(300)世界の官僚奉仕を求めて第10回官僚奉仕の切札は太陽(5)今も続く大本営(『私の見た国策満州から豊洲問題の真実』)

前回述べた石牟礼道子が老いと振顫を乗り越えて、「わたくしは、おのれの水俣病事件から発して、足尾鉱毒事件の迷路、あるいは冥土のなかへたどりついた。これは逆性へ向けての転生の予感である」と語る時、私は過去の凡庸なる官僚支配が引き起こした過ちに目を向け、徳義があたり前になされる官僚奉仕社会、世界を創り出して行かなくてはならないことを痛感します。

2016年8月14日放映されたNHKスペシャル『村人は満州へ送られた 〜”国策” 71年目の真実〜』は、戦後70年を経て見つかった農林省書類及び村長の膨大な日記資料に基づき官僚たちの無反省無責任を映し出していましたが(完全版はデイリーモーションで見られます)、まさにそれは「逆性へ向けての転生の予感」を希求していました。
そこでは官僚たちが制海権、制空権が奪われ敗色が濃くなる中で、人間の命など全く考えなく(ソビエト軍侵攻では事実上満州軍の盾に使われ、8万人以上の村民の命が犠牲になっています)、分村という殆ど強制的なやり方で村民を満州へ送った事実が描かれていました。
番組ではプローログの後終戦間際に95人の村民を満州へ送り出した長野県の河野村を映し出し、唯ひとり生き残って帰還した久保田さん(当時15歳の少年、現在86歳)の言語を絶する辛い、つらい体験が本人の口から以下のように語られます。
「潔く死んでいこうということになって、日本人はおしまいなんだと考え込んでいたら、早く手伝ってくれというおばさんたちの声でお子さんたちを絞め殺す手伝いをして。20数人はお手伝いしたと思うんです」(それは70年間も封印された辛い思いが滲み出していましたが、番組の終わりでは二度と繰り返してはならないという思いで、集団自決をお手伝いしたことを中学生に前向きに話されていました)。
また番組では国策で村民を送り出すことを余儀なくされ、戦後自責の念から41歳の若さで自ら命を絶った河野村の胡桃沢村長の苦悩が日記をとおして語られます。
そのような村民久保田さんや村長胡桃沢さんの記録とは対照的に、制空権、制海権が奪われ配色が濃くなるなかで、番組は後半見つかった資料には政策を指揮した官僚たちの、「一度決められた政策は動き出すと止められなかったという証言がしるされていた」と述べ、元満州国興農部参事官の「当時はともかくノルマ達成が至上命令であって、どうすることもできなかった」という証言を代読していました。
また終わり近くでは、70年代に多くの満州孤児たち引き上げて来て、かつての満蒙政策が問われなかで、国は一貫して国は「戦争の損害はすべての国民が受忍しなければならない、国内外どこであっても異なるものではない」とその責任を回避していることを問いかけています。
しかもその際に非公式に行われた満蒙政策に関与した農林省の官僚たちの総括する会議では、70年代には再び官僚組織が肥大に転じたこともあって、無責任、無反省であるばかりか満蒙政策を賛美する音声テープの肉声には、驚愕を通り越し、恐怖さえ感じ得ません。

まさにそれは、アイヒマン裁判でアイヒマン自身強制収容所で為されていることを熟知し何百万人も送り込んだにもかかわらず、「私は一人も殺していません。ただ国策の至上命令に従っただけです」と述べたアーレント報告の「悪の凡庸」であり、一旦動き出した政令の止める手段がないことを物語っています。
そのような悪しき官僚支配(大本営)が戦後も見直されなく継続されてきた日本では、現在問題になっている豊洲移転問題でも同じであり、巨大な利権構造のウィンウィンで決められた豊洲移転プロジェクトは、専門者会議が決定した都民の命の安全性など最初から考慮しておらず(形式として考慮しているだけで)、動き出したプロジェクトを止める手段がなかったと言えるでしょう。