(126)映画が抉り出す真実(4)学生運動家が強者へ変身するテーゼ(『ベルリン、僕らの革命』)

アルジェリア人質事件が世界を震撼させている。
多くの多国籍の人たちが人質にされているなかで人道措置が配慮されず、有無を言わさず強行攻撃なされたことに、世界は驚愕し怒っている。
確かにテロリストの要求や身代金支払いを受け入れれば、前例となりますます増加するという主張は一見正論に聞こえる。
しかしこうした事件が繰り返される背景には、テロリストたちがそれ以外の手段がないほど追い込まれているからであり、またテロを支援する絶望的貧困が急速に世界で増大していることにある。
そうした状況下で人道措置の努力もされず、人命を犠牲にして有無を言わさず強行攻撃で対処することが慣例となれば、テロリストたちはニューヨークテロのような悲惨な無差別テロを起こしかねない。
(ドイツでは、ニューヨークテロが初めニューヨーク近郊の原発が目標にされていたことはよく知られている事実であり、ドイツの原発はテロ攻撃に無防備であることが露見している。2010年当時の環境大臣ノルベルト・レェトゲンが、2キロ離れた地点から5メートルの鉄筋コンクリートを貫通できる簡易型ロケット砲攻撃に、ドイツ原発の無力性を認めたように、世界は原発テロに無防備といっても過言でない。万一テロリストたちが絶望的に原発テロに照準を合わせれば、世界は終焉しかねない)

前置きが長くなったが、『ベルリン、僕らの革命』が制作されたのは2001年ニューヨークテロの3年後であり、もとドイツ赤軍RAF)の弁護士をしていたシュレーダー学生運動闘士として火炎瓶を投げていたヨシカフィシャーがドイツの実権を握り、彼らの過去の主張とは180度異なる新自由主義を過激に推し進めた時代であった。
映画は富豪の大邸宅に忍び込み、何も盗らず、家具などを部屋に高く積み上げ「贅沢は終わりだ」と警告するエデュケーター(教育者)の活動から始まる。
この活動家はベルリンに暮らす平凡な二人の学生、正義感の強いヤンと親友のピーターであり、強者への警告で強者だけがますます富む世の中に変革を求めている。
そしてこの映画が面白いのは、ピーターの旅行中ヤンとピーターの恋人で政治活動をしているユールが、自動車事故でユールの10万ユーロ負債を負っている富豪の邸宅に忍び込み、成り行きから富豪で元学生運動闘士のバーデンベルクを誘拐することになり、ユールの叔父のチロル山岳地別荘で以下のような議論がなされるからである。

(ヤン)年収は?
(バーデンベルク)20万ユーロほどだ
(ユール)340万よ。新聞にそう出てたわ
(ヤン)多いな。罪悪感は?はした金で彼女の人生を破滅させた。何故だ?
(バーテンブルク)相手がどんな人間かあまり深く考えなかった。ストレスがひどくてすまない
(ユール)一日の労働時間は?
(バーデンベルク)13時間―14時間は働く
(ユール)お金をどうするの?何でもある。ぜいたくな物ばかり。高級車に豪邸にヨット。“群れのボス”を誇示するためよ。ヨットに乗る暇もないなら理由はそれだけ。なぜぜいたくするの?
(バーデンベルク)民主主義である以上何を買おうと勝手だ。金は払っている。
(ヤン)違う、資本主義独裁国家だ。あんたは泥棒だ
(バーデンベルク)私は働いて得た金で物を買てる。正しい判断をしてるまでだ。それにそうできるのは私だけじゃない。チャンスは皆にある。
(ユール)なかなか言うじゃない。東南アジアでは14時間働いているけど月収は30ユーロ。豪邸も持てない。たとえ正しい判断をしてもバス代すらだせないわ
(バーデンベルク)私は東南アジア人じゃない
(ユール)でも彼らを助けることはできる。債務を帳消しにするの。金額はこの国のGNPのわずか0,01%よ。
(バーデンベルク)だが世界の金融システムが崩れる
(ユール)貧しくさせて、意のままにしたいのよ。彼らの製品をタダ同然で仕入れるために
(バーデンベルグ)何を見て言う?
(ヤン)彼女から借金を取り立てた
(バーデンベルク)問題がちがう
(ヤン)同じさ、体制の論理だ。敵を叩いて、活動の芽を摘む
(バーデンベルク)そうじゃない。もちろん世界は進化すべきだ。環境保護に、生産者価格アップ。だが体制は変わらない
(ヤン)なぜ?なぜ?
(バーテンベルク)人より優位に立ちたいと願うのが人間だから。どんなグループでもすぐリーダが現れる。それに人間は物を買うと幸せな気分になる
(ヤン)幸せ?皆が幸せだと?一度車を降りて街の中を見てみろよ。皆が幸せそうか、脅えているか
(動画9秒より3分40秒まで、台詞は映画字幕による)

このような議論が、4人のアルプスの自然の中での共同生活で少しづつ展開されていく。
議論はバーテンベルクが一枚も二枚も上手であるが、彼は若者の青臭い理想に昔の理想を思い出し、自らの勝ち組としてストレスの中でアクセクする生き方を空しく感じ始める。
そして彼は財産を全て売り、一回だけ寄付し、妻と田舎で暮らしたいと述べるまでに変化する。
また若者たちも恋愛の三角関係、踏み出した現実と理想のギャップから、ユールの「自滅したんじゃ、世界は救えない」という言葉で、誘拐が失敗であったことを認め、バーデンベルクを自宅へ帰すことを決断する。
そしてバーデンベルクも「なかったことにする」と言い、別れ際には頼まれもしない借金取立て放棄書をユールに手渡し、まるで若い親友たちと別れるかのように清々しく手を振る。
ところが最後はどんでん返しが待っており、映画のラストはバーデンベルグが裏切り、物々しい機動隊のテロ特殊部隊が若者のアパートの部屋に突入する。
しかし部屋はもぬけの殻で、壁に貼られていた「お前たちは一生変わらない」というメッセージで終わっている。

もっともこの映画の台本はここで終わらず、バーテンベルクから寄付を受け、ヤンが別荘で話していた警備の薄い地中海の島へ欧州13の衛星放送制御センターの通信機を破壊するために船出するところで終わっている。
実際にこの台本通りのフィルムは制作されており、ドイツのユーチューブに投稿されている(注1)。

すなわちこのフィルムでは、若者たちは欧州の全ての人が一時的にテレビを見れなくすることで、警告によって彼らの「世界を救う」という計画を実践していくのである。
チロル別荘の4人の共同生活で語られたストーリーの流れからしてもこうあるべきで、こう終わることで全体が輝き出してくる。
しかし映画は商業至上主義が行き渡っており、アメリカや日本など世界の多くの人たちに見てもらうために、ラストはあくまでもテロ特殊部隊の突入で終わらなくてはならなかったようだ。
もっともこの映画を見た人ならわかるように、若者たちの“世界を救う”行動は、身の危険も顧みずバーデンベルクを自宅に帰したように、盗まない、危害を与えないことを厳守しており、ラストのテロ特殊部隊の突入は場違いであり、皮肉にも我々を取り囲むメディア支配を浮彫りにしている。
改変された映画はそれでも、過去の理想を求めた学生運動闘士を引き摺り出すことで強者へ変身するテーゼを投げかけることに成功し、商業至上主義に堕しながらも面白い作品であった。
現実的にもこの映画の若者たちのように、世界の新自由主義体制を脅かすアノニムスの活動や、ドイツでは既に述べた海賊党が躍進し、差し迫る世界の危機を救おうとする非暴力の運動が活発化してきている。

終わりに話を最初に戻せば、今回のようなテロ特殊部隊の有無を言わせない攻撃、そして民間人を人質にするテロ行為は決して許されてはならない。
しかし現実は今回の人質事件終焉後テロ武装派がフランスで出した声明によれば、今回のテロは「始まりに過ぎない」と挑発的であり、今後ますます資源国の企業活動を標的とする可能性が高まってきている。
それに対して商業至上主義が最優先されることで、テロ集団やテロ支援国家には世界を終焉するに十分な武器が輸出及び製造されており、最早力によって制圧することは不可能な時代に突入している。
世界が本質的な解決を望むのであれば、世界に蔓延する貧困を撲滅する以外になく、富の再配分の強化で、出来得る限り格差の小さい公平な世界を築かねばならない。
しかしこれまでの愚かな人間の世界を見れば、私が生きている間にそのようなテロのない世界の実現は不可能だろう。
しかし将来世代の若者には、この映画の若者のように世界を救うために理想に立ち向かってもらいたい。
そのためには、ドイツのように大学教育や職業教育を原則無料化することで、若者に公平なチャンスを富の再配分でまず与えなくてはならない。

(注1)ドイツ投稿動画は長時間のためラストだけを録画し投稿しておいたが、オリジナルは以下のアドレスである。
http://www.youtube.com/watch?v=ymaKBRtbk-Q

尚ドイツのユーチューブにはスペイン語版の完全動画がいくつか投稿されており、何十万の人たちがこの映画を無料で鑑賞している。
http://www.youtube.com/watch?v=mtEVil4Lzz0
日本と異なり映画や音楽はお金がなくても楽しむことができ、例えばBMWは利益の市民還元の一環として、毎年オペラ劇場の隣の広場で世界的指揮者の野外無料コンサートを催すことが恒例となっている。