(13)ZDFフィルム「大いなるこけおどしー原発政策の間違った約束」10

今回はチェルノブイリ事故前に、原発産業の技術者であったウルリヒ・カイアが、原発技術は制御困難であることを語ります。

(ナレーション)
ハイデルベルク
ウルリヒ・カイヤは15年間原発産業の管理者だった。彼のチームと原発を建設し、管理していた。
彼は原発を、高い安全性のある領域であると信じていた。
カイヤは1986年まで、技術に信頼を持っていた。
(カイア)
チェルノブイリの後では、この分野は恐怖であった。
それを私の人生のなかで決して忘れない。
チームの全員で、そして知識でもっても、私たちはロシアがやったように、ここフィィップスブルクやビブリス原発を制御できないだろう。
ロシアは当時20000人、あるいは5000人の兵隊に強制命令することができた。
私たちは、そのようなことができないだろう。
私たちは事故が制御できないだろう。
(ナレーション)
ウルリヒ・カイアは結論を出し、退職した。
今日彼は木材からの電力に着手し、見事なバイオマス発電所を建設した。
カイアは、原発は過去の技術であり、継続することは安全でないと、確信している。
次の大きな事故は、技術者にとっては時間の問題でしかない。
(カイア)
チェルノブイリの事故は特異なものではなく、それが明らかになるだろう。
事故は、当時のロシア、前後のヨーロッパ、アメリカ、そしてドイツにおける出来事の全体の流れであった。
その流れは必ずしも悪くなかった。
多くはミリメーターほどの誤差だった。それは技術がリスクを持っていることを示している。
技術が古くなればなるほど、リスクは益々大きくなる。
人類は技術を、限りなく誤差ゼロに近づけることができるが、原発事故を制御することはできない。


<かつての原発技術者カイアの述べていることは、日本の故高木仁三郎先生も彼方此方で述べられていましたね。原発が本質的に制御できないものであり、放射線廃棄物という未来への負の遺産を増大させて行くにもかかわらず、世界で推進されていくのはマネーへのギアー(渇望)に他なりません。
それはまさに新自由主義です。
その新自由主義を克服しようとした赤と緑のシュレーダー政権は、一年後には180度転換して新自由主義を推進しました。
脱原発の看板さえ下ろしませんでしたが、協定と引き換えに電力の独占支配を許した、と言っても過言ではありません。
そのような転換はロビーイストによって画策されました。
ベルリンでは約5000人のロビーイストたちが活動しており(ブリュセルでは20000人)、政府内の建物に立ち入りが許可されているだけでなく、政権政治家の事務所を共同使用している場合もあります。
世界的に有名なギュンター・グラスがの「全てのロビーイストの政府内への立ち入りを禁止しろ」という発言に始まって、絶えず議論されていますが、「国益のためには必要である」という政治家の強い主張で、未だに決着がついていません。
しかも頻繁に胸を張ってなされるロビー活動は、明らかに政治家と企業の癒着を生じているにもかかわらず、改正された104条項eで合法化されているわけです。
ロビーイストが転換を担った張本人であるという私の意見には、そのような工作も合法化されているため確たる証拠はありませんが、シュレーダーの1999年以降の政府演説を見れば明らかです。
すなわち彼の原稿は節々で新自由主義の教義や常套文句が巧妙に羅列されており、弁護士やジャーナリストなどの出身のロビーイストたちが作成したものと言えるでしょう。
例えとして、2005年3月17日のシュレーダーの政府宣言(Die Bundesregierung BULLTIN NR.22-1-10)を、私の翻訳した文章から以下に抜粋しておきます。>


「弱者対して強者が責任を持つといった連帯は、美徳であると同時に重要である。しかしそれを実現するには、経済的成功が前提条件である」
(シューレダー連立政権の七年間を通して強者は、投資税や相続税などの大幅な減税によって益々豊かになり、弱者は著しい年金や失業給付金の削減よって益々貧しくなった。そうした現実にシューレダー首相はまったく目を向けていない。強者が経済的に成功すれば弱者へのおこぼれがあるというのは、新自由主義の常套句であるが、現実は強者の成功は多くの弱者の犠牲によって成り立っていると言えよう)。
「健康保険改革、年金保険改革、そして労働市場改革の法案成立はあくまでも改革過程の必要条件であり、始まりにすぎない」
(これは新自由主義の教義であり、新自由主義政府はつねに、しかも益々福祉予算や社会保障費の削減を求めている)。
労働市場について話すものは、ドイツの教育について語らなければならない。我々は度々議会においてそれについて議論し、論争してきた。とりわけ我々自身の後継者の面倒をみるのは、経済の責任である」
新自由主義はつねに産業利益に貢献する新自由主義教育を求めている)。
「はっきり言えば、職業教育を受けないものは、経済的に自らの乗っかっている枝を鋸で切るようなものだ」
(これはまさに、新自由主義の自己責任の脅しである)。

<しかし新自由主義のなかで育った多くの若い人たちは、「産業が豊かになり、国益を追求することは、何がいけないのだ。お前の意見は国賊ものだ」と思う人も少なくないでしょう。
しかし考えて見てください。トヨタが毎年1兆円以上の利益を上げていた時も、利益は社員にさえ分配されず、劣悪な雇用形態を生み出したのではないでしょうか。
一握りの豊かな人たちを生み出したことは確かですが、年収200万円が1100万人を超えたように多くの人たちを益々貧しくさせているのも事実です。
話が長くなりましたので、核心については次回にしたいと思います。>


(Naration)
Heiderberg
Ulrich Kaier war fast 15 Jahre Manager in der Atomwirtschaft.
Mit seinen Teams hat er Kernkraftwerke gebaut und gewartet.
Sie kannten auch die Hochsicherheitsbereiche.
Kaier hatte Vertrauen in die Technik, bis zum 26. April 1986.
(Kaier)
Es war der Horror in dieser Branche in den Nächten um Tschernobyl.
Das vergesse ich in meinem Leben nie.
Mit dem ganzen Team,das Wissen, so was hätten wir hier in Philipsburg oder in Biblis nicht beherrscht, so wie die Russen das getan haben.
Russen konnten damals 20,000 Soldaten oder 5000 zwangsbefelen.
Wir hätten das nicht können.
Wir hätten diesen Störfall nicht beherrscht.
(Naration)
Ulrich Keiier zog Konsequenzen, stieg aus.
Heute setzt er Strom aus Holz, baut mit Erfolg Bioenergie-Kraftwerke.
Kaier ist sich sicher. Die Kernkraft ist Technik von gestern, auf Dauer nicht siecher.
Der nächste große Unfall, für den Ingenier nur eine Frage der Zeit.
(Kaier)
Tschernobyl war nicht singular, so mag es der Öffentlichkeit erscheinen.
Das war eine ganze Kette von Ereignisse damals in Russland vorher, nachher in Europa, in USA, in Deutschland, die zeigten: Sie waren nicht alle so schlimm.
Viele waren einen Millimeter davor.
Die zeigten, die Technik hat Risiken, und je älter eine Technik wird, umso größer sind die Risiken. Die kann man mit Null konma irgendwas Prozente erreichnen, aber sie sind nicht beherrschbar.