(155)ハネケ映画を通して現代を考える(3)。『城』(全体的支配構造克服のテーゼ)

ハネケの『城』はカフカの小説(注1)を踏襲しており、「Kが到着したのは晩も遅くであった」とナーレションで語ることから始まる。
ハネケはインタビューで、複雑な内容ではシンプルに制作することが鉄則と述べているように、この映画は非常にシンプルに坦々と展開されていく。
しかしそれにもかかわらず、カフカの奥深い世界が鮮明に描かれている。

まずKは外からの招かざる客として扱われ、内から追い出す任務を持って即刻現れたムラの執事によって尋問され、彼が城から招かれた測量技師であることがわかっても、外からの招かざる客であることに変わりはなかった。
確かに一方で、昨日到着した宿屋「橋屋」の城とつながる電話では、城へ出向く事を求めると、城の役人はきっぱりと、「来るには及ばない」と拒否する。
しかし他方で、Kの全く知らない二人の助手がある指示を受けて突然現れたり、バルバナスという使いがムラを統括する城の長官クラムの指示で訪れることから、Kを必要としていないわけではない。
焦るKはバルバナスを追いかけ、城にすぐさま出向こうとするが、たどり着いたのは二人の姉妹、年老いた母、そして病気に伏せる父がいるバルバナスの家であった。
姉オルガが歓待のためビールを宿屋「紳士荘」貰いに行くというので、Kも付いて行くと、そこは長官クラム専用の宿屋であった。
そこでクラムの情婦と名乗る紳士荘を切り盛りするホステスのフリーダに出会い、彼女が意図的に誘ったことから、Kは急速に心を奪われていき、その夜のうちに結ばれる。
このような急展開は、その後の物語の進行で、Kの長官クラムの情婦というコネで状況を有利に図りたいという願望と、フリーダのムラの内から外の世界へ抜け出したいという願望からでもあると、わかってくる。
そして翌日母親代わりと言う「橋屋」の女将は、Kのフリーダへの責任を厳しく問う(それはフリーダの身を案じて問うのではなく、フリーダは云わばムラの生贄として城に差し出されものであるからだ)。
さらにこのムラでは泊めてくれるところ等ないと断言した女将は、Kがバルバナスの家を持ち出すと、バルバナスの家は異端だと激怒する。
それはこの物語の重要な伏線であり、ハネケ映画はしっかり捉えていた。
ムラの村長のところへ出向いたKは、要請はあくまでもムラと城の複雑な組織欠陥が招いたことであり、測量を必要としておらず仕事はないと断られ、城の決定がなされるまで待つ事が言い渡される。
しかしすぐさま村長の使いとして小学校教師が訪れ、城の決定がなされるまで学校の用務員の仕事を要請する。
最初Kは拒否するが、フリーダの必死の願いから受けることになる。
Kはこのままでは埓が明かないことから、紳士荘に出向き直接長官クラムに会おうとするが、クラムは会うことを拒否し、Kの叫びにもかかわらず馬車は城へ消えていく。
夜遅くKは小学校へ帰り着き、辺りを気にせず眠るが、翌朝教師から許可なく教室ドアを開き、ストーブを焚いたことを、厳しく糾弾される。
そのため何とか打開しようと、再び城への使者バルバナスの家を訪れる。
しかしバルバナスは不在で、二人姉妹のKに好意を持つ姉のオルガから、バルバナス家がムラから異端視されている理由を明かされる。
「何年か前古頭の役人の一人でツルディーニという男が(妹のアマリーアを)見初め、“紳士荘に来い”という手紙が来たの。下品きわまる手紙だった。アマリーアは手紙を読むと破いて使者に叩き返したの」
それが決定的であり、知り合いだけでなく親しい友達からも見捨てられ、それまで繁盛していた靴屋も注文が取り消され、職人は去り、父親は病に伏せるようになった事が語られる。

映画はKの不条理への孤軍奮闘を淡々と展開してきたが、このシーンは城の核心を物語るかのように、観る側に訴えてくるもがあった。
アマーリアの行為は権力の圧力にもかかわらず勇気を持って自由を体現しており、本来なら絶賛されるべきものである。
しかし表向きは近代合理主義を希求するカフカの生きた専制社会では、官僚によって構築された全体的支配構造が築かれており、それに逆らう者は絶えず異端視され、排除されてきた。
そして現代も、原発ムラ社会が物語るように、ムラに異議を唱える者は、異端者として排除するシステムがムラの至るところにムラ人自身によって構築されている。
特に私のように都会からムラに移り住み、ゴルフ場開発反対運動や水利権不正行政訴訟に関与した者には、それを強く感ぜずにはいられない。

話を戻せば、Kはクラムの第一秘書に紳士荘に呼び出され、そこでフリーダに出会う。
フリーダは反対を押し切ってKがバルナバスの家を訪れたことから、外へ逃げていたらと・・悔いながらも、Kを見捨てる行動を取り、紳士荘を切り盛りするホステスに戻ることを告げる。
失意のKは呼び出した秘書の部屋を間違えるが、間違えた部屋の他の秘書ピュルゲルは深夜にもかかわらずKに非常に親切で、巨大組織である城の論理を親身に諭す。
Kは酒場で翌日の夕方まで眠り、何らかの指示でK同様に紳士荘に呼び出されていたムラ人ゲルステェカーから馬仕事を頼まれ、城の決定がなされまで引き受けることにした。
そこでカフカの物語は終わっており、それを踏襲するハネケの城も、カフカの小説がそこで終わっていることを断って、終わっていた。

最近カフカのその後の物語が出てきたことが報道されており、カフカがその後を書いていたことは事実であろう。
しかしその後のどのような展開を考えても、未完以外の結末は考えられないことから、カフカはその後を書いたにもかかわらず、そこで未完としたのである。
何故なら物語のその後の展開は、近代合理主義を希求すると同時に城権力への帰属を欲望するKを含めて、その時代に生きるムラ人に託されるものであるからだ。
もっともカフカの城を映画制作の原点とするハネケ映画では、植民地政策にノーを突きつけ、世界の終末ではヒュウマンを希求していることから、城が投げかける全体的支配構造に、克服へと向かわなくてはならない事を示唆している。

アールタークドイツ3・・・スノーデン内部告白が世界に投げかけるもの(3)本質的な解決のために

今回の議論は、ウィクリークスのスポークスマンでもあるアペルバウムの提言から始まる。
彼は、ドイツ憲法裁判所が2010年にコンピュータへの侵入を個人権利の侵犯と判決したことを踏まえ、理由なしの盗聴や家宅捜査令状なしの盗聴装置の設置を、ドイツ憲法裁判所はすぐさま禁止することを提言する。
それを容認することは、アメリカの共犯だと断言する。
司会者のマイブリットは、アメリカとの特別の暗黙合意を尋ねたのに対し、シュミトバウアは9.11テロ後の暗黙の合意を認めるが、最早政府だけではコントロールできない域にあると述べる。
何故ならマイクロソフトなどの巨大企業が、NSAの共犯者として背後に聳えているからである。
アペルバウムはこうした困難な状況を打開するために、政治の役割の重要性を指摘し、本質的な解決策として、オバマメルケルの話し合いをこの素晴らしい討論番組のように、ガラス張りにして開くことを提案する。
ビットコムの業務代表のローレーダやバイエルン州内務大臣のヘアマンは、正攻法が困難なことから、データ保護はアメリカとの自由貿易協定に絡ませて守って行くことを指摘する。
しかしロボは、データ保護だけではなく本質的には憲法違反の問題であると追求し、さらにアメリカの引き起こした問題でドイツの連邦内務大臣が訪米し、最初から譲歩して、「どうかそれに関して公正であってください」と頼む、政治家のやり方では埓が明かないと糾弾する。

今日(8月9日)のウォール・ストリート・ジャーナルは、スノーデンの使用した個人情報の秘密が確保できる無料電子メールサービス社(ラバビット)が、アメリカ政府圧力で停止した事を告げていた。
ラバビットの代表は、「憲法のための戦いを続ける」と世界に向けて宣言した。
世界の市民はマイクロソフト、グーグル、ホットメール、ヤフーなどの巨大企業に支配されるのではなく、市民に奉仕させなくてはならない。
本質的な解決のためには、世界の市民一人一人が個人権利の侵犯に声を上げるべきであり、それを盛り上げ実現していくために、アペルバウムの言うオバマメルケルのガラス張り中継議論に賛成だ!


(注1)青空文庫 『城』
http://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/49862_45839.html