(484)年の終わりに、「私の体験した世界一幸せな懐かしい未来」への祈り(悪しき未来遭遇の懸念を超えて思う)。

今年の始めには世界の市民の多くが、ウクライナ戦争終結と「COP28」での化石燃料段階的廃止宣言で、世界に希望が灯されることを望んでいた。

しかしウクライナ戦争は和解協議さえ語られなくなり、終わりの見えない悲惨な戦いが続いている。しかも10月にはハマスの恐るべき残忍なテロ攻撃で、イスラエルパレスチナの絶望的戦争が今も継続している。

 絶望的なのはイスラエルパレスチナ武装組織ハマス絶滅を宣言して、多くのパレスチナ一般市民も殺戮しているからであり、国連もアメリカの反対で停戦決議さえ出来ていないからである。

 さらに今年は人類史上最も暑い夏となり、私の暮らす妙高でもお盆を過ぎても暑い日がいつまでも続き(例年であればお盆過ぎには、涼しさを通り越して寒さを感じるのだが)、身近に地球温暖化の恐ろしさを実感した。幸い私の畑や田は山から水が流れて来ていたことから、自給自足分を含めてそれなりに確保できたが、水が流れて来なくなれば致命的である。

 

原発3倍化が意味するもの

 

 上の映像に見るように、私自身も師走12月1日に開催された国連の気候変動会議「COP28」に少なからず期待していたが、終わって見れば、世界は全氷河融解を避けられない1・5度臨界点超えを容認したと言えるだろう。

 それは、2日に2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロにするため、「世界全体の原発の設備容量を2050年までに3倍に増やす」との宣言が日本を含めて22か国の連盟で為されたことが象徴していた。

実際は福島原発事故以降原発の安全性強化で建設コストは恐ろしく高くなり、再生可能エネルギーに較べて恐ろしく電力コストが高くなるなかで、本気で原発ルネッサンスを復活させようとしているとは思えない。

 福島原発以降ドイツやスイスで脱原発を選択したが、確かにフランス、英国、フィンランドスロバキアなどで新しい原⼦炉が建設されていることも事実である。しかしいずれも建設コストの上昇で完成が遅れており、信頼性の高いドイツ経済研究所(DWI)は詳細な分析を通して、「原発ルネッサンスの復活はない」と明言している。

 今年4月脱原発を完了したドイツの主要メディアはそのような観点に立ち、世界においてもエネルギーとしての原発復活はないと見ており、2021年3月11日の南ドイツ新聞「なぜ原⼦⼒エネルギーは重要性を失いつつあるのか?」の記事では、原発が衰退して行くと指摘している。

そこでは、インドや中国の新規プロジェクトが持ち上がり、バングラデシュ、ナイジェリア、サウジアラビアなど28 カ国が原⼦⼒発電への参⼊を望んでいるにもかかわらず、安全技術の問題に加えて、決定的な経済コストの問題から原発衰退と総括している。

 それにもかかわらず米国、英国、仏国、日本などの22か国が原発3倍化宣言をしたことは意図があってのことであり、考えなくてはならない問題である。

 まず第一に考えられる理由として、原発3倍化宣言は化石燃料支配の延命を図るためであり、実際に原発3倍化が不可能であっても、2050年までの温室効果ガス排出量実質ゼロ目標の大きな柱になり得るからである。

 第二に、原発テロなどの理由から秘密性が容認され、必然的に監視国家へ導くからであり、ロバート・ユングが指摘した「原子力帝国」である。それは、現在の新自由主義が望む究極の政治と産業が一体化したコーポラティズム帝国である。

 第三の理由として、ウクライナ戦争は世界の多くの国に覇権国家へと向かわせ、それらの国は自らを守るために核保有を望んでいるからである。すなわち原発参入は、容易に核保有国家への途を開くからである。

 そして最後に第四の理由として、危機に瀕した原発産業が世界各国への売込みで原発ルネッサンス復活を望み、ロビー活動を強めているからである。原発3倍化宣言をした国々では、政治がロビー支配されていると言っても過言ではない。

 事実今年発表された国際通貨基金IMF報告によれば、世界各国の化石燃料原発を含め)への昨年2022年の補助金総額は7兆ドル(約1000兆円)にも上っており、化石燃料延命と原発延命を願うロビー活動は同根であるからである。

 したがって最終日の12日に出された合意草案では、化石燃料の全廃目標ではなく、「化石燃料から段階的削減」の文言が使われたのであった。その文言は会議延長で「化石燃料からの脱却」に置き換えられたが、全く罰則規定もないことから、各国に委ねられ、本質的には大きな後退を余儀なくされたと言えるだろう。

 それ故13日19時のZDFheuteニュースでは、「1・5度臨界点実現」の終わりの始まりと指摘し、最早パリ協定の実現は無理となったことを示唆していた。

 

私の体験した世界一幸せな懐かしい未来

 

 シリア戦争で書いたように、戦争の発端は気候変動激化による干ばつで多くの人が豊穣の大地を追われ都会に出てきても、満足に衣食住ができないことから、多くの市民が民主化を求めて立ち上がったことに端を発していると言えるだろう。

 ロシアのウクライナ進行にしても、気候激化で地域から都会へ出てきた多くの人々の暮らしの困窮から、そのままではプーチン政権が維持できないことに端しているように思われる。

 またイスラエルにしても、農作物を90%以上自給するだけでなく、ヨーロッパ中心に輸出する世界有数の農業国であり、気候変動激化による影響は決して少なくなく、狭いパレスチナ領土への力による入植が増え続けている。

 パレスチナの人々にとっては、戦後の不条理な取り決めによって狭い地域に押し込まれ、益々暮らしが困窮して行くにもかかわらず、世界は何時まで経っても対処できないでいる。それが戦う武装組織ハマスを生み出し、決して許されない残忍なテロ攻撃を起こしたのであった。しかしホロコーストの地獄を体験したユダヤの人々は、今ハマス絶滅を目標に掲げて、パレスチナの人々に同じ苦しみを与えているのである。その本質的な原因をユダヤの市民、さらには世界の市民は考えなくてはならないだろう。

 ブログに書いたのであるが、私自身6年ほど前若い頃ボランティア活動したバングラデシュを訪問し、半世紀前のチッタゴン仏教孤児院が中学生までの学校に変わり、100人にも上る朝礼で挨拶できたことは感無量であった。しかし今から思えば誘拐されて、殺されてもおかしくなかった。

 既に首都ダッカのレストランで、ジャイカ海外協力隊に関与する人々が襲撃され多くが亡くなっており、私が訪問した直後には地域で農業指導で尽力している元大学教授が殺害されたからである。

 半世紀前は屡々ダッカで日本人に出会ったものだったが、6年前は日本人を見かけず(既に警報が出ていたことを後で知った)、声をかけてくるのは現地の若者であり、携帯で連絡を取り合っていたことからISに近いグループの若者であったように思う。

 一番危なかったのは、昔同様にダッカからチッタゴンへバスで行き、停車場から予約ホテルへ行くのに、近づいてきた若者のリキシャに乗った時であった。確かに8時間もかかるバス旅で疲れていたことは確かであるが、リキシャに乗って途中で眠り込むことはないにもかかわらず、目が覚めると街中ではなく村はずれで、リキシャの若者ではなく別の堪能な若者に訪問目的を査問されるかのように聞かれた。

 危機を感じた私は、50年近く前に日本の子供たちとバングラディシュの子供たちの描いた絵の交換で、市民交流を拡げようとしたことを話し、その後も交流が続き、当時の仏教孤児院が貧しい家庭の子供たちの教育を引き受ける学校も運営し、そこを訪れることをひたすら説明した。私の身なりも、半世紀前の古い登山リュックを担ぎ、裕福な日本人旅行者に見えなかったからか、査問の後リキシャでホテルへ届けてくれ、難を逃れることができた。

 半世紀前も慶応の学生がここで殺される事件かあったが、当時の私はにわか仕込のベンガル語で、一人であちこち出かけた。その理由は出会う人々に強く親しみを感じ、危ないと感じることが一度もなかったからである。

 その際インドも一人であちこち回ったが、危ないと感じたことがないだけでなく、助けてもらった思いが強い。例えばカルカッタでは、疲れから登山リュックをタクシーに忘れたことがあった。お金以外は殆ど入れていたことから、途方に暮れていると、強面の運転手が部屋に届けてくれ、窮地を脱することができた。

 もっともインドの旅では、8ミリカメラも、一眼レフカメラも盗まれたが、それはヒンズーの教えに、富めるものは貧しいものに施しを与えなくてはならず、貧しいものが富める人からいただくことを禁じていないからであろう。

 そのように盗まれることは屡々あったが、旅は絶えずゆったりとしており、時間に追われている国から来たものには心が癒された。実際現地の食事処では注文してから1時間待たされることが当り前で、食事にありつくまでに、誰かと話すことが当り前となっていた。また列車の時間なども1時間くらい待つことが当り前で、プーリーという海辺の駅では、その列車が故障でなくなったと駅員に言われ、しかたなく駅近くの食事処で雑談していると、「汽車が着いた」と例の駅員が呼びに来てくれ、列車も私を待ってくれていたのか、私が飛び乗るとすぐさま発車した。

 何故そのようなことを今書くかと言えば、そのような貧しい国が産業発展で物質的に豊かになったが、牧歌的なのんびりしたものが最早失われていたからである。

 そして今思い出すのは、若い僧の案内で山奥に分けいり、驚くほど幸せな村の思い出である。訪れた農家では、まず温厚な中年の一家の主人に寝たきりとなった母親の部屋に通され、母親とのやり取りから、いかに年寄りを大事にしているかに驚いたものであった。その驚きを主人に伝えると、日本のことを聞かれ、「姨捨山」の話をすると、「ここでは考えられないことだ」と驚きの表情で訴えられたのが忘れられない。

 またその村で話した10人近くの子供たちが、山を下りる際姿が見えなくなるまで「ビタイ!ビタイ!(さようなら!さようなら!)」と見送ってくれ、今もその声が私の耳に残っている。

 それはヘレナ・ホッジが、ラダックに見た「世界一幸せな懐かしい未来」に通じるものであり、それはラダックでもグローバルな産業社会の発展で失われていると聞く。

 何故世界一貧しいと言われたバングラディシュの山奥の村が、世界一幸せだと感じるかを今考えると、日本のように悪政で暮らしに困るほど年貢で取上げられることもなく、政治の空白地域であったことから政を村で自ら決めることができ、古来から自給自足で豊かに暮らして来たからだと思う。そしてそれを維持するために伝統と慣習が重んじられ、知恵袋の年寄りが寝たきりになっても、心から大事にされることにもこよなく幸せが感じられた。

 

地域の自己決定権による自給自足が世界を救う

 

 COP28の終わりが示すように、1・5度臨界点を守ることは不可能になったと言えるだろう。それは地球上の全ての氷河が融け出すことを意味し、十数メートル海面が上昇し、途上国の陸地が沈むだけでなく、先進国の海辺の大都会がすべて沈むことを意味している。

 しかも現在のように2050年までのゼロ排出を原発3倍化と二酸化炭素貯留(CCS)と言ったフィクションで上辺を繕う化石燃料支配の世界では、リオ宣言、京都議定書の固い誓いにもかかわらず、2020年には温室効果ガス排出量が1990年に比較して160%に増大したことから見れば、2050年には250%を超えて来るシナリオさえ想定される。

 それは地球温暖化を想像もできないほど加速させ、今世紀にもすべての氷河が融け出す事態さえ招きかねない。新自由主義信奉者は、経済成長発展のためには十数メートルの海面上昇も容認し、それさえも大都会の高地移転を成長発展と考えるかも知れないが、巨大台風が一瞬で襲う大都会水没では、インフラだけでなく全ての機能が失われ、人類絶滅のカタストロフィともなり兼ねない。地球がそのようなカタストロフィに進んで行けば、生き残った人々も激的に進化したウイルスによって、最後の止めを刺され兼ねないからである。

 またそうでなくとも、イスラエルパレスチナに見るように憎しみが積み重なっていき、将来核攻撃テロによって核戦争が始まれば、「核の冬」によって人類絶滅もあり得るからである。

 まさに我々の未来は、現在の危機を直視すれば、絶望的と言わざるを得ない。

しかし希望がないわけではない。市民のエネルギー転換が進むドイツからは、光が射してきていることも確かである。

 具体的には90年代終わりに民営化された電力が、ハンブルク、ベルリン、シュトゥットガルトなどと、再び再公営されただけでなく、ドイツ全土の地方自治体で再公営化の動きが加速している。

 特にテューリンゲン州では、ドイツ最大の電力企業エー・オン(E・ON)が支配してきたテューリンゲンエネルギー社の株式を、約四〇〇の⾃治体が加盟するテューリンゲン州エネルギー協会(KET)が46%所有し、約八〇〇の⾃治体からなる自治体エネルギー持ち株会社テューリンゲン(KEBT)が保有し、テューリンゲン州のエネルギーは実質的に地方自治体の⼿に委ねられている。

 このようにドイツで電力の再公営化が進む最大の理由は、再生可能エネルギーは分散型技術で、地域でのエネルギー自立が巨大電力企業が送電する電力よりも圧倒的に有利であるからである。その結果2011年脱原発宣言までドイツ最大の電力網で電力供給していたエー・オンは、電力網を自治体や第二の巨大電力企業アール・ヴェー・エーRWE)に売渡し、電力供給から撤退を余儀なくされている。

 また再生可能エネルギー後進国と言われていたイタリアにおいても、2020年まで再生可能エネルギーコミュニティ(一人一票の協同組合だけでなく、市民の投資額に比例した投票権を持つ合資会社非営利団体などを含む)が12しかなかったが(この時点でドイツでは1750)、現在イタリア7901の殆どの自治体で設立の取組みがなされ、革命的に拡がっていることにも光が見えてきている。

 そのような変化は、EUがパリ協定を実現するため2018年のEUエネルギー指針(RED2)で、ヨーロッパ市民に再生可能エネルギーへのエネルギー転換での市民の役割を認識させ、市民自身が再生可能エネルギーを生産し、消費し、商い、貯蔵できる権利を与え、加盟国すべてに実現を求めたからである。

 具体的にはEUの地域間格差などを目的とした7500憶ユーロの資金提供(国家復興・強靭化計画NRRP)によって、イタリアの住民5000人未満の5529の地方自治体に、再生可能エネルギーコミュニティ設立のために22憶ユーロが提供され、国と地方政府のトップダウン方式で強力に推し進められているからである。

 事実ミラノ工科大学が今年2023年4月に出した研究論文「イタリアにおける再生可能エネルギーコミュニティ開発の新たな動向」によれば、2025年までに設立される再生可能エネルギーコミュニティは4万にも上ると分析している。

 もっともこのようなトップダウン方式には、ドイツのような市民イニシアチブが見られないが、再生可能エネルギーコミュニティの構造自体がエネルギー民主主義を形成することから、後進国イタリアにおいても、パリ協定の2030年には全ての地方自治体で市民イニシアチブによって再生可能エネルギー100%実現、もしくは実現に迫っている姿が見えて来ている。

 何故なら再生可能エネルギーコミュニティは、政府イニシアティブであっても、民主主義、社会正義、公平性、認識、多様性、信頼、透明性などの価値感を通して推し進められて行くことから、必然的に市民イニシアチブのエネルギー民主主義を生み出すからである。

 それ故2030年には臨界点1・5度を超えているとしても、少なくともEUの国々では地域での電力自立達成に迫り、そのような地域から「市民イニシアチブで世界を変えて行かなくてはならない」という声が世界に轟き、聞こえてくるであろう。

 それは、気候変動激化は避けられないとしても、禍を力として変えて行くものである。具体的には、私がブログで主張してきた互恵的利他主義によって、世界の全ての地域に利益を求めず再生可能エネルギー資材と技術を提供することに繋がるものであり、世界を本質的に変えるものである。

 そのような世界とは、地域が自己決定権を持って殆どのものを自給自足できる、全ての地域からなる新しい世界であり、私が半世紀前バングラデシュの山奥の村で体験した「世界一幸せな懐かしい未来」が創る世界に他ならない。