58)「ドイツから学ぶ99パーセントの幸せ」 第4回 万人の幸せを実現させたドイツ社会が崩壊した理由 前編

戦後のドイツは社会的市場経済を基盤にして、奇跡の産業発展を遂げるだけでなく、競争よりも連帯を求める理想とも言うべき教育を築きあげた。
また農業においても、小規模農家の倒産や環境破壊を招いたECの集約的な農業共通政策を農民と市民が連帯する個別補償の粗放的な環境保全型農業政策に転換し、山岳地の条件不利地でさえ、豊かな美しい田園景観の農村に変えた。(ブログ44参照)
60年代のそれらの農村では、農業を継ぐことは嫁の来てさえなく、海外に嫁を探さなくてはならないほど夢のない消極的な生き方であったが、環境保全型農業政策を通して80年代末には耕作地の狭い農家でも、主人は林業マイスターの資格収得で森を管理し、主婦は家事マイスターの資格収得で農家民宿を経営し、自ら理想的な職業と自慢するほど積極的な生き方に変わった。
また都会に暮らす市民も単位時間あたり世界一高い賃金、年間労働時間1500時間台、そして約2カ月の長期休暇を90年代には謳歌していた。
しかも被保険者の負担のない健康保険制度を通して無料で医療を受けれるだけでなく、腰痛や高血圧などの慢性疾患の場合は、温泉地のクワクリニックで4週間の無料治療休暇を権利として行使していた。
また失業に対しても、職種技能が尊重され、長期の失業保障期間が切れても適正な職がない場合無期限で十分な生活保障がなされた。
さらに年金に関しては、退職の60歳から平均給料の約70パーセントが支給され、悠々自適な第二の人生を楽しんでいた。しかも労働の分かち合い(ワークシェアリング)から58歳からの早期退職が奨励され、その場合も同額が支給された。

そのような万人の幸せを実現したドイツ社会が崩壊に向かった原因は、端的に言えば豊かさと渇望であった。
豊かさは国内生産の競争力を著しく低下させたからであり、飛躍的な発展を遂げた巨大企業は益々富への渇望を膨らませ、世界に投機を開始したからだ。
しかしその引き金となった契機は、ドイツ市民の悲願であり、世界の市民が祝福した1990年のドイツ統一であった。
すなわちドイツ統一東ドイツ(DDR)の莫大な財産を求めて、アメリカ資本のコンサルタント企業マッキンジーや法律事務所ホワイトアンドケースなどの多くの弁護士を抱えた専門企業が雪崩れ込み、常套手段のやり方で信託公社の役人や政治家を買収し、タダ同然で強奪して行った。(注1)
例えば東ドイツの4万企業の全体の売値は、タダどころか従業員を引き受けるという曖昧な契約の下で2560億マルクの助成金が付けられた。
このようにドイツの役人と政治家の汚職が、巧みな弁護士たちの介在で急速に拡がって行き、コール首相を含めた与党キリスト教民主同盟へのヤミ献金によってドイツの政治が新自由主義に支配されて行った。
そして1994年には厳格に政治汚職を禁じた104e条項が改正され、大半の政治汚職が合法化されて行った(議決に対する便宜のみが有罪)。
これまで昼食の接待さえ厳禁されていたドイツ社会で、このように汚職が蔓延していったのだった。
しかもコール政権では国益を最優先するという名目で、政府内に300人にも上る大企業社長が相談役として出入りを許されるだけでなく、影響力のある政治家が退任後に企業顧問に就任することを日常茶飯事化させて行った。(注2)

(注1)『Schwarzbuch Deutschland 』2009
ドイツでは2008年の世界金融危機後、ドイツ統一後の新自由主義を批判する黒書が書店に並んだ。それは、ドイツ社会が新自由主義の未来を見限ったと言っても過言でないだろう。

(注2)Breuel, Birgit/Michael Burda (Hg.):Ohne historisches Vorbild. Die Treuhandanstalt, Berlin 2005.s.73--8