(499)戦争と平和(5)なぜ人類はジェノサイドを続けるのか?【1】

ジェノサイドを生み出す官僚支配構造

ユダヤ人ジェノサイドは史実に学べば、1941年初頭に帝国元帥ヘルマン・ゲーリングと親衛隊長官ハインリッヒ・ヒムラ―から命令が出され、ヴァンゼー会議以前に各地で既に実施されていた。しかし各省庁のナチズム主要官僚15人が、その命令に責任を負う治安警察・治安機関長官ラインハルト・ハイドリヒの呼びかけでヴァンゼー会議に集り、「ユダヤ人問題の最終解決」を議論決定し、ユダヤ人ジェノサイドを合法的、組織的に遂行したことは議定書(議事録)からも明かである。

もっともこの議定書は官僚たちの発言を一字一句正確に記録したものではなく、ホロコーストの実質的責任者アドルフ・アイヒマン(治安警察ユダヤ人課課長)によって編集されている。

議定書を忠実に再現したZDF制作の映画『ヒットラーのための虐殺会議』では、ユダヤ人問題の組織的最終解決が、1100万人を超えるユダヤ人のジェノサイドにもかかわらず、いかに合理的に遂行することが全員で決議されている。

映画で描かれた会議では、各帝国省庁のセクショナリズムによる競争意識から最初から意見の一致は見られないが、ヒットラーを総督とする独裁帝国であることから「ユダヤ人問題の最終解決」を委託されたハイドリヒが異論があるごとに、会議を止めて異論を振りかざす官僚を別室に呼出し、すべての帝国省庁が一体となって遂行するように調整している。そこでは、各帝国省庁を代表する官僚たちもハイドリヒの方針に従わざるを得ない。

事実戦後1960年イスラエルの秘密警察モサドに拘束されたアイヒマンは、裁判で一貫して職務命令に従っただけと主張し、「私は自分の仕事を鉄のように固い意思でやり遂げただけです。だがそのあまりの悲惨さに心が痛み、配属先を変えて欲しいと上司に何度も懇願しました」と述べている。

そして最終弁論では、「ユダヤ人に対する虐殺や絶滅計画は歴史上他に類を見ないほど重大な事件であった」と認め、「私にとって不幸でした。あのような残虐行為の遂行は本意でありません。収容所の指揮を任せられたら断ることができません。そこでユダヤ人殺害を命令されたら実行するしかありませんでした」と結んでいる(注1)。

それ故このアイヒマン裁判を傍聴し、『イェルサレムアイヒマン』を書いたハンナ・アーレントは、「アイヒマンは、怪物的な悪の権化では決してなく、思考の欠如した官僚でした」と述べ、凡庸な人間であったことを強調している。

もちろんテロ襲撃で殺されたハイドリヒが生きていて、裁判にかけられたとしても、同じ弁明を繰り返し、凡庸な人間に過ぎなかったろう。したがってホロコーストの原因はヴァンゼー会議で最終解決を決定した官僚にあるというより、官僚制という官僚支配構造にあると言えるだろう。

何故そのような官僚支配構造が生み出されたかは、近代国家が領土拡大を求め、それを実現するために「力こそ正義」であったからである。すなわち産業革命から始まる近代は、機械によって人の手仕事を奪い、爆発的生産を実現したが、生産が過剰になると不況に陥り、領土拡大が求められたからである。

そのために植民地支配で遅れを取ったドイツが編み出した官僚支配構造は、富国強兵と殖産興業を目的とし、無謬神話で各省庁の官僚たちが他のすべてを犠牲にしても、目的実現だけを合理的に図るシステムであると言えるだろう。そのようなシステムは、目的達成のためには人間さえもモノとして平然として扱うシステムでもある。しかも一旦動き出したプロジェクトは、止める仕組が作られておらず、プロジェクトの組織に関与している人も絶えず増え続け、最終的に事なかれ主義、責任転売、秘密主義などに見られるように目的とは逆に機能し始めると言われている。

官僚支配構造の切り札「政令

逆機能し始めたプロジェクトを止めれないのは、政令で守られているからである。すなわち無謬神話で開始されたプロジェクトが止められれば、責任が問われるだけでなく、プロジェクトに関与する人たちが職を失うことにも繋がるからである。

ホロコーストにおいても敗戦直前の1945年ハイドリヒに指令した上官ヒムラ―は、ホロコーストの実質的指揮者アイヒマンに中止命令を出したとされているが、一旦動き出したプロジェクトは止めることができなかった。なぜなら無謬神話で肥大する官と民の利権による官僚支配構造は政令で堅く守られており、関与する組織の合意なしには政令を変えられないからである。すなわちユダヤ人輸送業者、強制収容所職員、遺体及び遺品処理業者、強制労働利用企業に利権が拡大し、止めれないようになっていたからである。

戦後も官僚支配が継続された日本で、国民の選択した脱ダム宣言や既に破綻している高速増殖炉核燃料サイクル開発が止まらないのは、政令で堅く守られているからである。

脱ダム宣言では、特定ダム法4条4項の「国土大臣は計画を廃止する時関係知事の意見を聞かなければならない。さらに関係する県の議会決議を経なければならない」という政令が盛り込まれており、法を変えてまで官僚支配と徹底的に闘う意志のない鳩山政権では、脱ダム宣言の廃止へと追い込まれて行った。すなわち国土交通省の筋書きで県知事たちの意向を踏まえて、官僚が人選した有識者会議が立ち上げられ、決議された「ダム検証ルール」によって八ッ場ダム廃止が逆に再建へと導かれて行った。

また経済産業省の若手官僚の提言で始まった核燃料サイクル廃止議論も、逆に11兆円を超える核燃料サイクル開発が国民の電気料金で賄うことで、以前にも増して推し進められることになった。そこでの堅い政令は、「中止すれば六ケ所村の使用済み核燃料はリスクあるゴミとなり、それらの危険なゴミを各地の原発に返還する」という青森県との契約であった。

日本の官僚支配構造が造り出した侵略戦争

上の動画で見るように日本の帝国主義は、欧米列強の侵略脅威が迫る中で明治新政府大久保利通使節団がドイツ帝国の官僚制による官僚支配構造を学んだ時から始まっている。その理由は植民地支配に出遅れた新興国ドイツが、大国オーストリアやフランスの戦争で勝利していたからであった。

官僚制による官僚支配構造では、議会制民主主義に依拠することなく政令によって国益を最優先することから、短期に富国強兵、殖産興業を推し進めることが可能であった。しかし国家事業が民間に払い下げると、必然的に官と民との癒着による利権構造が生み出された。そして利権構造が推進力となって急速に発展すると、生産過剰から不況に陥った。それを打開するため、必然的にあくなき利権を求めて海外への侵略が始まったと言えるだろう。

1942年3月首相官邸に経済界のリーダーを集めて開かれた大東亜共栄圏建設審議会(議事録)では(動画で見るように)、満洲重工業総裁鮎川義介や鐘淵紡績社長津田信吾のような積極的建設推進とは異なり、多くの出席者は王子製紙社長藤原銀次郎のように搾取に躊躇する者が多かった。

しかし企画院総裁鈴木貞一(軍官僚)の、「私はこう思う。今日日本がやっていることは、欧米の思想から見れば搾取であるかもしれないが、しかし自分の為すことに正義感を持ってやっている場合には、搾取という思想にはならないと思う」という逆らえない言葉で、大東亜共栄圏建設というアジアへの侵略戦争が公に決定されて行った。

しかしその侵略戦争で、南京虐殺の約20万人、フィリピン市民虐殺の約9万人を含め、日本軍が犯した残虐行為での犠牲者の総数は596万4千人に上ると、ジェノサイド研究で世界的に知られ、統計学者でもあるR.J.ランメル教授が報告している(注2)。

戦後ドイツの官僚支配から官僚奉仕への大転換

戦後のドイツは、ホロコーストの大罪を犯したことを官僚、政治家、知識人が自ら反省し、戦前の官僚支配から官僚奉仕へ大転換しており、それこそが日本が学ばなくてはならないものである。

具体的には戦後の「基本法」は、「国家は国民のためにある」を第一条「人間の尊厳は不可侵である」から第二〇条「抵抗権」までの多数決では改正できない基本原則で徹底し、ガラス張りに開かれた連邦憲法裁判所で守っている。違憲判決では強制権があり、すぐさま政府も従わなくてはならないほど徹底したものである。

また基本法第一九条四項では、「何人も、公権力によってその権利を侵害されるときは、出訴することができる」とし、官僚の過ちを裁く行政訴訟では申請はファックスや葉書の殴り書き、口頭での申し立てでも成立し、申請が執行されれば、行政に関連する手紙や面談記録などすべての証拠書類提出を強制することから、弁護士の必要もなく短期で判決される。しかも戦前のように官僚全体で決める無責任体制ではなく、裁量権を担当の官僚が責任が取れるよう変える努力もなされており、責任を抱えたドイツの官僚たちは官僚奉仕に徹するしかないと言っても過言ではない。

もちろん悪しき政令を作り出す審議会の委員も官僚が人選するのではなく、国民の民意に沿って決められている。すなわち連邦、州、自治体の選挙での各政党の得票率に応じて、各政党の推薦する専門家が委員として選ばれることから、文字通り国民のためのガラス張りに開かれた審議会になっている。

(注1)アイヒマン証言 https://www.youtube.com/user/EichmannTrialEN

以前は日本語字幕付きアイヒマン証言が載せられており、アイヒマンの発言はその字幕によっている。

(注2)R.J.ランメル教授(Rudolph Joseph Rummel)が1994年に出した『Death by Government: Genocide and Mass Murder Since 1900 』で検証されている。