公共放送『“正義”どこに3-1』が訴えるもの
10月6日に放送されたNHKスペシャル『“正義”はどこに・ガザ攻撃1年先鋭化するイスラエル』では、イスラエルのパレスチナへの憎悪と敵意の高まり(3-1)、パレスチナ西岸での占領政策拡大と暴力(3-2)、そしてイスラエルの「目には目を歯には歯を」の力による正義侵攻に無力な国連及び国際社会(3-3)を通して、「正義はどこに」と問いかけていた。
今回の上に載せた『“正義”どこに3-1』では、今現在のイスラエルがパレスチナ排除にまで戦争目的を先鋭化している変化を、鴨志田記者が当惑を露わにして問うていた。
今年1月のNHKスぺシアル『衝突の根源に何が』放映後9カ月を経たイスラエルは、10・7で人質にされた家族さえ、家族の停戦と人質解放を求める訴えが戦闘の妨げとなることから、厳しく弾圧されていた。さらに歴史教師の平和を求めてガザの子供たちの悲惨な死をブログで伝える行為や、停戦と平和を求める人たちの活動が国家に対する扇動罪として、捜査逮捕される恐ろしい現実が描かれていた。
しかも右翼若者活動家は、停戦や平和を訴える催しを扇動だと断言し、これまでに数百件を超える停戦と平和への催しを阻止してきたことを自負していた。事実この若者は、映像で見るようにガザでの悲惨さを描く写真や絵の展示催しを暴力的に排除していた。
鴨志田記者の4万人を超える市民が殺されていることへの問いには、ハマスが始めた戦争であるからハマスに責任があり、「目には目を歯には歯を」の力による正義を挑発的にまくし立てていた。
現在のイスラエルは、1993年の「オスロ合意」以降ロシアからのユダヤ人移民が増え続け、パレスチナ人に依存する労働環境も変化し、産業も平和あっての大衆ハイテク商品から対テロ対策に特化されたセキュリティ関連のハイテク商品に変わり、リスクを肥しとして繁栄する国家に変化した。そうした背景もあって、現在のイスラエルは合意による平和でなく、力による平和を求めていると言えるだろう。
そのような変化のなかでは、2国間共存の平和を望む声は掻き消され、ネタニヤフ国連演説で示されように、自国民の安全と自衛権を理由に力による正義を貫こうとしている。具体的には演説で述べているように、地中海からインド洋に至るまでイスラエルに敵対する勢力を一掃し、安全が担保できる富める豊かな王道楽土を建設することである。まさにそれが、イスラエルの提唱する中東の平和構想なのである。
そのような現在のイスラエルに、停戦や和平協定締結を期待しても無駄である。事実ネタニヤフ国連演説後イスラエル軍は、ハマスを支援するヒズボラ一掃を掲げてレバノンへの地上侵攻を開始し、イスラエルとレバノンの国境地帯に駐留する国連レバノン暫定軍への攻撃や侵入が相次いでいる。
この国連レバノン暫定軍は、2006年の中東危機で国連安保理決議によって派遣されているが、ヒズボラのロケット攻撃やイスラエルの空爆に無力で機能してこなかった。そして今回のようなイスラエル軍の力による侵攻に対しても歯止めにならず、ガザでの侵攻同様に、ヒズボラ壊滅へと戦争の拡大は避けられないだろう。
イスラエルの後ろ盾となっているアメリカは、相次ぐハマス最高幹部の戦闘死亡を受けて、「今こそ停戦時機の到来であり、この戦争を終わらせる時である」とバイデン大統領は世界に向けて述べている。しかしネタニヤフ首相は相変わらず「ハマスが武器を置き、人質を返せば、戦争は終わると」とハマスの全面降伏を求めており、実際は停戦や戦争終結とは逆方向に動き出している。
私の創造的平和構想(2)
私はこれまで戦後ドイツのユルゲン・ハーバマスらの「批判理論」を学ぶなかで、現在の諸悪の根源となって問題を批判し、問題を解決する方向に導くことで善なる世界が実現すると思っていた。
例えば核の平和利用を掲げる原発に対しては、その危うさを検証する批判によって脱原発に導き、自然エネルギーへのエネルギー転換で気候変動解消だけでなく、格差のない世界、戦争のない世界に導けると思っていた。それ故日本の民主主義も、ドイツのように司法の政府からの独立によって、政治を官僚支配から官僚奉仕に変え、絶えず民主主義を進化させて行けば、究極的に経済の民主化を通して格差のない社会、世界平和に貢献する国へ変えて行くことができると思っていた。
しかし現実は、日本だけでなく世界の民主主義が後退を余儀なくされているのも確かである。したがって今年出した『核のない善なる世界』では、現在の世界は気候変動を益々激化させ、格差を恐ろしく拡げ、ウクライナ戦争では欧米の武器と資材提供によって国民の富を喰いつくしている現実を直視せずにはいられなかった。そこでは、現在の世界の愚行が来るべき大いなる禍を膨らませ、それが弾けるカタストロフィにこそ、禍を力として希望ある未来が拓かれると、検証を踏まえて論じた。
しかし今年に入り、ウクライナ戦争や中東紛争の終わりが益々見えなくなるだけでなく、世界が戦争に向かって走り出していることを強く感じるようになってきた。そうした人類絶滅ともなり兼ねない人類戦争に向かうなかでは、最早近い将来に押し寄せる禍を力として善なる世界を創り出すことを説いても、間に合わない気がしている。
現にイスラエルでは、人質解放と停戦平和を望む声が掻き消され、「目には目を」の力による正義一色へと変化し、中東からイスラエルを敵視する勢力を一掃するまで戦争を望むように、絶望的に変化している。
また世界を見れば、ロシア、中国、北朝鮮、イラン、シリアなどと世界が明瞭に分断されるだけでなく、EUのハンガリーやポーランドなどの東ヨーロッパ諸国では民主国家から専制国家に変わり、ドイツにおいてさえ旧東ドイツ4州では極右政党AfDが第一党になるほど、恐ろしい変化が起きている。
そのような変化のなかでは、どこまでも真の“正義”を求め、「絶えず民主主義を進化させて行く」正論では最早対処できないことは明らかであり、現実を直視して、今という現在に対処して行かなくてはならない。
確かに今回載せた『“正義”はどこに3-1』では、「目には目を」と叫び、停戦平和イベントを扇動だと停止させるイスラエルの右派活動家若者は、恐ろしく病んでいるように思える。しかしそれは、ホロコーストという過去のトラウマによって、今停戦すれば再びホロコーストのような悲劇が再来するという恐れから来ていることも確かである。しかもイスラエルの殆どの人たちも、この若者同様に「目には目を」の力による正義を求めるなかでは、前回述べたように、アメリカのユダヤの多くの若者が「イスラエル主義」に目覚め、すべてのパレスチナ人とイスラエル人の平等、正義、そして希望ある未来を求めるような変化を期待しても無駄である。
アメリカのユダヤ人若者は、外から攻撃されるという恐れがないからこそ、ユダヤの源流思想「ティックン・オラム」に立ち返り、「あなたにとって嫌なことは、あなたの隣人に対してするな」、さらには「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という利他主義を呼び起こし、反「イスラエル主義」運動に献身できるのである。
しかし現在のイスラエルの人たちは、自らの安全のため力による正義の侵攻を熱狂的に支持している。その支持の裏側には、早期に停戦すればガザのジェノサイドへの復讐心によって、パレスチナから10・7を遥かに超える攻撃がなされるという恐怖心があることも確かである。そのような恐怖心を抱えているなかでは、国際世論の高まりでアメリカが停戦決議に回り、国連決議で停戦を要請したとしてもイスラエルの侵攻は止まらないだろう。
現実的に現在の侵攻を止めるには、イスラエルの後ろ盾となっているアメリカがパレスチナ前線及びベイルート前線にアメリカ軍を割って入るしかないだろう。そのためにはアメリカ軍の介入が、イスラエルの自衛権と安全を守る唯一の方法だと、イスラエル国民及びアメリカ国民が確信する必要がある。
もしネタニヤフ首相が国連で述べたように、地中海からインド洋までのイスラエル敵対勢力一掃に踏み切れば(現在のイスラエルの兵力からすれば可能であるが)、イランの後ろに繋がるロシア勢力が黙っている筈がなく、既に分断されている世界の激突は避けられない。
しかしアメリカ軍が割って入った地域に国連指導の下に、再生可能エネルギーによるエネルギー自立する数千人規模の国際平和コミュニティーが建設されて行けば、イスラエル人の安全を担保し、パレスチナ人の安全と支援、自由を担保するものとなるだろう。
もちろんそのようなコミュニティー建設は、ガザ境界やパレスチナ西岸のイスラエル移植住民との境界、さらにはベイルート国境及び200キロを超える海岸に渡ることから、数千のコミュニティー建設が必要である。
そのような数千のコミュニティーは人間を盾とする平和実現のコミュニティーであり、エネルギー自立だけでなく究極的には自給自足を目標とするコミュニティーである。しかもそのような創造的コミュニティー建設には少なくとも数百万人の動員が必要であり、数万人は世界の平和を願う志願する市民や専門家としても、前回述べたように殆んどが難民主体となる筈である。したがってそのような国際平和コミュニティーの実現は、現在の世界戦争の危機を解消するだけでなく、世界の難民問題、気候変動問題、格差問題を解消する切札にもなり得るものである。
それを本当に実現するためには、現在の「目には目を」の世界が「右の頬が打たれるなら、左の頬を向ける」くらいの寛容さで、利他主義に徹さなくてはならないだろう。
明日から妙高を離れるため次回は休みます。