(55)「ドイツから学ぶ99パーセントの幸せ」第一回万人の幸せを求めた産業政策

ドイツの戦後は、日本と同様に奇跡の工業発展を遂げた。
しかし日本と異なるのは、戦前の1兆パーセントにも上るハイパーインフレやナチズムを許した国家利益を優先する専制的な官僚制度が、国民利益を優先する民主的な官僚制度に刷新されたことである。
そして1949年の戦後初めての西ドイツの選挙では、キリスト教民主同盟のアデナウアーが勝利し、経済大臣エアハルトは「万人に幸せを(Wohlstand für alle ) 」 というスローガンで、競争と平等の同時実現を目指す社会的市場経済を開始した。
この社会的市場経済は基本的には市場経済であり、競争の秩序政策によって市場機構を保証するものであった。
しかし市場機構のみでは基本法(ドイツ憲法)にある不平等を解消し、弱者を保護し、社会扶助といった社会的公正が確保できないことから、社会政策によって補完することが求められている。
この社会政策は、従業員の経営参加(共同決定法)、個人の財産確立(財産形成法)、安定した豊かな社会形成(社会保障制度)として具体化され、労働時間、休暇日数、社会福祉労働分配率などの中に明確に現れていった。
特に1956年に制定された「閉店時間法」は、ドイツの社会的市場経済を象徴するものであった。
閉店時間法」は店の営業時間を、平日7時から18時30分まで、土曜日7時から14時までに制限し(注1)、日曜日は例外を除き営業禁止を厳守し、実質的に労働者の保護を実現した。
すなわち市場競争という自由な競争に、秩序を設けることで「万人の幸せ」を追求し、80年代までに以下のようにあらゆる分野で社会的市場経済が機能し、ドイツ市民の世界一豊かな暮らしを実現した。

万人の幸せを求める産業政策

ドイツの社会的市場経済では51年に共同決定法を制定し、労働者が企業の意思決定機関である監査役会に参加し、企業経営を共同で決定することが求められて行った。
その結果1956年には週休2日制が導入され、労働者の権利と幸せが一つ一つ獲得され、1990年代には年間実労働時間は1500時間台となり、単位時間あたり世界一高い賃金を実現させた。
またナチズムの反省から、基本法を通して人間の尊厳が最優先されたことから、大量生産方式による「労働の非人間化」が問われ、ベルトコンベア作業に代わる「人間中心の生産方式」を生み出して行った。
それは自動車などが生産ラインによって組み立てられるのではなく、労働者(マイスター)自身が仕事の進め方を決め、グループ作業によって連帯して働くボルボ方式であった。
しかしこのような生産方式による製品は、日本などの大量生産による質の良い製品が生産されるようになると、価格の高さから苦戦を強いられた。
例えばカメラ産業は戦前から世界をリードし、戦後もライツ社のライカM3やカール・ツァイス社のコンタックスは技術において他を寄せ付けなかった。
しかし戦後ドイツ製品の模造から始めた日本カメラ産業が、60年代後半までに安くて質の良い製品を量産できるようになると、ドイツのカメラ産業は苦戦を強いられただけでなく、70年代半ばに壊滅した。
もっとも71年にカメラ生産から撤退したカール・ツァイス社は、レンズ一筋に不断に技術開発をすることで多様に分岐し、天体観測機器、手術用顕微鏡、視力機器、マイクロエレクトロニックシステム、三次元測定機器、超LSI製造機器などの様々な分野で世界をリードしている。
このカール・ツァイス社は今でこそ3万人の従業員を抱えるドイツの代表的大企業であるが、1846年にチュウリンゲン州の古い大学町イェーナに創設された当時は従業員僅か10人の中小企業であり、レンズ一筋に不断に技術開発をすることで発展してきたと言える。
またサンルーフのウェバスト社(WEBASTO)、高圧洗浄器のケルヒャー社(KARCHER)、ドア製品のドルマ社(DORMA)、ベットなどの車輪のテンテ社(TENTE)、印刷機のケーニヒ社(KOENIG&BAUER)、鎖のルド社(RUD)、髭ブラシのミューレ社(MUHLE)など、全て地域の田舎町で中小企業として創設され、一つの技術一筋に創意工夫で発展することで、現在も世界をリードしている。
すなわちドイツの戦後産業は、万人の幸せを求める「人間中心の生産方式(ボルボ方式)」を選択することで、マイスターたちの創意工夫を発揮し、独創的企業を生み出して来たと言っても過言ではない。
またドイツ政府は中小企業を地域の要として育成するために、「競争制限法」を1950年代末までにすべての州で成立させ、大企業のカルテル形成や市場支配力の乱用を規制し、企業規模が小さいことから生じる中小企業の競争上の不利益を改善し、自由な競争によって企業の活力がはぐくまれる秩序を整えた。
特に手工業分野では、独立開業する条件としてマイスター試験に合格することを求め、一定の規定で大企業の市場支配に歯止めをかけ、中小企業を保護育成した。
さらに連邦政府並びに州政府は、中小企業に多額の助成金や融資だけでなく、各地域にくまなく職業訓練所を作り、労働者の技術を向上させることで支援した。
そして日本が見習うべきは、各地域の中小企業政策では補完原則を適用したことである。
すなわちあらゆる権限が地域の州政府に委譲され、州政府は独自の中小企業政策を作成し、各州がお互いに競い合ったことだ。
各州の中小企業政策では、資金助成や経営相談がなされるだけでなく、専門家によって研究開発から販売方法に至るまでが適正に指導されて行った。

そして現在も、このようにして育成された中小企業は、量産によって行き詰まる世界からドイツの「ミッテルシュタント」として注目されるだけでなく、ドイツの未来に向けて力強い牽引力となっている。

(注1)1996年に改正され、平日は7時から20時まで、土曜日は16時までに延長された。さらに新自由主義の推進で2006年に改正され、法律的には月曜から土曜日まで24時間営業を可能としたが、現在殆どの商店は20時までに閉店している。