(96)オルターナティブな視点からのEU危機最終回。7)すべての危機の打開は脱原発で始まる・・・素晴らしい未来は可能である

現在のEU危機では、ドイツのメルケル首相が解決策として財政緊縮政策を掲げたのに対して、フランスの新大統領オランドは経済成長政策を最優先して掲げている。
しかし近年フランスでは、本質的解決のオルターナティブ(もう一つ別なもの)として「脱成長」という考えが拡がっている。
それは成長信仰にしたがって発展してきた世界が、21世紀に突入しても地球に暮らす大部分の人たちに豊かさを叶えられないだけでなく、益々貧困にさせ、先進国の豊かであった中間層さえ困窮化させているからである。

「脱成長」提唱者であるラトゥーシュ・セルジュ『経済成長なき社会発展は可能か?』(注1)では、世界を危機に陥れている新自由主義から離脱し、エコロジーと地域主義を掲げている。
またアタック学術評議委員でもある経済学者ジャン=マリー・アリベは「必ずしも発展に成長は必要ない」をネットに公表し(注2)、脱成長によって市場がもてはやす富とは比べものにならないような、計り知れない富が節約と連帯を通して実現可能であることを示唆している。
彼らが提唱するこのような素晴らしい未来は、長年私自身も夢見てきた市民社会でもある。
すなわち新しい「脱成長」の描く未来は、エコロジー市民社会の確立で人間の幸せを追求したアンドレ・ゴルツ(注3)、人間の自立や自律を奪い取っていく管理社会の激しい批判を通してオルターナティブを拡げていったイヴァン・イリイチ(注4)、大量生産技術の暴力性を暴くことで人間中心の経済学を追求したE.・F・シュマッハー(注5)などの過去のオルターナティブの巨匠たちの肩に乗ったものであり、現在の新自由主義を克服するための再結集されたオルターナティブでもある。
もっともそのように結集されたオルターナティブも、現在の時代の流れのなかで如何に実現していくか現実的に追及されていかなくては、過去のオルターナティブの巨匠同様に搦め捕られ、逆に支配の安全弁として利用されかねない。
すなわち危機を克服するエコロジーな産業社会、そして補完性原理が優先される地域中心の市民社会実現は、たとえ市民がその転換を望んだとしても、市民自身が新自由主義の産業社会に組み込まれていくなかでは困難であった。
しかしフクシマ原発事故を受けて、ドイツ、スイス、イタリア、ベルギーなどが脱原発の途を歩み出したことは、具体的にエコロジー産業社会への転換が始まったことを意味している。
何故なら、脱原発政策に基づいて電力が地域で生産され、利用されていけば、それを支える節電技術、さらにバイオマスから塗料などの植物化学製品の製造へと波及し、脱原発実現の十数年の間にこれまでの原子力産業を起点として産業全体に拡がっている既成利権が自然に解体していくからである。
しかもそれらは地域分散型技術であることから、地域衰退を食い止めるだけでなく地域主義の柱となる。
もっともEUのように関税の撤廃によってグローバル化の安い食料や製品が自由に流入してくるなかでは、活気溢れる地域再生は容易いことではない。
現に北フランスなどでは、地域破綻の危機から関税の復活が求められており、地産地消税のような新たな形で地域関税を蘇らすことは必要不可欠に思える(注6)。

地域が太陽光や風力などの自然エネルギーでエネルギー自立し、新たな地域関税の導入によって地産地消が可能になれば、それは単に地域を豊かに自律させるだけでなく、世界を本質的に変える。
何故なら、現在の商品を最も安いところで生産し、世界支配を目論む新自由主義に止めを刺すだけでなく、植民地政策以来外へ外へと発展してきた産業を内へ内へと向かわせるからである。
そのような世界ではロボット技術を含めた現代の生産技術を有効に利用して、60年代にアンドレ・ゴルツが夢見たような週24時間の労働で、益々社会と暮らしを豊かにすることも可能である。

しかし現在はボトム競争の激化によって益々モノが大量に生産され、焼却によって大量廃棄されることから地球温暖化は最悪のシナリオ(大部分の人が住めなくなる地球)で進行しているにもかかわらず、リオの気候変動条約は先送りされ、実質的に条約の破綻が容認されている。
またフクシマ原発事故後も、原発マフィアたちによって新興国での原発ルネッサンスは継続されており、原発事故や原発テロが起きる確率だけでなく、イスラエルとイランのような核戦争の起きる確率が益々増加している。
しかも原発によって生み出される放射線廃棄物を数万年も安全に廃棄処理することは不可能であることから、地球の将来世代に負の遺産が益々残されていく。
またカジノキャピタリズムの激化で意図的に金融危機が起こされ、大部分の人たちがカジノの売買に間接的に関与しており、労働時間の短縮どころか、多くの人たちは無給の残業で益々忙しく時間に追われている。
こうした深刻な危機は立ち止まって考えれば誰でもわかることであるが、大部分の人たちは立ち止まる余裕もなく、立ち止まる余裕のある人も原発事故を起こした電力会社の管理者たちのように、危機の認識があるにもかかわらず目先の利益だけを最優先している。
そのように危機さえも無視される社会では、原発事故は繰り返され、財政破綻によって富は益々一握りの人たちに集中し、究極的には最悪シナリオの地球温暖化の進行と核戦争で人類は破滅するしかない。
破滅の回避は残されている時間は少ないとしても、脱原発の選択ができれば可能であり、エコロジー産業社会へ転換することで人類の理想の実現も可能である。

すなわち私たちの置かれている状況は、生か死であり、脱原発を通して生の進路を選ぶことができれば、ゴルツの描いた素晴らしい未来は可能である。

(注1)2010年、作品社。
「脱成長の精神は、効率性、パフォーマンス、卓越性、短期的な収益性、コスト削減、可変性、投資に対するリターンなどなど、その結果が社会関係の崩壊を導くような言葉を金科玉条として掲げる、あらゆる分野における右のような脅迫観念的な追及ならびに潜在的新自由主義イデオロギーの対極に位置する」
P201より抜粋。

(注2)必ずしも発展に成長は必要ない
ジャン・マリー・アリベ(Jean-Marie Harribey)
ボルドー第四大学助教授、ATTAC学術評議会メンバー
(訳・加茂省三)
http://www.diplo.jp/articles04/0407-5.html

(注3)『エコロジスト宣言』アンドレ・ゴルツ、1980年、緑風出版
「首相が言うには、来月中は、生産は午後しか行われず、朝の時間は集団的準備にあてられよう。勤労者がみずから定めるべき目標は、週の労働時間を24時間に減らしつつ、生活必需品に対するすべての需要を彼らの生産によって満たすことである」
P65より抜粋。

(注4)『エコロジー』スティヴン・クロール、1982年、現代書館
「イリイッチは、人間の欲求に迎合する近代社会とその誤ちを批判する一連の著作を公にしてきた。・・・・・・・・・・。というのも生活をより快適なものにする手段、例えば学校教育、医療行為、交通といった巨大な社会制度は、今日では問題を解決する手段というより問題を生み出す源となっているからである」
P162より抜粋。

(注5)『スモール イズ ビューティフル』 E.・F・シュマッハー、1986年、講談社学術文庫
「私は技術の発展に新しい方向を与え、技術を人間の真の必要物に立ち返らせることができると信じている。それは人間の背丈に合わせる方向でもある。人間は小さいものである。だからこそ小さいことはすばらしいのである。巨大さを追い求めるのは、自己破壊に通じる」
P211より抜粋。

(注6)ブログ(46)地産地消税導入参照
http://d.hatena.ne.jp/msehi/20111018/1318901986