯一不当な政党助成金を受け取っていない党として、大きな視点で捉えてもらいたい。
もし最初から希望を摘み取り、全ての選挙区で独自の候補を立てるようであれば、私のような「もはや単に右か左かを選べばよいという時ではない」というイリイチの視点に立つものには、結果的に新しい管理人たちに奉仕しているように思える。

みんなの党は綱領にドイツの新自由主義の教義とも言うべき「アジェンダ2010」を掲げており、教義遵守の立場からもTPP推進である。
しかし脱原発、脱増税では合意できるのであるから、みんなの幸せ、国民の幸せを考えるなら、TPPに関しては慎重論議継続という合意まで、大きな視点で降りてきてもらいたい。
またみんなの幸せを考えるなら、ドイツで新自由主義が如何にみんなを不幸にしたかを学び、小沢一郎の山猫宣言のように、「変わらずに生き残るためには、まず、私自身が変わらなくてはなりません」を肝に銘じて欲しい。

もちろん「オリーブの木」を育ててることは、政策合意が伴わなくては意味がないことから決して容易なことではない。
しかし、たとえ「オリーブの木」を育てる公開論議が暗礁に乗り上げたとしても、論点を浮き彫りにし、六割の国民の希望を結集することができる。
そこでは最終的に全ての小党が参加しないとしても、国民の民意を実現することは可能な筈だ。


(注1)民主党代表選挙での政見演説
「最後に、私はいま、青年時代に見た映画『山猫』のクライマックスの台詞を思い出しております。イタリア統一革命に身を投じた甥を支援している名門の公爵に、ある人が「あなたのような方がなぜ革命軍を支援するのですか」とたずねました。バート・ランカスターの演じる老貴族は静かに答えます。「変わらずに生き残るためには、自ら変わらなければならない。英語で言うと We must change to remain the same. ということなんだそうです。」確かに、人類の歴史上、長期にわたって生き残った国は、例外なく自己改革の努力を続けました。そうなのだと思います。よりよい明日のために、かけがえのない子供たちのために、私自身を、そして民主党を改革しなければならないのです」
http://www.ozawa-ichiro.jp/policy/06_0417_00.htm

(注2)(15)「民主党の180度転換した本当の理由と処方箋」
http://d.hatena.ne.jp/msehi/20110812/1313132929