(185)地域分散型自給社会が創る理想世界への道2・・湧き上がる地域からの叫び

今年2014年年頭の新聞社説には、中央の大手新聞は旧体制牽引、もしくは本質的には反対にもかかわらず容認しているのに対して(注1)、地域の地方新聞には既にパラダイム転換を求める時代の要請が感じられる(注2)。

すなわち断トツの巨大読売新聞元旦社説「日本浮上を結集せよ」では、当面の財政再建よりもアベノミクスの経済成長優先を掲げていた。
外交では中国との対話の必要性を説きながらも、「平時から有事へ、危機の拡大に応じた継ぎ目のない日米共同対処ができるよう、自衛隊の米軍支援の拡充、尖閣など離島防衛での米軍の関与拡大を打ち出したい」、「集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更に踏み切ることも、避けて通れない」と、日本の軍国主義復活で明治以来の富国強兵、殖産興業による重商主義を求めている。
原発政策でも早期原発稼働を強く求め、、「新増設に含みを残した点は支持したい」、「原発のインフラ輸出を成長にも生かしたい」と原発推進政策の復活を支持しており、全ての主張で安倍政権を牽引しているといっても過言ではない。

また戦後の日本の民主主義を牽引してきた朝日新聞元旦社説「政治と市民ーにぎやかな民主主義に」と毎日新聞元旦社説「民主主義という木 枝葉を豊かに茂らそう」では、着々と戦前の軍国主義に向かう現安倍政権に全く戦う姿勢が感じられず、最早翼賛体制下にあるかとでも言いたいかのように、政治に本来の民主主義を求めることで結果的に容認している。

このような中央の大手新聞とは対照的に、最北端の北海道新聞社説(注3)や最南端の沖縄タイムス社説(注4)には必死な叫びと同時に、未来への希望が感じられる。
すなわち北海道新聞の元旦の社説「<憲法から考える>1、針路照らす最高法規 百年の構想力が問われる」では、「 日本は今、勢いをつけて曲がり角を進んでいる。戦後守り続けてきた平和国家から決別する路線である」、「安倍晋三首相は「積極的平和主義」と呼ぶが、軍事偏重路線に他ならない。国民の権利制限をも含む危険な道だ」と主張し、百年の構想力を求めている。
また1月3日の社説「<憲法から考える>2、揺らぐ国民主権 「普遍の原理」を守りたい」では、「政治の主役は国民だ。今年はその原理が覆る分水嶺(れい)となりかねない」、「安倍晋三政権は年内に特定秘密保護法を施行する方針だ。「国民の知る権利」を制限し、情報を意のままに秘匿することができる。そこには国民より国を優先する思想がある」と主張し、揺らぐ国民主権「普遍の原理」を守りたいと切願している。
1月4日の社説「<憲法から考える>3、真の平和主義 9条の精神生かしてこそ」では、「安倍晋三政権が掲げる「積極的平和主義」によって、日本は平和国家から「戦争が可能な国」に変えられようとしている」と主張し、真の平和主義憲法9条の精神を切に求めている。
そしてシリーズの最終日の1月5日「<憲法から考える>4、基本的人権生存権 弱者の「居場所」を確実に」では、「今や世代を問わずだれもが貧困に直面する可能性がある」と主張し、憲法25条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(生存権)が、4月からの消費税増税で益々脅かされていく現実を警告している。
さらに原発政策については1月11日社説「理念なき原発政策 「福島」前に後戻りするな」で、全面的に国の推し進める原発政策を批判し、「これが原子炉3基の炉心溶融という大惨事を引き起こした国の政策だろうか。事故の反省も再生可能エネルギーを育てる意欲も見えない。なし崩しに原発回帰を図るようなやり方は断じて認められない」、「核燃サイクルが破綻した現実に目をつむり、ひたすら延命を図る厚かましさには驚くほかない」、「 跳ね上がる安全対策費、立地対策を含む社会的コストなどを考えれば、原発は割安な電源ではない。あてのない放射性廃棄物処分、福島の事故の賠償、除染、廃炉の費用も際限なく膨らむだろう」、「途方もない危険と巨額で無意味な負担を先送りしない見取り図を描き、真剣に到達の道筋を考える時だ。そのために国民が議論する機会さえ封じておいて、脱原発の目標をあっさり否定するのは、民意軽視も甚だしい」と、戦う民主主義を前面に押し出し、勇気を振り絞って叫び声を上げている。

また南端の沖縄タイムスの元旦社説「[沖縄の試練]歴史体験を学び直そう」では、「沖縄戦が終わってからことしで69年、施政権が返還されてから42年がたつというのに、沖縄人はいまだに「にが世」から解放されていない。伊波が希求した「あま世」の夢は宙に浮いたままだ」と、沖縄の試練が続くことを訴えている。
そして知事が辺野古の埋め立て申請を承認したことを、「どうせまたカネでしょう」という声が本土側から噴出していることを嘆き、「憲法が適用されず、基本的人権自治権が無視された圧倒的な米軍統治下の中にあって、人間としての尊厳をかけて軍事権力と対峙(たいじ)し自ら権利を獲得してきた歴史体験が私たちにはある。これこそが未来に引き継ぐべき沖縄の無形の資産である」と、沖縄の試練である歴史体験を学び直すことを求めている。
1月3日の社説「[外交・安保政策]「日中不戦」再確認せよ」では、安倍首相の電撃的靖国神社参拝を厳しく批判し、昨年12月に公表した「国家安全保障戦略」「新防衛大綱」「中期防衛力整備計画(中期防)」は、憲法第9条を前提にした戦後の平和主義を骨抜きすると指摘し、「「戦争は起こらない」と決めつけるのは、かえって危険だ。事態はそこまで悪化している」と警告している。
1月4日社説「[政党政治]歯止め役不在の危うさ」では、「右傾化を強める安倍首相に対し、与党内部からも「国民の支持が離れかねない」と懸念する声も出ている。しかし、安倍首相に対するチェック・アンド・バランス機能が、失われているのが現状であり、極めて危うい」と強く懸念している。
さらに1月5日社説「[国境の島]共生の仕組みを築こう」では、「沖縄の軍事基地は中国のミサイルの射程に入っている。沖縄戦で県民は「軍隊が駐留することで戦闘に巻き込まれる」教訓を学んだ。ほんの70年足らず前のことだ。平和共存を旨とする生活圏という視点で尖閣問題にアプローチすれば、偏狭な領土ナショナリズムとは異なる彩りを帯びる。国防優先で生活が破壊されては元も子もない」と結び、共生の仕組み構築を希求している。
そして1月10日の社説「[知事の承認説明]県外移設?冗談でしょ」では、「政治家の公約は有権者とを結ぶ生命線である。知事と有権者との「信」はもはや消滅したと言わざるを得ない」と主張し、知事の議会での承認説明を糾弾して戦っている。

さらに1月15日の社説「[細川・小泉氏連携]原発問題が最大争点に」では、自民党石破茂幹事長の原発政策のコメント「一義的に国政の課題だ」、及び辺野古移設問題のコメント「基地の場所は政府が決めるものだ」を批判し、「米軍基地や原発問題を国の専管事項と称して地域の声を封じ込め、ごり押しするのは、民主政治を否定するものと言わざるを得ない」と問い正している。

まさに現在の政府の原発政策と辺野古基地移設は民主主義根幹への挑戦であり、東京都知事選挙と名護市長選挙でそれを跳ね返すことがパラダイム転換の第一歩である。

(注1)今日の社説読み比べ
http://gisyo-104.blogspot.jp/?view=timeslide

(注2)47NEWS 社説論説
http://www.47news.jp/localnews/shasetsu/

(注3)北海道新聞社説
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/index/?g=editorial

(注4)沖縄タイムス社説
http://www.okinawatimes.co.jp/category/?category=%E7%A4%BE%E8%AA%AC&p=1