(156)ハネケ映画を通して現代を考える(4)白いリボン前編・・ナチズム醸成を予感させる子供たちの制裁


この物語は村の医師の落馬事故から始まり、小作人妻の男爵納屋での事故死、誘拐による男爵息子ジギの逆さ吊りと鞭打ちの制裁、男爵納屋の全焼、牧師の愛育していた文鳥のハサミによる机の上の磔、助産婦のダウン症の息子カーリンの誘拐と目への危害など、次々と奇怪な事件が坦々と起っていく。
観る側をまるでミステリー映画を観るかのように、犯人探しに駆り立てていく。
しかし文鳥の磔で、意図的に牧師の長女クララが文鳥を籠から取り出し、ハサミで磔にするシーンを映し出している。
このシーンから、観客は小作人妻の事故死以外の奇怪な事件は、子供たちの犯行だとわかってくる。
しかもハネケ映画は、この物語を語る当時31歳のイノセントで純朴そうな教師をして、主犯の牧師長女クララと長男マルティンに次のように迫るのである。
「先生に何かを隠してるね。正直に話してくれ」、「誰がカーリンに乱暴したか考えたか?ジギのことは?誰がドクターを落馬させたか?誰が納屋に放火したか?」
しかし長女クララは、「もちろん考えました。父さんは心が病んだ者の仕業だろうと」、全く怯むことなく答えている。
教師はそのため具体的に、「感謝祭の時ジギは君達と一緒だったろ」、「ジギとカーリ、二人は何の罪を与えらたんだ?」、「エルナ(家令の娘)は何故カーリの夢を見た?」と迫るが、クララは「知りません」の一点張りである。
それに対して教師は怒り、「君は頭がいい、バカの振りはよせ」と叫ぶと、クララは「何が何だかさっぱりわかりません。両親と一緒でもいいですか?」と、冷静に怯むことなく立ち向かっている。
教師は埓があかないため、帰宅した牧師に直接、「去年ドクタが落馬した時彼らが庭にいたんです。アンナに会いにきたと」、「男爵の息子の事件の日も直前に彼らと一緒でした」、「家令の娘が、カーリンが乱暴されると予言したのです」と訴える。
しかし牧師は厳しい口調で、「先生は自分の生徒や私の子供が犯人だと言うのかね?」、「分っているのか。君は正気で・・・」、「君がこんな醜悪な話をするのは、私が初めてなはずだ。もし、このことで君が誰かに迷惑をかけたり、誰かを告発して、家族や子供の名誉を公に汚したりすれば、ここで、はっきり言っておくが、君を刑務所に送るぞ」、「私は牧師として様々な経験をしてきたが、こんな不快な話は初めてだ。君は子供が分っていない。だから、こんな低俗な間違いを犯すのだ。心が病んでいる。君のような男に、子供たちを任せておいたとは!この件は役所に報告しておく。出て行ってくれ。二度と顔を見たくない」と、子供たちを守った。
このようにして、この映画の全貌が濃い霧の中から現れてきた。
すなわち映画の冒頭で、医師の落馬事故のあった日子供たちの帰宅が遅れたことで、牧師は厳しく叱責し、自ら及び全員の夕食を抜き、クララとマーティンに神への純潔を誓う“白いリボン”を付けさせたのは、事件の全貌を知り、子供たちを改心させ守ろうとするためだとわかってくる。
この医師の助産婦との醜悪な関係は村の公然の噂であり、牧師は心が病んでいると非難しても、医師、家令、そして男爵といった権力に対しては常に服従し、悪意や、嫉妬、無関心や暴力が支配する封建的ムラ社会を容認し、服従することで実質的に権力側に立っている。
しかし牧師の長女クララはそうした封建的ムラ社会に、毅然として不服従であり、制裁として一連の事件を首謀している。
弟の長男マーティンは、医師落馬事故の後橋の欄干を渡る危険な行為を、偶然釣りをしていた教師に発見され、「神様に僕を殺す機会をと」述べていることからも、不服従より死(自殺)を選ぼうとしている。
それを父の牧師はわかっていることから、夜寝る際は手をベットに縛り付けたのだろう。
家令の娘エルナも制裁グループに属しているが、親の罪深さとはいえ、ダウン症のカーリに暴力を振るうことには強い疑問を持っており、それを食い止める為に教師に相談したのである。
しかし封建的ムラ社会にイノセントで従順に服従している教師は、カーリの事件後生徒エルナの相談をエルナや家令の家を配慮して黙っていたと弁明しているが、二人の私服刑事の探索が始まると、エルナを学校に呼出し、結果的に捜査協力を優先し、生徒を売っている。
そしてラスト近くで、助産婦が「犯人がわかった」と言って警察への出頭すると、意図的でないにしても自らの安全を図るために、クララとマルティンを糾弾し、牧師に直訴したように思われる。
牧師は、そうした自己弁護を優先する卑劣な行為を十分理解した上で、「二度と顔を見たくない」と激怒したのである。
助産婦はムラについてイノセントでないことから、たとえ犯行が子供たちの仕業とわかっても、警察へ出頭することはないだろう。
助産婦が教師から自転車を借りたのは、医師が家族アンナやルディと一緒に息子カーリを連れてムラから逃亡したからであり、彼らを追いかけたのである。
アンナは医師の落馬事故の際すぐに飛び出して来たことからも、同級生のクララから制裁を聞いていたのであろう。
アンナは家父長制の象徴とも言うべき父への制裁も、父との近親相姦も、人間の生死同様に有るがままに受け入れており、しかも父退院の際は心から嬉しそうである。
それゆえ迫りくる危機を察してか、恐らく彼女が父にムラを出ることを懇願したのだろう。
医師も子供たちには甘く、ルディの事故を聞き病院をすぐさま無理して退院しており、息子と思われるカーリを見つめる目は慈悲に溢れており、病気の妻をないがしろにした助産婦との罪深い関係を断ち切るためにもムラから出る決意をしたのだろう。

アールタークドイツ4・・・スノーデン内部告白が世界に投げかけるもの(4)出演者ロゴの仕事は情報機関コントロールという時限爆弾


前回(3)の議論でブロガーでジャーナリストのロゴは、NSAの機密盗聴でドイツの法律が著しく侵犯されているのは政治の責任であり、与党キリスト民主同盟(CDU)の責任を厳しく批判した。
これに対して、今回の冒頭で008の異名を持つコール政権でBNSを指揮していたシュミトバウア(CDU)は、「ロゴさん、この議論を社会民主党(SPD)のために利用するのはいかがなものか?」というニュアンスで話しかける。
ロゴは、「私はどの党にも属していません」と明言するが、シュミトバウアはSPD初代首相ヴィリー・ブラントを失脚させた1974年のジャーナリストスパイ事件「ギョームスキャンダル」を持ち出す。
「ギョームスキャンダル」とは、東ドイツの前ジャーナリストが1956年シュタージの指令で西ドイツに亡命し、フランクフルトで市議として活躍し、その功績から1968年からヴィリー・ブラント政策秘書になり、首相府で情報活動を指揮することでスパイ活動をしていた恐るべき事件であり、首相は引責辞任している。

そしてシュミットバウアは、「情報機関をコントロールするのが、ロゴさんの仕事でもあります」と、穏やかであるがきっぱりと明言した。
これに対してロゴは「危険な表現だ」と言い返すが、動揺は隠せない。
司会者マイブリットは、「私たちはプルトニウムの上に立っています」と自重を促す始末である。

最早この恐るべき時限爆弾に対して、私の解説は不要であろう。
ロゴがそれ以上弁明しなかったことから、議論は再開されていくが、前回あれだけ主張したロゴは沈黙した(注1)。
その後の議論では、スノーデン暴露をよいチャンス、もしくは転換点と捉え、アメリカにドイツの法律を守らせることで意見が一致する。
またアメリカと手を結ぶイギリスの言うことを聞いていれば、EUは前に進まないことから、データ保護をEUで法的にコントロールすることで一致した。
そして今回の動画の終わりに、“大秩序”という25桁の記憶能力を持つビッグデータがフィルムで紹介される。
それは恐ろしく危険な武器にもなり、次回動画(最終回)で議論される。

(注1)ロゴが抗弁できないのは、シュミットバウアの言うことが事実であり、役者の違いを感じさせる。何故ならロボの情報を万一公言すれば違法になるにもかかわらず、公言なくして沈黙させたからだ。これまで何処の党にも属してないと正義を振りかざしてきたロゴにとって、今回のことは沈黙するほど衝撃的であったようだが、これからはSPDのコメンテーターとして堂々と批判すべきだろう。