(44)検証シリーズ7、日本の農業に未来はあるか。第3回理想とすべき農業(市民と連帯するドイツの環境保全型農業)。

少なくとも2005年までのドイツの農業は農産物の自給を達成するだけでなく、国土の55パーセントを占める農地を美しい田園景観とし、地域の要となっていた。
このような豊かな農業も1960年代始めには、途上国での農業の近代化を通して農産物価格が著しく下がり、ドイツだけでなくヨーロッパの農業が危機に瀕していた。
そのためドイツではヨーロッパ共同体(EC)を通して、1962年に共通農業政策(CAP)を導入した。
この共通農業政策は、生産増加、農家所得の維持、市場の安定化、そして消費者に合理的な価格で食料品を供給することを目標とした。
そのため外からの輸入農産物には共通関税に加えて課徴金をかけた。
逆にEC内の農産物には補助金によって共通の高い支持価格で買い上げ、大規模化すればするほど有利な環境を整備した。
その結果農家の生産意欲はかきたてられ、農産物の生産は集約化によって急速に増加していった。
事実60年代のECの穀物、牛肉、牛乳の自給率は70パーセント程でしかなかったが、80年代においては100パーセントを超え、逆に大幅な過剰に陥った。
農産物の過剰は資源の浪費だけでなく、在庫処理に膨大な予算を使用した。
過剰農産物はさらなる補助金によって、安い価格でアメリカなどへ輸出され、貿易摩擦を引き起こした。
また化学肥料と農薬を多量に投入する集約農業化が進み、生態系の破壊だけでなく、地下水などの環境汚染を深刻化させていった。
そのような生産過剰を解決するため、ECでは支持価格の引き下げにより、生産調整を実施した。
しかし価格引き下げは生産性の競争を増大させ、さらなる大規模化へと進み、ますます生産過剰と環境汚染という悪循環を繰り返した。
ドイツでも共通農業政策によって、農業の集約化が押し進められ、過剰生産と環境汚染という悪循環に陥った。
また競争の激化によって、多数の小規模農家は廃業へと追いやられ、山岳地のバーデン・ヴルテンベルク州やバイエルン州の農村は破綻の危機に追い込まれていった。
このような農業危機に対して村役場、そして州政府及び連邦政府助成金だけでなく、農家に森林管理を委託したり、グリーンツーリズムなどあらゆる方法で農村を支援した。
そして80年代の始めには現在のEU(ヨーロッパ連合)の農業政策に先駆けて、環境保全型の農業経営に補償金を支払う制度を実施した。
このような背景から、85年のECの「共通農業の政策展望」では、農業の集約化の反省から従来のトン当たりの収量補償からヘクタール当たりの農家個別補償へ転換を要望した。
また環境保全型農業への転換が示唆され、EC理事会は89年バイエルン州から提出された「田園景観維持計画」を採択した。
その内容は、耕作に関しては化学肥料や農薬を禁止する有機農業の基準に従うものであり、牛飼育に関しても粗放化によって牛頭数を削減する徹底した環境保全型農業であった。
同様にバーデン・ヴルテンベルク州でも「市場緩和・田園景観維持計画」が提出され、ドイツでは次々と各州から独自の環境保全計画が提出されていった。
そして92年のEUの農業政策では、補助金によるトン当たりの収量補償から農家の個別補償へと変わり、量から質への転換がはかられた。
すなわち従来の収量補償では、小麦100キロあたりを生産するのに経費20マルクが必要で、国際市場価格が21マルクであれば、例えば6マルクをECが価格補助して27マルクで買い上げるという方式を採ってきた。
この方法では、多く生産すればするほど収益が上がり、生産過剰と環境悪化の悪循環を招いた。
農家の個別補償では、価格補助を極力少なくし市場価格に近い、例えば23マルクで買い上げ、農家の経営が成り立つように規模に応じて直接補償するといったものである。
この方法では一定量以上生産しても利益が少ないため、生産過剰の解消に有効であった。
すなわち個別補償は生産量に対してではなく、耕作面積のへクタールあたりで補償され、穀物であれば1ヘクタールあたり330マルクが補償されるという内容である。
もっともドイツの山岳地などの条件不利地での小規模農家は、EUからの個別補償だけでは経営が成り立たないことから、ドイツの各州では独自の「環境保全計画」を通して、そのような小規模農家でも様々な環境に配慮した耕作項目を選択することで、経営が成り立つようにした。

私自身が2001年に数日をかけて、バーデン・ヴルテンベルク州のシェーナウの農業事務所で取材した「市場緩和・田園景観維持計画2」(2000年)では、92年に発足したこれまでの計画の様々な不備な点が反省され、条件不利地の小規模農家でも経営が十分成り立つように様々な工夫がなされていた。
すなわち農薬や化学肥料を放棄した粗放化耕作であれば、畑地栽培は1ヘクタールあたり170ユーロ、園地栽培は500ユーロ、そして葡萄などの永年作物栽培では600ユーロという高額な補償が得られるようになった。
また傾斜地での耕作も大幅に増額され、35度以上の傾斜地では160ユーロの補償が得られるようになった。
さらに新たな選択項目として、石垣による伝統葡萄栽培では350ユーロ、耕作地にビオトープを作れば180ユーロ、そして極めつけは牧草地に生物指標が導入され、28種類の指定山野草のうち4種類以上が見られるとき50ユーロの加算が得られるようになった。
こうした説明は農業技術者のペーターさんから現場で説明を受けたのであったが、最も重要であると感じたのは、ドイツの農家はこうした様々な環境に配慮した耕作項目を、専門家である農業技術者のアドバイスに従って選択でき、豊かな将来への道が開かれていることだった。
すなわち小規模農家でも、環境に寄与する様々な耕作項目を選択することで暮らしに十分な収入が得られように配慮されており、農家が努力すればするほど多くの収入が得られるようにインセンティブが働いている。
しかもこのような環境に寄与する措置は、農村を訪れる市民にも生物指標の山野草などの写真を使った美しいパンフレットで判り易く説明されていた。
それはこうした補償は役人の裁量や政治の力ではなく、ドイツでは税金を支払う市民の理解がなくては不可能だからだ。
実際多くのアンケート調査が示すように、ドイツのほとんどの市民はそのようなガラス張りにした宣伝努力もあって、農家への多額の補償を農業の果たす役割への正当な報償であると考えている。
すなわち近郊の農家は補償の返礼として、都市の市民に安くて安全な農産物を提供するだけでなく、水源などを含めて環境を保全し、さらに農家民宿など保養を通して社会的安定性と文化的多様性を与えている。
これはまさに日本が理想とすべき農業であり、市民と連帯する農業である。
そしてこのような市民と連帯する農業を通して、産業輸出国ドイツは豊かな地域農業を築いただけではなく、2001年の農産物自給率99パーセントを達成したのであった。

しかしこのような理想的なドイツの農業も、2000年EUの「リスボン戦略」の締結で競争原理が最優先されたことから、2005年頃から農業分野へも大きな影響が出始めている。
すなわちドイツの誇る農産物自給率も2007年には84パーセントまで低下し、最近は毎日50軒ほどの農家が倒産している。
その殆どは酪農農家であり、EUが2015年に現在のEU加盟各国のミルク割り当てを廃止することを決めたことから、東欧などの農業国がそれを見込んで生産規模を拡大し、ミルク単価が著しく下落したからだ。
このミルク割り当ては、1970年代終わりにECのミルク生産が過剰となり、「ミルクの海」と「バターの山」を築き捨てられたことから、ECによってそれを解消するために取られてきた措置である。
そのような適正な措置が廃止される理由は、国際競争力を強化することに他ならないが、そのために再び「ミルクの海」と「バターの山」が築かれようとしているのだ。

そうした競争原理が最優先されるなかで多くのドイツの小規模農家は、生き残るために有機農産物を生産するビオ農家への転向を選択し、2009年には1万9000軒(全農家数36万軒)にも達している。
しかもZDFなどのマスメディアも競争原理を最優先する政策には批判的であり、酪農農家やビオ農家を支援している。
また大手スーパー「アルディー」などの販売でも、価格としては2倍ほどの有機農産物やビオ食料品を増やし支援的だ。
しかしギリシャポルトガルなどの弱国を生み出す新自由主義の「リスボン戦略」には、弱肉強食の競争によってEU自らの首を絞める本質的な欠陥があり、金融から農業に至るまで、危機に瀕するなかで新自由主義自体が問われている。
 

・・・ドイツの農業のはたす役割を考えれば、TPPを許してはならないことは自明である。