(281)世界危機第19回『避難民危機討論6−4・リンケの寛容のなさ』・メルケルの時代は終わったのか?

メルケルの時代は終わったのか?
メルケルを支持するのは、キリスト教民主同盟(CDU)や社会民主党(SPD)だけでなく、緑の党バーデン・ヴュルテンベルク州首相クレッチマンまで幅広く、少なくとも4割の国民がメルケル避難民政策を支持している。
しかしながら頼みのフランスもEU全体の分担に距離をとり始め、既にスエーデンやデンマークは国境を閉じ、朋友オーストリアさえ国境コントロールを開始し、イタリアと間に冊を建設することを打ち出している。
メルケルはEUの未来、人類の未来を考えて政治生命をかけて戦っているにもかかわらず、益々孤立して行くことも事実である。
そうした中でCDUポレンツ議員とCSUゼーダーバイエルン州蔵相を招いての1月21日の議論であり、普段はむしろメルケル首相に手厳しい司会者マイビット・イリナが、リンケ(左翼党)党首カーチャ・キーピングに助け舟を求めて質問しているにもかかわらず、カーチャは本質を敢えて逸らし、むしろメルケルに批判的で度量の狭さを感ぜずにはいられなかった。
何故なら国民には人口8000万人のドイツが100万人の避難民を受け入れることは、80人ほど参加の会場に1つ私の席を設けることだとして、国民に寛容さを求めたのに対して、避難民政策の方向性としては一致しているにもかかわらず、政敵メルケルに寛容さを示すことができないからからである(もっともカーチャが党首になった際ブログで書いたように、私自身期待していたからでもある・注1)。

そして今メルケルは3月13日の宿命の日が迫る中で、2月17日には連邦議会で避難民問題がEU全体の連帯にかかっていることを強調したにもかかわらず、18日、19日はブリュッセルでのEUサミットで特別視を求める英国要求を容認せざるを得ず、ドイツに帰れば好まざる出来事が待ち構えていた。
すなわち18日夕方ザクセン州クラウスニッツの仮宿泊施設にバスで到着した避難民バスへ、押し寄せた人たちのラシズム(人種差別)行為がドイツ全土に問題化し始めていた。
英国要求容認はEU連帯結束を崩すものであり、クラウスニッツの事件はメルケルの使命への思いを少なからず打ち砕くものであるにもかかわらず、すかさず21日スポークスマンを介して、「そのような行為をするのは、私たちのドイツでない」と述べ、押し寄せた人たちを暴徒と呼び、「冷酷で、卑劣だ」と、最後まで戦う姿勢を崩していない(注2)。
しかしそうした直向きな真摯な姿に、メルケルの時代の終わりを感ぜずにはいられない。

尚今回の議論で述べられている避難民政策Aプラン、Bプランとは具体的なものではなく、ここではAプランはメルケルの最初のプラン(基本法に基づいて政治避難民は制限なく受け入れる)であり、BプランとはCSUが提出した別のプラン(国境コントロールで上限制限)である。

(注1)
私がドイツで暮らしていた2009年カーチャ・キーピングは既にリンケの副党首という要職にあり、たまたま見たZDF番組「政治家の3日間レポート」で、彼女がインビス(ドイツのファーストフード店)で3日間女店員に挑戦する姿に、客の受け答えから手さばきに至るまで、本物顔負けの真摯な巧さを感じたからである。
恐らく彼女がこの番組に出た意図は、9月の連邦選挙でリンケが最低保障賃金として時間給10ユーロを掲げていたからであり、番組でもカーチャはインビスの女性経営者に、「経営者には大変なことかもしれないけど、市民みんなの時間給がよくなれば、もっとお店も繁盛するわ」と述べていた。
女性経営者は始めは「そんなに出したら、店がつぶれるわよ」と言っていたが、別れに際して「カーチャは議員さんであるのが信じられないほどよくやってくれたから、私もカチャの時間給10ユーロを考えて見るわ」と、ポジティブに変わっていた。
それはまさにカーチャが知識や論議だけでなく、絶えず真摯に社会に向き合っていることを感じさせるものであった。(動画動画http://www.youtube.com/watch?v=qvAPXefP4S4

カーチャの人物像を2012年7月8日のシュピーゲル誌から抜粋。
Wer ist Katja Kipping?
カーチャ・キーピングはどのような人なのか?
Die Pionierin ピオニール(旧東ドイツの子供組織)所属
Katja Kipping wurde am 18. Januar 1978 in Dresden geboren. Die Mutter war Lehrerin, der Vater Ökonom bei Robotron. Als Schülerin war sie bei den Jungen Pionieren. Sie stand an der Schwelle zur Pubertät, als 1989 die Mauer fiel.
カーチャ・キーピングは1978年1月18日にドレスデンで生まれた。母は教師であり、父はロボトロン社の管理者。生徒時代は彼女はピオニール青年団に属していた。1989年壁が崩壊した時、彼女は思春期の始まりに差し掛かっていた。
Die Engagierte 政治参加
Nach der Wende engagierte sich die Schülerin Kipping politisch: Jugendverein Roter Baum, Umweltgruppe Platsch, Schülersprecherin. Mit 20 trat sie in die PDS ein, ein Jahr später wurde sie in den sächsischen Landtag gewählt, mit 27 Bundestagsabgeordnete, mit 29 Vizevorsitzende der Linkspartei.
統一後女子生徒キーピングは、若者協会赤い樹、環境グルプPlatsch、そして学生スポークスマンとして政治的に参加した。20歳で民主社会党PDSに入党した。一年後ザクセン州議会議員に選出され、27歳で連邦議員、そして29歳でリンケ民主社会党の副党首となった。
Die Mutter 母
Im November kam ihr Töchterchen Natalja zur Welt. Die Erziehung will sie sich fifty-fifty teilen mit ihrem Mann, einem Politikwissenschaftler an der Universität Bremen.
昨年2011年11月に娘ナタリャが産まれ、養育はブレーメン大学の政治学者である夫と平等に分担している(結婚も2011年3月)。

(注2)http://www.spiegel.de/politik/deutschland/clausnitz-bundesregierung-sagt-unser-land-ist-anders-a-1078661.html