(59)「ドイツから学ぶ99パーセントの幸せ」 第5回 万人の幸せを実現させたドイツ社会が崩壊した理由 中編

前回は悲願のドイツ統一を望んだコール政権がアメリカの支援を求めたことから、アメリカ資本が雪崩れ込み、それを契機としてドイツの政治が新自由主義に支配されて行ったことを述べた。
しかし社会的市場経済による万人の幸せを実現した社会が、新自由主義になし崩し的に飲み込まれて行ったわけではなかった。
例えばフォルクスワーゲン社は、日本車の目覚ましい進出や労働賃金の高さから、93年には20億マルクという巨額な赤字を計上し、経営者側は10万人の従業員のうち3万人のリストラを求めた。
しかし労働者側は共同決定法を通してリストラを阻止し、従業員の連帯を求める労働の分かち合い(ワーク・シェアリング)を実現させた。
すなわち賃金15パーセントのカットで、週休2日の週36時間労働から週休3日の週28,8時間労働という労働の分かち合いだった。
しかもこの労働の分かち合いは功を奏し、翌年からフォルクスワーゲン社の経常収支を黒字化し、世界の労働者に希望を与えた。
もっともドイツの経営者連盟は、フォルクスワーゲン社は体力もあり、週休3日の宣伝効果もあって、車が売れ出したからであると冷ややかであった。
そして国際競争力を高めるために、恐ろしく高くなった賃金付随コストの削減や労働時間の延長を求めただけでなく、実質的に自由にリストラ出来る「解雇制限法の緩和」法案をコール政権に求め、1996年9月に法案を成立させた。
また産業の要である電力に関しても、これまで一地域に一つの電力企業と定められていた規制を撤廃する要請を高め、1998年4月エネルギー事業法を改正させ、電力の自由化を実現した。
またこれまで競争よりも連帯を優先してきた教育でも、ドイツ統一以後産業界や大学教授たちから競争原理を求める声が高まり、授業料の導入、大学自身の選抜入学試験、そして大学の学習期間の短期化と研究機関の拡充で国際競争力の強化を図る「大綱法改正草案」を作成し、大学、政府、そして産業界の三位一体で成立を求めた。
これに対して学生や教職員は激しく反発し、97年の12月には抗議デモやストが全国の大学に拡がって行った。
そして12月18日のボンでの抗議集会での声明では、「提出された大綱法改正草案は、大学の管理規制を強化し、大学授業料、在学期間の強制的短期化、中間試験、入学選抜を導入し、本来の教育条件、大学の自由、機会均等などを劇的に悪化させる」と激しく非難した。
さらに新自由主義支配に対して、「大学での教育解体だけでなく、社会のあらゆる分野で社会解体が行われつつある。お金がカットされるだけでなく人間の権利が奪われ、ドイツの基本権が脅かされている。しかし政府は、社会使命である政治解決や福祉政策から出来うる限り手を引き、市場(競争原理)にまかせようとしている」と対決色を鮮明にした。
こうした激化する学生運動の激化に対してドイツのマスメディアは、学生や教職員の主張を無視して、競争原理の追求をひたすら求めた。
特に意外であったのは、これまで左翼的とさえ称されてきたドイツを代表する週刊誌「シュピーゲル」が、新自由主義の推進を訴えたことだ。
具体的には、『シュピーゲル』誌の49号(97年12月1日)では、4万人を超える学生がドイツ統一まで政府があったボンの通りをデモ行進する写真を大きく掲載し、「怒りは絶え間なく増大する」といったタイトルを付けていた。
そして記事内容では、学生が競争原理を最優先する「大綱法改正草案」に反対していることには触れず、教育財源の欠乏によって劣悪な教育環境に対する学生の怒りを訴えていた。
しかしそのような怒りを解決するには、大学における競争原理の追求が不可欠であることを主張した。
さらに50号では、「万人の万人に対する闘争」というタイトルで、大学がこのままではやっていけないことは、街頭デモをしている学生から教育大臣に至るまで一致していると訴えた。
そして唯一の解決法は、競争原理を最優先する「大綱法改正草案」を成立させることだと主張した。
このような新自由主義のマスメディア支配に、学生や教職員は既に普及していたインターネットを利用してドイツ市民全体に反論を訴えた。
当時の各大学の学生連盟のホームページには、新自由主義による連帯を求めてきた教育の解体だけでなく、連帯を求めてきた社会の解体を裏付ける資料や、抗議する声明文が載せられていた。
さらに草の根的小メディアは、このような学生運動を支持するだけでなく、98年10月の連邦選挙に向けて、新自由主義の競争を求める潮流に対して、民主主義の連帯を求める潮流を形成して行った。
こうしたなかで長らく政権から遠ざかっていた社会民主党SPD)は、「解雇制限法の緩和」を撤廃、病欠手当・年金減額法の廃止、そして脱原発を公約し、連帯を求める潮流の波に乗って行った。
またこれまで過激に脱原発を求めてきた緑の党も、エコロジー社会を大きく前進させるエコロジー税制改革の実現を公約して、連帯を求める潮流の一翼を担った。
このエコロジー税制改革は、80年代末に環境政策研究者ワイツゼッカーによって提唱された「現在の税制は労働課税が高すぎ、環境および天然資源への課税が安すぎる」という理論に基づいている。
具体的には環境に望ましくない全ての要素(化石燃料原子力エネルギー、大規模水力発電、水、市販肥料、建設目的の土地利用、金属や原料、有毒化合物など)に環境税を導入し、毎年価格を少しづつ引き上げることで、エコロジー社会を実現すると同時に、不足する年金などの社会保障費を補うだけでなく、引き下げることを約束していた。
そして98年10月の連邦選挙では、連帯の潮流を求める社会民主党緑の党が圧勝し、「赤と緑」のシューレダー連立政権を誕生させた。
 シュレーダー連立政権ではすぐさま公約に従って、「解雇制限法の緩和」撤廃、病欠手当・年金減額法の廃止して労働者の権利を守り、脱原発エコロジー税制改革を実施し、新自由主義を克服するもう一つ別な連帯社会の開始であった。
しかし一年後には公約の目標が180度転換され、新自由主義の推進に向かっていた。
それはまさに、現在の日本の民主党政権とオーバーラップするものであった。