(184)地域分散型自給社会が創る理想世界への道1・・年頭に夢見る理想社会

昨年転載した字幕を付けたZDFフィルム『エネルギー転換・電気料金のトリック』では、巨大電力企業の終焉は免れないだろうと示唆していた。
また上の画像の経済学者でエネルギー転換の専門家ウベ・レプリヒ教授は、エネルギー転換は社会システムのラジカルなパラダイム転換をもたらし、これまで勝利者であった原発化石燃料に関与していた産業が敗者になると述べていた。
それはドイツでは、昨年2013年太陽光パネルの1キロワット設置費用が1700ユーロに突入し、最早全量買取制度なしで家庭や企業が電力の自給用に設置し始めたからである。

すなわち太陽光パネルは年間1000時間の照射が見込めることから、10年使用で17セント・キロワット時、20年使用で8,5セント・キロワット時となり、現在のドイツの20セント台後半の電気料金よりも遥かに安いからである。

普及加速は量産コストを益々設置費用を押し下げるだけでなく、誰でも簡単に建物側面や屋根に設置できる簡易タイプも生み出して行くだろう。
また液晶パネルのインチあたりの価格低下スピードから類推すれば、1キロワットあたりの設置費用が500ユーロを割るのも5年とかからないだろう。
それは家庭や企業が自ら電力を製造する時代へ突入することを意味し、再生可能エネルギーで製造する電力が消費される電力を超える日の到来も絵空事ではない。
そのような日の到来は、世界が究極的に化石燃料を燃焼する必要がなくなるだけでなく、日々太陽からのエネルギーを蓄積し、日々豊かになっていくことである。
それは、人類誕生以来の革命的ユートピア社会の実現を意味している。

地域分散型自給社会が創る世界

再生可能エネルギーは地域分散型であることから、その電力が地域に溢れるようになれば食物の地産地消だけでなく、究極的には地域で消費される殆どのものを地域で生産することができる。
例えば熱帯のトロピカルの果物でさえも、地域で消費される量だけ、溢れる電力使用の温室で地域で生産できる。
もちろん最初は、それらの溢れる電力を生み出す太陽光パネルは、地域外で大量生産されたものである。
しかし再生可能エネルギーが溢れる頃になれば、地域の需要に合わせて、ゆったり地域生産されよう。
何故なら太陽光パネルの耐用年数は現在でも20年から30年であり、既に故障の少ない機器として定評があることから、地域に太陽光パネルが需要を超えて設置された後は、当然地域で消耗される量だけ生産すればよいからだ。
それは、現在の化石燃料に関与する大企業の終焉を意味している。
また休耕地や荒地をGPS使用の無人ラクターで開墾し、植物化学原料の干草や麻が生産されることから、生産に必要な原料さえも殆ど地域生産でき(金属の替わりに植物原料からの炭素繊維を使う事もでき、既にドイツでは炭素繊維のリサイクルでも最先端にある)、消耗された製品を土にかえす事も容易だ。
このような地域分散型自給産業への転換は、金融も地域循環されることを意味し、地域生産量の増加に対応して労働賃金が上がり、地域で消費され、益々地域が豊かになる好循環を生み出していく。
まさにそれは、1971年のブレトン・ウッド体制の終焉とは逆の回帰を引き起こし、世界にフライトしたお金を地域へ回帰させる。

そのような変化は、究極的に為替市場の売り買いだけでなく、金融投機、さらには金融ビジネスを不要としよう。
さらに言及すれば、15世紀以来の富を外へ求める植民地主義の終焉である。
したがって途上国でも、返済期限のない国際機関の融資で太陽光によるエネルギーが確保されるようになれば、徐々に輸入製品も現地の地域生産に変わり、先進国の地域同様に年々豊かになるだろう。
ごく当然のように国際機関の返済期限なしの融資がなされる理由は、地球温暖化に見られるように世界は運命共同体であり、地域分散型自給社会は共生原理で協力し合える社会であるからだ。
そのような協力し合える世界を創らなくては、最早お互いに生き延び得ないからである。
もっとも理想世界が築かれたとしても、人間社会は自然災害に無力である。
しかし世界が無数の多くの豊かな地域で繋がっていれば、たとえある地域が壊滅的被害に遭遇しても、助け合いで容易に復旧することができる。

そのような協力し合う地域世界では警察を必要としても、最早軍隊を必要とせず、世界各国で軍隊破棄宣言がなされる日も遠いことではない。
また地域分散型自給社会からなる世界では、競争というスローガンも不要となり、地域間の協力が優先され、他の優れた地域が積極的に模倣されよう。
さらにそのような地域間の協力が優先される社会では、企業もこれまでの利益競争を求める企業形態ではなく、市民利益を求めるNPO形態へ移行する。
そこでの製品が他地域で生産されるものと比較して価格や品質で問題があれば、他の地域との積極的協力で改善されることから、企業間競争さえ不要である。
もちろんそれは、人間の競争心や向上心を否定するものではない。
しかし従来の競争を優先する教育は、連帯や協力を優先する互いに学び合う教育へと変化し、人格、想像力、批判力を身に着けた健全な市民を育成することが目標となろう。
またそのように育成された者が働く職場は、生産工場であれば3Dプリンターと連動する産業ロボットがフル操業することから、人の労働時間は限りなく短縮される。
それは1960年代の偉大なエコロジストであるアンドレ・ゴルツの主張したユートピア社会であり、労働の分かち合いによる完全雇用、週3日20時間労働が実現される日でもある。
もっとそのような理想的社会であっても、人間の社会であることから社会の様々な問題が湧き出してくるため、地域市民がそれを克服するため職場での労働と同じくらい、市民参加で取り組むことが求められる社会でもあろう。

2014年初めの私には、このような地域分散型自給社会が創る理想世界が見え始めてきている。
しかし2014年初めの現実は、そのような理想世界が初夢のようであるかのように、日本では厳しい現実が迫って来ている。

もっともそれは、競争原理を強いる化石燃料社会が終焉に向かい始めた裏返しであり、旧勢力が生き残りをかけ、戦争さえ厭わずに逆襲を開始したからに他ならない。