(56)「ドイツから学ぶ99パーセントの幸せ」第二回万人の幸せを求めて刷新された官僚制度

日本が明治初期に手本としたドイツの官僚政治は、戦前は現在の日本の専制的な官僚政治のように国民に開かれておらず、上から下への徹底した管理統制を通して、不透明な無責任体質の政治がまかり通っていた。
そのような政治が一兆パーセントにも上るハイパーインフレを招き、さらにナチズムを許した。
したがって戦後のドイツでは徹底した反省がなされ、国家利益を最優先する専制的な官僚制度を、権限の下への委譲と官僚の政治任用制度などを通して、国民利益を最優先する民主的な官僚制度へと刷新した。
すなわち稟議制によって責任の問われることなく遂行されてきた権限を、直接国民に関与する下位の官僚(注1)に委譲し、責任ある決裁権を持たせることで、戦前は特権階級であった官僚を国民に奉仕する公僕にすることに成功した。
もちろん権限の下への委譲は連邦政府だけでなく、伝統的な地方分権を通して州政府、さらには地方自治体に委譲された。
そして70年代には地方自治体においても、下級官僚が決裁権を持って個室で行政任務の遂行に当っている。
しかもドイツの官僚たちは、無謬神話に守られている日本とは異なり、最初から厳しく責任が求められており、裁量権行使の書類だけでなく、手紙から面談にいたるまでのやりとりが詳細に記録に残されている。
市民が行政に不服がある場合は、口答や葉書のなぐり書きでも受付けてくれることから、行政訴訟は夥しい数に上っている。
しかも裁判では、日本と異なり行政記録の全証拠書類が裁判所へ提出されるため、弁護士の必要もなく、大部分は一カ月程度で判決されている。

そして政治任用制度では、誕生した政権が各省庁の事務次官、局長などの約400人の上級官僚を任用している(各省庁の官僚の多くは政党に入党し、各政党にリストされている)。
この長所は各政党に属する官僚が、国民に競って行政の中身を伝えようとすることから、必然的にガラス張りに開かれることだ。
さらに審議会は連邦、州、そして地方自治体に至るまで、審議委員は選挙の政党の得票割合で選出されている。
すなわち連邦選挙の得票割合がキリスト民主同盟40パーセント、社会民主党30パーセント、緑の党10パーセント、自由民主党10パーセント、左翼党10パーセントであれば、連邦のある分野の審議会の委員20名は、キリスト民主同盟推薦の専門家8名、社会民主党4名、緑の党2名、自由民主党2名、左翼党2名からなり、審議会の民意反映の役割を有効に機能させている。(注2)
このように刷新されたドイツの民主的な官僚制度のなかでは、ドイツの官僚は戦前のように権限による特権階級を享受できないだけでなく、否でも応でも公僕として万人の幸せのために奉仕せざるを得ないのである。

またドイツの政治家も日本のような飛び抜けて高い給料や特別に高い地位ではなく、地方議員にいたっては名誉職(日当制)となっている。
そのため地方議会は休日や夜間に開催され、議員は現職の教師や公務員が多く(注3)、農民、会社員、店員、専業主婦などと多様であり、まさに市民参加の地域政治である。
もちろんドイツの連邦議員は専門職であるが、意欲のある市民であれば、政党活動で実績をあげて政党より立候補することもできる。
しかも選挙は政党による小選挙区比例代表制(注4)を採用していることから、お金や地盤がなくても当選することは可能である。
当選者は選挙後に役所や会社などを休職すればよく、連邦議員の給料にしても、民間の職場に較べて特別に高いものではなく、2期8年程を勤めた後は元の職場に復帰することが一般的であった。

(注1)ドイツの官僚は官吏(ベアムタァ)と呼ばれ、2万人にも満たない日本の官僚(国家公務員一種合格のキャリア官僚)に対して、連邦政府では10万人を超え、州政府では全体で100万人にも及んでいる。
尚ドイツの2004年の国家公務員数は183万9000人、地方公務員は390万4000人、人件費総額1677億4000万ユーロ(1ユーロ120円として約20兆円)。
日本の国家公務員数は160万6000人、地方公務員数は377万7000人、人件費総額は32兆360億円(2006年8月内閣府資料より)。

(注2)日本の審議会は、官僚が審議委員を選出し、事務局の官僚が意見を集約して答申しており、形式的な民意反映による責任逃れであり、極端に言えば「やらせメール」の巧妙な手口そのものと言っても過言ではない。

(注3)欧米では公務員の政治活動の自由が民主国家の欠かせないものとなっているが、日本では専制国家の如く公務員の政治的中立が求められており、政治参加が禁止されている。

(注4)ブログ(53)参照。